• 01 Jul
    • 7月~ オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ

      オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会の勉強会・サードオピニオン会のお知らせ 全国セミナー、東京、神奈川new!!! オルタナティブ協議会編集 減断薬読本をご希望の方はこちらから~私たちが目指す回復のかたち~ ○サードオピニオン会とは・・ 「新たな視点からの選択と対話による回復」サード・オピニオン会の開催予定 東京 7/9 7/10 8/13 (東京は参加者多数の為、十分に対話出来ないため、1回あたりの参加者数を10名としました。) 神奈川 7/3 8/7 大阪  7/22 8/26 名古屋 7/17 8/20 9/17 10/15 西宮(兵庫) 6/23 7/21 8/25 福岡  7/25 8/29 三島(静岡) 7/16 8/21 9/18 10/16 高松 未定 中津川(岐阜) 7/31 学会・講演会 未定 減断薬の為の基礎知識(お薬を深く学ぶセミナー) 未定 クスリに頼らないオルタナティブ講座 未定 神奈川オルタナティブ協議会【オルかな】主催イベント 7月17日 高齢者医療と介護を考える 精神薬ゼロを目指す特養から学ぼう! 関西オルタナティブ協議会【オルかん】主催イベント 7月23日 オルかんサルサワークショップ(うつ病撲滅)

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  • 28 Jun
    • 一流の詐欺師は9つの本当で1つの嘘をつくが三流の詐欺師は1つの本当で9つの嘘をつく

      「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」とした伊藤隼也さんの著書が非難されている。 山本一郎なるブロガーが、そのデータの解釈における1つのミスを引き合いに出し、他の正当な批判まで一緒くたにすることでその評判を落とそうとする記事をYahooに投稿している。 元になったデータは、2010年に知り合いの新聞記者が私に送ってきた東京都監察医務院の研究論文である。 伊藤氏と小学館編集部が使ったデータはそのフォロー論文2011年版である。 山本一郎なるブロガーが指摘しているのは、「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」という記載である。 突っ込みどころ満載であるが、明確に指摘しておく。 -ブログより転載- 伊藤さんの問題を指摘されている内容が結構派手でして、このTogetterまとめでもあるとおり「『自殺者』と『抗うつ剤の売り上げ』がほぼ同じ時期から増え始めていた!」とか「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」などと、明らかにトンデモなもので、まあ単純にガセネタの類ではないかと思います。 本書第2章「医師の大量処方が覚醒剤中毒死の約25倍の死者を出している」の根拠は、監察医務院福永氏の報告書で「06年~10年の死因不明遺体に対する行政解剖13499件において検出された薬物は覚醒剤136件に対し医薬品等3339件」というもの とりわけ、医師が抗うつ剤などの大量処方が理由で自殺者が増え、結果として覚せい剤による死者の25倍に至るというデータは、問題の発端となっている東京都監察医務院の資料を見ても確認できません。また、医師に直接取材した体になっていますが、死者の絶対数の話であって、死因や母数に関しては何の情報も記載されておらず、死亡率での比較であるべき本件ではまったく信頼できる記述になっていません。 まず、事実を確認しておく。 データ元は、 『平成22年度厚生労働科学研究費補助金(医薬品.医療機器等レギュラトリ分担研究報告書監察医務院における薬物検出の実態関する研究分担研究者福永龍繁東京都監察医務院院長研究協力者谷藤隆信同上(主任)柴田幹良同上(主任)』 である。 小学館の本の記載で間違っているのは、検出件数を死亡者数としたことである。 覚せい剤の検出数139件に対し、医薬品び検出数3339件である。 139×24=3339 これが24倍の根拠である。 東京都監察医務院に確認したところによると、 剖検による検出数と言うのは、 医薬品の場合、 胃内容物、血液、尿であり、1死亡当たり約3件検出されるという。 つまり、1死亡例当たり3件の検体があるということだ。 覚せい剤の場合は、胃には検出されないので、血液、尿から検出される。 つまり、1死亡例当たり2件の検体があるということだ。 死亡者数に換算するなら、 医薬品の場合は三分の一(小さく見積もって)、覚せい剤は二分の一にすれば、ほぼ死者数に換算できる。 3339/3=1113 139/2=69.5 1113/69.5≒16 正しい記述は、 「医師の大量処方が覚醒剤中毒死の約16倍の死者を出している」 となる。 24倍は確かに間違いであるが、事実は16倍である。 「明らかにトンデモなもので、まあ単純にガセネタの類ではないか」という記述は適当ではない。 東京都医務監察院の扱った不審死の中で、覚せい剤の死亡者数の16倍の処方薬中毒による死者数が居るのは事実である。 さらに正確を期せば、「薬物中毒死と判定された中で、医師の処方した向精神薬が覚醒剤の16倍の中毒死が確認されている」 と記述すれば文句なしである。 さらに、今年、発表された研究 「過量服薬による致死性の高い精神科治療薬の同定」精神神経学雑誌118-1(2016) では、次のように記述されている。 日本では、急性期病院への緊急入院が必要な主要疾患の中で、過量服薬は救急救命センターへの搬送率が最も高い傷病であることが示されている。また救急センターにおける過量服薬による搬送者数は増加傾向にあり、その多くが精神治療薬を過量服用していることが明らかにされている。加えて 過量服薬による搬送者数の増加は、精神科診療所の増加に伴っているとの指摘もある。さらに、精神科通院中の自殺既遂者の多くは、致死的手段の実施前に過量服薬をし、衝動性が高まった状態で既遂に至っているとの報告もある。 これは、衝動的に自死した事例の背景(薬物中毒とされていない事例)にも、過量服薬(過量処方)が絡んでいることを指摘しているのである。 事実、全国自死遺族連絡会のデータでは、20代、30代、40代の自死者の精神受診率はほぼ100%である。 厚労省のデータでも自死者の50%以上が精神科受診中であったことを示している。 つまり、覚せい剤の16倍どころではなく、さら多くの死に向精神薬の関与が疑われるのである。 実際に、我々被害者会の証言もそれを裏付けている。 この山本一郎成るブロガーが数字の間違いを指摘しているのは、この24倍という数字だけである。 あとは、一部の悪徳医師がやっているだけのことで、全ての医療を否定しているなどと記述している。 一つの間違いを元に、すべてを否定するという、三流の詐欺師はこの山本氏の方である。 他の主張の間違いもデータで示して頂きたい。 精神医療が、うつ病患者を治療出来ているというデータも示して頂きたい。 多剤大量処方が何故規制されたか? 日本睡眠学会が何故、睡眠薬の処方を6カ月ごとに休薬せよとのガイドラインを出したのか? 何故、ベゲタミンが販売停止になったのか? これらをちゃんと説明して頂きたい。 多剤大量処方の規制に対して、精神医学界の重鎮は、自分達医師がちから及ばずであったと述べている。 この多剤大量処方の規制に対して、我々被害者はずっと主張してきたのである。 伊藤氏と小学館の記事、本はその主張を強力に後押ししてくれたのである。 この山本一郎成るブロガーは一体何者なのか? 伊藤氏が、グラビアカメラマンであったことにも触れて、人格攻撃しているところなど、誹謗中傷以外の何物でもない。 この記事が公開された途端、 子宮頸がんワクチン推進の利益相反だらけの医師達が大喜びしているが、 何なんでしょうね。 ベゲタミンが販売停止になったのは、 我々の主張、それに伴う精神医学会の注意喚起。 それでも、被害が減少するどころか拡大したからである。 注目されていなかった東京都監察医務院の中毒死データが世の中に出されたからである。 多剤大量処方の規制、薬物中毒死の主役であるベゲタミンが無くなることで、どれくらいの被害が食い止められたであろうか。 この山本一郎氏のこの記事は、これまでの被害者の血の滲むような努力、そして製薬会社にベゲタミンの販売停止を申し入れた精神医学界の行為をもないがしろにしかねないものである。

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  • 22 Jun
    • セルフヘルプの時代到来!?

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 私の人生はトラブルだらけだが、それでも、私が心を病むことはない。 不自由な現実は多々あるけれども、心はいつも自由だ。 怒り狂って、何度も絶望して、そして開き直る。皮肉なことに、開き直って初めて、別の道を見つけるのだ。 他人や社会から押し付けられた価値観をかなぐり捨てることでしか得られない自由もある。 こうした回復への道のりもあるのだ。 比較優位を感じていたいから、いわゆる勝ち組は自らを勝ち組足らしめる価値観を他人に押し付ける。 学歴で優越感を感じる人が、自らが勝ち抜いてきた現在の教育を肯定するように。 年配の人は、昔はこうだったと自身の成功体験を押し付ける。実際は、誰もが豊かになれたそういう時代に生まれただけなのだが。 20世紀後半は苦労はあっても幸せな時代である。 しかしながら、現代は、もうそんな時代ではない。 現在の社会システムは、いまだ当時の成功体験を捨てきれない、時代遅れの成長を前提とした大量生産、大量消費の為の管理システムだ。 これは、個々の個性よりも全体の利益を一番に考えるあたかも軍隊のようなシステムである。 それでも、国全体が豊かになっていけばよかったが、成長が望めない今、ただの上から下への搾取システムとなっている。 似たような大人しい人間を大量生産するのは、いつでも替えがきくということである。結局、使い捨てである。 支配者から見れば、個性は邪魔なのだ。 そうしたシステムでは、家庭は、兵隊である働き手を支える役目であり、子供は、将来の兵隊予備軍である。 軍隊のようなヒエラルキー組織では、一番重要なのはそのポジション。 上は天国だが、下は地獄。 どこのポジションを得るかで、人生の良し悪しが決まる。 だから、そのポジションを得ることにやっきになる。 大学受験や就活に失敗して、この世の終わりのように感じてしまうのもその為だ。 一流大学に入り、一流企業に勤める。 資格を取って、医師や弁護士となる。 目的がそのポジションを得ることしかなければ、一旦、そのポジションを得たら、そこであがりである。 その職業の本分は二の次となる。 軍隊の中で、どんなに人権侵害を主張したって無駄である。 軍隊では、一人の命より、組織の利益の方が優先されるのだ。一人の兵隊の命や尊厳など二の次。 教育は新しい従順な兵隊を作るための組織。 医療は、傷ついた兵隊を早く戦場に送り直すのがその役割である。 一人一人の兵隊の幸せなど実はどうでも良いのである。 国全体がこのような軍隊式組織である以上、権力者に大胆な改革は望めない。 保身以外の行動は期待できない。改革は、自らのポジションを危うくするからである。 自己のポジションが危うくなるような状況に追い込まれて初めて改革に着手する。 だからこそ、改革は市民活動が先行せねばならないのだ。 精神保健改革の一番の近道は、市民が覚醒して不用意に精神医療に近づかないことである。 市民はその拒否する権利を死守せねばならない。 何故、ホームエデュケーションやフリースクールが増えているのか。それは公的教育が、信頼に値しないからである。 兵隊養成教育から逃げ出したのだ。 やむを得ず選んだ方も居るが、積極的に選択している方も多い。覚醒した市民は既に少なからずいるということだ。公的教育の教師を批判しているのではない、その軍隊的な管理システムがダメだといっているのだ。スクールカウンセラーなどを置く前に、そのシステムを見直すべきだ。まず、教師を軍隊式システムから解放してやれ。 私の会では、自己決定の原則を特に大切にする。 この軍隊式システムに慣れ切っている人にはこの自己決定がなかなか難しい。 だが、減薬のためにも、回復のためにも、それは必要不可欠である。 自由とは、自分で決めて自分で責任を取ることでしか得られない。 それが出来たとしたなら、精神病者であろうがなかろうがもはやどうでも良くなる。 自己決定をすることを少しづつ経験し、学ぶことが回復へのステップそのものなのである。 精神疾患の病名を持っていようがいまいが本来はどうでも良いことだ。 病名は本人の為では決してない。 何なら自分が決めれば良い程度のものでしかない。 精神医学は、科学的な装いを纏っているが、突き詰めていけば診断も薬も甚だいい加減なことが理解できるはずだ。 精神医学は、臨床に使えるような代物ではない。 よって、精神疾患当事者とか当事者家族とか支援者とかの区分も本来的にはどうでも良い。ただ困っている人とその家族で十分だ。 福祉は、医療とは関係無しに、ただ困っている人を支援すれば良い。 病気かどうか判断出来ずとも、困ってることはわかるはずだ。 大切なことは、自分で決めることができるか否か、いや自分で決めたいと思っているかどうかである。 そして他者からコントロールされない代わりに、他者をコントロールしないことである。 自由を得るためには、責任も果たさねばならぬ。 逆にそれが出来ればもはや精神病患者ではない。症状を消す治療よりも、如何に社会に適応できるか、その工夫に注力すべきである。 これが医学モデルではなく社会モデルで取り組むということだ。 社会モデルの本質は、自立を促すことである。 社会に適応さえできればそれでよいはずだが、肝心の社会が軍隊式社会、効率至上主義ではそもそも適応するべき社会がない。 この国は、教育も会社も病院も、そしてママさんの公園コミュニティでさえも、この軍隊システムにどっぷり漬かっている。 だから、せめて自分たちの周りぐらい、生活の一部にでも、この軍隊式社会と一線を画すコミュニティを創り出す必要がある。 国や医療の作った医学モデルのもとでは、真のリカバリーは実現不可能である。 国に陳情して改善を求めるのも大事だが、所詮、医療や国や行政のやる仕事は、魂の入っていないお役所仕事でしかない。 待っていたとて、どうせろくなものは作りやしない。前記事で書いた通り、規制はモグラたたきでしかない。 道を切り開くのは結局切羽詰まった市民のほうだ。セルフヘルプは、絶望した我々に残された生き残るための最終手段なのだ。 税金を払って、国や行政にやってもらうのではなく、我々自身が自分で出来ることを増やしていくのだ。 税金を払うということは、自分たちの代わりに国にやってもらうということである。 逆にいえば、税金が足りなくなるということは、市民のセルフヘルプ能力が下がっているということでもある。 本当に財政再建したいのなら、市民のセルフヘルプ能力を上げるしかない。 クレクレ君が、要求すればするほど、自分の首を絞めるのだ。 資格や専門家制度を作り、福祉サービスを増やすと、ますます自分たちの首を絞めている現状に気が付いて居るだろうか? 精神科医が増えただけ、PSWが増えただけ、お客さん(患者)は増えていく。 精神科医にもPSWにも本来的な大事な役割はある。 それは、(言い方に問題があるかもしれないが)ホンモノの重症の精神疾患患者の支援であるが、あなた達の目の前の患者の多くはそうではなく、本来そこに居る必要のない人たちである。他に選択肢がないから仕方なくそこに居るだけだ。 イタリアの精神障害者によるセルフヘルプは、労働組合を作るまでに発展した。 就労支援という名の搾取システムが横行するこの国とのこの違いを直視すべきである。 自分が亡くなったあとの子どもの行く末を心配する家族にもセルフヘルプは必要。 このままでは、結局、非人道的な施設で生きるほかない未来が待っている。 医学モデルを捨てられない現在の医療や福祉に期待しても無駄である。40年も入院ベットをろくに減らせないこの国に期待しても無駄、待っていては、永遠に精神医療の牧畜ビジネスに囚われたままである。他人任せでは何も解決しないこと、家族だけで抱えるのは不可能なことは、もう十分学んだのではないのか。いまこそ、知恵を出し合って、未来を自分たちの手で切り開く必要がある。今が最後のチャンスである。 クライシスセンターやクライシスハウスを自分たちの手で作り上げるのだ。そのお手伝いならいくらでもやる。 統合失調症は、家族の中で一番弱くて、優しい子に発症するともいわれる。家族の問題児は、実は家族の問題を一手に引き受けているのかも知れないのである。もし、学校や家族以外のコミュニティをもっていたなら、そこまで追い込まれることはなかったのではないか。挙句、全てをその子を病気とするということは、全ての責任をその子に負わせるということだ。さらに社会からは家族の問題とされるのだ。この国は冷たい。何でもかんでも当人と家族の責任とされるのである。 学校や会社、地域、行政、そして国の責任は一体どこに行った。 この国は先進国でも何でもない。弱者切り捨ての、いや弱者を骨の髄までしゃぶりつくす凄まじい人権侵害国家だ。どうにもこうにも、にっちもさっちもいかないくらい困ったところで、「可哀相ねー」「お医者様に見てもらいましょうねー」「お薬飲みましょうねー」最後には、「障害者にはこんなサービスがありますよ」で、立派な障害者が出来上がる。 関係のないと思っている市民も他人ごとではない。 家庭と職場、学校だけの人間関係はあまりにも狭い。 逃げ場のない狭い人間関係、価値観が人を追い込む。 人生には、無限大の可能性があるはずだが、今の社会は、無味乾燥な従順で画一的な人間を作る装置のようなものだ。 精神障害者が精神障害者としての未来に制限されるように、兵隊は兵隊としての未来に制限されているのだ。 そこからはみ出たものが、負け組とされ、ちょっとした躓きで病気とされるのである。 格差拡大とともに、日を追うごとに勝ち組からこぼれ落ちているのである。 明日は我が身である。 自分たちのコミュニティ(セルフヘルプグループ)は自分達で作る以外にない。この軍隊式社会の外にだ。沢山のそうしたコミュニティに参加している人ほど、人生は盤石だ。そうしたコミュニティは、治療的側面(治療と言う言葉は使いたくはないが)も併せ持つ。 お上任せはもうやめにしたい。 セルフヘルプグループは、その為のもっとも有効な手段に違いないのだ。 今までの歴史をみてもそれは明白である。社会を変えることが出来るのは自助努力だけである。 行政サービスが追い付いてくるのはいつも一番あとである。

