• 30 Sep
    • クライシス(発症)をチャンスととらえる

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、群馬 減断薬読本購入希望の方 今月号の現代思想は面白い。オープン・ダイアローグやACT、当事者研究など、その道の有名人たちが、それぞれの立場で語っている。海外のせっかくの取り組みを医者が翻訳して輸入するからダメにするという、私と同様の主張があったり、もう既に日本には、立派なオープン・ダイアローグが広がる素地(ACT、当事者研究)があるという私とは相容れない主張があったり。論争としては、なかなかのモノだと思う。精神医療問題は、思想・哲学として眺めると、これほど面白いものはない。 私は、現代の精神医療のオルタナティブであるオープン・ダイアローグや当事者中心のリカバリーモデルが、同じ潮流の上に流れていることに最初から気が付いていたが、どうやら皆さんも気が付いたようだ。先日のイタリア精神保健改革、マリア・グラツィア・ジャンニケッダさんの講演の中でもオープン・ダイアローグは触れられていた。その通り、イタリア精神保健改革も同じ潮流の上にある。 上っ面の潮流は見えているようだが、残念ながらその底流までは見えていない。イタリアの精神保健改革も、オープン・ダイアローグも、米国の当事者活動から生まれたWRAPやIPS、ストレングスモデルも、さらにはナラティブアプローチも斎藤学先生のアプローチも医学モデルではないのだ。皆、医学モデルを捨てたことから改革は始まっている。さらに言えば、心理学モデルでもない。完全な社会モデルだ。オープン・ダイアローグを家族療法のモデルと取らえるべきではない。医学や心理学は、その一構成要素に過ぎない。もっとも重要なのは、対話に関わる人々のあり方そのものである。 『クライシスをチャンスと捉える』これも先日の大阪でのイタリア精神保健改革の講演会でマリア・グラツィア・ジャンニケッダさんの言った言葉だ。「クライシスを病状の悪化の危機と捉えるのではなく、クライシスは、問題を解決するチャンスだ。」と言っているのだ。素晴らしい。けれどこの言葉を放っていいのは、人が人の上に立つことはないという人権意識を持った人だけである。その場に居るすべての構成員がそうでなければ、オープン・ダイアローグは成立しない。 精神科病院というシステムを温存したまま、患者の人権を語る偽善。そもそも、フーコーのいうように精神科病院というところは、それ自体が虐待装置である。医学モデルでの地域移行は、精神科病院という虐待装置が形を変えて地域に広がっただけである。医学モデルでのリカバリーなど、虐待の言い訳程度でしかない。 イタリアは、法律設定によって、その虐待装置をまず最初に壊そうと決めて、それを実現したのだ。虐待装置がある限り、この虐待は終わらないと考えたからだ。また、マリア・グラツィア・ジャンニケッダさんはこうも言った、「バザーリアが改革したのではない、市民が改革したのだと。」精神保健改革とは、精神医学の改善ではなく、社会レベルでの改革である。 べてるの家の周りには、当事者を受け入れる小さな漁村コミュニティがある。フィンランドのラップ地方には、オープン・ダイアローグが受け入れられる地域社会がある。イタリアには、病院から出てくる虐げられていた人々を受けいれる国民がいるのだ。 「精神症状は、脳の病気などではなく、その人の人生のクライシスである。」そうとらえるなら、もはや病名は不要である。事実、イタリアの地域保健センター(精神保健の中核施設)では、増加する移民の貧困者への対応に追われているという。 『クライシスをチャンスと捉える』とは、精神病と診断された人々の危機を対象とするだけではなく、、人々のあらゆる危機も対象とするということなのだ。さらに、クライシスに対し、家族、地域の知り合い、友人まで巻き込んでいくのは、そこに関わる人々が問題に気が付き、関わる全ての人が回復していくチャンスを得られるからである。

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  • 28 Sep
    • 精神疾患を、人生の問題、他者や社会との関係性の問題と捉えることは、すべての人の役に立つ

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、群馬 減断薬読本購入希望の方 デビット・ヒーリーは著書で、抗精神病薬(統合失調症のクスリ)は、幻聴、幻覚を消しはしないと言う。クスリは幻聴や幻覚を消すと言うより、それを気にならなくさせる効果があるだけだというのだ。そこで、会の参加者に聞いてみると、やはり同じことを言う。幻聴の音量が下がるだけという方もいる。やはり、抗精神病薬は、どこまで行っても治療薬ではなく、そうした対症療法に過ぎない。 ある人曰く、悪い幻聴に支配された時に具合が悪くなるという。また、ある人は、家族が宇宙人に見える時があるが、具合の良いときは、半分くらい宇宙人で、具合の悪いときは、完全に宇宙人になるという。 ここからは私のただの推測でしかないが、幻聴幻覚は、本人の思考手段の一つではないかと思うことがある。この世の様々な矛盾に出会ったとき、それぞれの矛盾が多重人格や幻聴幻覚となって表現されているのかもしれない。(これをもしその人の能力と捉えるならば、羨ましくもある。)人間である家族が、宇宙人に見えるというのは、良いイメージは人間で、家族に対する悪いイメージが宇宙人という象徴としてあらわれているのではないか。無意識に否認された(押し込めた)側の感情が、幻聴や幻覚として現れるのではないかと思うのだ。 理想の平和と現実の社会理想の家族と現実の家族理想の結婚と現実の結婚理想の子育てと現実の子育て理想の仕事と現実の仕事etc...... 誰もが出会う、こうした矛盾と折り合いをつけていくのが人生だろう。人生は理想とその挫折の連続である。そうした挫折の繰り返しの中で、少しずつ人は矛盾に対する免疫力を獲得していく。まるで身体が免疫を獲得するように。挫折はいつも苦しいが、乗り越えたことのある挫折は対処可能である。大人になるということはそういうことだろう。 子供時代にこうした挫折をしっかり経験しなかったり、逆に挫折ばかりのひとが、こころを病むのはある意味当然であろう。克服経験のないことを人は最初からこなすことは出来ない。知らないからこそ、恐怖となり、パニックを起こす。いや、さらに悪いのは、自分の意思の引き起こした挫折ではなく、いつも誰かから押し付けられた挫折である。誰かに従って引き起こされた挫折は、本人の経験とはならず、同じ挫折を繰り返す。他者に押し付けられた人生では、経験不足は否めない。日常的に他者に支配的に接しられていれば、矛盾は無意識に押し込められていく。無意識に押し込められた感情は、いつか爆発を起こすか、感情そのものを無くすということか。 これは、どこまで行っても仮説である。だが、こうした説明の方が、脳の器質的な問題として説明されるより、ADHDにしろ、うつ病にしろ、統合失調症にしろ、さらには適応障害やパニック障害などの発症の説明は合理的ではないか。治療法も無く、一生薬で症状を抑えろという精神病理概念より、こうしたPTSDやAC概念のほうが遥かに希望があるではないか。AC(アダルトチルドレン)概念で、30年以上の臨床経験を持つ医師は、その臨床経験の中で、血の滲むような葛藤の末、ACを克服した事例を幾例も経験しているという。 精神疾患を、疾病概念でなく、人生の問題、他者や社会との関係性で捉えるならば、精神症状を呈する患者に限らず、その克服の物語はすべての人にとっても役に立つ。 

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  • 25 Sep
    • イタリア精神医療改革ー遠すぎて気が遠くなる

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、群馬 減断薬読本購入希望の方 『法を変え、社会を変える-イタリア精神保健55年の蓄積に学ぶ』バザーリアの盟友、マリア・グラツィア・ジャンニケッダさんの講演に行ってきました。 ここ数年でイタリア精神医療改革の本を読み漁っていたので、目新しい発見はそれほど無かった。2年位前に話を聞いて居たら興奮して眠れなかったかもしれない。 良かった点は、次ようなことを再確認できたことだ。イタリアの制度改革は、医師が成し遂げたのではなく(バザーリアは一人のリーダー)、市民運動がその原動力であったこと。疾病概念ではなく、症状をその人のクライシスと捉えるという原則が貫かれていること。犯罪や自殺防止に精神医療は関わるべきでないこと。(イタリアは自傷他害の責任、保安から医師は解放されている。言い換えれば無力であること。)もちろん、イタリアについて特筆すべきは、まず精神病院を無くしたこと。これは、ホームレス支援のハウジングファーストの支援などと共通する。 素晴らしい。だが、同時に気が重くなる自分がいる。 それはイタリアのことではなくて、我が国のこと、イタリアに一生懸命な聴衆を見てそう思うのだ。 九州にある超有名精神科病院。最近は地域移行、リカバリーや家族教育にも力を入れている。行政や地域移行の象徴のようなACTの医師さえもが、その病院を良い病院と持ち上げている。その形は、精神病院のシステムを単に地域に広げただけに過ぎないのに。 イタリアだ、地域移行だ、リカバリーだ、オープンダイアローグだと騒いでいる人たちが、そうした病院を評価する。まったく意味不明だ。WRAPプログラムの形だけ使って、リカバリーを実践している気になっている人々。その人たちが、このマリア・グラツィア・ジャンニケッダさんの言葉を正しく理解しているとは到底思えない。 病名を捨てたこと。医療ケアを捨てたこと。その意味を本当に分かっているのだろうか?新しい取り組みを診療報酬にどう組み込むか?などと言ってるうちはイタリアなんて程遠い。 長期入院の代わりに、短期入院のサイクルを早めただけ、隔離、拘束はうなぎのぼり、だれも自立しない自立支援、誰も回復しないデイサービス。右肩上がりの向精神薬市場。自死者微減の陰に隠れた変死17万人。 多少の改善しているように見えるのは、もはや刈り取り尽くしたからだ。私には、目ざとい人たちが、新たな商売ネタを見つけて喜んでいるだけのように見えるのだ。

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  • 17 Sep
    • 病気と診断された瞬間に、思考停止に陥る

