この短編シリーズはただただ、「頑張れ女の子!」という趣旨の元、書いております。
どの話も、主人公の「私」の名前は出てきません。フィクションと言えど読んでくれてる「あなた」のお話だからです(決まった~~!?)。
過去の短編はこちら→「頑張れ女の子シリーズ」
今回はmituさんのメールを元に、私の経験も掛け合わせながら書いてみました。mituさんありがとう
「ソフト君とのおもいで」
「早くしないと花火はじまるよー!」
大股開きでのんびり自転車のペダルを漕ぐ彼の肩を前後にグングン押したり引いたりした。
Tシャツ越しに感じる筋肉と、汗ばんだ感触。
私は、後輪に取り付けられたハブステップに立ち、人肌ほどありそうなぬるい風を正面から受けていた。
彼のマンションから自転車で約十分の川縁へ、二人乗りで向かう。
二人で花火大会を見るのは二度目だ。
私たちは、二年前の春から付き合っている。
なので計算上、一緒に迎える花火大会は今年で三度目になるのだけれど、去年は大雨で中止になった。
だから今年で、二度目。
駅から歩くには少し遠目の彼のマンション。付き合いはじめた頃、彼が二人乗りできるようステップを取り付けてくれた(違法)。
それから二年以上、彼の肩に手を置いた、少し高いこの位置からの世界を見つめつづけてきた。
「花火見ながらアイスコーヒーのみたいからちょっとコンビニ寄ろう」
少しだけこちらを振り返りながら、彼が言う。斜め三十度くらいの横顔。
「うん」
私はそんな、三十度だけの彼の横顔が大好きだ。
への字口の彼の唇がモゴモゴ動いて、肩に乗せた手の平や、背にあたる私の太ももから伝わってくる低い声の響きが、好きだ。
夏の宵はゆっくりとスローモーションのように街に降り、高いビルのてっぺんを紺に溶きはじめていた。
いつも立ち寄るコンビニの、赤と白の小さな置き看板が歩道に出ているのが見えると、私はステップから飛び降りる。
自転車を停めようと、鍵をガチャガチャやっている彼を差し置いて、
ピロリロン
ガラスの扉を押し開けた。
ひんやりとした冷気が肌をくるみ、
「いらっしゃいませ」
という言葉が耳に滑り込んでくる。
レジに立つその声の主を確かめた私は、
やっぱりいない
と、少しテンションが、下がった。
ピロリロン
続いて入ってきた彼も、すぐにレジを確認して、顔が曇った。
ソフト君がいなくなってから、ひと月近くが経とうとしていた。
私たちは、なんとなく目配せしあって、なんとなく肩を落としあって、ドリンクコーナーへ向かった。
ソフト君、とは、コンビニ店員さんだ。
もちろん本名でなく、私たちが勝手に命名したあだ名だ。
このコンビニ名物のソフトクリームがとてもおいしくて、コンデンスミルクのようなこってり甘いバニラは逸品だった。
私はここに立ち寄るたびに、注文を繰り返した。飽きもせず買い続ける内に、店員によって「巻き」の段数が違うことに気がついた帰り道、
「あの男の子が作ってくれるのは、他の人より段が一段多い!これからはあの店員さんにだけ注文する!」
私は鼻息荒く、ソフト片手に自転車のステップに立ち、どうでもいい感じで聞いている彼に何度も力説した。
それから、二人の間で、巻きが多いソフトを作ってくれるその店員さんのことを「ソフト君」と呼ぶようになった。
ソフト君本人にはもちろん内緒で。
ソフト君は私たちよりも少し年下に見えた。
学生か・・・フリーターか。
背は低めだけれど、髭が濃くて、もみ上げと輪のように繋がっていた。けれど丁寧に切り揃えてあったので、不潔な印象は抱かなかった。
いつも無表情で、目は細く、髪は短くスポーツ刈りのような感じで、コンビニ規定の赤い制服の袖を捲り上げていた。
そんな風貌の彼が、
「どうぞ」
と、作ったソフトクリームを、これまた無表情に差し出すのが、蜂蜜を持ったクマのぷーさんのようで、可愛いなぁと、彼と言い合っていた。
それだけなら。
それだけの店員さんなら、たとえいなくなったところで、こんなにも寂しく思ったりしなかっただろう。