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    • ベゲタミン販売停止のその後-次の課題

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 多剤大量処方、ベゲタミンの販売停止。 当たり前である。 当たり前のことを改善するのに何十年もかかるこの国は一体なんだと思う。 しかし、このタイミングで、矢継ぎ早に変化が起きた。 もしかしたら、時代は思ったより早く変わるのかもしれない。 医学モデルから、社会モデルへという世界の潮流も後押ししてくれる。 我々が運動を始めた当初、精神科医からはこんな声が聞こえてきた。 「今までこれでやってきたのに、何故今更言われなければならないのだ」 理由ははっきりしている。 それまでの精神科ユーザーは、統合失調症の患者さんとその家族が中心であった。 社会から取り残され、精神医療の世界で生きる以外の選択肢はなかった。 良くも悪くも生活共同体として精神科に従わなくてはならなかったのである。 20世紀末の病気啓発ビジネスの始まりとともに激増した、不眠や不安、フレッシュなうつ病といった患者とその家族は居なかったのだ。 この人たちは、精神科に従う必要はないのである。私もその一人だ。 そもそも私は精神医療に関わりのなかった一般市民である。 巻き込まれて初めて、精神医療の世界を知った。 それまでの私の世界は、コンピュータ業界と顧客であった金融業界だった。 その業界でも、汚い利権の話も沢山見聞きしてきた。 当時の大蔵省の役人やベンチャー企業の暗部なども知らない訳ではない。 コンピュータ業界でも、金融業界でも、悪いやつは見事に悪いやつだった。 そしてやつらは頭が良かった。 だが、金融業界などはルールが明確で、ルール違反は明確に罰せられた。 法治国家としてのルールは守られていたのだ。 その私から見ると、精神医療の問題はあまりも酷いのだ。 まず驚いたのは、ルール無視の無法地帯である。医師の処方権、裁量権なるルール無視の特権。 科学を装っただけのインチキ治験。科学的なものと文学的なものがごちゃ混ぜだ。 さらには、大学教授と名のつく精神科医の頭の悪さである。 論理的な思考さえ出来ていれば、こんなひどい状況など起きるわけはないのである。 職業倫理などかけらもない。 最初は、何が何だか理解不能であった。 これは、被害に気が付いた皆に共通している。 私自身、確信をもって批判が出来るようになったのはつい最近である。 今なら、わかる。 精神医療被害は、この頭の悪い精神科医に権力を与えてしまった社会に問題がある。 頭の悪い精神科医が、誰にも注意されずに調子に乗って、被害を拡大していったのである。 悪意ならまだまし、考えても居ないやつと闘うことほど難しいものはない。 多剤大量処方の規制も、ベゲタミンの販売停止も、画期的な出来事だ。 山積みの問題からみれば、些細な改善だが、それ以上に意味がある。 これまでは、医師の処方は原則、アンタッチャブルであったのだ。 そこにメスが入ったことに大きな意味があるのである。 多剤大量処方の規制の折、大御所、樋口輝彦が言ったのは、 「本来、自律するべきであったが力及ばずであった。」である。 これで、終わりにされることはないと思うが、次にやるべきことを挙げておきたいと思う。 次の要望書には明確に指摘させて頂く。 ・ベゲタミン以外のバルビツレート酸系睡眠薬の規制(ラボナ) ・デパスへの注意喚起 ・カクテル処方に対する警告(特にうつ病への抗精神病薬、ベンゾジアゼピンの併用) ・原則単剤の明確化(種類ごとではない、全ての向精神薬で単剤) ・筋注薬剤の単剤化 ・治療ガイドラインの順守 どれも当たり前のことである。警告の上、また従わないなら、規制していただきたい。 さらに、こんなことは書きたくもないが、書かざるを得ないのは、 ・自分で使う薬ぐらい、医薬品添付文書は読め ・読んだら守れ ・薬を使った後に現れた症状は副作用を疑え ・効果の出ない治療はやめよ ・副作用がでたら、副作用止めを出すのではなく、その薬をやめよ ・子どもへの向精神薬の乱処方をやめよ これらは、程度が低すぎて要望書にどう書けばよいのかさえ迷う。 そもそも、こんなことを注意される医師など、存在してはならないのだ。 いかにレベルが低いのか、理解して頂けるだろうか? ここまでは、薬物療法における批判だが、ここまで改善されてやっと欧米並み。 いや、薬物療法が基本人権侵害であることの自覚を加えて、やっと欧米並みである。 これだけやるだけで、年間数十万人単位の被害が減るだろう。 実現したなら、統計の数字にも明らかに表れるだろう。 これでもまだ、不十分である。 薬物治療は、自然転帰に負けるのである。 薬物治療そのものを見直さねばならない。 そんな馬鹿なと思われるだろうか? 10年前までは私もそう考えていたのだ。

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  • 20 Jun
    • 終わりゆく精神科病院!?PSWの行く先

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 胸がすっとするような記事に出会った。 Slave Worker か Social Weaverか PSW協会山口大会鼎談での高木さんの発言から 全く持って同感である。是非じっくり読んでいただきたい。 高木さんの推進するACTに対しては、当初私は社会モデルの実践として大変期待していたが、医学モデルになり下がっていると思っていた。 きちんと頑張ってくれている方がいることに感激している。 これはPSWの学会での発言記事である。当たり前のことを言っているのだが、PSWの学会でこうした内容が語られることに感慨を覚える。 私の会には、何人ものPSWが参加してくれているが、皆、悩みが深い。 私にその仕事を人権侵害扱いされながら、現場で踏ん張ってくれている。 PSWはその成り立ちから呪われている。患者の人権擁護がその職業理念として掲げられているにも関わらず、そもそも精神科医の手下として作られた歴史がある。肝心の精神科医が人権侵害と言われかねない行為を行っている現状では、それに従うことは人権侵害に加担することになる。 もう一度確認して頂きたい。 ・そこ(病院、施設)に居る人は本当にそこに居るべき人なのか *うつ病は治るのが当たり前、統合失調症で重症化するのは一割 ・何度も入退院を繰り返すのは何故か *かつての患者の大部分は入院は1回だけ ・イタリアは病床5千で日本はなぜ30万なのか *大多数の患者は地域で生活できる 凄まじい間違いを犯している。 高木さんは、精神科病院は終わっていると述べている。 その通り、世界はとうに変わっているのだから当たり前である。 病床数の問題ではない。世界は医学モデルから社会モデルに代わっていくのである。 社会モデルでは、PSWは主役になり得るのである。 これは早い者勝ちだ。 是非興味のあるPSWの方は、是非サードオピニオン会に参加してみて欲しい。 我々が目指しているのは地域でのソーシャルワークである。 患者(とされている)と家族と市民目線で語り合って、地域での可能性を探って欲しい。

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  • 17 Jun
    • 嬉しい報告-サードオピニオン参加者からのメッセージ

