このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。
出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。
発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。
あくまでもおまけ更新ですので、既に読んだ方はスルーしてください。
目次はこちら
私が夢見た「優」
第五話「好き。とられたくない。」 (第四話は こちら )
十二月に入り、家の近くのイチョウ坂道もようやく鮮やかな金に色づいた。
グレーのアスファルトに映える落ち葉の金。
その、目が覚めるような色のコントラストは、トモと歩いたあの神社を思い出させた。
いつものように私を迎えに来たトモの車にも、ひらひら金が降る。
フロントガラスに舞い降りた金葉は、車が走り出すと風に飛ばされてあっという間に見えなくなった。
「クリスマスイヴ、入ってくれへんかな? 人がおれへんねん」
ある日、バイト先の店長が、気まずそうに私に聞いた。
予定は何もなかったけれど、さすがにイヴの深夜勤務は精神的にキツイかも、と考え込んでしまった。
何気なく視線を移した、店長の手元にあるシフト表の二十四日の深夜欄にはトモの名前があった。
「大丈夫です。入ります」
私は言った。
「なぁトモ、イヴ、バイト入るんやんな? 」
いつものようにトモの部屋に遊びに行った時に、私は聞いた。
「あ、入るで。お前も入るんやろ? シフト見たわ。店長、特別手当くれる言うてたし得したなぁ」
私はトモとクリスマスイヴを過ごしたかった。けれど、イヴに遊ぼうと言い出すには抵抗があった。
バイトを口実にすればイヴを一緒に過ごせる。
バカバカしいことかもしれないけれど、私にとっては、彼とはじめて迎えるクリスマスだった。
「あれ店長が書いてんて」
トモがニヤニヤしながら指を差す。
「ひどいな。小学何年生の世界やし。サンタいうより喪黒福造にしか見えへん」
私は冷静に言った。
クリスマスの飾りつけで、店内も浮き足だって見えるイヴの夜。ガラス張りのコンビニの壁に、店長がスプレーの吹きつけで、サンタらしきものを書いていた。
「あんな顔のサンタとかおったらびっくりするわ。どう見ても悪人やん」
トモは調子に乗って言った。
当の店長は私たちに店を任せ、結婚間近の彼女とデートだった。
「寒っ! もしかしたら雪降るかもしれんて予報やったで」
客が途切れた深夜。トモは入り口の扉を大きく開けた。
暖かい店内に流れ込む刺すような冷気に身をすくめながら、私もレジから出て、入り口に立った。
よく目を凝らすと、星がいくつか見えた。
「あー。でも星見えてるし。降れへんのんちゃう?」
私が言うと、
「降ったらええのになー。せっかくやから降ったらええのに」
子供のように、何度もトモは繰り返した。
「小さい頃サンタ信じてた?」
搬入されてきたパンを、二人で棚に並べながら私はトモに聞いた。
「めっちゃ信じてた。なんかな、サンタへのプレゼントリクエスト用紙みたいなもんを自分で一生懸命書いて、ひたすら隠し持って誰にも見せへんかってん。だから親がなんとかそのリクエスト用紙を見ようとして。攻防戦やったわ。あの頃。懐かしい」
幸せな記憶を話す時、人はその時の幸せをもう一度味わう。
そうして何度も何度も、暖めてくれる記憶がたくさんあればあるほどいい。長い道のりの中で、人が持っていけるのはそのぐらいなのだから。
「そうなんやー」
私はとてもいい話を聞かせてもらった気がして。やっぱりこの人を好きだと強く思った。
明け方。
すっかり酔っぱらった店長が、私たちにケーキを買ってきてくれた。
大量に仕入れたものの、売れ行きが芳しくなかったクリスマスターキーを二つ店頭から下げて、事務所で私たちに食べさせた。
レジには酒臭い店長自ら立った。
「店長ごきげんやなー」
「ほんまや」
私たちはモニターでやたらとせかせか働き回る店長を見ながら笑った。
「あ、イチゴやるわ。イチゴ」
トモは切り分けた自分のケーキのイチゴを私の紙皿にのせた。
「ありがとう」
よいイヴだった。
結局、その年のクリスマス・雪は降らなかった。
年が明けた真冬の二月。その出来事は起こった。
私たちは相も変わらず、暇さえあれば一緒に遊んでいた。
「今度の土曜日遊ぼうや」
トモの部屋でプレステのコントローラーを握りながら私は言った。
「あ、その日あかんねん」
「そうなんやーおもんないなー」
「あれやねん。イチから女の子紹介してもらうねん」
私は息を飲んだ。
咄嗟に言葉が出てこなかった。
「最近イチに彼女できてな。その子が友達を俺に紹介してくれるねんて」
いつものトモの部屋なのに、身近に感じていたすべてが、ぐんと一瞬にして遠くなった気がした。
私の手の平と足先の感覚が少しずつなくなっていく。
「そうなんやぁ。よかったなぁ」
自分の口から出たその言葉を、他人のもののように聞いていた。何かの乾いた呪文のようだった。
「結構な、かわいい子らしいねん」
「そうなんや。うまいこといったらええなぁ」
俺、めっちゃ緊張するわ、何着ていこう……彼の言葉がまっすぐ耳に入ってこない。身体の様々な器官が全力で拒んでいた。
……別に慣れている……
私は床に放り出されていた雑誌の表紙を見た。そこには以前トモがかわいいと言ったアイドルが笑っていた。
彼の言葉に虚ろに相槌を打ちながら、私はその雑誌の長方形の形状に意識を集中した。
……ひとつずつ、やり過ごしていくんだ……
高校時代もずっとそうしてきた。そしてこれからも、だ。
どんなこともひとつずつやり過ごしていく。私は誰も好きにならないのだ。ひとりで。
ひとり。
視界がぼやけたと思ったら、ジーンズにポタポタと何かが落ちた。
それが自分の涙だと気づくのに、一瞬の間があった。
「なんや! どしてん!? 」
びっくりしたトモが声を上げた。
その言葉に、私の中の何かが壊れた。
私は声をかみ殺してくぅくぅ泣いた。行く先のない、出口のない、恋に打ち震えた。
トモが好き。とられたくない。
自分の中から強欲に出てこようとする熱い塊を、私は押さえることができなかった。
普通の女の子だったら、普通に出会い、普通に恋を告げることもできるのに、私はそのスタートラインに立つことさえできない。
泣きやまないと、すべてが終わってしまう。トモに会えなくなる。
私は自分の理性とは裏腹に激しく嗚咽した。
涙でいっぱいに飽和した頭で、はじめてトモに家まで送ってもらった、夜勤明け。あの朝の大雨を思い出していた。
第六話「サヨウナラの桜雨」へ続く