もちろん、ソフトクリームの段数を差し引いたとしても。
私は、まだ抜けきらない喪失感をかすかに感じながら、エスプレッソにするか、モカにするか。迷いながらふらふら彷徨う手の向こう、去年の花火大会の日のことを思い出していた。
ちょうど一年前の夏。
私たちは、よく言い争いをしていた。
彼が他の女の子と二人きりで食事に行ったことを、人づてに聞き、私はしばらくの期間ずっと不機嫌だったのだ。
何度も、
「会社の子で、仕事の件もあったし」
と同じセリフを繰り返す彼を、こやつは文鳥か、と思っていた。
「じゃあ、どうして私に嘘ついたの?その日は友達と飲みだったはずじゃない」
返すと、また、
「ごめん、正直に言ったらヤキモチ妬かれるってわかってたし、言わない方がいいかなって。でも会社の子で、仕事の件もあったんだ」
と、また同じことを繰り返しはじめる。
私は、女の子と食事に行ったことはもちろん腹立たしかったけれど、その一万倍、嘘をつかれたことの方が腹立たしかった。
嘘はひとつ、ふたつ、重ねるごとに際限がなくなる。
いつか、嘘でしか会話できなくなってしまう。
そりゃあ私だって聖人君子ではないから、突っ込まれれば後ろめたいことは、ある。元彼からメールが来れば返していたりetc・・・
それでもわざわざ「嘘をついて」行って欲しくなかっただけだ。
まぁいつも必要以上にヤキモチを妬いてしまう私に、仕事関係でどうしても食事しなければならない場面を納得させる方が骨の折れることだということくらい、自分でもよくわかっているけれど。
去年の花火大会当日も、私は彼のマンションに来ていた。
その頃、彼は私の前では、携帯をわざわざ裏返しディスプレイを見えないようにして、着信音を切っていた。
数日前にハタとそれに気がついていた私は、花火大会当日だというのに、彼と会った瞬間から不機嫌だった。
一度、狂い出した歯車が再びかみ合うようになるには、大変な労力がいる。
もうすぐ部屋を出て、花火を見に行くという段になって、怒りを抑えきれなくなった私は、最悪のタイミングで疑念を彼にぶつけた。
どうして?どうして?と。
「なんだか・・・電話やメールも疑ってる気がして・・・仲良くしたいから、会ってる時くらいは携帯あんま見せない方がいいかなって・・・・」
その言葉に興奮して、みっつよっつ・・・いやいつつかむっつくらいかもしれない、言い返し、
「もうあなたとはやっていけない!」
と、部屋を飛び出していた。
きっとどんな弁解を聞いても無駄だった、と思う。
いとしいきもちが、うたがわしい気持ちに負けていたのだから。
信じるのは難しいと誰かがギターをかき鳴らして歌っていたけれど、本当だ。
信じることは難しい。すべてを信じることは難しいけれど、すべてを疑うのは簡単すぎて、びっくりするほどだ。
外に出ると、薄闇がアスファルトの濃い色と、とうに混ざっていた。夏のうんざりする湿気の中、歩き出した私を、ぽつぽつと何かが打った。
ザザー・・・
みるみる間に大粒の雨が、アスファルトをもっと濃い黒に染めて、昼間の熱気を香ばしい香りとともに、空気中に放出させはじめた。
はぁ・・・
走ってどこかで雨宿りするような気力もなく、逆に立ち止まってしまった。
私はざんざん濡れに濡れながら、一瞬、彼のマンションで雨宿りしようかとの考えがちらり横切ったけれど、すぐに思い直し、歩き出した。
と、稲光が進行方向で、ビカーッと真昼のように空を明るくした。
なんなんだ・・・・
もうすべてがどうでもよくて、大雨の中、大の字に寝そべって、どうにでもしろ!と叫びたい気分だった。
タクシーを拾おうかとも考えたけれど、頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れの私を乗せるような奇特な運転手などいないだろうと、あきらめ歩き続けた。
どうでもいいのに顔が歪んで、涙が溢れた。ヒクヒク止まらない嗚咽。
なんだ、この安いドラマみたいな展開!