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 暗い記事が続いたので、ひとつ明るいやつを。サードオピニオンの参加者からメッセージ頂いた。 先程、市役所で、精神通院医療の自立支援医療支給申請の取り下げ手続きしてきました。簡単でしたが、取り下げ理由は、転居、死亡、その他…だけ。その他に、快復の為と書きましたが、とても複雑な気持ちです。(*^_^*)思えば3年前、知り合いに、とてもいいからと〇〇の病院を勧められ、そこで、すぐに自立支援受けなさい、お薬も少なすぎと多剤になり、すぐに躁転。思い出したくない3、4ヶ月。躁転では?と思い、伝えると、違うからと10万持ってバリ島行ってらっしゃい…と。近くの医院に転院し、パキシルやめたけど、よくならないといろんなお薬のみました。私が無知過ぎましたが…、恐るべし、精神医療の世界。知れば知るほど、深みにはまりそうです。(>_<)オルタナに参加し5ヶ月。お薬のんで14年。感慨深い⁉︎です。長くなりました。m(_ _)mご指導、ありがとうございました💞。追記。最後の通院日、先生はとても怪訝そうな顔をされ、早口になりましたね…と。私、本当は早口で、フットワークの軽い人です。本来の自分に戻るごとに、躁転⁉︎心配されてます、今。。・°°・(>_<)・°°・。 最初は、何言ってんだこの人みたいな目で睨まれてた。 薬を減らしていくにつれて、みるみる変わっていった。 かなり元気になっても、暫くは混乱。薬を減らして良くなっていくことと、今までの14年信じて服薬きたことのギャップを埋められなかったようだ。 信じてきた主治医とは真逆のことを言われているのだから無理はない。 最後の一剤は、知らないうちに御自分でやめられていた。 そして今では、すっかりサポーターの一人。もはや、あの暗い顔した病人はどこにもいない。 一人一人の変化が、他の参加者の変化を生む。 これが醍醐味だ。皆、嬉しそうだ。私も嬉しい。 薬止め止め教の教祖みたいに言われているが、決して薬を止めることを強要してなどしていない。 正しい知識の提供と選択肢の提案、そして自己決定のサポートである。 知識のベースは、全て一級品の文献である。 主治医と意見が合わないのは、圧倒的にその主治医が勉強不足であるからだ。 もちろん、全てが上手くいくわけではない。 中途半端な知識での減薬は事故を起こすし、減薬の押しつけなどもっての外だ。 それでも、そもそもの自然転帰が回復を後押しする。 こうして、またひとり、障害者を卒業したのだ。 うつ病は治るのが当たり前。←常識 統合失調症であっても、4割は治癒。残りのほとんども薬なしか、ほんの少量の薬で問題はない。 多剤大量処方の規制、ベゲタミンの販売停止などは、我々の主張が正しいことを証明してくれた。 我々は、圧倒的に正しい。

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  • 16 Jun
    • ゼプリオン死亡者100人に近づく

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 ベゲタミン販売中止の記事を書いた途端、次はゼプリオンである。 読売の佐藤記者が書いてくれた。 抗精神病薬「ゼプリオン」使用後の死者80人超に 海外ではほとんど死亡事例の無いこの薬、何故日本でだけこれだけの死者が出るのか。 理由は簡単、デタラメな併用の為である。 ゼプリオンについては何度もこのブログで取り上げているので、興味のある方はブログ内検索を使って参照して頂きたい。 2014年に問題になった際、精神医学会の見解は、「他のクスリの死亡率と変わらないから問題なし」であった。 この発言をした医師の利益相反は、佐藤記者が指摘してくれている。 ・海外では死亡事故はほとんどないのに日本だけこれだけ死亡事故が起きている ・他の薬と死亡率が変わらない この意味が分からないのだろうか? つまり、元々沢山、殺しているということだ。 私の仲間の看護師は、 「私は人殺しになりたくない」と言って、ゼプリオンをうつのを拒否して精神科病院を退職した。 問題は、ゼプリオンだけではなかったのだ。 医師だけではない精神科病院に勤める薬剤師も看護師も同罪であることをお忘れなく。

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    • ベゲタミン販売中止-万感胸にせまるが-

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 さて、長らくご愛用いただいて参りました下記製品は、公益社団法人日本精神神経学会から「薬物乱用防止の観点からの販売中止」のご要望を提起いただき、社内検討を進めた結果、2016年12月31日をもちまして弊社からの供給を停止し、以降は流通在庫品限りで販売中止とさせていただきたく、謹んでご案内申し上げます。塩野義製薬ホームページ 薬物中毒死の半数以上を占めるベゲタミン。ついに販売中止となるそうだ。 年間、少なくとも1000人以上の薬物中毒死を出してきたベゲタミンがやっと消えてなくなる。 そう、私の家族の命を奪ったあの薬である。 そして、私が被害者活動の中で、多剤大量処方とともに最重要課題として取り組んできたことだ。 共に戦ってきた仲間から、この一報を聞いた時、不覚にも涙が出た。 喜びの涙ではない悔しくて悔しくて仕方がないのだ。 この薬が無くなることは当たり前のことだからだ。 前回の厚生労働省への要望文(2014年5月)より該当部分を抜粋- バルビツレート酸系睡眠薬の外来での処方禁止ベンゾジアゼピンと同効薬でありながらその依存性、習慣性、何より致死性が遥かに上回るのがバルビツレート酸系薬品である。これらの使用を推奨する論文やガイドラインは皆無である。難治性の不眠や違法薬物の治療に有用との意見があるが、もちろんバルビツレート酸に不眠を治療する効能はないし、この薬の安全性(常用量の10倍で致死)を考えれば、呼吸管理施設のある入院施設での使用に限定されるべきである。そもそも現在の安全性の認可基準では、認可されようのない過去の遺物である。少なくとも、外来での処方は禁止して頂きたい。バルビツレート酸系睡眠薬の弊害は東京都監察医務院の研究においても明白で、この規制が薬物中毒による死者を激減させることは明白である。速やかな規制(外来処方禁止)をお願いしたい。 現在、年間約17万人(2012年警察庁調べ)が不審死として死亡しており、その数は年々増加の一途を辿っている(10年で5万人増)にもかかわらず、何の調査も対策も行われておらず、その死因は正確に把握されていない。監察制度の普及が都市部の一部に止まっていることに加え、監察の結果が十分に分析・研究されておらず、犯罪性の有無の確認のみにおいて利用されているにとどまっている。東京都監察医務院の報告によれば、薬物中毒死と診断されたものの大半が、処方された向精神薬による中毒死である。過量服薬による救急搬送の増加が、救急医療崩壊の一因となっており、救急医からも向精神薬の過剰処方を問題とする声が上がっている。そうした中で過量服薬を単純に患者のパーソナリティや病気の問題に帰する考え方は、向精神薬の持つ依存性や耐性形成といったそもそもの特性を考慮しておらず、過量服薬者は、処方薬による薬物依存症(医原病)に陥っていることを問題とすべきである。自死と同様に安易な診断、安易な処方の蔓延がこの中毒死・過量服薬の最大要因である。また薬物中毒死と診断されていない事例でも、心疾患、肺疾患、肝機能障害など、向精神薬の代表的な副作用と不審死の関連が疑われる。 さらには、安易な向精神薬による薬物治療の副作用による健康被害は、生活保護受給者、自立支援利用者、精神疾患での障害者の増加にも大きく影響している。また生活保護費における医療費の割合は、一般国民の医療費の割合に比べて非常に高く(約4倍)、過剰な医療の関与が疑われる。安易な薬物治療が膨大な数の医原性の精神疾患を生み、貴重な労働力の損失と血税の無駄遣いが行われている。こうした背景には、医師の知識不足による多剤大量処方や意味不明なカクテル処方、抗不安薬や睡眠薬の安易な処方といった不適切な薬物治療が存在しており、向精神薬を扱う医師の資質が強く疑われる。学会からも抗不安薬の処方や外来でのバルビツレート酸系睡眠薬の使用に関する注意喚起が行われているにも関わらず(2011年)、その注意喚起の効果は見られない。向精神薬は、向精神薬及び麻薬取締法によって規制される危険薬物であり、麻酔薬と同様に、徹底した再教育を受けた専門医だけに処方が許されるように規制すべきである。また内科医など精神科以外での向精神薬の処方は禁止するべきである。 もともと、外来で処方するような薬では最初から無かったのだ。 その危険性は、50年前から分かっていたことなのだ。精神科病院内で覚えたデタラメ処方を、町中に出て行った精神科医が外来でばら撒いたのだ。 ベゲタミンの致死性は群を抜いている。無くなれば、薬物中毒死は各段に減るだろう。 多剤大量処方とベゲタミンの規制で万単位の不要な死が避けられることは間違いない。 しかし、この薬が無くなったとしても、デタラメ処方は続くだろう。ベゲタミンの代わりに、抗精神病薬、特にジプレキサやリスパダールの適応外使用が取って代わるだろう。その影響で、呼吸停止の代わりに、心疾患や誤嚥性肺炎、内臓不全の死者が増えるだろう。 現在、ベンゾジアゼピンの規制を求める活動が行われている。どんどんやって頂きたい。 もう、私が率先しなくてもこのような活動が行われることに感慨を覚える。 しかし、ベゲタミンより、さらに茨の道だろう。 ベンゾジアゼピンという薬品が悪いのではない。 もともとベゲタミンという薬に罪はない。それを使う医者が悪いのだ。 ベゲタミン同様、添付文書でもガイドラインでもベンゾジアゼピンの危険性は既に指摘されている。 今回のベゲタミンの販売停止は、どんなに危険性を指摘しても改めない医師がいることに対し、ついに製品そのものを無くすという最終手段に出たということだ。 悔しいのは、 多剤大量処方の規制についても、ベゲタミンの販売停止についても、 こうした結果は大変喜ばしいものであるけれども、 誰も反省していないことだ。 こうした規制をお願いに行くたび、それは医師の自律に任せるべきだとの意見を何度も頂戴した。 そんなことを言ってる間に、半世紀ものあいだ放置されてきたのである。 一体何人死んだのだろう。数十万、下手をすれば百万かもしれない。 その無念はどうすれば良いのだ。 今、目の前の、薬物中毒の人たちをみるたびに思う。 その異常な肥満、手の震え、アカシジア・・・ その原因薬は、ベゲタミンでもベンゾジアゼピンでもない。 主役は、すでに抗うつ剤、抗精神病薬、気分調整薬である。 何処まで行っても、モグラたたきということか。 あの人たちは変わらない。人間はそれほど変わらないのだ。 人は反省しない生き物だ。 私だって、自身の身に降りかかるまで気が付かなかった。 人に言われて反省する人などほぼ居ない。 結局、変わって見せる以外に方法はないと思う。 この問題の根源は、社会のあり方、それぞれの人々のあり方にある。 精神医療は、社会の鏡である。 社会が変わらねば、この悲劇は終わらない。 その為には、誰かに変えてもらうより、まず自分が変わることのほうが近道である。

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  • 13 Jun
    • 「説明足りず処方、後遺症」 あまの男性、藤田学園と医師提訴 -薬害というより人害

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 2016年6月7日 16時00分 「説明足りず処方、後遺症」 あまの男性、藤田学園と医師提訴 藤田保健衛生大病院(愛知県豊明市)の精神科で受診した同県あま市の40代男性が、十分な説明を受けないまま副作用の強い薬を処方され障害を負ったとして、病院を運営する学校法人藤田学園(豊明市)と担当医に対し、慰謝料など9900万円余の損害賠償を求める訴訟を7日、名古屋地裁に起こした。 訴状によると、男性は2012年12月に精神科を受診した際、「痛み止め」として抗うつ薬を処方された。服用直後に腹痛と吐き気に襲われ、その後も突如、意識を失ったり、窓ガラスに自ら激突したりして救急搬送を繰り返すなどしたが、医師は適切な処置を取らず障害を悪化させた、と主張している。 男性は現在、不眠や頭痛に加え、光や音に過剰に反応してしまう自律神経障害や、直前の行動が思い出せない記憶障害があり、ほぼ寝たきりの生活を強いられているという。 男性の妻は「医師から副作用の説明があれば、夫は薬を飲まなかった。安易な処方で深刻な健康被害に苦しんでいる」と訴えている。 藤田学園は取材に「代理人を立てて協議をしている最中であり、直接のコメントは控えたい」としている。 (中日新聞) 最近、薬害という言葉に違和感を持っている。 そもそも、どんな物質でも、毒は毒。 使い方によっては、塩でも、醤油でも毒。砂糖も毒。 薬そのものを問題視するより、使い方を問題視すべきと考えるようになった。 精神医療のほとんどは薬害ではなく、人害ですよ。 デビット・ヒーリーは、SSRIよりも、その毒性は市販の鎮痛剤の方が高いという。 ならば、市販薬として売った方がマシだとまで言っている。 つまり、市民が自分で調節して飲む方が、医師に処方されて飲むよりかえって安全だというわけだ。 自分に合わないと思ったら、その薬はもう飲まない。 精神医療被害の問題点はこうだ。 ・医薬品添付文書には、製薬会社が責任を回避するためのリスク情報が多数記載されているが、医師はそれを順守しない。 ・治験は、第三者によるチェックが入っていないため、製薬会社は都合の良い情報だけ記載する。 ・薬剤の用量は、体重や性別などを考慮せず、大雑把な量が設定されている。 ・適応外処方については、治験を行う怠慢を棚に上げ、医師の裁量に任している。 ・医師はお構いなしに適応外処方を乱発する。 ・非常識な多剤大量処方により、個別薬剤の問題が発覚しにくくなる。 ・薬に副作用はつきものだが、医師はクスリの副作用を認めたがらない。←これが一番理解に苦しむ ・副作用を認めずさらに別の薬を盛る。 医療以外では、こんなことは起こらない。 例えば、自動車というものは、事故を起こせば、けが人や死亡者もでる。 運転手の責任が問われ、車そのものに欠陥があれば、自動車メーカーには賠償金が課せられる。 薬には、はなから副作用が出ると書いてある。 それも、1万人に1人と言うレベルではない。 抗精神病薬を飲めば、半数の人にジストニアやアカシジアのような副作用が出る代物である。 製造業でいえば欠陥品である。 事故が起きるのは当たり前なのである。 実際に、何十万人以上の人たちに事故は起きているのである。 それを揃いも揃って、薬の副作用ではないと言い張る。 この心理状況はどういうことなのだろう。 処方が間違っていたと非難されているように感じるのだろうか? 権威的に振舞ってきた手前、今更間違ってましたと言えないのか? そもそもやましいと感じているのかもしれない。 この問題を解決するのは実に簡単なことだ。 最初から、薬が欠陥品であることを認め、その欠陥(副作用)を詳細に説明し、 患者と共に慎重に、試行錯誤を繰り返して治療を行えばよい。 本来、治療とはそういうものだ。 しかし、医師は、自分の処方に意見されることを嫌う。 医師の周りのスタッフは医師を神のようにあがめ、その医師からの一方的な処方を押し付ける。 患者の為と言いながら、服薬は実質強制である。 患者にとっての最大の不幸、致命的なのは、医師がそれ程、その薬について詳しくないことである。 (ちゃんとした医者ほど、そう思っている) 抗うつ剤が、10人に1人程度にしか効果が無いこと。 ベンゾジアゼピンによって2割から4割くらいが、薬物中毒になること。 抗うつ剤でも、抗精神病薬でも、脳に作用するものには離脱の問題が引き起こされること。 遺伝的体質で、特定の薬剤を代謝出来ない人が居ること。 ・・・・・・ こうした事実を無視して、とりあえずこれみたいな形で薬が簡単に処方される。 これを人害と呼ばずしてなんと呼ぶ。 被害は、権威的な知識不足の医師とその取り巻き、それを盲目的に信じた患者、それを放置した社会の間で起きる。 例え10万人に1人(0.001)でも、被害を受けた人にとっては、100%の現実である。 1人の不利益で9万9999人が利益を得たなら、9万9999人は、その不利益を受けた人を救うべきだ。 本来の薬害とはそういうものだ。 しかし、向精神薬は、副作用が出るのが当たり前のような薬だ。 あまりに頻発するため、だれもそれを重要視しなくなる。 デタラメも慣習となれば、そんなものだで済んでしまう。 例え医師が、まともな使い方をしたとしても、製薬会社の副作用救済はいくら金を出しても足りないだろう。 向精神薬とはそんなものだ。 儲からなきゃ、製薬会社はもはやその薬を売らない。 医師が、その役目をきちんと果たし、薬を慎重に扱ったなら、被害は最小限に留められる。 そうして初めて、この薬という欠陥品は社会に認められることになる。 そうなって初めて、薬は有用である。 薬は、毒だという認識で丁度良いのだ。

