もし、あなたの兄か弟、または息子さんが、次のような人と結婚したいと言ったら、あなたはどうするだろう。
「彼女は、肺結核と脊椎カリエスで九年来 臥 ています。今もなお、ギプスベッドに絶対安静で臥ていて、ときどき 喀血 もします。
年齢は、三十三歳で、ぼくより二つ年上、美人ではありません。彼女の恋人が死んで、彼女の枕もとには、その人の写真と骨が飾ってあります。いつ治るか、わかりませんが、ぼくは彼女の治るのを待っています。治らなければ、ぼくも結婚しません」
おそらく、必死になって、 「そんなばかなことを言ってはいけない」 と、説得これつとめるにちがいない。わたし自身も猛反対するにちがいない。
この「そんなばかなこと」を言ったのが、わたしの夫、三浦光世なのです。
三浦綾子さん(結婚前は堀田綾子さん)が、のちに夫となる三浦光世さんと初めて会った時の姿は、上のような状態でした。
もう何年も寝たきりで、回復する見込みや希望などはまるで無い状態。このままずっと臥せったままの人生になってもおかしくない。
そういう状態の時に、とある人の依頼で、綾子さんの見舞いに来たのが、三浦光世さんでした。
綾子さんは1年前に最愛の人を自分と同じ病である結核で失い、生きる希望を失いかけていた。
その時に、見舞にやってきた三浦光世さんは、亡くなった恋人と瓜二つの兄弟であるかのような、そっくりの容姿でもって綾子さんの前に現れた。
綾子さんの恋人の姿を知っている人も、三浦光世さんの容姿を見て驚いたそうです。兄弟か誰かですか、と皆が等しく感想を述べるくらい似ていたそうです。
わたしも二人の写真を見てみましたが、確かに似ています。驚きです。
そうした天の配剤というか、運命の出会いの不思議というのが、この世の中には確かにあるんですね。
そんな寝たきりで、治る見込みもない綾子さんのことを、三浦光世さんはいつしか愛するようになり、自分の妻となってほしいと、切に願うようになったそうです。
治る見込みなどまるで無い時点で、そう思って、綾子さんにもその気持ちを伝えていた。
三浦光世さんは、なぜ堀田綾子さんに、それほどの思いを抱くようになったのだろうか。知人の紹介で初めて会ったとは言え、ひとめぼれではなさそうです。
三浦さんは、綾子さんの詠った俳句に、心を打たれたのだそうです。
出会う前に、二人は同じ俳句の同人に参加をしていて、そこへの投稿を通して、互いの名前と、俳句の内容自体は知っている者同士だったんですね。
言葉による出会いが、実際の対面より先に有ったわけです。
実は三浦は、わたしが、死んだ恋人を思ってつくった次の挽歌に心打たれたのだと言う。
妻の如く想ふと吾を抱きくれし
君よ君よ 還り 来よ天の国より
今は亡き、綾子さんの最愛の恋人、前川正さんの死後、綾子さんは心の叫びを、上の句に乗せて詠った。
君を妻のように思っている、といって自分を抱きしめてくれた彼は、今はもういない。
できることならば、どうか、わたしのもとへ帰ってきてほしい。天国から帰ってきてほしい、と詠う綾子さんの思いは悲壮であり、切なすぎます。
この句に込められた思いの深さに、三浦光世さんは心打たれたのでしょう。
三浦さんはそうした思いを秘めて、綾子さんを愛し、求婚するのですが、
綾子さんは、そんな状態であった自分を愛し、妻として迎えてくれた夫・光世さんに、真の愛とは何であるかということを、その姿の中に見る思いがしたのでしょう。
綾子さんは、述べています。
結婚に何がほんとうに必要なのか。わたしはわたし自身の結婚をかえりみて、今つくづくと思う。愛されるにふさわしい何ひとつを持っていなかったわたしを、待っていた三浦の愛は、単なる男女の愛ではない。
真の愛というものは、愛するにふさわしいものを愛するのではなく、だれからもかえりみられない価値なきものを愛することなのではないか。わたしのさまざまな恋愛も、体の弱さも、人間的な弱さも、すべてをゆるして受け入れてくれたこの三浦の愛こそ、愛と言えるのではないか。
自分にはもう何も無い。何も残されてはいない。
自分などという存在は、存在する値打ちもない、どうでもいい存在に過ぎないのだ、親に負担をかけ、誰の役にも立っていない自分など、なんの生きる意味があるのだろうか。