      発達障害概念のなにが問題なのか? その最大の問題は、病気が本来の問題のスケープゴートになることである。全ての問題が、本人の病気の所為(本人の責任とされる)とされるのである。 学校でいじめられたために、精神的な不調をきたしたはずなのに、病気の診断を貰った瞬間にその症状は病気の所為とされる。虐待(抑圧)が原因で引き起こされた症状が、やはり、病気の診断を貰った瞬間に病気の所為とされるのである。じっとしている経験を持たない子供が、小学校に入った途端、じっとしていられないことが問題とされ、ADHD診断を受け、そもそもの経験不足はなかったことにされ、本人の脳の問題とされる。機能不全の家族の中で、育たなかった自我、社会に適応できないことによる挫折、そうした生育歴が問われず、その当人の状態(暴力であったり、不安であったり、統合失調症様の症状、うつ、境界性人格障害であったり)だけみて、家族の機能不全は問われない。その症状は何かからの防衛反応であるのかもしれない。 精神症状を脳の病気と捉えるのは、精神疾患患者を抱える家族にとっては悪魔のささやきだ。ADHDの製薬会社のメッセージはこうだ。「ADHDは脳の病気です。育て方の問題ではありません」問題行動に手を焼いた親は、このメッセージを聞いて胸を撫でおろす。そして、治りもしない薬物療法に嵌り、問題は複雑化していく。 この現象を我々が経験するのは初めてではない。統合失調症でも全く同じことを経験しているのだ。反精神医学(実際には反生物学的精神医学)や社会精神医学が勢力をのばした1960年代から1970年代、それまでの悲惨な治療、薬害の結果、生物学的精神医学は危機に陥った。社会精神医学が、精神疾患はその人の人生の危機であるとしたのに対し、生物学的精神医学は脳の機能不全が原因とし、クスリで治療できるとしたのである。 この決着はいまだ付いていない。脳の問題があるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。だが、実際に当人に聞いてみると、それなりの理由やきっかけがあることがほとんどである。少なくとも、個別に原因は様々であろう。確実なのは、うつには抗うつ剤、統合失調症には統合失調症のクスリを出すだけの薬物治療が万人に通用するはずがないということである。 精神分析の専門家は、特に家族機能、親子関係、特に母親との関係性を問題にした。その子の症状の一因に、家庭環境や親子の関係性、子育て方法の問題があるとしたのである。そこで、例の悪魔のささやきが聞こえて来るのだ。「統合失調症は、環境や家族の問題ではありません。脳の病気です。」かくして、家族は、自分達を顧みることをやめる。 この問題は、私の活動にも大きく影響している。私が非難されるときは、こういう記事を書いたときである。 沢山の減薬の事例を見て来て、減薬が一番上手く行くのは、実は、元々の重大な問題を抱えていない人である。逆に失敗するのは、そもそもの問題が放置されている事例である。クスリでボーッとしていた問題が、明確に表れ始めるのである。薬物治療で重症化された後でリカバリーに取り組むのは、そもそも、薬物治療を始める前に取り組むよりはるかに難しい。 オープン・ダイアローグが初発の統合失調症患者の回復に実績があるのは、半年以上、診断も投薬もしないからである。当たり前だ。 統合失調症やうつ病の歴史を知っている人間にとって、発達障害という疾病概念は受け入れがたい。 その疾病概念を受け入れる前に、やるべきことは沢山ある。 今月のサードオピニオンはこの件を話題にしようと思う。(荒れそうだけど)また和泉市の講演会でも取り上げます。 お近くの方は是非参加ください。 サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、富士見(長野)new!!! 減断薬読本購入希望の方 

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  • 13 Sep
    • 9月~ オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会のお知らせ

      オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会の勉強会・サードオピニオン会のお知らせ オルタナティブ協議会編集 減断薬読本をご希望の方はこちらから オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会の勉強会・サードオピニオン会はどなたでも参加できます。 (各地のサードオピニオン開催をお手伝い頂ける方を募集します。全国オルタナティブ協議会HPからお問い合わせ下さい)~私たちが目指す回復のかたち~ ○サードオピニオン会とは・・ サードオピニオン会の理念と目標 「新たな視点からの選択と対話による回復」 9/21 「精神科医療と向精神薬被害の現状 オルタナティブな支援(江戸川,上田令子事務所)」 9/25 こどもを取り巻く精神医療の功罪を考える講演会 in 和泉市(大阪) New!!! 10/22 薬に頼らないオルタナティブ講座 in 三島 NEW!!! サード・オピニオン会の開催予定 三鷹(東京) 10/1 葛飾(東京) 10/3 館林(群馬) 11/12 二俣川(神奈川) 9/4 10/2 11/3 大阪(本町) 9/23 10/28 10/25 名古屋(愛知) 9/17 10/15 11/20 西宮(兵庫) 9/22 10/27 11/24 福岡  9/26 10/31 三島(静岡) 9/18 10/16 高松 未定 富士見町(長野) 9/10 NEW!!! 中津川(岐阜) 9/11 11/19(予定) 学会・講演会 10/10 世界精神保健デーイベント!! NEW!!! 関西オルタナティブ協議会【オルかん】主催イベント 10/29 オルかんサルサワークショップ(うつ病撲滅) NEW!!! 減断薬の為の基礎知識(お薬を深く学ぶセミナー) クスリに頼らないオルタナティブ講座 10/22  薬に頼らないオルタナティブ講座 in 三島 NEW!!!

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  • 09 Sep
    • 経験不足と精神疾患

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、富士見(長野)new!!! 減断薬読本購入希望の方 若いころは、野心で一杯だった。目立ちたい。女性にモテたい。金持ちになりたい。etc... そもそも、人生は挫折の連続である。思い通りに行くことなどまずない。何度も挫折を味わううちに、思い通りいかないのが人生であると思い知らされる。挫折は苦しい。けれど挫折はなくてはならないものである。いや挫折の経験のない人間は不幸である。挫折の経験の少ない人生とは、他者を支配する抑圧的な人間になるか、他者に抑圧され自由をあきらめた人生となる。挫折が、ただの苦難と違うのは、その前に自己決定による実践があることである。 自由で居たければ、それ相応の経験が必要である。自由は挫折を伴う経験の積み重ねと絶え間ない挑戦の中でしか得ることは出来ない。誰かが与えてくれるものでは全くないのである。挫折したからこそ、今度は上手くやれる。 人は、そうした経験の繰り返しの中でしか成長できない。 斎藤学先生は、人間としての最初の挫折は、乳離れだという。 いつも、飲みたいときに飲めたおっぱいが、飲めない初めての経験をする。 泣いて要求するが、徐々にその要求は満たされなくなる。 思い通りいかないことを始めて学ぶのである。 『若いうちの苦労は買ってでもしろ』とか『可愛い子には旅をさせろ』いう格言があるが、至極名言である。 精神疾患という診断を貰っている人の中には、明らかな経験不足と思われる人がいる。減薬が上手く出来ても、その次の段階で止まってしまうのだ。20代、30代をくすり漬けで過ごした間に成長の機会を奪われているのだから、当たり前である。経験不足ゆえに自力で人生を切り開く術を知らない。さらにこの日本社会は、リターンマッチを許さない社会でもあるから、なおさら困難である。 また、経験不足が、精神症状そのものを引き起こしていると考えられる事例もある。当事者の話を聞くと、うつでも統合失調症でも、発症の引き金となる出来事が大抵存在する。その出来事の多くは、会社や学校のイジメや、就職や受験の失敗、失恋などであるが、その多くは誰にでも起こりうることである。そもそも、挫折に対する適応力が低いのではないのかと思うことがある。 ADHDなどは、明らかに経験不足であることが多い。ADHDの診断を受ける子供がに早生まれの子が多いのはそれを裏付けている。人は経験していないことは出来ないのである。子どもにとって、教室で大人しく座って先生の話を聞くのは、初めての試練である。ただ、経験するのを待ってあげれば済む事例も多いはずだ。 過干渉の親、ヘリコプターペアレンツ(いつまでも子供の頭の上で監視し、子供の先回りをしてなんでもやってしまう親)の下で育てば、どうしても経験不足に陥る。甘やかすだけの親でも同様だ。挫折が足りなくなる。抑圧的な親は論外だが、過干渉、甘やかしも問題である。挫折の経験の少ない子供がそのまま大人になると、将来に待ち受ける新たな挫折に適応できなくなる。大人になってからやり直すのは困難を極める。 有名な教育者パオロ・フレイレ(エンパワメントという言葉の生みの親)は、社会の中で権力を奪われた状態にあると、自由を恐れるようになると述べた。私は、この日本社会全体がそうした状態にあると思う。皆、自由になりたいと口にするけれども、一方で自由になることを恐れていると思う。 フレイレは、「自由は、贈り物のように差し出されるものではなく、勝利によって獲得される。それは、常に、そして敏感に、追求され続けなければならない。それは、人間の外に存在する理想などではなく、神話の世界の観念的なものでもない。自由とは、人間が完成を目指して行う冒険のために欠かすことのできない条件である」と述べている。フレイレによれば、自由は、知識を伴った行動である「実践」(プラクシス=PRAXIS)の所産であり、それを獲得するためには、理論と行動のどちらも欠けてはならないのである。-wikipediaより リカバリーの最終目標は、「自分で決めて、自分で責任を持つ」ということであるが、そのまま、自由を得るための実践と呼んでも良い。自由が得られたならば、患者も被害者も卒業である。だから、リカバリーへの道は、厳しい挫折の道程でもあるということだ。 当事者とサポーター、その関わりは、子育てに似たものだと思う。「~してあげる」では、いつまでたっても先に進まない。「~してあげる」ほど、本人の能力を奪う。「~してあげたい」気持ちは尊いものだが、「何もしない」ことも必要である。現在の精神保健福祉は、「~してあげる」支援ばかりである。我々がやりたいのは、自由を得るための実践である。知識を提供し、自己決定を促すというコーチングである。これは本人(家族)にとっては新たな挫折を伴う経験である。厳しいけれど、リカバリーのためには避けて通れない経験なのである。 「自由の実践としての教育の本質」である「対話」に脚光が当てられる。言葉は省察と行動の徹底的な相互作用を必要とするものであり、真の言葉は変革的なものである、とフレイレは主張している。対話のために、相互的な愛、謙、信頼が必要となってくるが、それは理解を育むためだけではなく、世界を変革するためでもある。フレイレによれば、真の教育とは、教師と生徒の間の対話を必要とし、より大きな世界の状況を通じて行われねばならない。フレイレは、「限界状況」によって、植民地支配者と被支配者の両者が関係するすべての人間を非人間化するようになり、対話の能力を奪ってしまう結果、変革の可能性の芽が摘まれてしまうことを危惧している。 

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  • 07 Sep
    • WRAP(元気回復行動プラン)-サポーターに期待すること

       サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、富士見(長野)new!!! 減断薬読本購入希望の方 WRAP(元気回復行動プラン)Shery Mead, Mary Ellen Copeland, "What Recovery Means to Us", 2000, Plenum Publishers, New York, NY 訳:久野恵理*久野さんお亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈りいたします。 『メアリーエレンさんのエッセー 私たちにとってリカバリーの意味すること』より (誤解の無いようにリンクサイトの全文を参照されたし) 人は誰でも、前向きなリスクを選ぶことを通して成長します。私たちは、次のことをするときにサポートしてくれる人を必要としています。 ・自分の意思で生活や治療の選択をするとき。それが従来の治療とは異なるように思えても ・自分自身のクライシスプランと治療プランを立てるとき ・カルテなど、自分の記録を集めることができるようにするとき ・薬の副作用について情報収集するとき ・治療(特に危害を加えるおそれのあるもの)を拒否するとき ・交際相手を選んだり、精神(信仰)的実践を選択するとき ・尊厳を尊重し、尊敬と深い慈しみの気持ちを持った対応を受けているとき ・自らの選択による人生を築き上げていくとき WRAPプログラムの発案者の当事者メアリーエレンさんのエッセーからの抜粋です。コンボをはじめ、リカバリーの掛け声のもとにそこそこ広まっているらしいWRAP。 この当事者(メアリーエレンさん)の記述を読んで大いに勇気づけられた。初めてこれを知った時、こんな世界を全く知らなかった私から見ると宝の山に思えた。特に、このサポートしてくれる人を必要とする時の記述は、我々の方向性を決めるに当たって大いに役に立った。特に上から5項目までは、もともと我々が目指していたものでもある。 これは、IPSやナラティブ、オープンダイアローグなどにも通じるサポーターの基本原則である。これだけたくさんの人が、リカバリーを掲げながら、この基本原則を理解している人はどれほどいるのだろう?これらは、医学モデルに対するオルタナティブである。 医学モデル(医師を頂点とするヒエラルキー構造)のもとでこれが出来るか?答えは否である。この基本原則は、薬物治療一辺倒のあり方を批判しているではないですか?そうは読めない?ならば、その目はただの節穴だろう。害を与えているのが、デタラメ薬物治療であることに気が付かない?最終目標が障害者としてのリカバリーになっていないか?もちろん、薬や治療の必要な人もいるだろう。しかし、服薬や治療法は当人が決めるものだ。決めるのは医師でもあなた達でもない。 今流行のオープンダイアローグを医学モデルを温存したまま推進するという試みがあるが、推進する代表格の医師は、エビデンスを作り、最終的に医療報酬制度に組み込むことを目標にしていると述べている。診療報酬に組み込む?そうなれば、心理士の国家資格化が、魂を売って進められたように、オープンダイアローグも技術ばかりで魂の抜けたものになる。WRAPやIPSも同様なことに陥ってはいないのか?このサポーターの基本原則を実践している事例はこの国にあるのだろうか?あれば教えて頂きたい。 リカバリーは薬物治療の補完では決してない。それ自体が薬物治療のオルタナティブである。 メンタルヘルス予算の9割5分は、医療に配分されているのである。PSWや心理士が問うべきなのはここである。リカバリーを実践するには、医学モデルから社会モデルへの変革が必須なのだ。社会モデルでは、PSWや心理士は今よりもっと重要な役割がある。 久野さんのことは間接的にしか存じ上げないが、訃報を聞いて改めて感じたことを書かせていただいた。

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  • 04 Sep
    • 正しい診断もなければ、正しい投薬もない

       サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、富士見(長野)new!!! 減断薬読本購入希望の方 立川の精神科クリニックに、カルテ開示の申し込みの付き添いで行った際、そこの医師は、「うつ病の治療で抗うつ剤使わないでどうやってやるの?」と言った。そもそものうつ病の診断そのものがいい加減だが、この医師の頭の中では、’うつ病の治療≒抗うつ剤の投薬’というのは明確であるらしい。 また、ある医師は、リーマスを自死予防の薬と呼んでいた。自死予防≒リーマス投薬ということらしい。統合失調症と診断されていたが、すっかり落ちついた当事者が、過去をどう受け止めればよいのか悩んでいると、こだわりが強いとして、広汎性発達障害の疑いがあるとして、エビリファイを投薬。広汎性発達障害≒エビリファイ投薬。 単純すぎる。あまりにも杓子定規。 リカバリーの基本に、個別化の原則というものがある。それぞれの問題は、その人それぞれの問題であり、同じものは無いし、その人ごとの解決策を探るべきという態度だ。もっともそこから遠いのが、こうした治療態度である。問題は様々であるはずだが、治療法は一つ(うつなら抗うつ剤)ということである。リカバリーを掲げる人たちも、そこ(あまりにも画一的かつ単純な薬物療法)に疑問を感じていないのだから、噴飯ものである。 さらには、精神科医の中には、薬を投与してみて、効果があったらその薬の適応症名が病名だというものまで居る。薬信仰もここまで来ると凄い。まるで薬が診断してくれると言っているに等しい。 デビット・ヒーリーが面白いことを言っている。例えば、診療の場面でよく聞かれる「落ち着く」いう当人の訴えについてである。 落ち着くというと、普通、抗不安薬とか気分安定剤とか鎮静剤などのダウン系の薬の効果だと思ってしまう。ところが、人によって、アップ系の抗うつ剤を飲んで落ち着くという人がいるという。衝動をどうでも良くする作用(頭をボーっとさせる鎮静系)と気を大きくして不安を減じる作用(賦活系)のどちらでも「落ち着く」と表現されうると言って居るわけだ。 言われてみればなるほどと思う。 デビット・ヒーリーは、この「落ち着く」という言葉の2面性が引き起こす診察における誤謬性を指摘し、抗うつ剤にしても抗精神病薬にしても、その適応病名はそれほど重要でないとし、一番重要なことは「本人にとって役に立っているかどうか」だと述べている。この理屈で言えば、「抗うつ剤」を飲んで効果があったら「うつ病」という逆説的な診断も一面わからなくもないということになるが、もちろん意味合いは全く違う。デビット・ヒーリーのいう薬物療法は、この国のそれと比べれば、遥かに限定的な役割に過ぎない。 確かに、我が国の国民皆保険での診療報酬制度の元では、保険症名が重要である。医薬品添付文書も、保険症名を前提に書かれている。ルール上、医師が、保険症名を正しく診断し、投薬を行うということが正しいやり方とされてる。多くの医師が、それに従って診断・処方し、我々市民もそのやり方を信じ、その病名に一喜一憂している。添付文書には、統合失調症治療薬、不眠症の薬などと書いてあるが、それらが病気を治す訳ではないのである。 (社会精神医学で言う)精神症状をその人の人生の危機と捉えるならば、確かに診断名はそれほど重要ではない。何故なら、危機に陥った時、人はうつ症状を呈する場合もあれば、統合失調症の症状を呈する場合もあるからだ。精神科薬物治療が、ただの対症療法であるのならば、やはり診断名はそれほど重要ではない。ましてや、伝統的な精神病理学を捨てたDSMではなおさらだ。現在のうつ病も統合失調症も、かつてのそれとは全く別物なのである。 こうした矛盾に目をつぶりながら、精神医学は、他の医学の領域に早く追い付きたかったのだろう。無理やり、他科のような体裁を整えたかったのだろう。糖尿病≒糖尿病の薬を投薬といった定番な標準治療を欲したのだろう。 夢は叶ったように思われた。だが、しょせん無理というものだ。結局、どこをとっても矛盾だらけである。仮説の上に仮説を重ねたところで、標準的な治療法など確立できるはずもない。心の病を身体疾患のように扱うことがそもそもの誤りではないか。精神医学が無理やり作り上げたのは、やはり砂上の楼閣に過ぎないのだろう。遅かれ早かれ、崩壊する運命である。その矛盾を覆い隠すのは、科学でも医学でもない、医者としての専門家としての権威だけである。 しかし、医学モデルから社会モデルへの移行はもはや既定路線である。目ざとい医者は、さっさと鞍替えの準備に入っている(そう簡単に出来やしないが)。 正しい診断もなければ、正しい投薬もない。かつての精神医学では、患者を水攻めにしたり、多量のインスリン注射など、今では野蛮と思われている治療法が標準であった。一見、人道的に見える薬物療法にとって代わっても、実はあまり変わってはいない。我々に出来ることは、イタリアのバザーリア達のように、自分たちは無力であることを認め、やむなく、薬を使う場合でも、薬を過信せず、本人の声に耳を傾け、一から出直す以外にない。そこが社会モデルへの第一歩である。

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  • 26 Aug
    • 悲しみを病気にしたい人たちー複雑性悲嘆回復プログラム

      全国自死遺族連絡会の田中幸子さんのFBより これが行政の悲しみの考え方です 長い時間悲しみが続くと「複雑性悲嘆」精神疾患です 悲しみの病理化~ (保健師さんたちもご家族を亡くされてみたらわかります) 大切な方をなくされた後に、つらく悲しい気持がしばらく続くことは一般的な反応ですが、時には嘆き悲しむ気持が長い時間激しく続くことがあります。落ち込んだ気分が続き、亡くなった事実を受け入れることができない等の状態が続くと、心身に大きな影響が生じ、専門的なサポートが必要になることがあり、その状態を「複雑性悲嘆」といいます。 複雑性悲嘆に関連した精神的問題を抱える方の回復を支援するため、集団認知行動療法プログラム「こころサロンENERGY」を実施することといたしました。 実施にあたっては、精神科医師、臨床心理士など、専門のスタッフが対応しますので、安心してご参加ください。プログラム複雑性悲嘆の回復をサポートするために開発された認知行動療法プログラム「ENERGY」を実施します。 全6回のセッションです。プログラム及び個別面接でお伺いした内容については秘密を厳守しますので、ご安心ください。開催日時:隔週土曜日 全6回プログラム 午前10時30分から12時30分まで 第2期…8月6日、8月20日、9月3日、9月24日、10月8日、10月22日 (注)8月6日は午後2時45分から4時30分まで 10月22日は午前10時から12時まで と時間を変更します。対象:自然災害被災、自死、事故、犯罪被害、疾患等により家族等大切な人を亡くし、強い悲しみを常に感じる、失った家族のことが頭から離れないなどの状況が続いている方で、以下の内容に当てはまる方 ・死別後1年以上経過している方 ・身体疾患あるいは精神的問題で通院している場合には、主治医から参加の承認が得られている方 ・基本的に全てのプログラムに参加が可能な方 言葉が悪くて申し訳ないが、胸糞悪くて反吐がでる。人の悲しみを~プログラムでなんとかしようとする人たち。その1年以上悲しみが続いたら病気というその1年はいったい誰がどのように決めたのだ。 12年近く経った今でも、亡き家族の誕生日が来るたび、共に訪れた記憶のある場所に近づくたび、共に聞いた曲が聞こえて来る度、共に暮らした年号の数字をみるたび、こうして、文章を書いていても、胸は張り裂けそうになる。 頼むから、放っておいてくれ。悲しみは他人がどうにか出来るものではない。 悲しみが消えて無くなることも苦しいのだ。苦しいが、苦しいから救われる一面もある。いや、悲しみが消えてはこまるのだ。悲しみだけではない、怒りや自己嫌悪も消えることなど無い。傷は消えて無くなることなど一生無い。深く刻まれて自分の一部となる。悲しみはすでに私の人生の一部だ。 10年以上経過して、直後の血の吹き出るような悲しみは今は無い。時間薬と、新しい生活の中で、少しずつ未来を足していく。それぞれやり方、歩みの中でしか、その直後の強烈な痛みは消えない。 怒りや悲しみを綴ることによって折り合いをつける人も居る。懺悔のような暮らしで、罪を償おうとする人も居る。子どもの日記を本にして、なんとか生きた証を残そうとする人も居る。私の活動に参加して、同じ過ちを犯さないように他人をお世話することで心を落ち着けようとする人も居る。 しかし、何をやっても無駄なのだ。悲しみは消えないことは皆わかっている。それでも、何かしないと生きていけない。どこをどうしても割り切れない理不尽な現実の中で生きていくのだ。 面白おかしい人生があるのか知らないが、悲しみに満ちた人生も大切な人生である。それより、人としての一番の不幸は、悲しみも怒りも失うことだと私は思う。 こころの専門家なんて輩に出来ることなどなにも無い。 こんなところまで、医学モデルが出しゃばってくる異常。悲しみを癒すプログラムなどあってたまるか。人は、人生はそんな薄っぺらな単純なものでは決してない。