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    • さくらさん(熊本在住)からのメッセージ

      5月30日のNHKホームページより「地震でストレスを感じるなど変化 小中学生600超に」の概要をお伝えします。 熊本県益城町では地震後ストレスを感じるなどの変化が見られた小中学生が600人を超え、特に小学生は4人に1人に上がっていることが町の教育委員会調査で分かった。こうした子どもたちは心のケアが必要になる可能性があり、町は県などにスクールカウンセラーの増員を要請。「ぼーっとしてやる気が出ない」「眠れなかったり怖い夢を見たりする」「食欲がない」などがアンケート調査で上がった。東日本大震災で子どもの心のケアに当たった専門家を招き、子供のストレスを和らげる授業を行った。「自分が楽しいと思うこと」「嬉しいこと」「ほっとすること」を話し合い、互いに意見を交わすことで仲間意識が強まり、心の負担が軽くなることをまず教員が学んだ。心を落ち着かせるために後ろの人が同じ方向に向いた前の人の肩にそっと手を当てるだけでも効果があることを体験した。教頭先生は「子どもたちの不安は簡単に解消されるものではないので、時間をかけて心のケアに取り組んでいきたい」と話す。現在も小学校の体育館で避難生活をする女の子は、地震後1人になることを極度に怖がるようになり、トイレに1人で行けなくなったという。また、余震が続くなか、頭上を気にするようになり、避難所で寝るときは天井に取り付けられたライトの真下になる場所をいやがるという。何でも好きなものを絵に描くという授業で、周りの友だちが動物などを選んだが、女の子が描いたのは「将来、住みたいおうち」。その絵には1階部分が頑丈なレンガ造りの3階建ての家が描かれ、女の子は「丈夫で強くて、地震があっても耐えられるから」と描いた理由を話す。その子のお母さんは「大人だったら困難を乗り越えて、ここが踏ん張りどころだと分ってはいますが、子どもには口で言うだけでは分らないので心配です。何とか乗り越えてほしいと願っています」と話した。 報道にもあるように、今回の震災により心身の不調を訴える方が多くいらっしゃいます。以前からあったのかもしれませんが、最近「震災ストレス障害」という言葉をネット上でも見かけませんか?「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と言ったり、「震災ストレス障害」と言ったりして、患者の心の状態に上手く病名を付けるのが得意なお医者さんが存在します。病名をつけて【おまけ】で付いてくるのが【お薬】ですが、この厄介な【おまけ】に手を出してはいけません。お薬:医療用治療薬は【合法の薬物】で、【違法の麻薬や覚せい剤の類似品や同等のもの】になります。ということは、医者の指示に従って服薬し続ければどうなるのかをお分かりだと思います。薬物依存に陥り、人格は変わり、健康な日常生活は送れなくなってしまいます。医者信仰の強い人は「薬は自分にとって必要なもの」という被洗脳状態になりますが、こういった状態になると薬から離れることが困難です。「薬がないと自分は生きていけない」という誤った考えに陥ります。これは完全な「思い込み」です。自らその洗脳を解いて下さい。自分に何が起きているのかを直視して下さい。現実から逃げないで下さい。私自身も身の張り裂けるような経験のあとに医者に掛かってしまい、「まず2週間飲み続けて下さい」という指示を守り服薬し続け、薬物中毒に陥りました。「自分は心の病だから薬を飲まなくてはいけない」という取り返しようのない過ちを犯していたのです。そしてその副作用により本来の自分の人格ではない自傷や自殺を考えた別の人間になっていました。人によっては、他人に危害を加えたり、殺人に至ってしまう人もいます。被災で愛する人が亡くなってしまったり、大切な家が壊れてしまったり、眠れなかったり、将来が不安でどうしようもなくても、薬には手を出さないで下さい。お願いです。私と同じように中毒に陥ってしまったら、今あなたが苦しんでいる以上の災難に遭うことは間違いありません。服薬し続ければ、飲み続けないといけなくなり、(薬に対する)耐性ができてしまい、量が増えたり、副作用症状に対して新たに他の種類の薬を追加することにもなります。薬を使わない心の問題への対策はありますよね。下の内容は自分の苦い経験から学んだものですが、参考にして頂ければ幸いです。自分の家族や親しい人と地震に関すること以外の楽しい話をする、気分転換に散歩をする、自分の好きなことをするなど、ハッピーホルモンを活性化させ、リラックスモードを高める方法はたくさんありますね。不安や睡眠不足による体の不調は、気持ちが乱れたり、疲れて神経が高ぶっている状態なので、首の後ろを温めたり、足湯をしたり、マッサージをしたり、背中を温めることも効果がありますね。その人の気持ちがいいと思えることをするのがいちばん効果的ですよね。自然を見ることももちろんです。ふさぎ込んで家や避難所から出ないのではなく、できる運動を外でも行って、体の健康を保とうとする姿勢が大切です。断水が続く地域の方々は入浴することが困難かもしれませんが、可能であれば銭湯などの温泉施設に行き、疲れた体を癒して下さい。風呂好きな日本人にとって入浴は欠かせないものですよね。お風呂に入りに行けるのに行かないで疲れをため込んでいては良くなるものも良くなりません。被災で大変な中で、前向きな考えを持てないことは自然なことだと思います。しかし、何とかこの困難を乗り越えていって下さい。薬は人の心を治してはくれません。少し考えると当たり前のことで、人の心は物で治すものではないのです。あなたの心を治す方法の一つは、親しい人との間に生まれる愛情のこもった言葉のやりとりだと思います。その積み重ねが、わだかまりで凍てついた心を洗いながし、解きほぐしていくのではないでしょうか。長い文章になってしまいましたが、読んで下さった方々にお礼を申し上げます。服薬をしていて当事者であることに気づいていない方、減薬真っ只中の方、断薬後も後遺症で苦しんでいる方、将来被害に遭うかもしれない方のことを思うと辛くてたまらなくなります。皆さまお一人お一人の協力が必要になります。このメッセージを一人でも多くの方にお伝え下さいますよう、心よりお願い申し上げます。 さくら

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  • 10 Jun
    • 医学モデルでのオープン・ダイアローグ、リカバリーという欺瞞

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 精神科薬物治療への批判が高まる中、オープン・ダイアローグやリカバリーへの期待が高まっている。 精神科医の中にも、積極的にこれらを取り込もうとする動きもみられる。 しかしだ、オープン・ダイアローグやリカバリーはそもそも医学モデルでは実現不可能だ。 オープン・ダイアローグやリカバリーの文献を精査すれば、脱医学モデルという前提は明確に記述されている。 少なくとも私が読めばそう書いてあるように読める。 医学モデルでのオープンダイアローグやリカバリーの何が間違っているか? 私が気が付いて居るのは次のような点においてだ。 ・本人中心主義と言いながら、専門職は権威は手放さない ・本人中心主義と言いながら、サービスを受けるためには、診断によるレッテル貼りによる精神障害者であることが前提 ・薬物療法は必須として服薬は実質的に強要される。認知行動療法と併用されるが、病識を持つことと服薬コンプライアンスを守ることが正しいとされる ・地域で行われるのではなく、多くは病院などの付属施設で行われる ・あくまで、薬物療法の補助的な扱いで、精神医療の街角牧畜ビジネスの金儲けメニューを増やすだけ オープン・ダイアローグの真髄は、そこに関わる人々と利用者の信頼関係、治療する側と治療される側といった関係性を排除した対等な関係性、そして半年以上診断も投薬も出来るだけ控えるということにある。家族療法などのテクニックはあくまで一つのおまけのようなものだ。 リフレクティング効果とか家族療法などを全面に持ち出すのは、それで名を上げたい人たちばかり。 技法を診療報酬体系に組み込もうとする試みは、医学モデルでの利権そのものである。 わが国でのリカバリーへの取り組みは、病識を持ちなさい、服薬コンプライアンスを守りなさいという暗黙の強制の上に成り立っている。 その為の認知行動療法と診断、服薬がセットとなっている(結局、診療報酬の認められているもの、つまり金儲け)。 本人中心主義と言いながら、障害者、患者というレッテル貼りをし、当人の人生を制限するという人権侵害、服薬は傷害行為であるいう大前提を忘れている。これでは益々、医療化は促進される。 イタリアの精神医療改革は、医者主導で行われたが、イタリアは医者自らが、自分の無力さを自覚し、医学モデル(権力)を捨て、市民レベルに自ら降りてきたのである。オープンダイアローグやリカバリーともその基本概念は共通している。 WHOや国連も、メンタルヘルスや障害者支援は社会モデルでやれと言っている。 医者やセラピストは、頼もしいメンバーの一人になりうる、だが、決して権力者ではない、決めつけ(診断)や押し付け(服薬)があってはならない。 患者である必要はないのだ。治療ではないのだ。 一部の統合失調症患者の中には、服薬を必要とする方もいるだろう。 だが、現在の街角牧畜ビジネスに組み込まれて、くすりを飲み続けている人の大半には薬は不要である。 特にうつ病や双極性と診断されている人がそこに居ることが分からない。 治らないことのほうが異常なのだ。 デビット・ヒーリーもまた著書において、リカバリーについて以下のように記述している。 現在、精神科領域で積極的に推し進められているのは”リカバリー(回復)”という概念だ。これは――たとえ重度の精神障害であっても病気の治療において病気だけを問題にするのではなく、その人の生活のコンテクストのなかで最大限の回復を果たせるよう支援する。そうすることでその個人の精神医療にたずさわる治療者はより広い視点からその人の心配や関心事がみえてくる。という考え方だ。そしてこの動きを積極的に利用しているのが、回復するための唯一の方法はきちんと薬を飲み続けることです、という製薬会社なのである。 リリー賞などもらって喜んでるようでは、絶望的だ。 ヒーリーは、服薬に関してもこんなことを言っている。 服薬期間、薬が自分にあっているかどうかも全て、本人が決めるべきだと。 医学モデルでの取り組みなら、このデビット・ヒーリーの示す処方スタイルで十分である。わざわざオープン・ダイアローグを持ち出す必要はない。 ヒーリーもまた、軽症な事例においては、半年間は診断も投薬も控えるべきだと主張しているのだ。 社会モデルでのリカバリーやオープン・ダイアローグは、市民によるセルフヘルプグループや福祉が中心となる。 医学モデルに組み込まれた瞬間に、価値を失う。社会モデルにおいて、医療は、利用者の要求に応じて役割を発揮して頂ければよい。 ソーシャルワーカーなどの福祉職、セラピストは、医者の手下を卒業し、社会モデルでの役割を模索して頂きたい。 興味のある方は、我々(オルタナティブ協議会)に是非参加頂きたい。 我々が信じているのは、精神障害者としての回復ではない。真の回復である。 これは心の問題を、医療から市民に取り戻す最後のチャンスである。 世界もわが国も、社会モデルでやれと言ってるのである。この件、ついていっていないのは市民の方だ。 【3個セット】[ お得サイズ ] ビオチン(ビタミンH) 5000mcg(5mg)120粒 0... ¥3,210楽天[海外直送品][2本セット]【Natrol】ビオチン マキシマムストレングス 10000mcg.../Natrol ¥価格不明Amazon.co.jp

