今回はkaoさんという方から頂いたメールを元に書いた短編です。kaoさんありがとう。

この短編シリーズは女性読者の方々に好評なので、定期的にUPしようかなと。

過去の短編はこちら→「頑張れ女の子シリーズ」



「on the サクラ road」



午後三時。
夕方前の普通電車は乗客もまばらで、人々は互いの領域を守るようにポツポツ等間隔で座席に体を埋め込んでいる。
窓の外を流れる空は、春霞の低く鈍い日差しをたたえて、冬から目覚めたばかりの寝ぼけた世界を柔らかく包んでいる。


私はガタゴト断続的な揺れに身をまかせ、しばらくそんな景色をぼんやりと眺めていた。
誰かが少しだけ押し開けていった窓からは、色濃くなる緑のどこか香ばしい香りが・した。


先ほど受け取ったばかりの運転免許証を財布から取り出す。

「無事故無違反だったので、今回からゴールド免許に変わりますね」


運転免許センターの女性係員の言葉に、『ゴールド免許』というものが存在することを思い出した。
その名前が持つ物々しい響きとは裏腹に、ただ有効期限の欄が金色に変わったのと、『優良』という二文字が追加されただけで、今までのそれと違いがなかった。


(そりゃあ・・・ペーパードライバーだし・・・)


ただ単に車を運転する機会がとんと無い私でも、こうして優良ドライバーになれるのだ。

今すぐに運転してみろと言われれば、当てまくり擦りまくりで、ワンボックスカーを軽四くらいの大きさにしてしまう自信がある


変なの。


免許を財布に戻そうとした私は。ふとそこに映っている自分の写真を見た。
いつものメガネがない私は、三年前よりも少し頬がこけた気がする。当時は嫌だ嫌だと思い続けていたほっぺの肉はどこにいったのだろうか。やはり年相応に体は老化していっている。
次の更新は五年後の四月だ。その頃には私は何歳だ?
今年のオリンピックもまだ済んでいないというのに、その次のオリンピックも終わった次の年だなんて。
考えるのも嫌になって財布に免許を放り込み、バッグのチャックをキュッと閉じた。



まもなく○○~○○~


私が降りる駅名を告げる、車内アナウンスが流れはじめた。
窓の外の景色に視線を戻すと、電車は川に架かる橋を、ゴウンゴウン派手な音を立てて通過していく。
川面がキラキラと春光を反射して、目を細めるばかりだった。




こんな平日、午後の電車に乗るのはいつ振りだろうか。


会社では外回り業務も無く、一日パソコンの前でカタカタとキーを叩いている。
自分が社内というひとつのサイコロに閉じこもっている間、外はこんなにも明るく、流れる季節を丁寧に反映し続けていることに驚いた。


AM7:00
毎朝同じ時間に携帯アラームで目が覚める。朝食は取らず、簡単に化粧をして家を出ると、歩いて一分圏内にあるバス停へ急ぐ。
朝のバスは最悪だ。ぎゅうぎゅういろんな匂いが混ざっている。

満員バスを降りたと思ったら次は満員電車。満員電車も最悪だ。


そして会社で一日の業務をこなし、また逆の行程で家に帰ってくる。平均すると二十一時過ぎだろうか。

外で食事を済ませてくる日もあれば、コンビニ弁当を買い込む日もある。


お風呂に入り、本やテレビで適当に時間をつぶしていると、午前零時を回る頃にはまぶたが自然にトロトロ下がってくる。


そんなルーティーンのような毎日。


会社では上の者に叱られることもほとんどなくなり、機転を利かせて仕事をこなせるようになった。特に自分が有能なわけではない。何年も同じことをしていれば覚えるのは当たり前なのだ。


キラキラした恋愛も、ない。四年も恋愛から遠ざかっていると、恋の仕方すら忘れてしまう。

抑えきれないときめきだとか、死ぬほどつらい失恋だとか。そういうものはテレビの向こうの出来事のような、若い人たちだけの特権のような気がする。


ひどく心を揺り動かされることもなく、平坦な道をただ歩き続ける毎日。私は「安定」していると思い込んでいた。




今さっき発車したばかりなのか、次のバスまでは二十分ほどあった。
しばらくどうしようか考えたけれど、なんとなく。なんとなく歩いて帰ってみようと思いたった。
少し汗ばんでしまうくらいの陽気で、着ていた黒のトレンチを脱いで小脇に抱えた。



駅前から離れると、すぐにのどかな風景が広がる。

そんな所が良くて、この町に住むことを決めた。けれどそれも最初だけで、住んでしまえばどこでもさほど変わりはない。会社との往復だけなのだから。



スーパーの角を曲がり、二級河川指定されている川沿いの小道に差し掛かった時、私は息を呑んだ。
桜が道を覆いつくしてしまうのではないかとばかりに、咲き誇っていたのだ。


川側から差し込む斜めの霞日を受け、しゃらりとも音を出さずに、優しく・時折強く吹く風にひかり、花びらが散っていく。


そんな桜のアーチをくぐりながらぽつぽつ歩いた。

ところどころひび割れたアスファルトの上を歩く私は押されていた。自然の生々しい息吹に。はずむ春についていけていない。



桜はどこを見つめれば良いのかわからなくなる。あまりにも花が多すぎるのだ。
枝からだけではなく、幹からも直接花が咲き、髪飾りのようにポンポン薄いピンクを咲かせている



なんだろう?

