このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。

出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。

発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。

目次はこちら
 

私が夢見た「優」  

 

第十九話「あなたの影・私の影」  (第十八話「終わりへと続く幸せ」はこちら

 

 

「四階。ホラ今白いカーテンが引いてあるところ。ここに住んでてん! それと…見て! あの木に登ってよくボケーッとしてた!」


住んでいた団地の前に着くと、車からゴム鞠のように飛び降りた私は、トモに大はしゃぎで説明した。


「ここかー」


トモは言って。優しい目で私を見た。


「何なん?」


「いや、なんか蒼がここで育ったんやなって思ったらすごい嬉しい。俺、ここにおる! って」


「何じゃそりゃ。あ、裏山行こう!」


「裏山?」


「うん。この裏側に山とか公園があるねん」


私は小走りで、団地裏手に回った。


小さい頃からずっと遊んでいた山は、私の記憶の中よりもずっと小さかった。


「これ、山っていうには小さいんちゃう…?」


「ほんまやな…昔はすんごい大きく見えたのになぁ…あ、入り口こっち」


細い山道に並べられた、古びた木の埋め込み階段を私はヒール履きなのも気にせず、一段飛ばしで上がっていった。トモも急いでついて来た。

 

 

階段を上り切ると、見晴らしよく広がる小高い丘。

そこにあった木の切り株に腰かけ、その半分をトモの為に空けてあげた。
二人でぎゅうぎゅう座って、しばらく黙っていた。


風がビュービューと強くて、二人の髪をぐちゃぐちゃにした。
カラスが風に押し流されるように飛んでいた。ふっと巻きとれそうな綿飴雲が青をバックに流れて、眩しい日差しが私たちを包んでいた。

 

 

と、トモが足下にあった松ぼっくりを拾い上げて話しはじめた。


「小学校低学年くらいかな? 松ぼっくり山ほど家に持って帰って机の引き出しに入れてたんやんか。そしたらしばらくしたらいっぱい虫出てきてん。松ぼっくりの中から。めちゃくちゃオカンに怒られたわ。『なんでも持って帰ってくんな!』って」


「小さい頃って、なんであんなにしょうもないもん集めるんやろな」


トモに習って拾い上げていた松ぼっくりをあわてて捨て、私は言った。


「わからん。なんやろなー」


トモは足を投げ出した姿勢で空を見上げた。
その顔がまっさらな子供のようだった。
赤やオレンジ・茶色の秋の色が積もった地面に、風にくるくる旋回しながら無数の葉がどんどん降りてゆく。

 

 

「あそこ見える?あのベランダ右から二つ目・上から二つ目のベランダ。今布団干してるところあるやろ?」


「うん」


「私がこの山とか公園で友達と遊んでたらな、お母さんがあのベランダからでっかい声で手振りながら呼ぶねん。『蒼―!!ごーはーんー!!』って」


「へー」


「なんかここから見てたらお母さんに呼ばれそうな気がする」


私は笑った。

けれど。もう会わないかもしれない両親を思って気詰まりになり、風にはためく自分のスカートの裾をつまんだりした。
トモも思うところがあるのか、何も言わなかった。

 

「トモの……。生まれ育ったところはどんなんやったん?」


しばらくの沈黙のあと、私は聞いた。
彼が小学校高学年まで神戸の下町に住んでいたことは聞いていた。


「こんなにいっぱいは緑なかったなー」


トモはあたりを見渡しながら言った。


「だから空き地とか見つけたらすぐ遊びに行ってた。絵に描いたような下町やったなぁ」


「……今度、連れて行ってほしい。トモの育ったところに私も行きたい」


「うん。行こう。行こうな絶対」

 


好きな人の過去を聞くのは楽しい。
けれど、どこかとり残された気がする。
自分の影がそこにはないから。もちろん私の過去にもトモの影はない。
だから少しでも知りたい・近づきたい・その人を形成するエッセンスをとり込みたいと思う。もっともっと、と。どうしてこうも重ねたがるのか。
どれだけ重ねようとしても重ならない部分があることを、嘆いてしまうほど好きだということ。
互いの影を追い続ける影踏みのようなもの。

 

 

目を閉じると、木々の葉と葉が風にこすれ合うザーッという音が、海。
はるか続くさざ波のように聞こえた。海風に吹かれているような錯覚。

 

そこに、子供数人の笑い声が聞こえた。
トモと私、同時にその方向に目をやると、見事に大中小サイズが揃った男の子が三人、こちらの様子を伺っている。


私たちが彼らの陣地で話しているのが気になるのか、わざと近くに寄ってきて、遊びはじめた。


最初は知らないフリをしていたけれど、あまりにも露骨に相手をして欲しそうな態度の三人に、声をかけたのはトモだった。


「いつもここで遊んでるん?」


すると、一番大きな子が、


「うん。お兄ちゃんとお姉ちゃん知らん人や」


と、恥ずかしそうに言った。
私が、


「私は昔ずっとここで遊んでたよ。僕らの倍以上そこの団地に住んでたもん」


と、言うと、


「嘘や」


「嘘ー!」


三人はガヤガヤ騒ぎ出した。


「ほんま」


「じゃあそこの崖知ってる?」


「崖?」


子供たちが指をさす方を見た私の脳裏に雪崩のように記憶が蘇った。


「知ってる! いつも登ってたもん!」


「嘘―」


「ほんま!」


私は立ち上がって、少し丘を下った所にある木の根っこが飛び出した「崖」に向かった。

 

 


子供から見ると、大きな「崖」にも見えるその場所は、何てことはない、ただ土が大きく削れてできただけの急な斜面だった。

 

「こんなに早く登れるもんねー!」


子供たちは私たちに見せつけるように、猿のようにひょいひょい木の根を伝い、器用に登っていった。
私も負けじとトモをけしかけて、二人で登った。


ヒールはツルツルと斜面を滑ってしまい、私はこんなんじゃないねん昔はもっと登るの早かってん、と大人気ないことをギャーギャー言いながら悪戦苦闘した。

 

よろめいたトモが枝垂れた枝をつかもうとした瞬間。


「あ、トモ! その木つかんだらアカンで! 漆やから! かぶれるで」


私は咄嗟に、口にしていた。


「うん」


トモはびっくりしたように、手を引っ込めた。

 


記憶が。
ひとつ。ふたつ。よっつ。やっつ。
次々に溢れ出て止まらなくなる。
それは、私が私のままである証明。
姿格好は変わっても、私の中のものは変わらないという証明だった。

 

第二十話「永遠が、見えた。」 へ続く

 

←続き楽しみな方は是非