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    • 抗うつ薬+ベンゾジアゼピン+統合失調症薬-多剤大量処方の代わりとしてのカクテル処方

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 抗うつ剤+ベンゾジアゼピン(睡眠薬、抗不安薬)+抗精神病薬最近の相談事例ではあまりにも多いこうした処方。抗精神病薬を気分調整役(デパケンやリーマス)に変えたものとか。 デビット・ヒーリーは、こうした処方をしてしまう理由を次のように説明している。一番の原因は、医師の何が何でも症状を消そうとする姿勢にあるという。かつてはそれを薬の増量(大量)で対応しようとしたが、現在はこうしたカクテル併用で対応しようとしていると分析している。それもあるかも知れないが、わが国のケースはそんなことだけでは説明できない。日本の精神科医は、風邪の治療で、解熱剤、炎症を抑える薬、咳止め、鼻水止めを一緒に処方するように、向精神薬を処方しているだけだと思う。何も考えていないというのが正解に近いと思うのだ。 考えてもいないし、患者の状態を注意深くも見ていない。 悪化を病状の悪化としか捉えないご都合主義の考えしか持っていないのだ。 カクテル処方の副作用は、単剤に比べ遥かに増強されるのは間違いないのだ。 多剤大量処方に対する批判、規制の陰で、こうしたカクテル処方が蔓延している。最上級のエビデンスレベルの各種ガイドラインがことごとく否定しているにもかかわらずだ。単剤と言うのは、種類(カテゴリー)ごとに単剤なら良いということではない。脳に作用する薬は、いわばすべて同一カテゴリーである。一人に同時に向精神薬と呼ばれる薬を一種類しか出すなということである。併用のエビデンスはほとんどない。そもそも、治験さえされていないのだから。 カクテル療法が蔓延する原因の一つにうつ病治療への新規抗精神病薬(リスパダール、エビリファイ、ジプレキサ)などのうつ病や双極性障害のうつ症状への適応がある。うつ病治療の増強療法として正式に適応を認められたのはエビリファイのみである。それも、抗うつ剤(SSRI)での治療効果が認められない治療抵抗性の患者にのみ、投与とある。ジプレキサは、双極性障害のうつ症状に効果ありとされているが、大うつ病には効果は無いと明記されている。リスパダールにおいてはそうした適応はないが、これまた良く使われている。増強療法として使っているというより、医師がうつに効果があるという製薬会社の言い分をそのまま取り入れ、何も考えずに出しているか、暴力性や衝動性を抑える理由で出しているケースも多い。(そんなケースでは、そもそも、もはやうつ病治療ではなく、ぐちゃぐちゃになっている) 治療抵抗性の患者というのがまた食わせ物。そもそも、抗うつ剤は、うつ病にはあまり効かない。効かないクスリを出しときながら、効かないことを治療抵抗性と解釈する。うつ病は、薬を使わなくとも、長くて半年程度で回復するのが普通。うつ病治療における抗うつ剤の役割は、あるとすれば、回復にようする時間を短縮するだけであるが、残念ながら抗うつ剤はあまり効かない。病気を長引かしているのはそもそも薬物治療が原因である。海外でも、カクテル処方は批判されているが、日本での蔓延とは比べ物にならない。 日本人だけが、治療抵抗性の患者が多いとでもいうのだろうか? このカクテル処方は、良心派と呼ばれる精神科医の処方にも当たり前にみられる。

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  • 06 Jun
    • 児童虐待と同じ構造-投薬は基本的に傷害行為である

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 児童虐待においては、 虐待する側に、虐待される側が依存しなければならないという構造があるが、精神科ユーザーにも同じような構造がある。 説明を進める前にまず、医療行為というものを再確認しておきたい。 医療行為(wikipediaより) 体にメスを入れたり、エックス線を照射したりするように、他者の身体を傷つけたり体内に接触したりするような医療侵襲行為は、これが正当な業務でなければ傷害罪や暴行罪に該当する違法性がある*1。したがって、たとえ医療のためであってもこのような行為を行うには、正当な医療行為とされる後述の条件を満たす違法性阻却事由が必要である。医療従事者には、その行為が特別に許されるための要件として、資格(医師免許、歯科医師免許、看護師免許、助産師免許等)がある。医療行為には患者にとって不利益な事態をまねく恐れが大きいものもあるので、相応の知識と医療倫理が要求される。医師のみが行える医業(歯科医師が行う歯科医業をここでは含む)とは、医行為(医)を反復継続の意思をもって行うこと(業)であり、医行為のうちの一部は他の有資格者(看護師等)にも認められている。このほか、調剤を行う薬局も医療法で医療提供施設と定められていることから、薬剤師の調剤も医療補助行為に該当する。 医療行為の3条件医師が行う行為が医療行為とみなされるためには、以下の要件をみたさなければならない。治療を目的としていること*2承認された方法で行われていること*3患者本人の承諾があること*4但し、上記条件を満たさない例外的医療行為として、以下のようなものがあげられる。輸血用血液の採血実験的治療行為先端医療幼児、精神障害者*5、意識不明者など患者本人の承諾がとれないとき緊急時の医療 我が国の精神医療の現場、精神保健福祉の現場は、この基本原則を守っているのだろうか? 私には、現在の我が国の精神医療や精神保健福祉が、医療行為としての条件を備えているとは思えない。 *1 脳に直接作用する薬を投与することもまた傷害行為である。*2 薬物投与は治療なのか?治療というより行動抑制目的・管理目的ではないのか?*3 承認された方法とは、添付文書の記載や各治療ガイドラインに沿ったものということ。適応外処方やカクテル処方の乱発は承認された方法と言えるのか?*4 *5 精神疾患患者や児童には自己判断能力は無いのか? 私のところには、デタラメ投薬に気が付いた大勢の精神科ユーザーが相談に来る。 だが、その多くは、彼らの生活基盤そのものが、精神科医とその周辺に構築された福祉システムに依存している。 減薬をしたい、しかし、いつも問題になるのは、 「減薬を持ち出すと主治医との関係がうまく行かなくなる」 「障害者年金や生活保護がもらえなくなる」 ということだ。 彼らの生殺与奪の権は、医療に握られている。 これは、虐待を受けながら、親に頼らざるを得ない子供と同じではないか。 その状況を確認した途端、我々はただ沈黙せざるを得ない。 行政の福祉部門に勤務する仲間は、医療に繋ぐことでしか、福祉資源が使えないと嘆く。 生活保護予算の半分を医療費が占める異常。 誰も自立しない自立支援。 福祉資源を使うために精神障害者とならねばならぬ現実。 そしてそこで行われるのは、患者の為と言いながら行われる服薬コンプライアンスといわれる実質的な服薬の強要である。 服薬を強要する前に、その医療行為が正当なものか確認頂きたい。 あなた方が、服薬を強要している患者の多くは、 医療行為と呼ぶには明らかに怪しい診断で病気のレッテルを貼られ、 標準治療からかけ離れた薬物治療を受け、 生きる為に障害者認定を受けた人である。 ミシェル・フーコーの指摘を再掲しておきたい。わが国は、彼の指摘した生の権力そのままの事態が起きているのだ。 ミシェル・フーコーは西欧の歴史において狂気を扱った思想、制度、芸術などについて考察した。そして著書『監獄の誕生―監視と処罰』において、近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの(公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなど)であったが、近代以降の刑罰は犯罪者を「監獄」に収容し精神を矯正させるものとなった。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われているが、フーコーはこうした見方に疑問を呈する。監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。フーコーによれば、ヨーロッパにおける刑罰は、人道的観点から身体に対する刑罰から精神に対する刑罰へと移行した。フーコーは、刑罰が進歩したというよりも、その様式が変化し、新しい権力作用が出現したと主張した。近代の刑罰においては、専門家の科学的知見が重要な役割を果たしており、犯罪者の精神鑑定を通じて人間を評価する。このような人間を対象にする学問は、人間諸科学と呼ばれ、これはある規範的観点を分析に導入することで、人間の狂気を規定する。つまり、知識によって刑罰における権力を根拠付け、また相補的な関係を持ちながら共に作用する。これが、フーコー独自の権力概念である「権力/知 (Pouvoir-savoir) 」である。さらに、功利主義者として知られるベンサムは最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。晩年のフーコーは、どの著作においても、西洋社会で「生の権力」という新しい権力、つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することも想像することもできないような管理システムが発展しつつあることを示そうとした。従来の権力機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であった。これに対して、この新しい「生の権力」は、抑圧的であるよりも、むしろ生(生活・生命)を向上させる。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家という形態をとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するよう呼びかけた。wikipediaより 国連やWHOが言う、医学モデルから社会モデルへという改革は、この新しい生の権力による管理システムからの脱却である。 ここに手を付けずして、わが国の精神保健改革を成し遂げることなど夢のまた夢である。 デビット・ヒーリーが、不当な薬物療法における処方の濫用にどう対処するかという考察の中で次のように述べている。 精神保健法は強制的に入院されている患者に対しての治療を認めているが、それは、あたかも身内がそばで見ているかのように扱うという前提での認定のはずだ。薬の処方についてもこれと同じように考えてみればどうか。つまり、処方薬オンリーという向精神薬のいまのあり方(医者の処方箋がないと薬が手に入らない状況)を変えないのであれば、治療者は理想を言えば、あたかも同業(医療関係)の身内や権利擁護の支援者が患者に付き添って経過を観察しているかのようにプレッシャーを感じて、あるいはそれくらいの真剣さをもって薬物療法にあたるべきではないか、ということだ。但し、ここで忘れてはならないのは、もし私の身内や友人が重篤な精神病症状を発症しても、何をなすべきか私たちにはまだまだわからないことだらけであり、そのような状況でなされるべき医療チームの真剣なチームワーク以外の何物も正当化されえないということである。 これはデビット・ヒーリーが、自らの属する欧米社会で引き起こされている問題について語ったものである。それと比べて、わが国の現状は格段に悪いことに気が付いて居るだろうか。我々の仲間のあるPSWは、まさにヒーリーのいう「患者に付き添って経過を観察する」という役目を果たそうとしている。医療や福祉から「薬にうるさい」やつと揶揄されてはいるが、PSWと言う職業の最重要理念である患者の権利擁護をまさに実践しているのである。 その風当たりの強さから、良く愚痴っていたが、最近はあちこちからお声がかかるようになってきたことは大変喜ばしい。 PSWはその養成課程で、医療に従うことを徹底的に叩き込まれるが、その理念を貫きたいのならば、診断や薬をもっと学び、当事者に代わって医療行為を厳しくチェックすべきである。そうすることが自分が虐待者にならない唯一の方法であり、唯一の存在理由である。 医療者も福祉職も、当事者も家族も、薬物療法は、ちょっと間違うと傷害行為、虐待行為となることを肝に銘じるべきである。

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  • 04 Jun
    • 変わる精神科薬物治療-あまりに遅すぎる変化

