サードオピニオン会・講演会のお知らせ 西宮、東京、神奈川、福岡、大阪、香川、静岡、中津川(岐阜)
減断薬読本購入希望の方

2016年6月7日 16時00分
 
「説明足りず処方、後遺症」 あまの男性、藤田学園と医師提訴
 藤田保健衛生大病院(愛知県豊明市)の精神科で受診した同県あま市の40代男性が、十分な説明を受けないまま副作用の強い薬を処方され障害を負ったとして、病院を運営する学校法人藤田学園(豊明市)と担当医に対し、慰謝料など9900万円余の損害賠償を求める訴訟を7日、名古屋地裁に起こした。
 訴状によると、男性は2012年12月に精神科を受診した際、「痛み止め」として抗うつ薬を処方された。服用直後に腹痛と吐き気に襲われ、その後も突如、意識を失ったり、窓ガラスに自ら激突したりして救急搬送を繰り返すなどしたが、医師は適切な処置を取らず障害を悪化させた、と主張している。
 男性は現在、不眠や頭痛に加え、光や音に過剰に反応してしまう自律神経障害や、直前の行動が思い出せない記憶障害があり、ほぼ寝たきりの生活を強いられているという。
 男性の妻は「医師から副作用の説明があれば、夫は薬を飲まなかった。安易な処方で深刻な健康被害に苦しんでいる」と訴えている。
 藤田学園は取材に「代理人を立てて協議をしている最中であり、直接のコメントは控えたい」としている。

(中日新聞)

最近、薬害という言葉に違和感を持っている。
そもそも、どんな物質でも、毒は毒。
使い方によっては、塩でも、醤油でも毒。砂糖も毒。

薬そのものを問題視するより、使い方を問題視すべきと考えるようになった。
精神医療のほとんどは薬害ではなく、人害ですよ。

デビット・ヒーリーは、SSRIよりも、その毒性は市販の鎮痛剤の方が高いという。
ならば、市販薬として売った方がマシだとまで言っている。
つまり、市民が自分で調節して飲む方が、医師に処方されて飲むよりかえって安全だというわけだ。
自分に合わないと思ったら、その薬はもう飲まない。

精神医療被害の問題点はこうだ。

・医薬品添付文書には、製薬会社が責任を回避するためのリスク情報が多数記載されているが、医師はそれを順守しない。
・治験は、第三者によるチェックが入っていないため、製薬会社は都合の良い情報だけ記載する。
・薬剤の用量は、体重や性別などを考慮せず、大雑把な量が設定されている。
・適応外処方については、治験を行う怠慢を棚に上げ、医師の裁量に任している。
・医師はお構いなしに適応外処方を乱発する。
・非常識な多剤大量処方により、個別薬剤の問題が発覚しにくくなる。
・薬に副作用はつきものだが、医師はクスリの副作用を認めたがらない。←これが一番理解に苦しむ
・副作用を認めずさらに別の薬を盛る。

医療以外では、こんなことは起こらない。
例えば、自動車というものは、事故を起こせば、けが人や死亡者もでる。
運転手の責任が問われ、車そのものに欠陥があれば、自動車メーカーには賠償金が課せられる。

薬には、はなから副作用が出ると書いてある。
それも、1万人に1人と言うレベルではない。
抗精神病薬を飲めば、半数の人にジストニアやアカシジアのような副作用が出る代物である。
製造業でいえば欠陥品である。
事故が起きるのは当たり前なのである。
実際に、何十万人以上の人たちに事故は起きているのである。

それを揃いも揃って、薬の副作用ではないと言い張る。

この心理状況はどういうことなのだろう。
処方が間違っていたと非難されているように感じるのだろうか?
権威的に振舞ってきた手前、今更間違ってましたと言えないのか?
そもそもやましいと感じているのかもしれない。

この問題を解決するのは実に簡単なことだ。
最初から、薬が欠陥品であることを認め、その欠陥(副作用)を詳細に説明し、
患者と共に慎重に、試行錯誤を繰り返して治療を行えばよい。
本来、治療とはそういうものだ。

しかし、医師は、自分の処方に意見されることを嫌う。
医師の周りのスタッフは医師を神のようにあがめ、その医師からの一方的な処方を押し付ける。
患者の為と言いながら、服薬は実質強制である。
患者にとっての最大の不幸、致命的なのは、医師がそれ程、その薬について詳しくないことである。
(ちゃんとした医者ほど、そう思っている)

抗うつ剤が、10人に1人程度にしか効果が無いこと。
ベンゾジアゼピンによって2割から4割くらいが、薬物中毒になること。
抗うつ剤でも、抗精神病薬でも、脳に作用するものには離脱の問題が引き起こされること。
遺伝的体質で、特定の薬剤を代謝出来ない人が居ること。
・・・・・・
こうした事実を無視して、とりあえずこれみたいな形で薬が簡単に処方される。

これを人害と呼ばずしてなんと呼ぶ。
被害は、権威的な知識不足の医師とその取り巻き、それを盲目的に信じた患者、それを放置した社会の間で起きる。

例え10万人に1人(0.001)でも、被害を受けた人にとっては、100%の現実である。
1人の不利益で9万9999人が利益を得たなら、9万9999人は、その不利益を受けた人を救うべきだ。
本来の薬害とはそういうものだ。
しかし、向精神薬は、副作用が出るのが当たり前のような薬だ。
あまりに頻発するため、だれもそれを重要視しなくなる。
デタラメも慣習となれば、そんなものだで済んでしまう。

例え医師が、まともな使い方をしたとしても、製薬会社の副作用救済はいくら金を出しても足りないだろう。
向精神薬とはそんなものだ。
儲からなきゃ、製薬会社はもはやその薬を売らない。
医師が、その役目をきちんと果たし、薬を慎重に扱ったなら、被害は最小限に留められる。
そうして初めて、この薬という欠陥品は社会に認められることになる。
そうなって初めて、薬は有用である。

薬は、毒だという認識で丁度良いのだ。