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  • 19 Aug
    • 始まりはデパス(ついに向精神薬指定)

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡(三島)、愛知、中津川(岐阜)、富士見(長野) 減断薬読本購入希望の方  当たり前のことが当たり前になっただけ。こんな当たり前なことに、こんなに時間が掛かってしまうことが問題である。改善は喜ばしいことだが、あまりにも遅すぎる。デパスもベゲタミンと同様、2011年の日本精神神経学会雑誌(巻頭号の冒頭)で既に注意喚起され、精神医療被害連絡会の要望書でも再三指摘している。デパス・アモバンの向精神薬指定など生ぬるい。処方期間の制限など、より厳しい規制が必要である。 私の家族の場合も始まりはデパスだった。デパスが厄介なのは、抗不安作用に加えて、多幸感を感じさせる作用があることだ。より依存しやすく、離脱症状も深刻なのだ。にもかかわらず安易に処方される悪魔のような薬、その後の多剤処方薬中毒の入り口だ。 デパスやソラナックスといった短時間作用型の抗不安薬の場合、 中毒になっているかどうかは、服用の様子を聞けば簡単にわかる。 やむにやまれず、一日、3回服用するようになるようになるからである。 そうなら、既に立派な中毒患者である。ベンゾジアゼピン系(類似デパスを含む)の性質が悪いのは、耐性もすぐに出来る(効果が無くなる)くせに、やめられなくなることである。 使うなら耐性が出来ないように頓服にとどめるべきだが、 医者からは、毎日飲むように処方(強要)されるのだから、 これは間違いなく医原病である。 デパスはファン(中毒者)も多いから、また反発を食らうだろうが、 ベゲタミン同様、この規制の方向性はもはや国も学会も認めた既定路線である。 厚労省の医薬品規制の姿勢は、基本、医師の裁量(自律)に任せるというものだが、 一向に改善されず、目に余る場合に規制されるのだ。 多剤大量処方の規制も、ベゲタミンの販売停止も、今回のデパスの向精神薬指定も同様である。恥を知れと言いたい。  デパスで思い出すのは、国立市のあるクリニック。そこの医師は、自身がうつの経験があるということで、精神科医になったという経歴だった。自身が、おかしのラムネのようにデパスをかじりながら診察をしていたという。カルテ開示に同行すると、その医師は既に他界(死因は不明)。雇われの医師が居たが、待合室に座って待っていると、多くの患者に対して無診察処方が行われているのが分かった。経営はその医師の妻。夫の死後も薬漬けビジネスに躍起になっている様子。結局、誰も幸せになどなっていやしない。

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  • 06 Aug
    • こどもを取り巻く精神医療の功罪を考える-こどもの被害チャート

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 うつ病で起きたことを知っている我々は、発達障害という疾病概念が受け入れられない。 そのキャンペーンが製薬企業主導で進められていること。 家族会への寄付とそのロビー活動。 6.5%が問題があるとする文科省の通達のデタラメ。 →全国の教師に対するアンケート(医師がみたわけでもない)で、県ごとに3-10%のバラつきのある結果を平均した数字である。そもそも客観的でも医学的でもない数字が独り歩きをしている。 学会医師と製薬企業の利益相反。 医学モデルに毒されたスクールカウンセラーや福祉。 前記事で指摘したうつ病ビジネスと同じ構造がある。 精神科 街角牧畜ビジネスの利権構造-ほんとうにこれで良いのか 精神医療薬害被害者は驚くほど同じような経緯を辿る 国連もWHOも医学モデルではなく社会モデルでやれと言っている。 国連からは、製薬企業と関連した研究への懸念も出されている。 そもそも障害なのか疾病なのか・・・ 障害ならば、医学モデルの出る幕などない。 障害に薬を使うとはどういうことなのか? 治療なのか管理なのか? この概念はうつ病概念以上にいい加減である。 しかも、薬物治療の影響は大人のそれとは比較しようもない程大きい。 先行する米国では、ADHD→双極性障害の流れだったが、 この国ではADHD→統合失調症の流れである。 9月25日に大阪和泉市でこの件のセミナーやります。お近くの方是非参加ください。 こどもを取り巻く精神医療の功罪を考える

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  • 05 Aug
    • 精神科 街角牧畜ビジネスの利権構造-ほんとうにこれで良いのか

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 かつて医師会武見太郎氏は、精神医療を牧畜業と称した。 現在の精神医療もあまり変わっていない。いやむしろ悪化している。 32万床のベッド数は、漸減しているように見えるが、実は回転数を上げて総入院者数はむしろ増加している。 長期入院から、短期入院の回転数を上げているのだ。 社会的入院から、実際に状態の悪化による短期入院となっている。 隔離拘束も、電気ショックも増加しているのは、それだけ状態が悪くなっているのだろう。 長期入院者に対する世界的な批判に対応するために、統合失調症患者を外に出すかわりに認知症患者を入院させている。 (認知症患者を精神科が診ているのはこの国だけである) それどころか、今では、患者を治さず、地域のデイや就労支援事業所に通わせ、再入院を繰り返すという形でその規模を拡大しているのだ。 薬物治療は、患者を治さず、再入院を繰り返すようにするための道具である。 統合失調症であれ、うつ病であれ、薬物治療が始まる前の時代では、ほとんどの患者は入院は一度であった。 図は、この街角牧畜ビジネスの利権構造を図式化したものである。 この凄まじい利権の金の出処は、大部分が税金であることに留意頂きたい。

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  • 04 Aug
    • 精神医療薬害被害者は驚くほど同じような経緯を辿る

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 精神医療の薬害被害者は驚くほど似たような経緯を辿る。 このチャートは、21世紀に入って、製薬会社の薬販売キャンペーンにより激増した気分障害系の被害チャートである。 (子供や統合失調症系の被害は若干違う。) サードオピニオン会には、様々なケースの当事者、家族が参加されるが、 最も、回復効果が出るのはこのチャートに該当する人達である。 一部の統合失調症患者に対しては、その内容は別にして精神医療の明確な役割はあるが、この人たちはそもそも、明確に精神医療に関わるべきではなかった人たちである。 ちょっとした不安や不眠、不調で受診して、最終的には障害者福祉手帳を持つ精神障害者となる流れである。 診断名は、①不安・不眠→②うつ→③双極性障害→④統合失調症と変化してい行く。 本当は、ただの薬物中毒の悪化であるが、追い込まれた末の様々な失敗が問題をさらに複雑化し、抜け出せなくなっているのである。 会に参加される人はこのチャートの何処かに居る。④から①の順に被害は比較的軽い。 向精神薬の副作用症状の多くは、精神症状であるが、 精神医学は、こうした副作用症状をそもそもの病気の症状に取り込むことにより、薬物治療を正当化している。 被害の正当化だけでなく、さらなる薬漬けの理由に利用するのだから恐れ入る。 この被害から脱するためには、まず、自身に起きた被害を知ることである。 薬害被害を前提として語るストーリーは、病気の悪化のストーリーよりも合点がいく。 その間に起きた様々な問題も、了承可能になるのである。 このストーリーを当人と周りの人間が共有すれば、多くの問題は了承可能な出来事に変化するのである。 サードオピニオン会での対話の効能はここにある。問題を外在化させ、家族ごと問題を解きほぐしていく。 もちろん、それが出来たとしてもそれはスタート地点にたったに過ぎない。 薬が減るごとに、現実が襲い掛かってくる。まず襲ってくるのは怒りと悲しみ。 私も経験した。回復の為にはこれは避けて通れない。 けれども、なにより回復の喜びが、克服の後押しをしてくれるのである。

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  • 03 Aug
    • 善意のいう名の人権侵害(次々と再生産される言い訳)

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 「患者さんの為に」という言葉は、ベッドが空くという経営上の理由の前には意味をなさない。 「利用者さんの為に」という言葉も、自分たちの給料が減るのなら意味をなさない。 大抵のことは、利益優先でも許されるが、これは人命と尊厳に関わることであって、本来いかなる理由があろうとも正当化できない。 このジレンマを覆い隠すために、精神医学やその周りの福祉では、様々な言い訳する。 その言い訳は、都合よく正当化され、次々と再生産される。 長い間、何故こんなことが正当化されるのか理解できずにいたが、精神医学の歴史を知ればその極一部なら説明可能である。 精神医学の歴史は、そのまま自己正当化とその再生産の歴史である。 薬物療法至上主義の生物学的精神科医は、自分たちの失敗を覆い隠すために実に多くの嘘を付いてきた。 処方薬による薬物中毒症状を病気の悪化と言い換えたり、 離脱症状を退薬症状と言い換えたり、 抗うつ剤による躁転を双極性障害(本人の元からある症状)としたり、 抗精神病薬のジストニアやアカシジアといった症状を統合失調症の症状としたりといった都合の良い解釈である。 最大の嘘は、ただの鎮静を治療と呼び、精神疾患は治らない病気としたことである。 そうすれば、どんなに悪化しようが、死のうが、そんな病気なんだと納得することが出来るのである。 20世紀には、うつ病は比較的転帰の良好な治る病気だった。 患者の多くは3か月から6か月位で回復していった。 薬物治療のメリットは、その回復を早めること位しかないのだが、薬物治療ではうつ病は治らない。 治らないとなると今度は難治性うつなんて診断が濫用される。 そこで、今度は難治性うつに効果があるとして、抗うつ剤と統合失調薬(ジプレキサ、エビリファイ)との併用が一般化された。 うつ病治療にとって、統合失調症薬の併用の解禁は、パンドラの箱をあけることになる。 何故なら、そもそも難治性うつの患者など、めったに居ないし、統合失調症薬の安易な使用は、あらたな精神病の重大な発症要因である。 うつ病が治らないという研究など何処にもないが、実際には誰も治らないというおかしな状況はさらに強化される。 この事実を正当化出来るのは、うつ病は治らない病気と再定義することだけである。 ここ20年で、うつ病を理由とした精神障害者が激増した。精神障害者のための就労支援の現場には、うつ病を理由とした利用者が溢れている。 誰も回復などしてしないのだ。 精神科病院の若い医者やスタッフは、うつ病が治らないことに何の疑問も抱いていない。 専門家の言葉を盲信する患者や家族も、それに疑念を呈さない。 こんな恐ろしいことはあるだろうか? 誰も悪意がある訳ではなく、いやむしろ自分たちは最善を尽くしていると思っているのだ。 実際に、そこに居る医師やスタッフの顔をみればわかる。 その正義面が、被害を再生産していることに気が付いて居ないのだ。反吐がでる。 この10年で、色々な角度から精神医療被害を見てきた。 最初から、薬の件は問題視してきたが、一週回ってまた元に戻ってきたのだ。 激増した精神疾患患者の問題は、その主たる原因はやはり薬にある。 どんなにリカバリーを語ろうが、薬の問題をどうにかせねば、その努力は無駄である。 デタラメ薬物治療の上に実践される薬以外の治療法は、薬によって全て無効化されるのだ。 医療は基本傷害行為である。脳に作用する薬の投薬は外科で患者の身体にメスを入れることと何も変わらない。 この概念に疑念をはさむ人は居ないだろう。 きちんと薬を飲むことが重要と言うのは、 一部の重症の統合失調症患者に向けての言葉であったが、 いつの間にか、全ての患者に向けた言葉に再生産されたものに過ぎない。 善意の陰謀(メダワー)とは良く言ったものだ。