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、京都、大阪、香川、静岡 減断薬読本購入希望の方 大阪大学-精神科医療の普及と教育に対するガイドラインの効果に関する研究を開始 概要(上記HPより抜粋) 精神科医療においては、薬物療法と心理社会学的療法がその両輪ですが、その実践については、臨床家ごとのばらつきが大きく、よりよい医療を普及させることが必要とされています。例えば、代表的な精神疾患の一つである統合失調症※2 においては、抗精神病薬の単剤治療を行うことが海外の各種ガイドラインで推奨されていますが、日本では諸外国と比較して突出して抗精神病薬の多剤投与が多く、薬剤数が多いことが知られています。2011年の日本精神神経学会においては、統合失調症における多剤療法の問題が取り上げられたシンポジウムが行われ、抗精神病薬の多剤併用率が65%程度であり、抗パーキンソン薬、抗不安薬/睡眠薬、気分安定薬の併用率もそれぞれが30-80%と高いことが報告されました。2014年には、向精神薬の多剤処方に対する診療報酬の減額がなされました。 日本においては、統合失調症の薬物治療ガイドラインが2015年9月に日本神経精神薬理学会より発表されました。このガイドラインは、精神科領域において日本初のMinds法に則ったエビデンスに基づいたものであり、統合失調症においては抗精神病薬の単剤治療を行うことを明確に推奨しており、学会のホームページにて無料でダウンロードもできます(本も出版)。また、うつ病学会においても大うつ病性障害※3 ・双極性障害※4 の治療ガイドラインを発表しており、これらも学会のホームページにて無料でダウンロードできます。 このような状況にもかかわらず、まだこれらの治療ガイドラインが十分に普及したとはいえない現状があり、よりよい精神科医療を広めるための工夫が必要であると考えられています。しかし、精神科領域においてガイドラインの効果を検証した研究は未だなく、全く新しい試みであると言えます。 図は、この研究に参加する大学だそうです。研究に参加するからには、もうデタラメ薬物治療は出来ませんね。 一体、どんな顔をしてこの研究に取り組むのだろう。 どう研究しようが、結局、多剤大量処方の弊害を再確認するだけである。 診療報酬における処方規制は同カテゴリーでの併用規制だが、本当の単剤とは全てのカテゴリーを含めて単剤である。 流行の抗うつ剤+ベンゾジアゼピン+統合失調症薬といったカクテル処方は、そもそもガイドライン違反である。 異カテゴリーの併用もガイドラインでは推奨されてはいない。 是非、この研究でダメ押しして頂きたい。 同様なカクテル処方は、うつ病治療だけでなく、子供への処方でも蔓延している。 そもそも、今回の研究対象のガイドラインは、2015年(統合失調症)、2012年(躁うつ病、うつ病)に策定したものである。 50年以上も、こうしたデタラメを放置してきたのである。 精神科ユーザー、ご家族は是非、この事実を真剣に考えて頂きたい。 私のところには、地方議会からの情報提供要請も来ている。 時代は思ったより、急激に変わってきているということだ。 いや、変わらざるを得ないほど被害が広がっているということだ。 あまりにも遅い。 改善されることは喜ばしいことだが、それは、それまでの治療が如何にデタラメであったかという証拠でもある。 デタラメ治療を謝罪することはないだろうが、せめて地獄に落ちて頂きたい。 ちなみに上記研究のHPに次のような記載がある。※3 大うつ病性障害約100人に3-16人が発症する精神障害。抑うつ症状、興味や喜びの減退、不眠、食欲不振、不安・焦燥、意欲低下、罪悪感、思考力の減退などが認められ、社会機能の障害を引き起こす。※4 双極性障害約100人に1人が発症する精神障害。躁状態またはうつ状態を反復し、特に躁状態による問題行動やうつ状態による長期休職等により、社会生活の障害を引き起こす。 統合失調症の100人に1人はともかく、大うつ病100人に3-16人、双極性100人に1人なんて言うのはそもそもデタラメである。残念。

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  • 25 May
    • アカシジアによる自死-たとえ裁判に勝てなくとも真実はここにある

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、京都、大阪、香川、静岡 減断薬読本購入希望の方 向精神薬と自死との関連は、抗うつ剤の持つアクティベーション作用で説明されることが多い。 自死と向精神薬との関連を疑う側の主張もそこばかりに注目が行く。 その他、自死にまつわる定説を上げるとざっとこんなものだ。 うつや統合失調症はそもそも自死リスクが高い病気。 (病気で自死するという考え方) 自死するだけの元気がなかったのが治りかけに企図に至る。 これはしばしば、リスパダールの目覚め現象として説明される。 (それまでセレネースなどでボーとさせていたのが、リスパダール(比較的ドーパミン遮断力の弱い薬)に変更されることによって、思考力が回復し、放置していた現実に耐えられなくて自死する) アクティベーション・シンドローム (抗うつ剤による自死副作用の惹起、服用開始直後、離脱時、若年層) そして、アカシジア(焦燥感)が重症化して自死するである。 米国での抗うつ剤SSRI訴訟の原告側の証人として、その後の和解(自死に対して1件当たり2億円の賠償金)に貢献したデビット・ヒーリーは、実によく自死と向精神薬の関連を説明してくれている。ちなみに、ジプレキサが治験時に史上最悪の自死副作用を呈していることを製薬会社イーライリリーが隠ぺいしていたことを暴露したのもヒーリーである。 ジプレキサの自死副作用は、アクティベーションでは説明しづらい。むしろ逆の作用を示すからだ。先の自死の責任を問う裁判においては、被告医師は、ジプレキサを焦燥感を抑えるために処方したと主張した。ジプレキサやリスパダールは自殺止めとして処方さするのだという。FDAの大規模副作用データベースでは、代表的なSSRIパキシルで、自殺念慮PRR8.25、自殺企図PRR5.56、自殺既遂PRR3.65である。それに対して、ジプレキサの自殺念慮PRRは2.89、自殺企図PRR4.38、自殺既遂PRR4.35となっている。*PRRとは、他の薬剤の平均に比べその副作用が出やすい指数ジプレキサも十分に自死副作用の誘発剤であることを示している。自殺念慮ではパキシルのほうが高いが、自殺既遂となるとジプレキサの方が高いのである。件数ベースでは、パキシル1522件に対しジプレキサ1029件である。 デビット・ヒーリーは、著書の中でアカシジアについて次の様に述べている。 「抗精神病薬の最も深刻な副作用としてアカシジアの症状が現れることがある。外側からはよくわからない場合もあるが、緊張、イライラ、不眠、不安といった症状である。リスペリドン(リスパダール)やオランザピン(ジプレキサ)などの高力価の抗精神病薬は特にアカシジアを起こしやすい。アカシジアの症状に耐えられないほどひどい場合、自殺するしかないという結論を出すような事態も起こりうる。自殺未遂あるいは完遂は、アカシジアの発症につづいて起きることが多い」 表2 アカシジアを引き起こす可能性のある薬剤(厚労省重篤副作用対応マニュアル)○抗精神病薬フェノチアジン系:プロクロルペラジン、クロルプロマジン、ペルフェナジン、クロルプロマジン・プロメタジン配合剤などブチロフェノン系:ハロペリドール、ブロムペリドール、チミペロンなどベンザミド系 :スルピリド、スルトプリド、ネモナプリド、チアプリドなど非定型抗精神病薬:リスペリドン、オランザピン、クエチアピン、ペロスピロン、アリピプラゾール、ブロナセリン○抗うつ薬三環系:アミトリプリチン、アモキサピン、イミプラミン、クロミプラミンなど四環系:マプロチリン、ミアンセリンなどその他:スルピリド、トラゾドンなどSSRI:フルボキサミン、パロキセチン、セルトラリンSNRI:ミルナシプラン○抗けいれん薬・気分安定薬:バルプロ酸ナトリウム○抗不安薬:タンドスピロン  日本の精神科医には、自死の副作用止めにリスパダールやジプレキサを投与するという杓子定規な対応がみられる。 これに対し、ヒーリーは次のように述べている。 「こういった反応(アカシジアでジッとしていられないこと)は明らかに、病院にやってきた人の中に時々見られる’困った’振舞と関係がある。アカシジアを発症している人は病気がより重い患者のように受け取られ、その結果処方される薬の量が多くなることもありうる。また、そういった患者本人はなるべく早く病院から出なければと感じることもあり、その患者が明らかな混乱状態にあるのでない限り、病棟スタッフは退院を許すしかないと考えるわけだ。このような状態で病院を退院した患者、もしくは自宅でアカシジアを発症した人の場合はおそらく自殺の危険性が高い。従って、抗精神病薬を服用している人が焦燥感や衝動性の高まりを訴えるような場合は、深刻に受け止めるべきなのである。だが抗精神病薬は焦燥感や衝動性を鎮める薬(そういった症状を強めるのではなく)ということになっているので、深刻に受け止められないこともしばしばである。」 自殺の副作用止めとして処方した薬が、実は自死の誘発薬であり、病状の悪化と捉えられると、さらに増量されるという危険を指摘しているのである。 また、ヒーリーは、健康人であるボランティアにたいして行われた研究で次のように述べている。 「健康なボランティアにハロペリドールを服用してもらってその反応をみるという研究がキングらによって実施された。それによると、4mgという低用量で被験者の最高50%に、不安で落ち着かない、不安定な感じ、じっとしていられないなどの感情の変化が認められたという。被験者の中には、部屋にじっとしていることなどとてもできそうもないと感じた人も居る。と同時に、なぜそのようにじっとしていられないのか訳が分からなかったとも報告している。抗精神病薬を自分で試してみた精神科医の多くがこれと同じ体験をしており、これまでの一生で最悪に近い体験として記事にまとめた人も居る。」 つまり、何の病状も無い健康人に抗精神病薬を処方すると、同じようなことになると言っているのである。 うつにも効果があるからとジプレキサを処方したり、 問題行動を抑えるための抗精神病薬の投与が、如何に罪作りか分かって頂けるだろうか。 自死の問題に限らず、うつ病診断やADHD診断が、いつの間にか統合失調症と診断される背景には、この問題が大きく関与していることは間違いない。 自死を争う裁判で、被告医師は、ジプレキサはうつ病にも効果のある標準的な治療法であると主張した。アカシジアによる不安や焦燥感を病気の悪化とし、薬を増量した。救急で訪れた際に、抗コリン薬(抗パ剤)で劇的に良くなったエピソードもアカシジアが発症していたことを強く疑わせていた。 アカシジアを中心に再構成してみると、全て整合性はピタリと符合した。 ジグソーパズルのピースが全て揃えば、それは真実である。

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  • 21 May
    • 自らを灯明(とうみょう)として今を生きる

