高級霊の思いと言葉は美しい、地獄霊は屁理屈を言う ~「文豪たちの明暗」~ | LEO幸福人生のすすめ

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いずれの著作家の本も、当然、読んだことがありますけど、やっぱり高級霊、天国に帰っている人の著作は善いものが多いし、その反対の、失敗して地獄に堕ちた人の著作は、内容も暗く、当人自身にもひねた考えの人が多いように思います。

ということで、上の四人の死後の行き先は、現状は――

あえて書くまでもないでしょうし、興味のある方は、ぜひ一読をおススメしたいと思います。


霊言のなかで「屁理屈」という言葉が出てきます。

誰に関しての対話の中で出てきたのかは、これまた一読して確認してもらえばいいのですが、

地獄に堕ちた人というのは、屁理屈を言いますよね。悪霊、悪魔、ふつうの地獄霊であっても、まぁ屁理屈を言う。

だから、数記事前に、「屁理屈を言う人間について」という記事を書いたんですけどね。

ジョン・レノンの霊言、文学者の霊言、を読んだ直後に、この記事を書いていると思いますが、


地獄に堕ちる人の特徴
 ↓
自己中心、自分中心のエゴイスティックな考え方、ものの見方、生き方をしている
 ↓
自分を正当化するために、真実を晦まし、自分に都合のいい似非ロジックを駆使する特徴がある



この、自分に都合よく、まさに都合のいい部分だけを抜き出して似非ロジックを立てる、というのが、屁理屈の出てくる根本理由だと、わたしは思うんですよね。

自分に都合よく論じようとすれば、都合の悪い話は無かったことにしたり、見て見ぬふりをしたりして、そうしておいて、自分にいいことだけを自己都合で並べて、そうして、その偏った情報のみによったロジックを立てるわけです。

そうすると、自分に都合のいい情報だけを並べたロジックを見ると、一見もっともらしく聞こえる。それなりに、言い分に筋が通っているように聞こえなくもない。

けれどもそれは、正しい判断をするために必要な情報を、すべて網羅しているのではなくて、その当人が、自分には都合の悪い情報は恣意的にカットして、そうして自分に都合がいい話だけをつなげて作り上げた、創作物に過ぎないわけです。
似非ロジックによって作り上げられた、ニセモノの話ですね。要するにウソ、誤魔化し、詭弁、ということであって、屁理屈とはまさに、そうした立場に立った、自分都合の偏った論であるがゆえに、まさに屁理屈なわけです。

ふつう、こういう自分に都合のいいばかりの、事実とは違うエゴイスティックな言い訳を聞くと、事実をつぶさに知っている人からは、容易にその嘘や欺瞞が喝破されます。

そうすると、あの人は信用できない、嘘つきだ、自分に都合がいいことばかり言っている、といって、多くの人から敬遠され、嫌われますよね。

屁理屈屋や、偏屈な人間というのも、結局、自分一個のロジックのみでもって考え、それを主張する癖があるので、他の人には通じないんですよね、そんな屁理屈や偏屈な主張は、話にならない、単なるお前の偏屈な考え方にすぎないではないか、といって嫌われるわけです。

地獄に堕ちている人に特徴的な、こうした「屁理屈」を好む癖、というのは、一つの要注意ポイント、避けるべき欠点として、注意しておいた方がいいよ、と私は思うのですね。

まっとうな霊人、天国に住まう普通の人、善なる魂たち、あるいは高級霊を見てもそうですが、みな等しく共通しているのは、

正直さ、であるとか、善心、素直さ、そういった特徴があるかと思いますが、

ここに、屁理屈好み、偏屈な性格、ひねくれたモノの見方をしたがる、という性格でもって、住まうことが出来るかといったら、そうはなっていないのではないかなー、と思いますしね。

偏屈な考えをするタイプ、といったら、仙人にはそういう特徴のある人がわりといるかもしれません。
屁理屈仙人ですね。けれども、そうした偏った見方、変にひねた考え方をするがゆえに、それは表の正道とは違う生き方をしていることになっているのではないかなー。と、わたしは観察するのでありました。

出来うるならば、正直に、素直に、理屈は理屈として、まっとうで正論を正々堂々と述べられるような、そうした生き方、モノの考え方をしたいものですね。
これが勧められるべき、王道の魂修業の道だと、やはり私は思うのでありました。

自己正当化のための屁理屈ばかりを言う人間に、なることなかれ。これですね。

天国に住まう魂たちは、そんな屁理屈を言って悦に入るような、そんな生き方はしていないでしょう、というのが、わたしの観察と考察です。

「文豪たちの明暗」収録の中には、その思いと言葉、いずれにおいても美しさを感じさせてくれる文豪が登場しています。

高級霊の語ることば、その思いの美しさとの違いが、いっそう浮き彫りになって、よくわかるかと思います。
比較しながら読み比べ、その違いは奈辺にあるのかをよく学ぶことが、こうした複数霊言を発刊していただいていることへの、感謝ある学びになるのではないかと思います。