アボットの『二次元の世界』 【再掲】 | LEO幸福人生のすすめ

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こちらは、2014年の記事。年をまたいでバラバラにその時の思いつきで書いてるけど、こうして続けて読むと、自分の頭の中では連動している知識なんだろうなというのが、自分でもよくわかる。

自己理解のためにも、書く、という作業は有効なんだなあ、と思う。
自分が何を考えているのか、書いて外に出してみて、それをあらためて自分で眺めることで、自己分析がより明確に行えるのではあるまいか。




エドウィン・A・アボットというイギリス人が、1884年に書いた小説『二次元の世界』。
原題は、フラットランド。
フラットランドというのは、日本語訳名を見ればわかるように、二次元の世界、ということ。

H.G.ウェルズが、『タイムマシン』を発表したのが1895年であることを思うと、このアボットの不思議な物語が、いかに先駆的で斬新なアイデア、しかも科学的にも高度な思考に支えられた、驚くべき小説であるかと思わずにはいられません。


このお話は、二次元世界の住人が、自分より下の1次元世界を旅してきたり、さらには自分たちの住む2次元世界の描写をしたり、次元を超えた体験を描いていて面白い。
圧巻なのは、その2次元世界に突如として現れた、3次元世界の住人との遭遇、を描いているところです。

2次元世界に突如として、3次元世界から謎の物体が現れるというのは、

わたしたち3次元世界に生きる地球人の前に、4次元空間からUFOが突如として現れるとか、タイムマシンが現れるとか、そういうことと同質の衝撃事件ですよね!!

アボットは、この二次元世界の物語によって、いったい何を読者に伝えたかったのでしょうか?


次元構造ということの不思議、理解?

あるいは、2次元世界と3次元世界の関わりを物語として描くことで、
わたしたち3次元世界に生きる、この世の人間たちに、3次元を超えて広がっている、目に見えない4次元の世界、5次元の世界、さらには、それ以上の世界の存在を、暗示したかったのでしょうか?

いずれにしても、こんな作品を、19世紀の後半という時に、すでに世に発表していたアボットという方は、驚くべき人物だと思います。


このアボットの小説の存在を知ったのは、とある解説本で、このフラットランドの物語のあらすじを読んだときです。
こんな風に紹介されています。(以下、転載)



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文字どおり二次元の国の物語である。
人間は一人も登場せず、この本の主人公である語り手は<正方形>である。
物語の前半で、奇妙な平面国の説明がなされる。

この世界の住民は、直線、三角形、四角形などの多角形であり、
知性のないものとみなされている女性は<直線>、
兵士や職人は<二等辺三角形>、
商人は<正三角形>、
知識階級は<正方形>か<正五角形>、
貴族はそれ以上の<正多角形>というように、
<円>に近づけば近づくほど高い階級に属する。

主人公はある日、夢の中で一次元の世界に旅する。
直線の中の線分にすぎないその世界の王は、彼(主人公)の存在を理解できない。
(*線の世界に閉じ込められた住人は、1次元の線しか認識できないため、その外に広がる平面世界の存在を認識できないから。)

そこ(一次元)から戻ってきた彼に、こんどは三次元世界から<球>が訪れる。
<球>は彼を三次元世界へ連れて行き、
彼は二次元世界を上空から眺める、という経験をする。
こうして多次元世界の存在を知った彼は、平面世界へ戻って新知識を広めようとするが、 … 。


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というお話。

こうして読んでみると、臨死体験をしてあの世(4次元世界)を見てきた人の体験話や、UFOに連れ去られて地球をはるかに見渡したという人や、タイムマシンに遭遇した古代の預言者エゼキエルの体験などが、

このフラットランドの主人公スクエア氏が述べる体験と重なってくると思いませんか?
そう、この作品は、2次元世界を語ることによって、3次元に生きる私たちに、自分が生きている世界を考えさせるための、優れたアナロジーにもなっているのです。

3次元世界に生きる私たちに、時おり訪れる神秘体験は、

2次元世界に生きるスクエア氏が体験した、3次元の冒険物語に似ていないでしょうか?

