このお話は今年の1月に書籍化した「私が夢見た『優』」。私の大学時代の実話です。

出版に際し、大人の事情によってブログ上から姿を消していたのですが、再UPできることになったので、読めていなかった読者用にもう一度順次公開していきます。

発売中の書籍は、このブログバージョンにいろんなエピソードが追加された完全版になっています。

あくまでもおまけ更新ですので、既に読んだ方はスルーしてください。

目次はこちら
 

私が夢見た「優」  

 

第十四話「私が夢見た『優』」  (第十三話「トモ」はこちら

 

 

 

「俺、ずっと考えててん。お前がホルモン投与はじめるって言ってから。俺はお前が好きやし、女やと思ってる。だけどやっぱり薬使わな身体は女になられへん。それって現実やねんな」


トモがそこから何を言い出すのか。私は怖かった。「だからやっぱりお前とは一緒にいられない」そう言うのではないかと気が気ではなかった。

けれど。心のどこかでそれも仕方がないという諦めもあった。


もうトモの顔を見続けることができずに、私はまた布団に横になり、部屋に差し込んだ明かりが作る、影絵のような模様をじっと見つめた。

 

 

「……でもな日本はな、いつか変わるわ、きっと」


トモの突然の言葉にびっくりした。


「……変わる?」


私はその意味がわからなくて返した。


「うん。お前みたいにな、体と心が間違って生まれてきた人をいつか認めてくれると思う」


「……」


そんなことを考えたこともなかった。自分はずっと世間からは「頭がおかしな人。気持ちの悪い人」という烙印を押されて生きていくのだと思っていたから。


「だって認めてもらえなおかしいやろ」


「……」


真摯な目で私に問いかけるトモに、どう答えればよいのかわからなかった。
小さな頃からずっと。長い長い時間をかけ私の脳髄に染みこんでいた『あきらめ』はその時の私から言葉を奪った。希望を持つことは辛いことだと、それまでの道のりで学習していたから。

 

 

「結婚しよう」

 

トモはしばらくの沈黙のあと、そっとひと言、口にした。


……結婚……


その言葉と自分がどうしても繋がらずに、頭の中で何度も繰り返してみる。


「きっとな、いつか結婚もできるようになる。そしたら結婚しよ。それまでの我慢やで」

 


私はそうなるかもしれないという希望よりも、そう言ってくれたのがトモで、そして彼を好きで、好きで。何も言えなかった。

代わりに、涙が堰を切ったように零れだした。


薄暗い部屋にモノクロに浮かぶトモの顔が、私には神様のように見えた。ずっと信じなかった神様に。


『夢を見る』


単純なことだけれど、誰もがずっと探し続ける宝物。それをくれた、私だけの神様。

 

 

「もし変わらんかったとしても俺たちは夫婦になるんや。子供ができひんでも養子もらえばいいやん。それで家族やん。俺たちの子供や」

 

 

私にとって家族とは減っていくものだった。

いつか父が逝き、母が逝き。独りになって一緒に歳を重ねる人もなく、次に命を繋げることもできず、彼岸の波に打ち捨てられるように消えていく。
けれど、トモは私に、家族になろうと言ってくれた。

 

 

「うん…うん……」


ぽろぽろ泣きながら頷いた。
浮かんでくるのは、小さい頃リカちゃん人形が欲しいと言えずに、何度も一人で足を運んだおもちゃ売場。

男女と散々からかわれて、駆け込んで泣いた中学のトイレ。

三年間誰にも言えず、見送るしかできなかった高校時代の恋。

「悲しい」と感じたひとつひとつが、トモの言葉で優しく溶けていく。


私はひぃひぃしゃくりあげる声が漏れないよう、布団に顔を半分埋めた。びしゃびしゃと布団を濡らす涙。吐息で熱くなる布団。生きている熱さ。私はトモに出会って、はじめて自分の体の熱さを知った。

 

 

「こっちおいで」


彼は自分の掛け布団をめくり、私を招き入れた。


「泣くなやー」


トモの声も鼻声だった。

そして布団に潜り込んできた私の顔を、照れ臭そうにティッシュで拭った。

カサカサした感触がとてつもなくあたたかかった。

 


「…だってな…これは泣くわ…」


私はグズグズしながら言った。


「そうか。そやな。ごめんごめん」


トモは私の頭を胸に抱き寄せた。

 

 

「俺な子供の名前にな『優』って字つけるの夢やねん」


「優?」


「そうや。優しいの『優』。例えば優哉とか優奈とか。俺三人欲しい。男・女・男の順で。それで皆に『優』を使った名前つける。お前は女なんやから、仕事なんかせんでいい。俺頑張って働かなあかんなー。大変や」

 

 

私は彼と同じ夢を見た。三人の「優」を心から夢見た。祈りに近かったかもしれない。
けれど、トモといると本当に叶う気がして。

彼に寄りそう寒い小さな部屋が、何でも手にすることができる世界へ伸びる輝く入り口に思えた。


私を縛っていたのは私だった。幸せになれないのではなくて、幸せになりたくなかったのだと、私は知った。

 

 

「これはプロポーズやな」


トモが言った。


「プロポーズ……」


私は繰り返した。全身を甘く駆け巡る響きだった。

 


「そやで。だから近いうちに婚前旅行や。だいたいのプランはもう考えてるねん」


「断られることは考えに入れてへんかったん?」


私は泣き腫らした目で、少し笑って言った。


「断らんかったやん」


トモが笑って。彼の胸に頬をくっつけた私まで一緒に揺れた。

 

私は、男の気持ちもわからないし、女の気持ちもわからない。それでも、愛は知っているということ。トモが教えてくれたこと。


 


「もう朝や」


見ると、空の東の方が薄いみかん色に燃えて、夜の紺をどんどん透明な青に変えていく。
トモの部屋で迎える明け方が好きだった。


「ほんまや」


結露で曇った窓の向こう、空が薄明るくなっていくにつれてぼんやりと青がしみこんでくる室内に、トモの顔が少しずつ浮かんでくる。
夜を徹した少しの罪悪感と、妙に冴えた頭の芯にあるけだるい眠気。
深い青から透ける青へ、刻々と変える空模様だけが持つ、甘い時間の流れ。
明け方なのか夕方なのか、どちらかわからない曖昧な静けさの中で、世界には私たち二人しかいないような気がした。

 

 

「晴れてるから寒いな。布団からはみ出てへんか?」


「ううん、大丈夫」

 

私たちは幼かった。けれど、幼いからこそ相手を思う気持ちに掛け値なしに純粋だった。

 



朝が部屋に満ちていく。

生まれたての穏やかな金に包まれて私たちは子供のように眠りについた。
目覚めたら、トモがいる。私がいる。
ただただ、それだけが嬉しくて楽しみで。

何も二人を邪魔しない健やかな眠りだった。

 

第十五話「波の花」 へ続く

 

←続き楽しみな方は是非

 

※コメントは連載当時に頂いたものです