冷静な私が、ずぶ濡れの猫のように鳴いて歩き続ける私を、分析していた。
絶え間なく打ち続ける激しい雨の中、自分も雨と一緒に地面に染んでいきそうだった。
目に流れ込む雨筋と、流れ出る涙で、歪みまくる視界の中、ぽつんとくっきり見えたひとつの看板。
いつものコンビニの小さな赤と白の置き看板が、妙に暖かく映えていた。
通りから覗くと、必要以上に明るい店内は、目に痛くて。
ここに彼と通い続けたたくさんの日々が稲光に負けないほどの激しさで蘇った。
いよいよ、嗚咽が止まらなくなって、ヒクヒクを通り越し、グウグウ泣きながら、ガラスの入り口を押し開けた。
「いらっしゃいませ・・・」
レジには、ソフト君が立っていた。私の変わり果てた姿に、いつものポーカーフェイスを崩し、目を呆然と見開いてた。
なぜか負けじと、私もしばらく呆然と入り口のマットの上につっ立っていた。
何秒かの、妙な沈黙のあと。
私は雑誌コーナーの隣に吊り下げて売ってあるビニール傘を一本掴み取り、レジに持っていった。
恥ずかしくて、ずっとうつむきながら。
「あの・・・これ使いますか?」
と、声がしたと思ったら、財布をぎっと握り会計を待つびしょ濡れの自分の手だけを見つめていた視界が、何かで真っ白になった。その正体は真っ白なタオルだった。
顔を上げると、困ったような照れているような、妙な表情でソフト君がタオルを差し出していた。
ぶっきらぼうなその優しさに、喉が詰まって言葉が出ず、頭を下げると、涙までもまたポタポタ落ち始めた。受け取ったタオルですぐに顔を覆い、しゃくりあげながら、泣き止もう、泣き止もうとしていた。
彼だって。彼だって、こんな風に今までたくさんの優しさをくれた。のに。
私は疑うことしかできなかった。
カサカサ・・・
すぐに使えるようにか、ビニール傘の包装を解いてくれている音がする。
なんとか泣き止んで、ひどい状態であっただろう顔をようやく蛍光灯の下にさらすと。
ソフト君の手が止まっていることに気がついた。入り口を見つめている。
?
ソフト君が見る方向へ、視線を向けると。
ガラスの向こう。彼が傘を差してこちらを見ていた。
と、ソフト君はすぐにビニール傘の包装を元に戻しはじめた。
もういらないよね?これ。
という風に。
ピロリロン
彼が、店に入ってくる。私の手を引いて、
「帰ろう」
と、言った。また涙が出て、いい加減にしろというくらいにしつこく涙が出てきて。
「うん」
素直にうなずいていた。
ソフト君に礼を言って、タオルを返し、ビニール傘は買わずに店を後にした。
結局、その年の花火大会は大雨のせいで中止になった。
それから、色々とあったけれど、私たちは仲良くやっている。
浮気は・・・したのかなぁ?してないのかなぁ?・・・わからない。
けれど、目の前の彼を信じるしかない。
そう思えたのは、
あの大雨の中、コンビニに寄って。そこにソフト君がいて、優しくされたことを思い出させてくれたから。
「決めた?」
彼の声にハッとし、慌ててモカを手に取った視界の隅で。
バン!
