私がクラニオのセッションに使っている自然療法サロン「青い嵐の603」。
ここのリーダーであるみほちゃんは、
大陸的な感覚の持主で
(時に人にビックリされることもあるらしいけれど!笑)
そこが私は楽で、楽で、まー楽で
付き合いやすいことこの上ない。
ちょっとしたごはん飲み会を約束したときには
こんなメールをくれる。
「どうぞ無理せず、ドタキャンもOKですので、ゆるーくお願いしますね。」
ああラクチン。
さて、ここからが今日の主題ですが、
私、「約束」「予約」というものを、
実はあんまりガッチリ固定で考えていません。
そりゃ、約束は大事だし、予約があればそれは厳守の気持ちで常にいます。
だけど、物事万事、流転する。
昨日の予測の通りに、今日が運ぶとは限らない。
かつてバックパックでうろうろ旅していたとき
2~3週間ばかり滞在したエジプトで、
けっこうなカルチャーショックを受けました。
日本以外の各国は、約束に対してまあまあルーズですが、
だって、エジプトのそれときたら、横綱級なんだから。
たとえば。
飛行機のチケットを今!たった今!ここで目の前で予約をしたろうが!
なのに翌日、その人は平気な顔してそれを撤回、反故にするわけです。
そして、解決のメドはいつになるかわからない。
おいおいー。お金は払ってるよー。
私はいったいいつカイロから脱出できるのー。
そんなヤキモキ度は、私の限られた旅史上では世界一。
しかし、そこには理由がある。
約束へのルーズさの背後には、
「先を決めることは人間にはおこがましい行為である」
「未来は神だけが知り得ることだ」
もっといえば
「スケジュールを先々までキチキチ決めるのは悪魔的な行為」
という考えが、あるようなのです。
これはイスラム社会に共通の価値観と思います。
全知全能はアラーであり、人間は分をわきまえるほうがいい。
それがベースにある。
俗に「アラブのIBM」というのがあります。
イスラム国であるアラブ世界でよく聞く(そして外国人が悩まされる)、
三つの語の頭文字をとって「IBM」。
「I」は、インシャ・アッラー。
アラーのおぼしめし、という意味。
「B」は、ボクラ。
明日、という意。
「M」は、マーレーシュ。
タイ語でいえばマイペンライ。英語でいえばドントマインド。
気にするな、ってこと。
これを約束というキーワード解読に使うと……
「約束っていったって、未来はすべてアラー(神)のみぞ知るものだから、そこを確約しようなんざ、人間には行き過ぎ行為。明日は明日の風が吹く。明日になってから考えよう。そして、結果どうなっても気にしない、気にしない。」
こんな感じになるんじゃないかと思います。
カイロの宿に、えらい優しくカッコイイおじいさんスタッフがいて、
その物腰に惚れまくった私は、
別れるとき、「また会いましょう!!」と思わず言いました。
すると、そのイカしたおじいさんは、
握手をしながら「インシャ・アッラー」と
これまた渋くかっこよく言ったものです。
また会えるか、それはわからない。
神がもし望むならそうなるだろう。楽しみにしよう。
というわけです。
さらに惚れた……!!
ま、飛行機のチケットとるには困るんだけど、
私、エジプトでこれらを毎日聞くうちに、
まさしく真理だなと、思いました。
明日、災害があるかもしれない。
明日、病気になるかもしれない。
明日、もっと大切な用事ができるかもしれない。
明日、気持ちが180度変わるかもしれない。
その可能性をつねに認め、許容するところに、
むしろ懐深い安心感を覚えるようにもなりました。
人が予測できることには限りがある。
と、以後、腹の底から思うので、
私、自分の個人セッションでは
キャンセル料金はあえて設定しないことにしています。
ドタキャンOK。仕方ないときは仕方がない。
約束に向かって誠意をつくし、できる範囲で努力はしたいけれど、
できないときは、あるものね。
そんな気持ちでいます。
日本みたいに、電車にしろ、宅配にしろ
なんでも約束通り・時間通りなのはすばらしいけれど、
その分、ちょっとでもミスるとずいぶん強く糾弾する風潮が、
ここ最近、増えているように感じます。
本来ファジーな生き物の人間にとって、
それはいささか窮屈なので、アラブのIBMをたまには思い出したい。
てなわけで、よければ、みなさんご一緒に。
インシャアッラー。ボクラ、ボクラ。マーレーシュ!