桜が目にまぶしければまぶしいほどずしり心が重くなっていく。

綺麗なものを取り込めば取り込むほど私の中の「何か」が溢れそうになる。
そんな私に構うことなく、静かに降り続く花びらたちは、色んな思い出をささめくように連れてくる。


死ぬほど好きだったあの人と初めて手を繋いだのは桜の季節だった。
コンビニでおにぎりを買い込んで、一緒に簡易花見をした友達は元気だろうか。


皆、家庭を持ったり離れたりして。あの頃、私の周りにあった人は・物は遠くへ行ってしまった。確かにいたのに。




私の前を親子連れが歩いていた。

お母さんの方は花粉症だろうか、マスクをつけ、スーパーの袋を片手に提げている。
そんなお母さんの手を離れ、そこいらをひょこひょこ歩きまわる二歳くらいの女の子。
何もかもが珍しいのか、ウンチ座りをし地面に貼りついた花びらを指でぐりぐり押したり、幹に駆け寄ってはバンバン叩いて枝を見上げたり。


何がそんなに珍しいのだろう。何が。


ぽろ


あっ、と思った時には遅かった。
風が吹くたび散って舞い散る嵐雪のような花びらたちに巻かれて、私はぽろり涙をこぼしていた。
あまりの急展開に自分でも焦った。


何が悲しいのだろう。何が。

いや、違う。違うのです。


寂しいのだ、と思う。


いつも独りのような気がしていること。


私は桜が咲き乱れるこの季節に生まれた。
私にも確かにあった、何もかもが珍しくて・リアルにこの手に触りたかった頃。掴みたかった頃。失うことを恐れず掴むことだけに、掴んだものの煌めきだけに心奪われていた頃。
けれど、私は失う怖さを知ってしまった。


できるだけ傷つかないよう、失うものが増えないよう毎日を過ごしてきた。
ほのかなロウソクの炎を吹き消してしまわないよう、細心の注意を払いそっと生きてきたはずなのに。
いつしか周りの、そして自分の微妙な感情の変化をいちいち汲み取ることに疲れて。閉じていた。
それでも、私は生まれて・ここにいる。
止められないことだ。いつかこの体が動かなくなるまで。



その時。強い春風が巻き上げるように吹いて、花びらがバーっと一斉に舞った。
見上げると、もう視界はサクラサクラサクラ。
空を埋め尽くすよう四方に伸びた枝から花びらが爆発的に飛び散っていく。
涙があふれて、あふれて。


桜の薄ピンク。
枝や幹の焦げ茶と空の青。
日差しの金。


縁に溜まった涙を拭おうと、メガネを外した。
私の乱視の世界を涙がかき混ぜて、たくさんの「色」だけがマーブル模様に滲んだ。
ぼんやり映る桜の白・空の青。
どこからどこまでが自分なのか、世界なのかわからなくなる
私も・桜も・空も。ぐにゃぐにゃ涙で歪み揺れる大きなひと粒の中だ。
そのひと粒の中ではすべてが等しく、マーブル模様を形成する一片として美しくユラユラ溶け合っている。
そこにはいつか失くしたと残念に思っていた時間や人、帰りたい場所、これから先に出会える人も、すべてが存在する。
私だけが取り残されているわけじゃ・ない。




脱いだトレンチをたたみ直すフリをして、私は一本の桜の木の下にしゃがみこんだ。
目をゴシゴシ擦り、どうにか普通に歩けるよう・ひと呼吸置いていると。

ポンポン

私の頭を何かが叩いた。あまりにびっくりして。

見ると、


「お目目カイカイ?」
先ほどの女の子が心配そうな目で立っていた。


花粉症のお母さんにいつも問いかけているのだろうか。女の子はヨシヨシ私をあやしながら、もみじのようなぷくぷくした手のひらで私に触れる。


「うん、カイカイ」
泣き笑いで、私は大げさに目をゴシゴシ擦った。


「カイカイ」
女の子は笑って、私の頭をポンポン撫で続けた。


しゃがんだ私と女の子は同じ高さの視線で。ずっと前から仲良しの友達のようだった。

彼女の服、丸いお腹辺りにプリントされたクマがにっこり笑っていた。




みんな色んな面倒なもの、どうしようもないものを抱えて生きている。
泣きながら暮らそうが笑って暮らそうが、時間は平等に流れる。
そしてまた桜も咲く。桜は生きることを出し惜しまない。
積み重なっていく毎日の小さな笑顔や大きな喜び、愛しい気持ちや切なさも悲しみも。出会った人、もう会えない人も。
すべてがひとつひとつ大切な、かけがえのない小さな白い花になる。
それがたくさんたくさん集まって、サクラ満開。
人の心を奪うような、息を呑むような、そんな自分になりたい。
最期もその綺麗を沢山振りまいて散っていけるような人に。命の合唱。



感じよう。
私のゴールドは運転免許だけで十分だ。出し惜しみはもうしない。


私はこれからずっと思い出すだろう。この桜を。
私もこの世界のひと粒を構成するマーブルなのだということを、忘れず毎日を続けていくだろう。


      終わり


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