と、店の裏事務所へ続く扉が開いて、いつもの風貌のソフト君が出てきた。
「あ!」
思わず声をあげた私を振り向いたソフト君は、私と彼を思い出したのか、軽く会釈をした。
いつものポーカーフェイスで。
そして、さっさとレジ方向へ歩いていった。
「やめてなかった」
私がコソコソ耳打ちすると、、
「俺のちょっとした切なさを返せー」
彼は笑った。
二本のコーヒーをレジ台に置くと。
「いらっしゃいませ」
眉一つ動かさず、ソフト君はバーコードを通しはじめた。
ドンドン
破裂音がする。
見ると、ガラス扉の向こう、ビルとビルの間の紺空に、パッとかわいい花がいくつも咲きはじめた。
「花火はじまった!」
お釣りを受け取る彼に声を上げると、
「おお!」
と、答えた瞬間、ちゃりんと小銭が落ちる音がした。
?
ソフト君も花火に気を取られてよそ見をし、彼の手のひらにお釣りを渡しそこねたのだ。
「あ、すみません!」
急いでレジを出て拾おううとするソフト君を、私は、
「大丈夫ですよ」
と、制し、小銭を拾い上げた。
ぺこりと頭を下げたソフト君は、照れくさそうに笑っていた。
はじめて見る気がする、笑顔。
「あ、すいません、ソフトクリームもください」
私は、ソフト君がいなくなってから、ソフトクリームを注文する気になれなかったのだ。
「はい」
そんなやりとりの最中にも、どんどん花火は打ち上げられていく。
「ありがとうございました」
ソフト君の声に、私たちはニコニコ笑顔を返して、扉を押し開けた。
ドーン!!
表に出ると、より大きな音が鼓膜を震わす。高揚感を押さえられない彼は、
「早く行こう!もっと近くに!」
と、自転車にまたがった。
「うん」
同じように空を見上げる人々の間をくぐり、夏の絵画がもっとよく見える川縁へひた急いだ。
きっと。
あのソフト君とも、会わなくなる日がくる。
互いにサヨウナラとも、オゲンキデとも言うことなく、いつの間にか会わなくなっていく。
いろんな場所で生きる「人」と「人」。
ただ点が重なっただけだ。
けれど、そんな通り過ぎるだけ、すれ違うだけの関わりの中、ソフト君がただそこに存在してくれたこと、が私たちを少しだけ助けてくれたのは確かだ。
もしかしたら、私と彼はどこか別の街で、一緒に暮らし始めるかもしれない。
もしかしたら、互いに別々の道を選ぶかもしれない。
ソフト君も、コンビニがバイト先だったのなら、いつかビル街のスーツたちの中に紛れていくのだろう。
いずれにせよ、そう遠くない未来に「接・点」はなくなる。
けれど。
この先、私と彼が生きたこの街を思い出す時、高いビルたちに押しつぶされそうになりながら光っていたあの小さなコンビニという箱の中、毎晩レジを打ったり品出しを続けていたソフト君のこともセットで思い出すだろう。
それが、言葉ではないけれど、心でサヨナラ、ゲンキデと、伝えられていることのような気がする。
ソフト君にとっては、私たちは大勢の客の内の一組に過ぎなくて、私が(おそらく彼も)こんな風に考えていることなど知りもせず、今日もあのポーカーフェイスで「いらっしゃいませ」と言いつづけるのだろう。
ドン!パパパン!!
破裂音が轟き続ける中、みんな花火の方向を見上げて、頬を緩めたり、歓声をあげたりする。
偶然同じ場所に居合わせたみんなが、今夜、同じ綺麗なものを少しの間だけ共有し、またそれぞれの場所へ帰っていく。
そのことが、人として生まれた、たまらない贅沢なのではないかと、信号待ちの交差点、たくさんの人と一緒に同じ花火を同じ夏の夜空を見上げながら。
次の花火をわくわく待ちながら、思った。