このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。

出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。

発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。

目次はこちら
 

私が夢見た「優」  

 

第十六話「どうか、このまま」  (第十五話「波の花」はこちら

 

 

 

「寒っ!なんで窓開けるん?」


私が聞くと、


「まぁええやん。それよりちょっと目つぶって」


トモは言った。


「なんで?」


「ええから!」


私は腑に落ちないまま、しぶしぶ目をつぶった。かすかな波の音とエアコンの音が混ざって静かに聞こえる。

トモは私の手をとり、薬指にそっと何かをはめた。びっくりして目を開けると、シンプルな銀色の指輪だった。


「ぎゃーー!!」


「ぎゃーー!!」


私が叫ぶと、トモも真似をして叫んだ。照れ隠しに二人で笑い転げた。


「すごい! 指輪や!」


「すごいなぁ、よかったなぁ。俺とおそろいやでー」


トモは自分の左手を見せた。その薬指にはいつの間にか同じデザインの指輪がはめてあった。


「あれやな、婚約指輪ってやつやな」


「ありがとー。ありがとうな」


私たちはしばらく、


「婚約記者会見」


などと言いながら、芸能人の結婚会見でよく見る、指輪をはめた手を並べて報道陣にニコニコするシーンを真似た。

 


「それと、もうひとつおまけがあったりするねん」


と、トモは浴衣の帯に見えないよう挟んであった封筒を私に差し出した。


「え? 嘘? 手紙?」


「そうそう」


「ほんまに? はじめてやん」


「そうそう。字下手やけど」


私は誕生日などのイベントのときはもちろん、トモの部屋に泊まる度にメモ程度の手紙を彼に書いていた。けれど、トモはそれまで私に手紙を書いてくれたことはなかった。


「今読んでええのん?」」


「ええで。俺ちょっとあっち行こっと。言うとくけど字下手やで。下手やからな!」


トモはテーブルに戻り、落ち着かない様子でタバコに火を点けた。



私は封筒から丁寧に便箋を取り出し、開いた。


「こんな風に蒼に手紙を書くのははじめてで…」


ふざけて大声で手紙を読み上げると、トモはわーわー騒いで声を掻き消した。


「お前、意地悪やな!」


「冗談やん」


私は黙って、書かれた字をゆっくり目で追いはじめた。



私と友達になって、恋人になったこと。はじめてだらけで二人いろいろなことがあったけれど、とても幸せだということ。会えてよかったということ。
そして最後に。


“大学を卒業したら、一緒に暮らそう”


そう書いてあった。



私は何度も最初から読み直した。トモの字で書かれた二人の歴史と未来。鼻の奥がツンとした。


「まだ読み終われへんの?」


トモがもぞもぞ聞いた。


「読んだ。今三回目読んでるねん」


私が答えると、トモは私の前に歩み寄り、屈んで。


「俺就職活動頑張るし、卒業までに金貯めるから、ワンルームじゃないもうちょっと広いところに一緒に住もう」


「…うん」


私は薬指にある、指輪の感覚に慣れなくて、自然とそこに意識が集中した。それは幸せの象徴だった。



「あのな、もう一回指輪はめて。今度はちゃんとトモがはめてくれるところ、見たい」


トモが私の指に指輪をはめる瞬間が見たかった。


「えーはずかしー」


「大丈夫。今度はばっちり見とくから!」


私は指輪をトモに手渡した。


「ほんまはな、さっき海岸行った時に渡そうと思っててん。指輪も手紙も。なんか雪の中で渡すほうがいい感じかなーって。でも両方部屋に忘れたことに気づいて。そいで少しでもさっきと同じ雰囲気出そう思って窓開けてん」


「あぁだからかー。でも十分嬉しい」


トモは照れくさそうに、私の薬指にゆっくりと指輪をはめた。
雪と夜にしんしん閉ざされていく部屋で、私たちは何度もキスをした。






次の日は朝から快晴だった。
前日の雪が白く残る中、私たちは車を走らせて東尋坊という名所に向かった。風はまだ強く、波は高かったけれど、いっぱいの光の下で見る日本海は、どこか優しかった。



「なんか要塞みたいな形してるなー」


東尋坊に到着した私たちは、ドンとそびえたつ“東尋坊タワー”を見上げながら、露店で売っていたイカの丸焼きをかじった。本当にイカを丸ごと一匹使った食べ応えのあるもので、二人とも無口になるほどかぶりつくことに集中しながら、東尋坊名物の崖沿いの遊歩道を歩いた。


東尋坊は自然が作った柱状の切り立った崖が有名だった。
真冬といえど、観光客もチラホラいて、その崖の上で記念写真を撮ったりしていた。


「あー俺あんなん無理。絶対無理やわ」


高所恐怖症のトモがしかめ面で言った。

しばらく歩くと、崖を一望できるポイントに着いた。そこはとりわけ風が強かった。
私たちは並んでパノラマに広がる景色を前に、息を飲んだ。


火山活動と波が作り出した、奇怪な形状の切り立った崖や岩。それらの裾をくり返し白く洗う波、紺碧の海と彼方広がる透明な冬空をくっきり分ける水平線。すべてに惜しげもなく降り注ぐ日差しや、払うように強く吹き付ける風。地球の奥底、絶えず動いているエネルギーによって全ては作られた。
当たり前のことなのに、人間はいつしかそれを珍しがるようになって、高いタワーの観光施設を作ったり、イカの丸焼きを売ってしまうほどに、自然と自分たちは違うんだ、と思い込むようになった。
人間も、高い高いところから見れば、同じ自然の一部なのに。
自然が優しく厳しくせめぎ合う中で、その端っこにこびりつくように生かさせてもらっているだけなのに。



私は頬が痛いほど、ビュービューと海からの風に吹かれ、目を細くしか開けられないほどの眩ゆい光の中、胸がいっぱいに。
いっぱいになった。
その時の私は、胸の「いっぱい」を言葉にすることができなかったけれど、今ならわかる。
悲しいけれどよくわかる。

どうか、このまま。

おそろしい速さで過ぎてゆく時間を、トモと二人で生きる時間を、どうにかして繋ぎとめておきたかった。何も流れず、消えず、薄れず、どうか、このまま変わらず共にあって欲しいと。
すべてのものは、巻かれたネジの分だけキリキリと動いて、変わって、そして消える。
長さは違えど、波の花のプランクトンも人間も、同じシステムに則っている。
だから私はそのとき、何か大きなものに祈ったのだ。

「どうか、このまま。」

それは二人の行く末への、予感だったのだろうか。
私とトモは、同じ指輪をはめて、同じようにイカをかじりながら、同じ風景を一緒に見ていた。
         



「学生」という守られた場所からふらりと出てみると、人は大きな何かにごうごうと押し流されるように生きているんだと気づく。守られているうちはわからない、果てしなく大きな流れ。その流れに巻き込まれ、上手に流されることを「大人になる」というのだろうか。

学生時代のトモを思う時、さまざまな場面の彼を知っているはずなのに、車の助手席から見ていた横顔がいつも一番に浮かぶ。
車の中。二人だけの守られた世界。
それが私たちの幼さを象徴しているような気がする。

私たちが「大人になるとき」がひたひたと近づいてきていた。

 

第十七話「愛しい最後」 へ続く

 

←続き楽しみな方は是非