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  • 20 Jul
    • 医療の外で出来ること-社会モデルでのメンタルヘルス

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 オルかん サルサワークショップ(うつ病撲滅)今週の土曜日です!(於、大阪) 医者の世界は狭い。タコ壺と表現する人も居る。 医者の常識は、医者の常識であって社会の常識には成り得ない。 こころの問題は、人類が誕生して以来のテーマだが、 こころの問題がこれほど医学の問題として扱われた時代はかつてない。 精神医療の被害は、過剰診断、過剰投薬、過剰拘束という形であらわれるが、 それを引き起こしているのは医療化である。 福祉や教育というのは、医療より広く、別に扱われるべきものだが、それが医療に浸食されている。 最近、良識派と思われている医師たちから、精神医療に対する批判が聞かれるようになった。 これは一見良いことのように思えるが、良いことばかりではない。 こころの問題がこれほど医学の問題として扱われたことに対する反省が伴わなければ、大勢に変化なしである。 精神保健改革を成し遂げたイタリアの医師達は、「自分たちは無力だ」と言った。 言い換えれば、自分たちの常識が間違っていたとの自覚を得たということだ。 良き薬物治療がある訳ではない。 誤診でも、誤処方でもない。 自分たちのやってきたやり方が、根本的に誤っていることに気が付いた時、初めてスタート地点に立てるのである。 医療過誤裁判も、医学の常識で争われる。 これが、精神医療で、原告が勝てない最大の理由だ。 過剰診断、過剰投薬、過剰拘束を医療過誤として扱うということは、医学の土俵で戦っているということ。 これでは勝てやしない。 精神医療の行ってきた凄まじい過剰診断、過剰投薬、過剰拘束は、重大な人権侵害である。 人権問題として闘うべきものだ。 世界は、この医療化の問題に気が付いている。 WHOや国連が、精神保健を医学モデルから社会モデルにしようとしているのは明らかだ。 こころの問題を、医学ではなく、もっと大きな視点でとらえろということでもある。 イタリアの精神保健改革 当事者から生まれたリカバリーモデル 今流行(?)のオープンダイアローグ これらには、驚くほど共通点がある。というか殆ど同じである。 枝葉の理論の違いはあるが、そこに流れる哲学は共通している。 ナラティブアプローチやIPS、ACTなどにも、共通した哲学がある。 その根幹はどう考えても脱医学モデルである。医者の狭い常識の範囲では、これらは活用できない。 ・施設ではなく地域 ・診断にこだわらない ・薬物治療に対してはネガティブ ・権威・専門性への異議 ・当事者中心 ・自己決定と自己責任 ・個別化の原則 ・リスクをとる ・役割を得る ・治療ではなく回復 捨てなければならないものだらけである。 精神科病院という狭い世界で、神のように振舞っている医者にそれができるだろうか? 出来るわけはない。人間はそれほど器用ではない。 彼らが変わる前に、社会が変わるのだ。 精神科医の選択は大きく分けて2つになるだろう。 一つは、現在の立場ややり方(医学モデル)に固執し、社会に煙たがられながら生きていくか、 社会に出て、一人の対等な市民として、その役割を果たすか。 そうなるまで、どれくらいの時間が必要なのかはわからない。 しかし、ここのところ急激に社会が変わりつつあることを私は実感している。 これまで、タブーとされていた(思いこまされてきた) ・医学に物申すこと ・診断に口を出すこと ・処方に口を出すこと に、以前ほどの大きな非難の声が聞こえなくなってきたのだ。 国民が自ら学ばねばならない理由 薬物治療以外の解決策を探す人々にまずお伝えせねばならないのは、こうした変化である。 皆さんが直面しているジレンマは、そのまま医者たちのジレンマでもある。 自己決定は、リカバリーの最重要事項であるが、医学モデルで、決定権を握っているのは、医者である。 服薬を半強制しながら、リカバリーを語るなかれである。 そもそも、他人の頭の中のことなど、誰もわかるはずはないのである。 わかるいうならば、それは神か詐欺師である。 リカバリーにおける個別化の原則は、その人の問題は、その人独自のものとして扱い、定型な対処はしないことだが、 うつには抗うつ剤、統合失調症には抗精神病薬という薬物療法は、そもそも、個別化の原則を守っていない。 医療で、リカバリーに取り組もうと思えば、まず医学モデルを捨てなくてはならないのだ。 それが出来ない人々にこれらが出来るわけはないのである。 リカバリーモデル(社会モデル)は、市民主導でなければならない。 我々が主催するサードオピニオン会は、 他の医者に意見を聞くセカンドオピニオン(医学モデル)とは違って、医療の外(社会モデル)からの意見である。 社会モデルであるということは、これら社会モデルでのリカバリーのやり方は、精神疾患を超えて、様々な問題に応用できるということでもある。 先日の愛知のサードオピニオン会では、介護と母娘との関係性の話が出た。 そのケースでは、誰も精神疾患にはなっていないが、このケースでもリカバリーの概念は有効である。 メンバーが、「オープンダイアローグ」は何にでも使えるねと感想を述べたが、 まったくもって、その通りなのだ。 母と娘の間で硬直化した関係性に、他者が関わることにより、変化が生じるのだ。 残念ながら、現代日本の分断されたコミュニティでは、他者が関わることがなかなか難しい。 フィンランド、ラップ地方でのオープンダイアローグが成立するのは、その基盤として信頼できるコミュニティが存在しているからだろう。 そこでは、専門家は、専門家である前に、良き友人で無ければならない。 良き友人に出来ることは沢山あり、それが専門家であればさらに良い。 だが、友人でない専門家に出来ることは何もないのである。 自身の悩みを沢山の人に聞いてもらえる人は幸せだ。 どんな苦難に陥っていても、皆でワイワイやっているうちに痛みは軽くなり、立ち向かう気力が生まれる。 専門家に相談するよりも、ずっと効果がある。 医学モデルを捨て、決定権を医師から自分取り戻すことは、実は大変な選択である。 知識を得なければならないし、なにより自分に向き合わないといけない。 子供の頃から、従順であることを強いられてきた日本人には、なかなか出来るものではない。 けれども、傍に、ともに向き合ってくれる人々が居てくれるのならどうだろう。 人の人生には口を出すなと我々は教わってきた。 だが、いざ問題が起きた時、狭い人間関係の中でそれを解決するのは不可能である。 社会で引き起こされた問題の解決策は、やはり社会の中にあるのである。 狭い医学の世界にそれを任せるなどあり得ない。 サードオピニオン会は、そうしたともに向き合ってくれる人々のコミュニティ作りも目的としている。 困難(処方薬中毒)に陥っていた人が回復し、今度は話を聞く側に回る。役割を得ることにより、その人の回復はさらに進む。 回復が回復を再生産するのだ。 本来は、普段の生活とともにあるべきだが、現代日本ではなかなか難しい。 せめて月に一度でも、そうした場を提供したい。 月に一度だけでも、驚くほどの回復を見せる人は大勢いる。 これが週に一度になり、いつか日常になれば、毎日がオープンダイアローグである。 本家のオープンダイアローグが、回復まで関わり続けるというのはそういうことだ。 かくいう私もこれに気が付いたのは最近のことだ。 過去の自分が恥ずかしい。 だが、いくつになっても、人に関われるのは至上の喜びである。 沢山の人の人生に関われることは、喜び以外の何物でもないのである。 社会モデルとは、誰もが当事者であり、かつ支援者である状態をさす。 あえて、言い直すならば、誰もが患者で誰もが医者なのである。 難しく考える必要はない。ただ困難を皆で分かち合える共生の社会をつくるという単純明快なことに過ぎない。 わざわざ、リカバリーとかオープンダイアローグと呼ばなければならないのもおかしい。

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  • 13 Jul
    • 化けの皮が剥がれ始めた新薬(エビリファイ、ジプレキサ、リスパダール)

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、愛知、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 会に来た母娘。 娘さんが、ジプレキサをはじめとする薬を複数服用している。 話している間も落ち着かない。手も震えている。 どうみてもアカシジアである。 様子を尋ねると、開口一番「病気であることを認識して・・・」などどという。 わざわざ、そんなことを言うのは、日常的に病識を問われているということだろう。 処方は、多剤、量も多い。 「あなたは病気だとは感じられない。その震えや不安はアカシジアだと思う。」 その場では、「ありがとう」と答えたが、後日、主治医の言ってることと真逆であることに混乱しているという。 薬も減らないという。 ある地方の男性。 病院の牧畜ビジネスに気が付きようやく脱出。 ACTの訪問支援を受けている。 数か月、薬ゼロで過ごしていたが、 ACTの医師から、「過去へのこだわり」が強いという理由でエビリファイ3mgが処方される。 12mgまで増量したいと言っている。 エビリファイを3mgから6mgにしたところで、そわそわが悪化。 ACTの医師も所詮、こんなものかと心底がっかりである。 「過去へのこだわり」が強くて何が悪い。それで何故エビリファイ。 患者中心とかあなたの為に力になりたいとか言うまえに、根本的に間違っている。 こんなのが地域リカバリーとは情けない。 ジプレキサやエビリファイが錐体外路症状を引き起こしにくいというのは悪質な嘘である。 健康なボランティアに4mgのセレネースを処方すると約半数にアカシジアは発症する。 セレネース4mgとはCP換算で、エビリファイ8mg、ジプレキサ5mgである。 リスパダールなら2mgである。 アカシジアの発症を疑うのは当たり前ではないか。 その、そわそわの正体は、おそらくアカシジアである。 お薬信仰をまず捨てなければならないのは医師の方だ。 アカシジアによる自死 どんな新薬も、発売後10年ほど経つと本当のことが分かってくる。 発売時には、夢の新薬として宣伝され、次の薬が出始めると副作用が明らかになる。 その繰り返し。そんなことを何十年も繰り返している。 その間、犠牲になるのは、常に患者である。 リスパダールが登場した時、医療関係者は、本当に夢の薬が現れたと思ったそうだ。 これまで、寝たきりで、EPSやパーキンソン症状に苦しむ患者が、セレネースからリスパダールに変えた途端、急に元気になったのだ。 この時の経験が、今でも関係者に強く根付いて居る。 薬理プロフィールをみると、それは当然であることがわかる。 セレネースがドーパミン受容体の7割を占有する量(*パーキンソン症状がでるのも70%から)が用量として設定されているのに対し、リスパダールは4割程度を占有する量が設定されている。患者が動けるようになったのは、ドーパミン阻害作用が変薬により低下したからである。 それまでの薬(セレネース)があまりにも酷かったので、リスパダールが夢の薬に思えただけある。 この変化は、精神科病院での死亡退院の死亡要因も変えた。 (悪性症候群→誤嚥性肺炎) 同じように、高齢者施設でのリスパダールの濫用により、誤嚥性肺炎は増加しているはずである。 また、リスパダールは、抗プロラクチン症やEPSが少ないと宣伝されたが、結局そうでないことが判明した。 リスパダールは、抗プロラクチン血症やアカシジアをもっとも惹起する薬である。 リスパダールの安全神話はとうに崩れている。 このように、それまでの薬があまりにも酷かったので、新薬が良い薬のように扱われることはいくらでもある。 バルビツレート酸系の睡眠薬のあまりに酷い致死性と比べて、ベンゾジアゼピンの安全性は語られるが、 それは比較して安全なのであって、ベンゾジアゼピンが安全なわけではない。 SSRIが発売された時には、3環形抗うつ剤の致死性や抗コリン作用が問題視されたが、最近の抗精神病薬とのカクテル処方により、それらの副作用はかえって増強されている。 その他、エビリファイがパーキンソンを起こしにくい。 ジプレキサがうつにも効果がある。 なども、誇張であったことが判明している。 新薬が、旧薬(定型抗精神病薬)より優れているという根拠は崩れている。 むしろ、薬力価が高い分だけ、副作用の発現率は悪化しているはずだ。 それとともに、治癒率も寛解率も下がっているはずだ。 CP換算300~600は適正だなんてのもおかしい。エビリファイcp換算値300は12mgである。 そもそも、ジプレキサやリスパダールなどは、そのや薬物プロフィールから言ってcp換算では比較できない。 (CP換算値は、主にドーパミン遮断力だけの比較である。) また薬の悪口を書いたが、精神医療被害は単なる薬害ではない。 薬害とは、薬の欠陥や知られざる副作用により引き起こされるものだが、精神医療被害は薬だけでは説明できない。 製薬会社の販売戦略による薬の効果を最大限に誇張し、副作用を最大限に矮小すること。 それに乗っかった御用医師。 宣伝をそのまま信じて患者に処方する思考停止の医師達。 だが、この説明だけでは、こんな被害は起きやしない。 もし医師が、本当に患者をみているならば、こうした間違いにはすぐに気が付くはずだからである。 投薬に口を出すと途端に機嫌が悪くなる医師。 副作用を病状の悪化としか捉えない医師。 患者の健康や生命より、利益を優先する人々。 薬害だけならば、まだマシである。

