学生時代の勉強は予行演習に過ぎない 【Twitterより】 | LEO幸福人生のすすめ

LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!

わたしは小学生の頃から、塾に通年で通ったことが無い。夏期講習なんかで、中学のときはたまに短期で行ったけど。 あと通年は唯一、大学受験の高3のときに、英文解釈と化学だけ通年で教わった。数学も受ける予定だったけど、教え方が下手で、こりゃ自分でやった方がええわ、といって早々に辞めた。

 

だから勉強は、教わるものじゃなくて、自分でやるもの、という気持ちが強い。むろん学校の授業では、教わってるんだけど、試験勉強とかやり方わからないから、自分で苦労しながら、徐々にやり方がわかってきた。

 

学校の勉強って、そこで知識を教わって覚える、というよりも、学び方を学んで、それで社会人になってからは独りで学べるよう、たとえ先生がいなくても、自分で学べるよう、学ぶ方法を知るための場所なんだと、いまでは思う。

 

だから学業時代を終えたら、もう勉強しなくていい、というのは本末転倒ですね。10代で卒業して、あとは勉強しなくていい、なんてことがあるわけがない。 出てからが、自分でやらなきゃいけない勉強時代で、教わらなくても、自分で学ぶんですよ。 学校で教わってないとか、言い訳にもならない。

 

だったら自分で学べ、ですよ。 総裁先生も大学受験の予備校通い以外は、小学生からずっと独学でしょ。離れで先生もなく自分独りで勉強なされた。教わるのではなく、みずから何が必要かを考えて、そうして学んでゆく。大学時代のエピソード見ても、自分でテーマを掲げて学んでいますよね。

 

ここに学びの本質があって、本来は、自分が意志してみずから学ぶものですよ。先生は脇役のお手伝いだと思った方が正しい。 ソクラテスが哲学を教えることを、産婆役に例えたのも同じことで、聞いた側は教わるんじゃなくて、自分で考えなくちゃいけないんですよ。

 

ソクラテスが言うことを丸暗記すればいいわけじゃない。 ソクラテスに見習って。神とは何か、理念とは何か、知恵とは何か、正義とは何か、自分で考えて苦闘しないと、自分の知恵にはならない。 真理を学ぶって、そういうことだと思う。たいへんだけどね。

 

聴いて丸暗記するだけなら、聞慧だし、でも考えて学ぶことで思慧まで行きたいものでしょう。 総裁先生は、信解脱、慧解脱の2つの法門を東京ドームで教えてくれたけれども、先生は 「信」を 能 入 となし、「 智」を 能 度 となすべき と語られていました。信仰から入って、智慧に至るべし。とのこと