自惚れ心について | LEO幸福人生のすすめ

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自惚れの心というのは、この世的な心だそうです。

 

あの世にいたら、自分と同じような考えの人たちが集まった、そうした同胞の村というか、同じレベルの魂がだいたい同じところで暮らしているので、互いを見てもそうは変わらない。

自分の方が優秀だとか、相手はちょっと落ちるな、とか、そうした自分に自惚れたり、相手を見下したり、あるいはコンプレックスで自己卑下に陥ったり、そういうことは基本的に、あまり生じないのではないか、と思います。

ところが地上に生まれて、自分とは違った考え方をするさまざまな人が同時に暮らす、そうした玉石混交の世界で生きていると、他の人が愚かに見えたり、自分はかなり優秀なんじゃないかと自惚れたりと、そうした、自分と他を比べて自分を上げたり下げたり、それどころか上げ過ぎたり下げ過ぎたりといった、極端な思考に陥る危険性がある、ということなのではあるまいか。

そういう意味では、自惚れるというのは、非常にこの世的なる迷いの状態であって、この世を機縁として抱いてしまう、間違った精神態度なのではないかと思えてきます。

 

この三次元世界という相対的な世界のなかで、他人を見ては羨ましく思ったり、あるいは反対に自分の見すぼらしさに悲しい思いになったりと、自と他を比べることから生まれる考えで、人は苦悩する。

嫉妬心にしても、自惚れ心にしても、さまざまな人間特有の心の問題は、地上で生きるという経験を通して、生じているものなのかもしれない。

 

自惚れって何だろう。

自分に自惚れるといっても、ほとんどの場合は、自分の特徴的な一部分、狭い範囲の一要素でもって、人は他者を見下して、自分の方が上だと自惚れたりするものです。

自分の方が頭がいいと自惚れて、自分の方が運動が出来るといって自惚れて、容姿がカッコいい美人であるといっては自惚れて、そうした自惚れ心に反比例するかのようにして、他者を見下し、さげすむ気持ちや、裁く気持ちが増大してしまう。

 

自分に自惚れると、他者への愛に反する心の状態になってしまう。

 

実際は、その自惚れている人にもさまざまな欠点があって、別の要素で比べたら、見下している相手の方が実は素晴らしい心の持ち主で、見下しているその人の方が劣っている、なんてことは沢山あるのでしょう。

ところが自分に自惚れてしまうと、人は全体観から見た自と他の公平な視点というのを見失って、自分の優れたところのみを見て自惚れて、自分の欠点は顧みなくなる。

反省というものが出来なくなる。自惚れている人は、自身の問題点を反省しませんね。自己正当化して誤魔化して、そうして見て見ぬふりをする。知らんぷりをする。あるいは開き直って、それは確かに自分の欠点だが、これは生まれ持っての欠点だからしょうがない、我慢してくれ、などという傲慢な態度に出る人もいます。

 

自惚れ心から、よい結果が生まれることはまず無い、というか、あらゆる悪癖や問題が、この自惚れ心から実は生まれてくる、といっても過言ではないのでしょう。

 

自分一個が大事、自分のこの自我、自分こそがもっとも大切で、その自分は(ある面のみだが)優れている。

全人格的に優れているわけでもないのに、一芸に秀でている程度でもって自分に自惚れる、特殊な技術、狭い範囲の知識のみ詳しい、だとか、その程度のことで自惚れてゆく。

視野が狭い人ほど自惚れやすい傾向にあるのであって、見ている世界が狭いからこそ、簡単に自惚れるのだろうな、とも言えるかもしれません。

あらゆるものを注意深く見る目を持っていたら、そう簡単に自分に自惚れることは出来ないし、自分はまだまだだなという謙虚さも保持できるだろうし、そうしてまた、他者の素晴らしいところを発見する目があれば、他者を見下して自分に自惚れる、なんていう生き方に埋没したりはしないでしょう。

 