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  • 08 Jul
    • 改善したものと悪化したもの-一番手強いのは市民の医者信仰と思考停止

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 これまで、精神医療被害連絡会として3度、要望書を提出した。 直近の要望書がこれである。精神医療改善の為の要望書目次だけでも眺めて頂きたい。要望書の内容が実現したものが幾つかあることを確認いただきたい。 ここ数年で改善したものと悪化したものを整理したい。 改善しつつあるものは、 ・うつ病患者増加の頭打ち(微減)・それに伴う自死者の微減・多剤大量処方の規制(同種薬3剤(2015年)まで、2剤(2016年)まで)・睡眠薬の依存性が認められた(日本睡眠学会、半年毎に休薬を推奨) ・製薬企業からの医師への金銭供与の一部公開 ・ベゲタミンの販売停止 ・統合失調症の減薬ガイドライン研究 などである。 逆に悪化したのは、・うつ病治療に対するカクテル処方の流行(うつ病治療に統合失調症薬を使用)・発達障害概念の広がりと子供や知的障害者への薬漬け治療・精神医療による認知症患者の囲い込みと薬漬け治療・統合失調薬の適応外処方の蔓延(子供、高齢者、うつ病患者への使用)・職場へのメンタルヘルスチェック制度の導入 ・電気ショックの増加 ・隔離/拘束の増加 である。 こうして、具体的に指摘することが重要である。 議題に上らなくては、改善圧力はかからない。 こうしてみると、改善したものも結構あるがけっして喜べない。まるでモグラたたきである。 うつ病薬物治療の惨劇を知っている我々は、発達障害概念の広がりや職場のメンタルヘルスチェック制度が如何に危険かを知っているが、いまだ社会はその危険を知らない。 もはや、犠牲者は大勢出ているが、犠牲者は自分が犠牲者であることも知らず、加害者は加害者であることも知らない。 統合失調症薬の適応拡大や乱処方が引き起こしている被害はさらに悪化している。 この活動を始めた10年前には、薬の危険性を指摘すると、随分と攻撃を受けたが、最近は少なくなってきた。 そして、実際、精神医学界は、あまりにも遅く、不十分ではあるが、明らかに方向転換しつつある。 精神医学界内部からも、我々の意見に賛同するような発言が増えた。 多剤大量処方への批判―どう落とし前つけてくれるのか? 重要:日本精神医学会最高権威、樋口輝彦氏の発言―突っ込みどころ満載だが言質を取っておこう― しかし、多剤大量処方のデタラメを自ら認めた内容であるが、2015年の規制に対して日本精神神経学会は反対声明を出した。 地に落ちた日本精神神経学会-もはや学会とは名ばかりの利益団体 これは学会員の総意ではなく、一部の幹部が出したものだ。この抗議を打ち消す形で、2016年には更なる多剤の規制が行われたのだ。 何かしらの変化は起きているのは間違いない。 我々の意見に賛同しながらも、(我々の活動を指して)まるで破れ傘で台風に立ち向かうようなものだと言い放った皆さまには、それは明らかな間違いであったと申し上げたい。 これらのわずかながらの成功は、何をどう言われようが我々は圧倒的に正しいことの証明である。 しかしながら、腹立たしいのは、この甚大な被害の責任を取ることも無く、まるで自分たちで気が付いたように上手に方向転換しようとしていることだ。 私がこの十年で学んだことは、この国は誰も責任を取らないということ。この国の薬害の歴史もそれを裏付けている。 2010年、ドイツの精神医学界は、ナチス時代の精神科医の悪行を70年たって謝罪したが、何故70年も経った後なのか、一説によると当時の関係者が皆亡くなったからだという。それと同じように、このデタラメをまき散らした精神科医達は責任を取ることはないだろう。 地獄に落ちろと念ずるのみである。 いずれにせよ、責任を取れと言う被害者の声は、黙殺される。 この国はそういう国だ。原発事故でも同じ。 憲法を独自に作る?核武装?この国の指導者に、この社会に、そんな器などあるものか。 私はこの国に心から幻滅している。 それでも、この活動を続けていけるのは、関わることで随分多くの人々の回復に立ち会えるからである。 皮肉であるが、この被害があまりに甚大で、デタラメであるから、一つを正せば、大勢が回復のチャンスを得られるのである。 精神薬に限らず、薬の過剰投与の問題は表面化した。 少なくとも、薬の害がタブーではなくて、話題に上るようになったことは大きな進歩である。 主な反論は、相変わらず。 「必要な人が適切な薬物治療を受けられなくなる」 といったものだ。 一見、まともに思える意見だが、突っ込みどころ満載である。 そもそも、適切な薬物治療とは何か? そもそも、薬が必要な人は誰か? そもそも、薬は病気を治療するのか? そもそも、誰の為の投薬か? そもそも、精神疾患とはそもそも何なのか? そして、精神医学とは、医学とは何なのか? このように聞けば、帰ってくる答えは、たいてい 「お医者様が言ってるのだから間違いない。」 である。 いつものことではあるが、具体的に問うているのに、帰ってくる答えは漠然としている。 つまり、自分で考えてもいない。自分で決めてもいないのである。 実は、改善を阻む最大の壁は、この思考停止と医者信仰である。 これは、社会レベルでの改善を阻むと同時に、個別の患者の回復も阻むのである。 我々は、それを問う。 具体的に、きちんと問う。 それも、当事者や家族と一緒に問うのである。 共に学んで、共に考え、決断し、最善の道を探すのである。 自分で考え、決断し、責任を取ることは、茨の道であるが、これ以外に、回復への手立てはないのである。 逆に、自分で考え、決断し、責任を取ることが出来れば、その人はもはや精神疾患患者ではない。 ここ数年の変化で、我々は無力でないことが証明された。 これからは、これまでの改善圧力に加え、オルタナティブで闘うことが出来る。 実績(回復)も上がり始めた。 今までは、医学モデルの範囲での改善を求めてきたが、オルタナティブは社会モデルの推進である。 医学モデルよりも、大きな視点での取り組み。 医師を排除しているのではない。社会モデルでの医師の大切な役割ももちろんある。 だが、医療はどこまで行ってもサービスである。どう使うかは市民が決めることである。押し付けるなと言っているのだ。 いずれにせよ、医師も、コメディカルも、この医学モデルから社会モデルへという流れには抗えない。 21世紀の医療の形は、社会モデルであると私は信じている。 もしそうならないのなら、この社会は終わりである。 社会モデルが実現した時、このモグラ叩きも終わる。

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  • 03 Jul
    • セルフヘルプグループのすすめ