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 中津川、名古屋、西宮、東京、神奈川、福岡、京都、大阪、香川、静岡 減断薬読本購入希望の方 ホワイト=エプストンは、フランスの社会学者ミシェル・フーコーの知についての議論を援用しながら、患者の状況を支配している一般的な物語を、「ドミナント・ストーリー」と呼んだ。 人は、自身の頭の中で、過去の出来事を紡いで、物語を作り上げる。 良くある当事者と家族の軋轢(家族を毒親と呼んだり、パートナーを悪者に仕立て上げる)の中でも、それぞれが紡いだ物語の違いは鮮明に表れる。 共有している同じ過去の経験は、双方から全く別の経験として語られるのだ。 ・毒親(パートナー)によって悪化されられた物語 ・社会に適応できない精神的な問題を抱えた子供への報われない献身的な物語 この2つの物語は、過去の経験を共有しているにも関わらず、全く別の物語として語られる。 当事者のドミナントストーリーで描かれた「親に対する恨み」は、今がさらに追い詰められている場合はさらに強化され、病的なまでに再生産されることもある。特に問題が、ひきこもり状態によって家族の中に内在化している場合は、そのストーリーはさらに強化されていく。実際に私の回りにはそういう人がいくらでもいるし、そうした相談も多い。互いに互いのストーリーを押し付けあい、互いに支配しようとする姿には心が痛む。 どちらのストーリーも当人にとっては紛れもない真実である。 だが、それぞれのストーリーは過去の出来事をそれぞれの現在の状況に応じて自分で書き換えたものである。 現在の状況から遡って、過去の出来事を紡いで、苦しみの物語を再生産しているのだ。 (妄想や敵意も同じことが言えるかもしれない) これは逆に。どんなに困難な状況であったとしても、もしも将来状況が好転したなら、そこからストーリーは再構成することができるということでもある。 ただの苦しみの物語(ドミナントストーリー)は、克服の物語(オルタナティブストーリー)に書き換えることは可能なのだ。 実際に、精神科サバイバーの多くは、それを達成している。 重要なのはまず現在の危機をまず乗り越えることである。過去の苦しみの物語は横においておくのが良い。今が改善しなければ、オルタナティブストーリーは描けない。 そもそも精神的な苦痛というものも何だか怪しい。 苦痛を感じる元となっているそもそも幸せの定義そのものが怪しいのだ。 例えば、人並み以上に裕福な暮らしを送っていた人が、何かのきっかけで人並みの収入に落ち込めば、この世の地獄のように嘆く。 しかし、もともと金にあまり縁の無かった人にとって見れば、何故、それほど嘆くのか理解不能なのである。 消費することで得られた幸せを、創造する幸せに転換できれば、貧乏もそれほど悪くはない。 慣れてしまえば、こっちの方が幸せな気にさえなってくる。人間は案外柔軟に出来ている。 私などは、もうどんなに収入が上がろうが、毎月会社の資金繰りに悩まされる生活は2度と御免だ。 受験に失敗しようが、就職に失敗しようが、結婚に失敗しようが、実は同じことである。 受験に失敗したから、就職に失敗したから、離婚したから不幸になる訳でもない。 こころは本来自由である。 もちろん現実は厳しい。 失敗を許さないこの日本社会において、一度外れてしまったレールにまた戻ることは至難の業だ。 精神医療の薬漬けにあい、10年、20年の闘病により失われた時間を取り戻すことは出来ない。過去は変えられない。 だが、どの時点からでも人生をやり直すことが出来るものなら、その苦しみも少しは和らげることが出来るだろう。 事実、私などは、40代後半から、新たな全く別の人生を送っている。 世間一般のいう幸せなど基準から言えば幸せなど望むべくもないが、幸せを感じることは自由である。 いや、他者からの眼差しを解除できたからこそ得られる幸せもあるのだ。 むしろ、私から見れば、人に用意されたレールに必死にしがみ付くことのほうが幸せから遠ざかっているように思える。 問題は、社会から押し付けられた言説、他人からの価値観の押しつけ、さらには、他者からの支配にあると思う。 人と比較することでしか幸せを感じられないことも、社会から押し付けられた価値観にあるのではないか。 良くある対人恐怖、敵意は、支配によって植え付けられた不安の象徴では無いのか。 うつ症状は、逃げ場のない現実からの防衛反応ではないのか。 被害妄想や幻聴や幻覚は、社会や抑圧的な対人関係から生じているのではないか? こうした精神症状は、抑圧的な他者の眼差しを内在化することで起きるのではないか(*ロジャース)。 事実、外に気を取られている間は、幻聴も幻覚も消えるのである。 抑圧的な環境の中では、オルタナティブストーリーは描けない。 他者に支配されたままでは、オルタナティブストーリーは描けない。 オルタナティブストーリーを描くには、まず抑圧を排した今が必要なのだと思う。そして、他者からの眼差しを外すプロセスが必要なのだ。 自己決定の原則、本人中心主義とは実に理に適っている。 そのためにその人やその周りの人たちを支配する言説も書き換えねばならない。 人は誰もがそんなに立派ではないこと。 人生は、想像以上にバラエティに富んでいること。 金があるから幸せとは限らないこと。 進学や就職の失敗は、人生のほんの一部の失敗でしかないこと。 結婚が幸せとは限らないこと。 幸せそうに振舞っている人ほど、それほど幸せではないこと。 人は人を支配してはならないこと。 自分の人生は自分で決めるもの。 皆が、この様に考えることが出来たなら、我々はもっと楽に生きていくことが出来る。 もっともこれは知識として知っていても仕方がない。 自分で決めて自分で責任を取ることの繰り返しの中で、自分の血と肉になるような生きた経験として学ぶ以外にない。 現代人は、こうした経験が決定的に欠けていると思う。 社会精神医学の先生が、精神症状を引き起こす原因の一つは経験不足と言っていたが、こういうことかと実感する。 可愛い子には旅をさせよとは良く言ったものだ。 2000年以上も前に、お釈迦さまも同じことを言っているではないか。我々はその時代と変わらず未だに同じことに悩んでいる。 自らを灯明(とうみょう)として今を生きることが出来たなら、人はもっと逞しく楽に生きられるはずだ。 自らを灯明とうみょう(ともしび)とせよ お釈迦さまが晩年に病気にかかられたときのことです。お弟子たちは、お釈迦さまがなくなられたら、あとは誰れをたよりにしたらよいだろうかと心配しました。そのことに気づかれて、お釈迦さまは、 「自みずからを灯明とうみょうとし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法ほうを灯明とうみょうとし、法をたよりとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と語られたといいます。「自灯明じとうみょう、法灯明ほうとうみょう」の教えとして、有名なお言葉です。 とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。とくに権威けんいある人に追随ついずいして、自分で考え、自分で何が正しいかを見定めようとはしません。実はその方が安易あんいだからです。しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということになりがちです。人間が人間を信じるということは危険性をともなうことなのです。人の言葉を鵜呑うのみにして頼るのではなく、何が正しいかを、はっきり見定めることのできる自分を確立してゆくことが、大切であることを、お釈迦さまは「自らを灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのでした。  それでは、私どもは何を根拠こんきょに正しいと判断すればいのでしょうか。それをお釈迦さまは「法を灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのです。法とは、物ごとの本当のあり方のことです。たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものは一つとしてありません。この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。 また、すべてのものは依よりあって成り立っています。この事実が「縁起えんぎ」という法です。これらのことは誰れでも認める真理ですが、しかし、私たちはこの明白な事実でも、自分自身のこととなるとなかなか認めようとしません。他人は死んでも、自分はいつまでも元気でいると思っています。これが、迷いそのものなのです。私たちが自分だけは例外だ、と無意識に思いこんでいる誤りに気づき、迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられて、自分自身が目覚めざめていくことが大切です。そのことを お釈迦さまは「自らを灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのです。法輝山 光西寺法話 http://houkizan.sakura.ne.jp/text8-10.html より

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  • 12 May
    • 注目!!!熊本の精神科サバイバーからのメッセージ

      オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ 5月15日四谷、中津川、高松、名古屋、大阪、福岡、京都 NEW!!! 熊本の精神科サバイバー かよさん からメッセージ頂きました。 以下、転載 震災後から公やその他の団体や機関で心の健康に対する相談窓口が開設されています。 「平成28年熊本地震・東日本大震災 -こころのケア-」「こころの健康相談電話」「心の緊急電話相談」「発達障害者の人たちの相談窓口」「子どもの心の悩みについて」の児童相談所による相談窓口「避難所での暴力・いやがらせの相談窓口」など。 「心の健康確保」「こころの不調が出ることがある」と謳い、「地震のあと普段と違う環境に置かれている発達障害の人たちとその家族へ の避難所生活のアドバイスや、生活支援を受けることができる『福祉避難 所』の紹介などを行う」とHPなどでお知らせしています。 医師や臨床心理士、専門の職員やスタッフがサポートやアドバイスをするとの事。あくまで相談までなら良いですが、延長線上に有り得る【薬物療法】には手を出さないでほしいです。薬でメンタルケアを行おうなんて考えは持ってはいけません。 薬ではなんの解決にもならないし、服薬を続ければ薬物中毒に陥るか、その副作用により帰らぬ人になってしまいます。 【おくすり】 = 【毒物】であることを認識して下さい。(過剰な)薬の投与は本人の本来持っている回復力(自然治癒力)を妨げてしまいます。 心の問題は、薬に頼らず医療とは異なった自らの(別の)視点から対策をとることが大切だと思います。心を痛めた本人が自ら考えることが出来ない状態の場合は、周囲の人間がサポートすることが大切だと思います。 辛いからといって病院に行って病名を付けてもらって安心しようなんて思わないで下さい。お医者さんの「薬を飲めば楽になる」「気力が湧いてくる」「仕事がまた出来る」などといった甘い言葉に惑わされないで下さい。 心の問題や被災ストレスによる不調は、医師の処方する西洋薬が本当の「おくすり」なのではなく、「本人や家族、周囲の人間の支え合いや思いやり、考え方、時間」が本物の「おくすり」だと思います。 先日5月9日にKAB熊本朝日放送 -つながる情報テレビくまパワ- で放送された内容を記します。HPにも載っています。 特別企画「子どもの心のケア」 震災で大人と同様に子どもも大きなストレスを抱え、ストレスに対応する力がまだ十分でなく、解消できないままにしているとPTSD(心的外傷後ストレス後遺症)という精神疾患につながる恐れがある。 大きな地震のあとに子どもたちに変化がでるのは自然なこと。 子どもたちなりにこの困難を乗り越えようとしている。 変化は子どもから出されるサイン。 周囲にいる大人がこのサインを見落とさないことが大事。 【幼少期】赤ちゃん返りをする 親にくっついて離れない できていたことができなくなる 一人で寝るのを嫌がる 怖い体験をしたことで安心できる人のそばにいたがる [対応]:抱っこ、添い寝、一緒に行動してあげる 【小学生】同じこと起きるのでは?と怯える 同じ話、遊びを繰り返す 口調、行動が荒くなる 消極的になる 気持ちを言葉で表すことがまだ上手にできない時期 [対応]:悩みを口にできる機会をつくる 恐怖や不安、悲しみの感情を否定しない 【中学生】過度に心配する 無力感や罪悪感を持つ 無茶な行動をとる 反抗期になる 感情が複雑化し整理できにくい時期 [対応]:想いを共有する 存在や努力を認めて承認欲を高める 上記の内容から私がお伝えしたい事は、 どんなに深刻な心の状態であっても、大人でも子供でも医者の処方する薬に簡単には手を出してほしくないという事です。服薬する前に、西洋薬の副作用や危険性について詳しく知ってから検討して下さい。 重要なメンタルケアというものは、信頼関係のある人間との間で行われる事が真心の癒しによる真の治療だと思います。 薬物療法を勧める専門家に頼らない事が大切です。 専門家は当然家族や親しい知人ではなく赤の他人です。アドバイスを鵜呑みにしないで下さい。 自分の身に降りかかった災難を解決する突破口を見つけるのは自分であって 医者や他の専門家ではないのです。どんなに辛い状況であろうと、そこから目を背けてはいけません。苦しくても、この窮地を乗り越える力をつけて行かなければ、 新たに待ち受ける多くの難関を通り越して行くことは出来ません。 あなたやあなたの周りの人たちの底力が問われる大事な時です。 自戒を込めて 熊本、精神科サバイバー かよ

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  • 11 May
    • 減薬も本人中心主義の原則を守るべき

      オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ 5月15日四谷、中津川、高松、名古屋、大阪、福岡、京都 NEW!!! 現代日本の精神科医の主な仕事(専権事項)は、診断(病名をつける)と処方箋を書くこと 診断や処方に口を出すと、 「何様だ」 と怒られることがある。 まるで、一般市民は、医療や薬に口を出してはならないような言い草である。 医療はサービスの一つであり、基本的にその選択権・決定権は市民にある。 インフォームドコンセントを経ていない投薬は基本的に障害行為であって、人権侵害である。 市民には、その診断や投薬の根拠を知る権利があり、その上で初めて治療に合意できる。 自分の受けている(受けようとしている)医療を知ることに対して何の制約も受ける必要はない。 その市民の知る権利を嫌がるということは、自身の診断や処方に自信が無いと思われても仕方がないではないか。 奢り以外の何物でもない。 クスリのことは、医師よりも、精神科サバイバーの方が良く知っている。 何より、自らが服薬の経験者であり、文字通り死に物狂いで情報を探し求めた結果である。 私の知識の多くも彼らに教えてもらったものだ。 自分で選択するという行為は、回復の為の第一歩である。 人は自分で決めたことは自分で責任が取れるのである。 もし、それが出来たならば、その人は精神病から卒業である。 もちろん、それが茨の道であることは言うまでもない。 診断と服薬の問題を横において、何がリカバリーだと思う。 本人中心主義と言いながら、私(医師、カウンセラー)治す人、私(患者)治してもらう人という関係性を問わないとは如何なものか? 精神病とは何か? クスリとは何か? 診断とは何か? それを知らずに自己決定など不可能である。 当人を取り巻く周りの人間に出来ることは、ただ、その自己決定のお手伝いをすることだけ。 誰も治すことなど出来ないのだから当たり前だ。 医療や福祉による(実質的な)治療の押しつけは人権侵害だが、家族による治療の押しつけも同様に人権侵害になりかねない。 現実の自傷他害、明らかな急性症状、他とのコミュニケーションが一切取れないような状態で無ければ、これは免責されない。 子供だからとか、病気だからとか、 高齢者、障害者を理由に、その自己決定の原則を逸脱することは許されない。 これは減断薬においても同様に守られるべきものだと考える。 本人を差し置いて、家族が減薬を決めることなど出来ない。 ただし、この日本の非常識な多剤大量処方を受けて、混乱状態にある場合は別だが、どんな状態であっても説明の手間を省くべきではない。 知識不足、経験不足は、精神症状の直接的な発症要因である。 敵意や妄想や幻聴も、自己に閉じ籠ることにより、強化され固定化される。 良く良く考えてみてもらいたい。 知識不足、経験不足では、人間は合理的な判断など出来ない。 子供が、夢見がちで非現実的な行動をした時、我々はそれが子供がいまだ成長過程にあることを知っている。 それらを獲得する経験を経て、子供は徐々に社会に適応する能力を獲得していく。 家庭内で何も経験していない子供が、小学校でいきなり、集団秩序を守ることを要求されても出来るはずがない。 子供に必要なのは、知識や経験である。 ヘリコプターペアレンツ*1と呼ばれるような親の元では、こどもは経験不足になりがちだ。 経験不足の子供は、怒りの表現方法さえ学んでいないのだ。 初めての経験をした時、それを拒否する言葉や方法を学んでいなければ、問題行動で示すしかなくなる。 病名を付けて、投薬する前にやるべきことは山ほどある。 統合失調症の多くは、思春期に発症する。基本的に若い人に発症する。 そもそも、統合失調症なんて病名がある訳ではない。それを発達障害と言い換えても何の意味も無い。 精神科診断は、医学ではない。単なるお医者様ごっこのようなものだ。 統合失調症ではなく発達障害だったという診断をうけ、誤診だと憤慨している当事者にあったが、それはそもそも誤診ですらない。 生物学的な問題がある可能性はあるが、現在の医学水準ではそれは解明されていないし、あったとしてもそれは発症要因の一部に過ぎない。 子どもへの投薬は、薬過敏だから問題なのでもない。 (子供のクスリの代謝力は大人より強い。子供は自分を守るように出来ているのだろう。) そもそも、出来上がってもいない成長過程の脳に暴力的に作用する薬を飲ませてはいけないということだ。 逆に、投薬こそ、子供の発達を阻害する最大の要因である。 異論のある方には、こう問いたい。 「ただの科学物質であるクスリにこの複雑な人間の心を治療する力があると思いますか?」 「長期に投薬を受けて、その人が幸せになったという研究を見たことはありますか?」 何処を探したってそんなものは無い。 我々が、この厄介な問題に対して持っている武器は、 そのあまりにも不完全な対症療法としてのクスリと、不完全な人間の心に対する理解である。 我々に出来るのは、その危機を引き起こした原因と思われるものを、少しでも改善していく努力だけである。 魔法のような解決策はないことを知らねば、そのスタート地点にも立てやしない。 自己決定をし、自己で責任をとる。それ以外のゴールはあるだろうか? 薬物治療の先に何か希望はあるだろうか? ただし、クスリが良くないことが分かったとしても、減断薬を焦ってはならない。 減断薬も本人を交えて慎重に計画を立て、慎重に取りくむべきである。 投薬前の問題より、さらに問題は複雑化している。 重ねて言うが、本人中心の原則はくれぐれも守って頂きたい。 今月のサードオピニオン会・こども関連セミナーでは、私からの話題提供はこれにしようと思う。