そうした疑問の中で、惰性のままに生きていた自分を、三浦光世さんは愛してくれた。
だれからも顧みられることのない、価値なきものを愛することこそ、本当の愛、真の愛なのではないか、と感じ入った綾子さんは、終生、夫である光世さんの存在を、ありがたく思っていたようです。
このエッセイは、多くの人から支持をされて、
この書は五年前講談社から出版していただいた。以来、読者の方々から、これを読んで妻が変わったとか、夫が変わったというお便りや、ぜひ妻に贈りたい、嫁ぐ娘に贈りたいというお便りを数々いただいてきた。
上のような感想を抱いた人が多かったそうです。
愛されるにふさわしいものを愛するのではなく、
だれからもかえりみられない価値なきものを愛すること。
それが真の愛ではないか。
三浦綾子さんは、そう述べています。
これは、聖書にあるイエス様の愛の教え、そのものではありませんか。
愛するに値するものを愛したからとて、そこになんの値打ちがあるだろうか。そんなことは当たり前ではないか。
愛するに値しないような存在をも愛することこそ、本物の愛ではないか。
イエス様は確かに、そのような愛の広がり、愛の包容力を語って、誰もが簡単に行えるような人情レベルの愛を超えるような、もっと大いなる愛のもとに生きなさいと、人々に教えていたのだと思います。
三浦綾子さんのこの言葉は、夫の愛の深さに、深く深く感謝の思いを抱いている、妻・綾子さんならではの言葉でもあるでしょうけれど、
自分を価値のない存在だ、という深い自己否定の苦しみを経たことがなかったなら、そこまでの深い感謝の気持ちを持つこともなく、したがって、夫・光世さんの愛の深さに気づくことも出来なかったかもしれません。
三浦光世さん・綾子さんのご夫婦は、二人とも熱心なクリスチャンだけれども、そのキリスト信仰に目覚める以前には、明日をも知れぬ命、健康な肉体ではない、病の苦しみというものを、痛烈に実体験する歳月を生きているんですよね。
病の苦しみの中で、生と死のことを深く考え、その体験ゆえに、深い宗教心に目覚めることが出来たわけです。
だからお二人とも、次のような自己反省と自己観察の言葉を語って、順風満帆な人生かならずしも幸福の基ではないこと、悲しみや苦しみによってこそ人生の本当の奥深さを悟り、人は謙虚にして、感謝と愛の人生を生きることが出来るのだ。といった感想を述べています。
「もし身体が丈夫だったら、わたしのようなものは、どんなになっていたかわからないな」
三浦はときどき、そんなことを言う。つまり、飲む、うつ、買うの三拍子どころではない、刑務所のご厄介になるような人間になったかもしれないというのである。
病気になったおかげで、キリスト教を信じたから、 辛うじてどうやらおのれを保っていると三浦は言う。 「わたしもそうかもしれないわ。病気にならずに若くて結婚したら、もう、十回くらい別れたり、出たり入ったりして、いちばんはじめのおむこさんの顔も忘れているかもしれないわ。浮気な男と結婚して、カッとなって夫殺しぐらいしていたんじゃない?」 「それじゃ、健康だったら、二人とも刑務所で知り合ったかもしれないな」
三浦は笑う。しかし、冗談ではない。もし、健康なら、二人は自我が強く、自分の力を信じ、 傲慢 に、わがままに生きて、何をしてきたかわからないと、おののかずにいられないものを、自分の心の中に認めている。
人がもし、病気ひとつせず、成績優秀で人後に落ちたことがなく、経済的な苦労をひとつも知らず、一流校に入り、一流の会社に勤め、一度も失恋したことがなく、人より早く昇進・出世したとしたら、いったいどういう人間ができあがることだろう。よほどの謙 な人間でないかぎり、人を見下し、思いやりのない人間になってしまいはしないだろうか。
一見、マイナスに見える体験というものが、どんなに人を育てるための大事な体験であることか。そのマイナスの体験が、やがて、多くのプラスに変わるのではないだろうか。
結婚前に、何らかの深い痛みを知ることは、学校では学びえない大きな人生の勉強になり、そこで得たものが、より幸福な結婚への 糧 となることであると私は思っている。
範としたい、宗教的なる人生の先輩である、と思うのでありました。