自分しか見ていないエゴイストほど、自分に自惚れやすい、という特徴もあるかもしれませんね。

自己肥大、あまりにも自分に自惚れている。実際は大したことがないのに自惚れる。

本当の智者という存在が、どれほどの叡智を担っているかを知らずに、自分の小さな知識世界のみをみて、自分は賢いと自惚れる。

自惚れている人の特徴は、他者に対して冷ややかで、冷めた性格タイプである、というところに出るかもしれません。冷笑癖や、皮肉屋でニヒルな性格、こういうタイプはたいてい、知的な自惚れに堕している人で、他の人から好かれることがないところに、それが単なる自己愛にもとづく自惚れでしかないことが、露呈してきますからね。

 

バイデン守護霊の発言。チラッと情報を聞いただけですが、どうやらアメリカの大統領になった、という結果によって、自分に相当自惚れてしまったようです。

これは日本の安倍元首相の守護霊も同じような変節をしたように記憶していますけれど、国家元首であるとかそういう立場に立てたことでもって、まるで自分が神のごとき存在になったかのように自惚れてゆく。

自分に自惚れてしまうと、自分の考えのみを常に優先するようになってしまって、それとは違った他の人の意見・主張の方が正しい場合であっても、これを虚心坦懐になって素直な心できいて、参考にして取り入れる、ということさえ出来なくなってしまう。

自分に都合がいい考えのみを聞く、それ以外は聴く耳を持たない、常に自分が決めたこと、考えた結論が優先される。

あまりにも傲慢な態度ですが、自惚れた権力者というのは、必ずやそういう状態に陥るのでしょう。

さまざまなことに対して当人の意見・考えというのがあるのはわかるけれど、ある方面に関しては素人レベルの自分であるかもしれない。謙虚であるなら、そう自分を厳しく見れるはずですが、自惚れているために、あらゆることに自分は意見を言う資格がある、自分の意見は自分の意見であるがゆえに他の誰の言うことよりも価値がある、最終決定である、とでも言わんばかりの激しい自己主張、自己宣伝をするようにまでなりかねない。

自分に自惚れ切っているので、あらゆることに関しての自分の考えを常に最優先してトップに頂いて、それ以外の他者の考えは拒否する、という顛末に至ってしまう。自分の考えを支持するイエスマンばかりで周りを固めて、耳に痛い諫言者を遠ざけるようになったら、その人は完全に自惚れ心の状態にある、と言ってもいいかもしれません。

自分に自惚れているから、自分の考えこそが素晴らしい、正しい主張である、自分の考えであるがゆえにこれは一番正しい答えなのだ、と思いあがってしまえば、他にどんな素晴らしいアイデアや意見があっても、馬耳東風で、素直に聴く耳を持たなくなる。

この傲慢、自惚れた自我は、もはや自分より優れた他者の意見を素直に取り入れることが出来ない、そういう魂状態になっているのでしょう。

 

自分の利得のためなら、あるいは自分の権力の座を維持するためなら、他の人がどうなっても構わないとなったら、戦争が起きて他国の住人が大勢亡くなったり、不幸に陥っても知ったことではない、そうした犠牲のもとで、自分が得をするなら、そちらの作戦の方を優先する。こういう自分勝手なエゴイスティックな思考を平然と行なうようになってゆく。

自分の政党が権力を保持し続けるためには、どんな政策を採ったらいいかといった、価値転倒した考え方をするようになって、国民の納めた税金を、真に国家のためになる政策のために使うのではなくて、自党が存続するための経費として悪用するようになってゆく。それが悪だと反省する気持ちすら失って、自分勝手な使い方をして、それが正しいことであると平然と言ってのける。

 

自己愛、自己中、その上に立った自惚れ心が増大して、そうした人間が権力を握ると、かように事態は、最悪の方へと向かってゆくんですよね。

 

ふりかえって、すべての人、個々人の運命に立ち返ってみれば、そうした自己愛、自己中、そうして自惚れ切った自我に生きる人が増えてしまったら、その国家はどうみても、滅びの道へと突き進んでいるとしか思えない。

その反対に、そこに住まう人々が、みな己の欲望や自我をよく抑制して、決して自惚れることなく、謙虚な心でもって、他の人と協調をするような社会であったなら、その国はいっそう豊かな心をもった社会として、成長してゆくはずだと思いますね。