子供のころは、自分が死ぬのはずっと先のことだろうから、気にもしていなかった。
おじいさんやおばあさんが亡くなるのを見てきても、まだ死は遠い事柄だった。
青年時代にもまだそんな感じで、死を身近に感じることはなかった。
しかしそこからさらに歳を重ねてゆくうちに、
身近にいた人や先輩が亡くなる、という体験をしていった。
自分が好んで読んだ作家や漫画家、ミュージシャンでも亡くなったりしていった。
自分の死もそんな遠い先のことではない、と思うようになってきた。
まだこの世で、自分はこれをやった!というほどのことは出来ないでいる。
悲しい思い出も増えてきてしまった。
これらをずっと背負って生きてゆくのは辛いことだ。
ゆえに、時が流れさり、過去の記憶が忘れられてゆくのは、幸せなことなのだと今では思う。
自分もあと何十年あるいは何年かしたら、この世を去る時が来るのだろう。
そうしてあの世へと帰ってゆき、しばし過ごしたあとで、またこの世に生まれ変わってくるのだろう。
ぜんぶを覚えていないのは、ありがたいことだと思う。
喜ばしいこともあったろうが、悲しみの記憶はたくさん背負って生きるには辛すぎるのだ。
だからすべてを忘れて生まれ変われることは、ほんとうに仏の慈悲なのだと思う。
忘れているからこそ、やり直せる、新たな人生を元気よく歩き出せる、というのは本当だ。