映画鑑賞は好きなんだけれども、あまりにも観てない映画、観ようと思っている映画が多すぎるので、
パソコン作業をしながら、横で再生して、なんとなく眺めているというか、声だけ聴いているというか、そんな観方をしちゃってる時も多いし、
テレビの大画面でつけていても、よほど面白くてガン見状態にならない作品の場合は、タブレットに手を伸ばしちゃったり、本の続きを読み始めちゃったり、なんてことが多い。
要するに、ながら見、ですが。
不思議なことに、こんな中途半端な観方をしていても、面白い作品は、ハッと惹きつけられるシーンが多いんですよね。
アクションでも、ハッとするような珍しい動きとか、サスペンスものなんかでも、セリフ自体が興味深いと、なんとなく聴いていても、むむ、って画面に引き付けられるようなセリフまわしがあったりして、
そういう場合は、自然と、映画を集中して観ることになりますしね。
つまらない映画の場合は、それのみで時間を費やすのは勿体ないので、ながら見でもいっかー、という方式で最近はやってるんですが、
昨日は、そんな感じで、アベンジャーズに含まれる「ドクター・ストレンジ」を観始めました。
アベンジャーズに登場してたけど、ドクター・カンパーパッチ、そもそもどういう人物なのか、単品作品を観てないから、よく知らん、という状態だったので、
ドクター・ストレンジも観てみよう!と。
いやぁ、主人公は、傲慢な性格の外科医で、振り返れば奴がいる、の司馬先生ではありませんが、
元の性格はひじょうに嫌なタイプ。
というか、カンパーパッチのシャーロック・ホームズも、わりとそんなキャラだったっけ。
こういうキャラクター演じたら、ピッタリやね。
と思いつつ、
そのお医者さんが自動車事故で、指の神経とかをやられちゃって、医者がもう出来ん状態に!
自分の自惚れの拠って立つ根拠であった、外科医としての天才的な腕裁きを失う、というこの事態に、ドクター・ストレンジは、必死になって、治療法を求める。
いくら金がかかっても構わない!といって、それでも生来の傲慢な性格は治らぬまま、言葉はきついし、鼻持ちならない態度で周囲の人に当たるしで、
どうなるんだろう?
と思いきや、
西洋の外科的な方法では治らん、と。
東洋的というか、メンタルの方を鍛えることによって、魂の潜在意識の力を開放、鍛えることによって、
魂の力によって、肉体を治癒する、というか、再生する、みたいな可能性の前に、ストレンジは立たされるわけです。
ここからも、結構おもしろい。映像的な表現が面白かったですよ。
唯物主義バリバリのストレンジは、導師の前に立っても、そんな神秘学みたいなことを言われるとは思わなかった、バカバカしい!といって、自らの西洋医学の知識でもって、導師の救済法をあざ笑うんですが、
そこで、ドン!!
導師の手ぢからによって、ストレンジのアストラル体がふっとばされ、肉体の外へ飛び出してしまう。
わからぬのなら、実体験してみよ!!
と言わんばかりの、強制・幽体離脱!!(笑)
さすがのストレンジも、自分のいままでの世界認識というか、人間理解が根本から間違っていたことを知ります。
にもかかわらず、まだまだ傲岸不遜なままのストレンジ博士。
それはそうでしょうねー。いくら衝撃的な体験をしたからといって、魂に根付いた心の傾向性は、そう簡単に、1分や2分でコロッと変わるものじゃありませんから。
心の描写、表現としての、そういう部分に注目してみても、この「ドクター・ストレンジ」は興味深い作品に思えました。
単に、超能力を手に入れて、魔術師として大活躍する、という単純な、外的描写に終始した作品ではなくて、
そうした霊能力ならぬ神秘能力を獲得する前の主人公が、性格的には傲岸不遜で、霊的パワーを正当に使いこなせるような精神タイプではない、というところに、興味が湧きました。
アクションシーン、戦闘シーンの描写も、特殊撮影バリバリで見入っちゃいますけどね。これ、劇場公開のときは、3Dならぬ4D作品だったそうですが、
この「ドクター・ストレンジ」の、背景というか、建物が歪んで動き出すシーンって、「インセプション」を彷彿とさせて、これ映画館で見たら、クラクラ来るだろうなー、面白いビジュアル体験だろうなー、と思ったりしました。
みなさん、もう観てますかね。