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  • 05 May
    • こどもへの過剰診断・過剰投薬被害の防止(発達障害者支援法改正)に署名下さい

      こどもへの過剰診断・過剰投薬の防止 署名お願いします!!!オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ 中津川、高松、名古屋、大阪、福岡、京都 NEW!!! 最初は、私の亡くなった家族のように、不要な診断、投薬を受けて被害に合った人たちがどうにか出来ないかと考えていた。 ちょっとした不眠や不安から、精神科に繋がり、不要な診断と投薬を受けて悪化していった人たちである。 その人(未来の被害者を含む)たちに対する多剤大量処方やデタラメ診断を止めさせること、私の関心事はそこにあった。 その活動は、ある意味上手く行った部分もある。 抗うつ剤の売上は減少し、うつ病患者も頭打ちとなった。不十分ではあるが、多剤大量処方も規制され始め、睡眠薬や抗不安薬の依存性も知られるようになった。 この人たちは、減断薬で比較的上手く回復出来ることが多い。うつ病の元々の転帰の良さも、それを後押ししてくれるからだ。 ところが、ここ数年、そういう人たちに混ざり、それまで私が持っていなかった視点の患者たちが私の前に現れたのだ。 所謂、本物(のように見える)の統合失調症患者とその家族である。 彼らを知って、正直、私は迷宮に入り込んだ。 ただ、多剤大量処方が悪であることのコンセンサスは、全ての患者・家族に共通して得られた。 彼らにとっても、多剤大量処方が蔓延したこの日本の精神医療において、その改善の効果は大きい。 けれども、薬を減らした後、その先の答えを私は持っていないことに気付かされたのだ。。 そこで、そもそも、その人に薬が必要であったのかという問いを立てることにした。 その問いを解くために役立ったのが、 伝統的な精神病理学(ブロイラー)やフーコーの著書、ウィタカーの著書である。 (最近は脱病院化や脱学校化を唱えたイリイチに凝っている) そこに記述されていたのは、如何に医療というものが、権力や金に結びつくと危険な存在になるかということである。 医療化の問題を問わずして、この問いは解けない。 過剰診断で薬漬けにされた患者はもとより、かつての医療化以前の統合失調症患者の大部分も、地域で暮らすことが出来て、薬も不要であったことを知った。彼らの主張は、現在の精神医学の専門家たちの研究が如何に偏っているかと言うことを知らしめていた。 統合失調症患者が一生薬を飲まねばならないという言説は明確に否定できる。 しかし、そもそも薬が必要なかった患者が、長い間の服薬を通じて新たな精神症状を発病した場合。 その予後(転帰)については答えが無い。 そもそも、薬剤性の精神疾患の予後など誰も研究していないのだ。 (精神医学は、まるでそれが無いかのように振舞っているのだから) 総論として、大部分の患者に薬が必要でないことは分かったが、誰に薬が必要で、誰に薬が必要でないという個別の答えを私は持っていない。だが、同時に、とうの精神科医も持っていないこともわかった。 答えも持っていないにもかかわらず、わかったふりをして治療と称して漫然とクスリを処方しているだけである。 彼らを支えているのは、科学でも医学でもない。ただただ、その権威による。 イタリアの精神医療改革を成し遂げた医師達がそうであったように、この問題に取り組むための個々人(医師であれ、福祉であれ)には自分達が無力であるとの自覚が必要である。そこからしか、新たなオルタナティブは生まれない。我々はその第一歩を踏み出そうとしている段階に過ぎない。 欧米で進められたリカバリーや社会医学的な取り組みも、その限界は明白である。 その理念だけでどうにかなるほど、この問題は易しくはない。 精神障害者となり、薬を飲みながらでないと、年金や生活保護が受けられず、生活が成り立たない人々。 当然、その人たちに対するオルタナティブを私は持っていない。 はっきりものを言えば、現在の状況は八方塞がりである。 私の活動を、破れ傘で台風に立ち向かうようなものだと揶揄されることがある。 そういう人たちは、得てして医療関係者や福祉関係者である。 その多くが、良識者と呼ばれ、現在の医療システムや科研費などで飯を食っている人たちである。 理解できるが、具体的には出来ない。総論賛成、各論反対の人たちである。 クスリに反対するのであれば、医学モデルそのものにも反対すべきだと私は思う。 それを責めようと思ってはいない。患者会も、家族会も同様、その立ち位置からは見えるものが違うのだ。 私は私の出来ることだけをやるので放っておいて欲しい。 これが正直なところだ。 だが、確信を持っているのは、私にそれを実現できる可能性は限りなく0であるが、私の主張はオリジナルではなく、他国ではある一定の支持を集めるオルタナティブであることだ。 一度捨てた人生をかけるには十分すぎる可能性を持っているのである。時間が後押ししてくれるもの間違いない。 目指すところは実にシンプルである。 当事者が、自分で決め、自分で出来ることを増やしていくだけ。 天は自ら助くる者を助く、我々に出来るのはその些細なお手伝いだけである。 その手伝いに、肩書は必要ない(まあ、あれば便利だが)。 我々が目指すのは再生(回復)であり、治療ではない。 とやかく言わずとも、あとはやるだけである。 そうした状況で、一つ忌々しき事態が起きている。 発達障害概念の広がりとそれに伴う過剰診断・過剰投薬の問題である。 また、診断・投薬を拒否するとそれが育児ネグレクト(虐待)と取られるというおぞましき事態である。 うつ病や統合失調症の問題に携わっている人には、この問題の根深さが痛い程わかるはずだ。 しかし、残念なことに、発達障害に関わる人々の多くが、うつ病や統合失調症における負の歴史を知らない。 発達障害概念が広がる以前から、統合失調症やうつ病の過剰診断により薬漬けになった子供を何人も見てきた。 大人であれば、成長後、出来上がった脳に対するダメージであるが、子供のそれは取り返しのつかないものになる。 成長過程の脳が、向精神薬という暴力的な影響を受けるのである。それも、思春期以降ではなく、それ以前の段階でだ。 これはもう、誰も責任が取れない。 大人のうつ病や統合失調症の薬漬け問題より、さらに対応は難しい。 子供の薬漬け問題は、多剤大量処方問題と同様に、立場を超えて共闘できるものだと思う。 ただでさえ難しい問題をさらに難しくしないでもらいたい。 こどもの薬漬けによって引き起こされるのは。 明確な臨床的医原病であり、社会的医原病であり、文化的医原病である。 うつ病や統合失調症においては、ケースにより、明確な精神医療の役割はある。 (そのほとんどは医学的な役割ではなく、社会的な役割であるが) しかし、この子供に対する精神医学の役割はほぼ無い。 科学的でもなければ、医学的でもない。そのかけらもない。 そして、この愚を犯しているのは、米国や我が国など限られた国でしかない。(欧州諸国はそれほど毒されていない。) 国連やWHOでさえも、医学モデルではなくて社会モデルでやれと言っている。 医療化を排し、教育を教育者の手に、子育てを一般社会に取り戻して頂きたい。 共感頂ける方は、是非署名下さい。 こどもへの過剰診断・過剰投薬被害の防止(発達障害者支援法改正) また、この問題の解説を大阪、京都で行います。 キーワードは、脱医療化、脱学校化。 ご興味のある方は是非参加ください。 5月27日 中川聡先生講演会「子どもに向精神薬」って大丈夫?大阪 発達障害児支援LOF教育センター主催 5月28日 「子どもに向精神薬」って大丈夫? 京都 関西オルタナティブ協議会主催

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  • 30 Apr
    • 減断薬すれば良いってもんじゃない

      こどもへの過剰診断・過剰投薬の防止 署名お願いします!!! オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ減断薬の為の基礎知識(お薬を深く学ぶセミナー)in 東京 5月1日新宿!!! 一般論として、減断薬が有効な手段であることは間違いない。 私の周りには、減断薬の結果、目覚ましい回復を果たした人々は大勢いる。 現代日本の精神科は、間違いなく過剰投薬である。過剰投薬を、普通の投薬(?)にするだけで回復に近づく。 もっと言うなら、最初からクスリを使わないのが一番良い。→前記事 国立精神神経センターの論文でも、(統合失調症における)単剤で充分であることが示された。 近年の多剤大量処方の規制は、減薬が正しいと国も認めたということだ。 断薬したほうが予後が良いという研究もある。 そもそも、薬物治療の転帰が、伝統的な精神病理学の示す予後に劣るのだから、現代の薬物治療が失敗しているのは明白である。 まず問うべきは、 その人に向精神薬は必要であったかどうかである。 そもそも、抗うつ薬が有効なのは重度のうつ病だけ、それ以外には効果より弊害の方がはるかに大きい。 よって、気分障害(うつ、双極性)と診断されている方は、もっとも減断薬を試みる価値がある。 問題は統合失調症と診断されている方である。ごく一部ではあるが、薬が必要な人は居る。 急性期や、一直線に悪化を辿るような事例、自傷他害の事例など。 (良くなったり、悪くなったりを繰り返す場合の予後は良いと伝統的な精神病理学は示している) 必要と言っても、一生必要な訳ではない。 統合失調症は、基本的に若い人の病気で、年齢を経るに従って症状は軽減してゆく。 だが、減断薬が上手くいかない人が居るのも事実である。 問題は、誰が上手く行って誰が上手く行かないか、誰にも判断がつかないということだ。 驚くほどの多剤大量処方でも、案外楽にやめることが出来る人も居れば、短期のほんのわずかな量の服薬でも後遺症が残る人も居る。 ということは、減断薬は、本人以外誰も決められないということだ。 真実を知ったある精神科医のジレンマそして取った行動 もっとも危ういのは医師任せにすること。薬漬けにした張本人に減薬など出来るわけがない。 私も含め、専門家は基本的に無力である。 無力であるからこそ、減断薬も、前記事のオープンダイアローグのような取り組みの中で行われるべきだと思う。 無力ながらも、関係者全員で知恵をふり絞り、出来ることはすべてやるくらいの心構えが必要である。 長期の向精神薬の影響下にあったということは、何らかの薬剤性の精神症状(身体症状も含む)を呈していると考えるべきで、何らかの回復への対処が必要だろう。また、服薬前の危機的状況が改善されていない場合には、そもそもの問題への取り組みが必須である。 さらには、この精神医療との関わりそのものがトラウマとなり、新たな精神症状を引き起こす場合もある。社会に対する不信、薬漬けに加担した家族への不信、様々な喪失、将来への不安などが、その人の新たな人生の危機となるのである。 減薬と同時に、様々な心の葛藤を受容し、危機を克服する必要がある。それは、最初に精神科に関わることになった最初の危機よりむしろ深刻である。 だが、それを成し遂げた時、以前の自分より遥かに逞しくなった自分に気が付く。 それまでと全く違った価値観の中で、より自由になった自分に気が付くはずだ。 元の自分に戻るのではない。 私の知っている精神科サバイバーはそんな人たちだ。

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プロフィール

アリスパパ

性別:
不良中年おとこ
誕生日:
植木等と一緒
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東京都
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【プロフィール】 スクラッチで起業して14年。 ベンチャーというよりアドベンチャーな経営。 ち...

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