このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。
出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。
発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。
目次はこちら
私が夢見た「優」
第二十七話、「夜の終わりで、彼ともう一度。もう一度」 (第二十六話「追伸」はこちら )
一人暮らしをはじめた私は、思いのほか元気だった。
新しい部屋に・新しい電化製品。
友人たちもよく遊びにきた。
そんなあわただしい生活の中、寂しさを感じる暇もなく……
いや、感じないよう細心の注意を払いながら日々を過ごしていった。
けれど。
私はほとんど物を食べなくなった。
食べたくならなかったのだ。自分でも不思議なほどに。
食べることはエネルギーを取り入れること。
光を体に灯すこと。
そして生きる。
その単純なことをできなくなっていた。
「痩せた? ちゃんと食べてる?」
友達にそう聞かれても、
「うんうん」
と、生返事しか返せなかった。
時間が。
過ぎていく時間がすべてを解決してくれる。私はそれだけを信じて、それだけを頼りに、体に鞭打って前へ・前へ進もうとしていた。
友達との都合が合わない夜は、一人・部屋で無理やり飲めないお酒を飲んだ。
それもすべて飲み干してしまえば、コンビニに買い足しに行く。
一瞬でも・たった一瞬でも、ボロボロの自分をごまかしてくれる甘露のようなお酒の入ったビニール袋を手に提げ、ふわふわした体での信号待ち。
アルコールでぼやけた目に映るのは、真夜中の街の光たち。
街灯
流れる車のヘッドライト
くすんだ星
そして、どれだけ飲んでも飲んでも頭から離れない、トモと過ごした輝く思い出。
世界に取り残されたように、ポツンと一人、信号が青に変わるのを待ち続けても、一向に赤のままだった。
夜間は押しボタン式になることにようやく気づき、バカバカしく自嘲気味に少し笑いながら、私はグッとボタンを押した。
青に変わり、歩き出すと、店じまいしたショーウインドウにげっそりやつれた私の顔が映る。
何が正しいのか・何が間違っているのか。まったくわからなかった。
ただひとつ。私の全身が叫ぶ祈り。
どうか、助けてください。誰か。
私は。笑っていたいのです。ずっとずっと笑っていたいのです。
けれど、救いはどこからも来ず、私はまた、お酒が見せる暗い・きらびやかな夜の底に沈んでいくのだった。
その揺り返しは突然にきた。
ある日、出勤しようとすると、体がいうことを聞かなくなった。とにかく眠かった。だるくてだるくて動けなかった。
そのまま仕事を休み、泥のように眠った。
そして。
目が覚めた真夜中。私はテレビをつけた。沈黙の部屋。
熱があるのか体は燃えるように熱く、喉がヒリヒリ渇いた気がしたけれど、キッチンでコップに水を入れるという行為すら面倒だった。
全身が鉛のように重かった。
その間も、ずっとテレビはショッピング番組を楽しげに放送し続けた。大げさなリアクションで外人が商品の紹介をしてゆく。
トモはこの手の番組に、すぐに感化されるタイプだった。
「うわー! すげー! 見てみ。めっちゃ汚れ取れてる!」
「こんなん大袈裟に言うてるんやって」
「欲しい! 電話する!」
「あーかーん。どうせ使えへんねんやから」
あのとき、反対せずに買わせてあげれば良かった。
良かった……?
過去形?
どうして過去形なんだろう。
私たちは別れた。別れたから。
けれど、本当に別れたのだろうか。あんなにいろんなことを話して、約束しあったのに。
私はブラウン管の青白い光に包まれて、想像した。
玄関のチャイムが鳴って、ドアをあけるとトモが笑顔で立っている。
「今までの全部嘘やで。だから、ずっと俺と一緒におってな。約束したもんな」
彼は、そう言って笑う。
私が嬉しさのあまり抱きつくと、
「手紙持って行ったやろ。俺の手紙なんやから」
少し怒って言う。
手紙?
そうだ、手紙は?
私は部屋の電気を点け、手紙を探した。
クローゼットの奥にしまったダンボールから、手紙たちを詰め込んだ紙袋を引っ張り出した。
フローリングにへたり込んで、次々に読み返す。
いろんな年の、色んな日付の、私がいた。
バラバラなように見えても、それらはパズルのように、すべて合わさると、大きな・揺るがないメッセージを伝えていた。
『トモ、好き』
トモは私を待っている気がした。
私は部屋を飛び出して、真夜中の夏の道路をバイクでひた走った。
トモと一緒に住んだマンションに向けて。
膝や肘の関節がギシギシ悲鳴を上げた。
火照った体を、風が気持ち悪く撫でた。
もうおかしくなっていた。
狂っていたのかもしれない。
ボロボロだった。
たった一人なのに。
たった一人と会えなくなっただけなのに、私はボロボロになっていた。
毎朝、目が覚めると、朝の日差しの中、トモのぐしゃぐしゃの寝癖頭が見えた。
そうだ、大丈夫。彼は待っている。
この夜の終わりで。あの頃の優しい笑顔のまま。きっと『蒼』と、また呼んでくれる。呼んでくれる。
そして、彼の腕の中、眠ろう。
もう一度、二人で生きていくのだ。もう一度。今度こそ、ずっと一緒に。
マンションが見えると、胸は高鳴った。
けれど。
駐車場にトモの車はなかった。
バイクを停め、二人の部屋を見上げると、カーテンがとり外された、何の体温も感じない真っ黒い空洞と化した窓が、大きく口を開けていた。
トモも、既にマンションをあとにしていた。
私たちの部屋は、死んでいた。
廃墟になっていた。
もう、どこにもすがるところなどなかった。
終わらない夜の中、私は、ただただ立ち尽くしていた。
第二十八話「手」 へ続く