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 治療は病院でするものだが、回復(リカバリー)は社会(コミュニティ)の中でしか起こらない。 病院内や、施設で行われるリカバリーへの取り組みは部分的な効果しか発揮できないと思う。 何故なら、治療は、症状を抑えるために行われるが、回復は、その人がその人なりに生きていけることを応援するものだからだ。 せっかく症状が軽減された(減薬できた)としても、肝心の生活コミュニティがそのままでは元の木阿弥である。 だからこそ、回復は家族、地域社会を巻き込んで行われなければならない。 そのための第一歩がセルフヘルプグループだと私は思う。 患者も家族も、孤立した状態で、頼りが病院だけならば、回復のチャンスは得がたい。 何より、医療がその人の回復を信じていないのだからなおさらである。 一口にセルフヘルプグループといっても色んなものがある。 一番お手軽なのは、FacebookなどのSNSで、インターネット上で作るセルフヘルプグループ。 すぐに作れて、すぐに人も集まるが、すぐに飽きられるし、容易に壊れる。 なんのリスクもないため、お気軽に好きなことを書き込める。 本人は、真面目に書いているのだろうが、これがトラブルの種となる。 それでも、ネット上のセルフヘルプグループは有用である。 各地で孤立する同志を繋ぐ機能、広く社会に告知する機能は捨てられない。減薬の為の情報交換や、励ましあいももちろん有用である。 しかし、実際の回復に効果的なのは、実際に顔の見えるセルフヘルプグループである。 私が関与しているのも、ある種のセルフヘルプグループだ。 私のところにやってくる人の目的は様々。 その目的に我々の会がそぐわないことも多々ある。我々は何も押し付けはしないが、逆に、押し付けも拒否することになる。 セルフヘルプグループは理念に賛同いただける人に利用してほしい。 しかし、正直なところ、困るのは、思いが強すぎて、それが受け入れられないからといって、そのグループを破壊して去っていく面々(デストロイヤー)である。被害連絡会でも、オルタナティブ協議会でも、少なからず遭遇する。そして、何度も破壊される。 その度にまたやり直すのだが、これは仕方がない。この問題に取り組む全ての人に身に覚えがあるだろう。 何人もの人が活動を始めて、消耗し、そして去っていった。 残念だが、これは避けて通れない。これに耐えられないなら最初からやめたほうが良い。 けれども、その筋金入りのデストロイヤーが時々驚くような回復を見せる時がある。だから門戸はいつも開かれている必要もある。 この手の活動がうまく行かないのは、大抵仲間割れが原因である。 時折、何故、他のグループと一緒にやらないのかと非難されることもあるが、私は別々で良いと思う。 沢山のグループが出来て、それぞれが頑張れば良い。いちいち、合意を求めていたら、それこそ纏まらない。 目的も立場も違うのである。 精神医療被害連絡会は、きちんと怒るためのグループ。 遺族会は、きちんと悲しむためのグループ。 そして、オルタナティブ協議会は、快復のためのセルフヘルプグループである。 それぞれの役割は違う。一緒にはやれない。 私は、基本、精神医療の被害者遺族である。当事者を抱えた家族ではない。 なので、当事者や家族のセルフヘルプグループのお手伝いは出来るが、主役には決してなれない。 欧米には、様々なオルタナティブ団体がある。 カナダのケベック州ではなんと精神保健関連団体の4割がオルタナティブ団体であるらしい。 (オルタナティブ団体とは、メンタルの問題を病として捉えず、よって薬物治療にネガティブな団体である) 理念を共有した人々が、共に生きるための自助グループを自ら作り、ネットワークを構築している。 イタリアの有名なピアによる労働組合もその一つと呼んでよい。 ベルリンでは、月に2度ほど、様々なセルフヘルプグループの参加するフェスティバルが開かれ、人々は自分にあった団体を探して参加している。 十分では無いが、各国政府もオルタナティブ団体支援のための予算を割いている。 オルタナティブ団体は、医療や行政が決めた枠組みに沿ったものではない。それぞれの人の必要に応じて作られたセルフヘルプグループである。 その人を中心に置き、個別化の原則を貫くからこそ効果が期待できる。医療や行政が決めた画一的なサービスではリカバリーは起きないのである。 うつ病だから抗うつ剤を服用するとか、統合失調症だから統合失調症の薬を服用するなんて画一的な対応は、個別化の原則から一番外れたものでしかない。 税金を払うということは、自分たちの代わりに政府や自治体にやってもらうということ。 自分たちでやれることをやれば、実は税金はこれほどまでに支払う必要は無くなる。 セルフヘルプグループの活性化は、効果的な財政健全化策でもある。 精神医療に関して言えば、家族会や当事者会も既にある。 最近、そこでも、盛んに、リカバリーや当事者中心が語られる。 一見、良いことのように思えるが、その前提は、やはり「精神病者であること」「服薬すること」なのである。 当事者中心と言いながら、診断と投薬は押し付けているのである。 さらに経済的な意味でも、医療や行政の決めた精神病者としての枠組みからは逃れられない。 医学モデルは、一部の統合失調症患者には有用であるが、大多数には不要であると思う。 そこに居る大多数の人は、元々そこに居る必要のない人たちである。 私に価値があるとするなら、それは私が精神医療に対するしがらみを持たない人間であることだ。 21世紀に激増した偽りのうつ病患者のほとんどは、本来、精神病者である必要のないただの処方薬による薬物中毒者だ。 この人たちには、精神医療と持ちつ持たれつの関係性は必要が無い。 事実、サードオピニオン会が一番効果を発揮するのは、この人たちである。 必要のない治療を受け、10年も、20年も、うつ病で薬漬けになり、人生の幹の時代を失った人たち。 この人たちが、障害者で居続け、服薬をし続ける必要など何処にもないのだ。 この人たちには、失った人生を取り戻すためのセルフヘルプグループが必要だと私は思う。 新しい人生を生きていくための、新しい価値観、新しい環境、新しいコミュニティが必要である。 また、統合失調症と診断されている患者とその家族にも、社会モデルでのセルフヘルプグループは必要である。 統合失調症患者が、一生、服薬しなければならないなど、嘘も甚だしい。 医学モデルでの支援が必要な人もいる。しかし、それは、ごく一部である。 親御さんが亡くなったあと、精神科病院で面倒を見てもらわねばならないこの現状(服薬もセットで)は異常である。 すぐにでも、本当のセルフヘルプグループを作るべきだと思う。 デイケアもグループホームも自分たちの手で作り上げるべきだと思う。 しかし、現状をみると、あまりにもパワーレスである。 その状況を打開するためのお手伝いなら出来るかもしれない。 発達障害という言葉は使いたくもないが、発達障害児を抱えた親御さんも同様である。 子どもに向精神薬など論外。そのうち、統合失調症のような障害に悪化する。 専門家から子育てを自分自身の手に取り戻す必要がある。 専門家から教育を自らの手に取り戻す必要がある。 子育てや教育が医学モデルになるなど、悪夢以外の何物でもない。 行政サービスの改善に期待しても無駄、自ら作り上げる以外に方法はないと私は思う。 国連もWHOも、メンタルヘルス対策は社会モデルでやれと言っている。 欧米の歴史を見れば、改革はいつも市民運動が先導している。 その中心は、当事者たるパワーを持ったプロ市民であるべきである。

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  • 28 Jun
    • 一流の詐欺師は9つの本当で1つの嘘をつくが三流の詐欺師は1つの本当で9つの嘘をつく

      「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」とした伊藤隼也さんの著書が非難されている。 山本一郎なるブロガーが、そのデータの解釈における1つのミスを引き合いに出し、他の正当な批判まで一緒くたにすることでその評判を落とそうとする記事をYahooに投稿している。 元になったデータは、2010年に知り合いの新聞記者が私に送ってきた東京都監察医務院の研究論文である。 伊藤氏と小学館編集部が使ったデータはそのフォロー論文2011年版である。 山本一郎なるブロガーが指摘しているのは、「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」という記載である。 突っ込みどころ満載であるが、明確に指摘しておく。 -ブログより転載- 伊藤さんの問題を指摘されている内容が結構派手でして、このTogetterまとめでもあるとおり「『自殺者』と『抗うつ剤の売り上げ』がほぼ同じ時期から増え始めていた!」とか「医師の大量処方が覚せい剤中毒死の約25倍の死者を出している」などと、明らかにトンデモなもので、まあ単純にガセネタの類ではないかと思います。 本書第2章「医師の大量処方が覚醒剤中毒死の約25倍の死者を出している」の根拠は、監察医務院福永氏の報告書で「06年~10年の死因不明遺体に対する行政解剖13499件において検出された薬物は覚醒剤136件に対し医薬品等3339件」というもの とりわけ、医師が抗うつ剤などの大量処方が理由で自殺者が増え、結果として覚せい剤による死者の25倍に至るというデータは、問題の発端となっている東京都監察医務院の資料を見ても確認できません。また、医師に直接取材した体になっていますが、死者の絶対数の話であって、死因や母数に関しては何の情報も記載されておらず、死亡率での比較であるべき本件ではまったく信頼できる記述になっていません。 まず、事実を確認しておく。 データ元は、 『平成22年度厚生労働科学研究費補助金(医薬品.医療機器等レギュラトリ分担研究報告書監察医務院における薬物検出の実態関する研究分担研究者福永龍繁東京都監察医務院院長研究協力者谷藤隆信同上(主任)柴田幹良同上(主任)』 である。 小学館の本の記載で間違っているのは、検出件数を死亡者数としたことである。 覚せい剤の検出数139件に対し、医薬品び検出数3339件である。 139×24=3339 これが24倍の根拠である。 東京都監察医務院に確認したところによると、 剖検による検出数と言うのは、 医薬品の場合、 胃内容物、血液、尿であり、1死亡当たり約3件検出されるという。 つまり、1死亡例当たり3件の検体があるということだ。 覚せい剤の場合は、胃には検出されないので、血液、尿から検出される。 つまり、1死亡例当たり2件の検体があるということだ。 死亡者数に換算するなら、 医薬品の場合は三分の一(小さく見積もって)、覚せい剤は二分の一にすれば、ほぼ死者数に換算できる。 3339/3=1113 139/2=69.5 1113/69.5≒16 正しい記述は、 「医師の大量処方が覚醒剤中毒死の約16倍の死者を出している」 となる。 24倍は確かに間違いであるが、事実は16倍である。 「明らかにトンデモなもので、まあ単純にガセネタの類ではないか」という記述は適当ではない。 東京都医務監察院の扱った不審死の中で、覚せい剤の死亡者数の16倍の処方薬中毒による死者数が居るのは事実である。 さらに正確を期せば、「薬物中毒死と判定された中で、医師の処方した向精神薬が覚醒剤の16倍の中毒死が確認されている」 と記述すれば文句なしである。 さらに、今年、発表された研究 「過量服薬による致死性の高い精神科治療薬の同定」精神神経学雑誌118-1(2016) では、次のように記述されている。 日本では、急性期病院への緊急入院が必要な主要疾患の中で、過量服薬は救急救命センターへの搬送率が最も高い傷病であることが示されている。また救急センターにおける過量服薬による搬送者数は増加傾向にあり、その多くが精神治療薬を過量服用していることが明らかにされている。加えて 過量服薬による搬送者数の増加は、精神科診療所の増加に伴っているとの指摘もある。さらに、精神科通院中の自殺既遂者の多くは、致死的手段の実施前に過量服薬をし、衝動性が高まった状態で既遂に至っているとの報告もある。 これは、衝動的に自死した事例の背景(薬物中毒とされていない事例)にも、過量服薬(過量処方)が絡んでいることを指摘しているのである。 事実、全国自死遺族連絡会のデータでは、20代、30代、40代の自死者の精神受診率はほぼ100%である。 厚労省のデータでも自死者の50%以上が精神科受診中であったことを示している。 つまり、覚せい剤の16倍どころではなく、さら多くの死に向精神薬の関与が疑われるのである。 実際に、我々被害者会の証言もそれを裏付けている。 この山本一郎成るブロガーが数字の間違いを指摘しているのは、この24倍という数字だけである。 あとは、一部の悪徳医師がやっているだけのことで、全ての医療を否定しているなどと記述している。 一つの間違いを元に、すべてを否定するという、三流の詐欺師はこの山本氏の方である。 他の主張の間違いもデータで示して頂きたい。 精神医療が、うつ病患者を治療出来ているというデータも示して頂きたい。 多剤大量処方が何故規制されたか? 日本睡眠学会が何故、睡眠薬の処方を6カ月ごとに休薬せよとのガイドラインを出したのか? 何故、ベゲタミンが販売停止になったのか? これらをちゃんと説明して頂きたい。 多剤大量処方の規制に対して、精神医学界の重鎮は、自分達医師がちから及ばずであったと述べている。 この多剤大量処方の規制に対して、我々被害者はずっと主張してきたのである。 伊藤氏と小学館の記事、本はその主張を強力に後押ししてくれたのである。 この山本一郎成るブロガーは一体何者なのか? 伊藤氏が、グラビアカメラマンであったことにも触れて、人格攻撃しているところなど、誹謗中傷以外の何物でもない。 この記事が公開された途端、 子宮頸がんワクチン推進の利益相反だらけの医師達が大喜びしているが、 何なんでしょうね。 ベゲタミンが販売停止になったのは、 我々の主張、それに伴う精神医学会の注意喚起。 それでも、被害が減少するどころか拡大したからである。 注目されていなかった東京都監察医務院の中毒死データが世の中に出されたからである。 多剤大量処方の規制、薬物中毒死の主役であるベゲタミンが無くなることで、どれくらいの被害が食い止められたであろうか。 この山本一郎氏のこの記事は、これまでの被害者の血の滲むような努力、そして製薬会社にベゲタミンの販売停止を申し入れた精神医学界の行為をもないがしろにしかねないものである。

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  • 22 Jun
    • セルフヘルプの時代到来!?

      サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜) 減断薬読本購入希望の方 私の人生はトラブルだらけだが、それでも、私が心を病むことはない。 不自由な現実は多々あるけれども、心はいつも自由だ。 怒り狂って、何度も絶望して、そして開き直る。皮肉なことに、開き直って初めて、別の道を見つけるのだ。 他人や社会から押し付けられた価値観をかなぐり捨てることでしか得られない自由もある。 こうした回復への道のりもあるのだ。 比較優位を感じていたいから、いわゆる勝ち組は自らを勝ち組足らしめる価値観を他人に押し付ける。 学歴で優越感を感じる人が、自らが勝ち抜いてきた現在の教育を肯定するように。 年配の人は、昔はこうだったと自身の成功体験を押し付ける。実際は、誰もが豊かになれたそういう時代に生まれただけなのだが。 20世紀後半は苦労はあっても幸せな時代である。 しかしながら、現代は、もうそんな時代ではない。 現在の社会システムは、いまだ当時の成功体験を捨てきれない、時代遅れの成長を前提とした大量生産、大量消費の為の管理システムだ。 これは、個々の個性よりも全体の利益を一番に考えるあたかも軍隊のようなシステムである。 それでも、国全体が豊かになっていけばよかったが、成長が望めない今、ただの上から下への搾取システムとなっている。 似たような大人しい人間を大量生産するのは、いつでも替えがきくということである。結局、使い捨てである。 支配者から見れば、個性は邪魔なのだ。 そうしたシステムでは、家庭は、兵隊である働き手を支える役目であり、子供は、将来の兵隊予備軍である。 軍隊のようなヒエラルキー組織では、一番重要なのはそのポジション。 上は天国だが、下は地獄。 どこのポジションを得るかで、人生の良し悪しが決まる。 だから、そのポジションを得ることにやっきになる。 大学受験や就活に失敗して、この世の終わりのように感じてしまうのもその為だ。 一流大学に入り、一流企業に勤める。 資格を取って、医師や弁護士となる。 目的がそのポジションを得ることしかなければ、一旦、そのポジションを得たら、そこであがりである。 その職業の本分は二の次となる。 軍隊の中で、どんなに人権侵害を主張したって無駄である。 軍隊では、一人の命より、組織の利益の方が優先されるのだ。一人の兵隊の命や尊厳など二の次。 教育は新しい従順な兵隊を作るための組織。 医療は、傷ついた兵隊を早く戦場に送り直すのがその役割である。 一人一人の兵隊の幸せなど実はどうでも良いのである。 国全体がこのような軍隊式組織である以上、権力者に大胆な改革は望めない。 保身以外の行動は期待できない。改革は、自らのポジションを危うくするからである。 自己のポジションが危うくなるような状況に追い込まれて初めて改革に着手する。 だからこそ、改革は市民活動が先行せねばならないのだ。 精神保健改革の一番の近道は、市民が覚醒して不用意に精神医療に近づかないことである。 市民はその拒否する権利を死守せねばならない。 何故、ホームエデュケーションやフリースクールが増えているのか。それは公的教育が、信頼に値しないからである。 兵隊養成教育から逃げ出したのだ。 やむを得ず選んだ方も居るが、積極的に選択している方も多い。覚醒した市民は既に少なからずいるということだ。公的教育の教師を批判しているのではない、その軍隊的な管理システムがダメだといっているのだ。スクールカウンセラーなどを置く前に、そのシステムを見直すべきだ。まず、教師を軍隊式システムから解放してやれ。 私の会では、自己決定の原則を特に大切にする。 この軍隊式システムに慣れ切っている人にはこの自己決定がなかなか難しい。 だが、減薬のためにも、回復のためにも、それは必要不可欠である。 自由とは、自分で決めて自分で責任を取ることでしか得られない。 それが出来たとしたなら、精神病者であろうがなかろうがもはやどうでも良くなる。 自己決定をすることを少しづつ経験し、学ぶことが回復へのステップそのものなのである。 精神疾患の病名を持っていようがいまいが本来はどうでも良いことだ。 病名は本人の為では決してない。 何なら自分が決めれば良い程度のものでしかない。 精神医学は、科学的な装いを纏っているが、突き詰めていけば診断も薬も甚だいい加減なことが理解できるはずだ。 精神医学は、臨床に使えるような代物ではない。 よって、精神疾患当事者とか当事者家族とか支援者とかの区分も本来的にはどうでも良い。ただ困っている人とその家族で十分だ。 福祉は、医療とは関係無しに、ただ困っている人を支援すれば良い。 病気かどうか判断出来ずとも、困ってることはわかるはずだ。 大切なことは、自分で決めることができるか否か、いや自分で決めたいと思っているかどうかである。 そして他者からコントロールされない代わりに、他者をコントロールしないことである。 自由を得るためには、責任も果たさねばならぬ。 逆にそれが出来ればもはや精神病患者ではない。症状を消す治療よりも、如何に社会に適応できるか、その工夫に注力すべきである。 これが医学モデルではなく社会モデルで取り組むということだ。 社会モデルの本質は、自立を促すことである。 社会に適応さえできればそれでよいはずだが、肝心の社会が軍隊式社会、効率至上主義ではそもそも適応するべき社会がない。 この国は、教育も会社も病院も、そしてママさんの公園コミュニティでさえも、この軍隊システムにどっぷり漬かっている。 だから、せめて自分たちの周りぐらい、生活の一部にでも、この軍隊式社会と一線を画すコミュニティを創り出す必要がある。 国や医療の作った医学モデルのもとでは、真のリカバリーは実現不可能である。 国に陳情して改善を求めるのも大事だが、所詮、医療や国や行政のやる仕事は、魂の入っていないお役所仕事でしかない。 待っていたとて、どうせろくなものは作りやしない。前記事で書いた通り、規制はモグラたたきでしかない。 道を切り開くのは結局切羽詰まった市民のほうだ。セルフヘルプは、絶望した我々に残された生き残るための最終手段なのだ。 税金を払って、国や行政にやってもらうのではなく、我々自身が自分で出来ることを増やしていくのだ。 税金を払うということは、自分たちの代わりに国にやってもらうということである。 逆にいえば、税金が足りなくなるということは、市民のセルフヘルプ能力が下がっているということでもある。 本当に財政再建したいのなら、市民のセルフヘルプ能力を上げるしかない。 クレクレ君が、要求すればするほど、自分の首を絞めるのだ。 資格や専門家制度を作り、福祉サービスを増やすと、ますます自分たちの首を絞めている現状に気が付いて居るだろうか? 精神科医が増えただけ、PSWが増えただけ、お客さん(患者)は増えていく。 精神科医にもPSWにも本来的な大事な役割はある。 それは、(言い方に問題があるかもしれないが)ホンモノの重症の精神疾患患者の支援であるが、あなた達の目の前の患者の多くはそうではなく、本来そこに居る必要のない人たちである。他に選択肢がないから仕方なくそこに居るだけだ。 イタリアの精神障害者によるセルフヘルプは、労働組合を作るまでに発展した。 就労支援という名の搾取システムが横行するこの国とのこの違いを直視すべきである。 自分が亡くなったあとの子どもの行く末を心配する家族にもセルフヘルプは必要。 このままでは、結局、非人道的な施設で生きるほかない未来が待っている。 医学モデルを捨てられない現在の医療や福祉に期待しても無駄である。40年も入院ベットをろくに減らせないこの国に期待しても無駄、待っていては、永遠に精神医療の牧畜ビジネスに囚われたままである。他人任せでは何も解決しないこと、家族だけで抱えるのは不可能なことは、もう十分学んだのではないのか。いまこそ、知恵を出し合って、未来を自分たちの手で切り開く必要がある。今が最後のチャンスである。 クライシスセンターやクライシスハウスを自分たちの手で作り上げるのだ。そのお手伝いならいくらでもやる。 統合失調症は、家族の中で一番弱くて、優しい子に発症するともいわれる。家族の問題児は、実は家族の問題を一手に引き受けているのかも知れないのである。もし、学校や家族以外のコミュニティをもっていたなら、そこまで追い込まれることはなかったのではないか。挙句、全てをその子を病気とするということは、全ての責任をその子に負わせるということだ。さらに社会からは家族の問題とされるのだ。この国は冷たい。何でもかんでも当人と家族の責任とされるのである。 学校や会社、地域、行政、そして国の責任は一体どこに行った。 この国は先進国でも何でもない。弱者切り捨ての、いや弱者を骨の髄までしゃぶりつくす凄まじい人権侵害国家だ。どうにもこうにも、にっちもさっちもいかないくらい困ったところで、「可哀相ねー」「お医者様に見てもらいましょうねー」「お薬飲みましょうねー」最後には、「障害者にはこんなサービスがありますよ」で、立派な障害者が出来上がる。 関係のないと思っている市民も他人ごとではない。 家庭と職場、学校だけの人間関係はあまりにも狭い。 逃げ場のない狭い人間関係、価値観が人を追い込む。 人生には、無限大の可能性があるはずだが、今の社会は、無味乾燥な従順で画一的な人間を作る装置のようなものだ。 精神障害者が精神障害者としての未来に制限されるように、兵隊は兵隊としての未来に制限されているのだ。 そこからはみ出たものが、負け組とされ、ちょっとした躓きで病気とされるのである。 格差拡大とともに、日を追うごとに勝ち組からこぼれ落ちているのである。 明日は我が身である。 自分たちのコミュニティ(セルフヘルプグループ)は自分達で作る以外にない。この軍隊式社会の外にだ。沢山のそうしたコミュニティに参加している人ほど、人生は盤石だ。そうしたコミュニティは、治療的側面(治療と言う言葉は使いたくはないが)も併せ持つ。 お上任せはもうやめにしたい。 セルフヘルプグループは、その為のもっとも有効な手段に違いないのだ。 今までの歴史をみてもそれは明白である。社会を変えることが出来るのは自助努力だけである。 行政サービスが追い付いてくるのはいつも一番あとである。

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プロフィール

アリスパパ

性別:
不良中年おとこ
誕生日:
植木等と一緒
血液型:
雑なA
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
【プロフィール】 スクラッチで起業して14年。 ベンチャーというよりアドベンチャーな経営。 ち...

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