通常は気づかないけれど、
実はいま生きているこの世界を、包み込んで支えているところの、さらなる高次元世界を一瞬垣間見た、そういう体験ではあるまいか。
そんな風に、考えさせられる物語でもあるんですよね。

あらすじの中で、知性のないものとみなされている女性、とあるので、
女性の方はカチンと来ちゃったかもしれませんが、
これは別に作者のアボットが女性を蔑視していたわけでは、むろんありません。
それどころか事実は正反対で、アボットはこうした表現をすることで、暗にヴィクトリア朝時代のイギリス社会を風刺し、女性にも知的教育をもっと開放すべきではないか、ということを提示したのだともいいます。
その証拠にアボット自身、本職は教育者であって、校長にまでなった方であり、婦女子教育に強い関心を持ち、婦女子教育の改革と推進に、みずから積極的に参画した人だったからです。


このアボット作の小説『フラットランド』は、邦訳では、

講談社ブルーバックスで、『二次元の世界』のタイトルで出版され、

それから、東京図書というところから90年代に、『多次元・平面国―ペチャンコ世界の住人たち』のタイトルで出版されるも、いずれもすでに絶版ですね。

2009年に日経BP社から、『フラットランド 多次元の冒険』という新訳が出たおかげで、
わたしはようやくこの著作を手に入れて、初めて読むことが出来ました。
それまでは、上の2訳書がいずれも長らく絶版で、読みたくても読めなかったので、この新訳が出たときは、おーーー!と狂喜して速攻購入、読破したことを思い出します。

が、これもわずか5年にして、すでに絶版 … 。

幾何学小説と銘打たれているように、数学的な思考が必要なのかと思って、敬遠されちゃうことが多いのかなー、とも思います。
たしかに、次元を語る物語ですから、そこには当然、高度に数学的な概念思考が必要な部分もあると思います。
けれども、あくまでもこの作品は「小説」であって、登場人物の体験する冒険物語でもあるわけだから、難解に感じるところがあったら、軽く読み飛ばして、先へ読み進めていっちゃえばいいと思うんですよね。

なぜなら、主人公のスクエア氏自体、3次元世界の説明を聞いたって、十分には理解できなかったでしょうから、スクエア氏と同じ立場に立って、話が半分しか理解できなくても、不思議な世界の謎の冒険は、じゅうぶんに楽しめるからです。

自分が今いる世界を、外から眺めてみたら?

そもそも自分は、いったいどうした世界に生きているのだろうか?

上の次元から、この世界を眺めてみたら、どう見える?何を感じるだろう?

その意味を、あらためて考え直すための、大いなるきっかけの読書になるかもしれません。


絶版になって埋もれてしまうのは、とてもとても惜しい本ですね。


本の中には、挿絵もいっぱい入っていて、

1次元の世界の王様の行列に、主人公が遭遇すると、どのような場面になるのかが、視覚的にもわかるようになっているし、

スクエア氏の前に、3次元の物体が現れるとき、どのような形に見えるのか。
それも図解で、わかりやすく描写され、説明されています。

球体が目の前に現れても、2次元平面しか認識できないスクエア氏には、立体的な球はわからない。
通り過ぎるにつれて、最初は小さな点だったものが、徐々に大きな円に拡大していって、それがまた小さな点になっていって、消えてしまう。

平面上を、ボールがゆっくりと通り過ぎるところを、思い浮かべてください。
その経過を平面上から眺めていたら、いったいどのように見えるだろうか?と。


内容に興味のある方は、ぜひ、アボットの文章を実際に読んでみてください。

図書館に行けば、見つかるかなぁー(笑)。

上にあげた3訳書も、中古本ならAmazonで売ってますね。めちゃ値段が跳ね上がってるけど … 。



【再掲追記】

今は別の翻訳書が複数出てるので、以前より入手は簡単かな。