人はみな自分が憲法なのだ (ふつうの人の場合) | LEO幸福人生のすすめ

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三浦綾子さんのエッセイを読んでいたら、おもしろい喩えをしている文章があった。

 

人はみな自分が正しいと思っている。自分が憲法なのだ。

しかし他の人もまたそうであることを忘れている。

 

わたしはこの箇所を読んでいて、自分の我を押し通して、まわりを従わせようとする人間タイプを想起する。

その人は、自分がいちばん正しいと思い上がっていて、自分の方針に従えと命令する。

しかし周りから忠告を受けたり、注意されても、聞く耳を持たないのだ。

 

これでは自分の憲法のみ押し通し、相手の憲法は無視していることになる。

自分の考えにのみ従わせようとして、まわりの考えには従わないというのでは、自己中心のダブルスタンダードではないか。

 

この憲法のところを、尊厳という言葉に置き換えてみる。

自分の尊厳のみ尊重すべしと主張し、他者の尊厳を尊重しないのは、やはり身勝手すぎるだろう。

 

これは個人同士の関係だけでなく、国家同士の関係でも同じことだ。

自分の側の主張ばかりを押し付けて、他国の言い分を尊重しない国は、悪である。

 

真理を憲法にする者は、自分一個のじままな思いを自身の憲法とはしなくなる。

すべての人が宇宙の理法にしたがうようになれば、個人個人の勝手な憲法による諍いは、なくなることだろう。