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2010-09-20

FF14 オープンβに参加してみました

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2週間ほど、巷で噂の「ファイナルファンタジー14」のオープンβテストに参加してみました。
こんなキャラで。
辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

ルガディンという巨人族です。



FF14は高スペックのPCを要求するだけに、グラフィックがとても美しかったです。
何枚か風景写真をご紹介。

辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

「海の国」ラノシアの幻影諸島。



辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

黒衣森奥地の水場。


辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

「砂の国」ザナラーンの北部。


辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

「山の国」クルザスの高地。



辛抱、遠慮   ~三國志オンライン 泰山・呉~

異世界っぽさ爆発のモードゥナ。


正式開始前とあって、戦闘のラグやUI関係などまだまだ不満の残る状態でしたが、今後向上していくと思います。
以前の記事では「MMOへの参加は未定」と書きましたが、FF14はまったりゆったりなペースでも十分に遊べるなぁと感じたので、正式オープン後も参加しようと思っています。

Besaidサーバーで「Balgual Thor」(ばるがる・そー)という名前でやります。
見かけることがあったらお気軽に声をかけてくださいねw


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2010-07-20

みんな、おつかれさま!

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三國志オンラインがついに終了してしまいましたね…。

最終日の昨日は夕方から最後までログインでき、部曲や孫の手メンバーなどの身内とはチャットやVCで、またフレリスト登録してくださっている方々には信書で挨拶したりすることができました。その中に含まれない、ゲームの中でお世話になった多くの人たちとは言葉を交わせず残念でしたが、この場で御礼をさせていただきます。

偶然出会った人々が、勝利という一つの目標のために力を合わせて戦う。そういう三國志オンラインの合戦が本当に好きでした。
MMOですから血縁も地縁もなく、あるのは人縁のみ。ゆえに、人と人とのつながりを大切にしてきました。どのMMOも基本はそうだと思いますが、三オンの合戦はその傾向が顕著だったかと思います。自分は部曲や連合はもちろん、泰山呉という国が本当に好きでした。

MMO初心者で、合戦参加者の単なる1人でしかなかった自分が、一時は呉全体の中で大きな発言を許されることにまでなりました。これはもちろん、孫の手という具体的な戦力を預かる幸せに恵まれたから。すばらしい部曲、すばらしい連合員さんに恵まれたからにほかなりません。孫メンのみなさんには本当に感謝しています。

盟主同士の連絡組織を作ることができたのは、連携のためにお互いの信頼関係を築く必要があったからですが、人柄のいい盟主さんばかりだったから達成できたことだと思っています。


3期にもっとインすることができたら…途中休止することなく続けることができていたら…と残念に思うこともありますが、基本的には自分としては満足感の高いMMO経験となりました。

今後、まだリアル多忙のため別なMMOをする予定はありませんが、いつかどこかでみなさんと巡り会い、泰山呉の思い出話でもできたらいいな、と思います。

みんなほんとうにありがとう。
泰山呉、大好きでした。


それではまた、いつかどこかで!



P.S.
緑林寮のみなさん、最後に姿を見せることができずすみませんでしたm(__)m 黄河魏での経験が、自分の三オン生活を大きく変えたきっかけでした。本当にお世話になり、ありがとうございました。体が2つあったら黄河泰山の両方を心底楽しめたのに…!
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2010-07-11

三國志オンラインを振りかえる その③

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【2~3期幕間】
前項でも触れた通り、3期は泰山呉にとって実に厳しい戦いとなることは容易に想像できました。
引退者・休止者の続出は全サーバー全勢力でみられたことですが、泰山呉では2期に最下位からのグランドスラムという偉業を達成してしまった満足感が高かったため、気持ちよく引退していくプレイヤーさんが特に多かったように思いました。
これは単に合戦人口が減少したというだけではなく、呉軍の主力連合に参加していた熟練の戦士たちが引退・休止してしまったことにより前線戦力が大きく低下してしまう結果となり、事実、規模縮小・解体を迫られる連合が多数ありました。
呉軍の前線戦力という点ではさらに巨大な損失があり、赤連の中心部曲であったとらぶるめーかー部曲の魏への移籍、韋駄天連合盟主・虞姫さんの盟主引退、白十字連合盟主・魔窟堂さんとその中心部曲であった十字砲火メンバーの休止、盧山部曲によるお断り連合の解散、これらは泰山呉軍を牽引してきた前衛戦力の大部分が消滅したに等しいものでした(さらにみんみんさんたちが魏に移ったことで対魏戦の条件が厳しいことになりました)。

この時期、自分としては新しいフル連合創設を目指して孫の手を離れることも真剣に考えましたが(盟主をできる人材は他にもいましたし、紅焔は事実上ソロ部曲だったので自分ひとりだけ離れても基礎構成人数に大きな影響はなかろうという判断でした)、しかし孫の手構成部曲内にも引退者・休止者が相次ぎフル連合編成が困難になってしまったため、新たに部曲を建て孫の手連合に協力してくれる人材を求めるに留めました。これが部曲「不撓不屈」で、明らかに苦しい戦いとなるであろう3期呉にあって、勝利を諦めず前と上とを向いて自己を磨いていきたい、そういう意味を込めて名付けました。

不撓不屈は幸運に恵まれ多くの部曲員を迎えることができ、アクティブ20人以上と新興部曲としては珍しいほどの人数となりました。参加の是非は自由でしたが孫の手連合に参加してくれるメンバーが多かったため、フル連合を維持することができるようになったことは僥倖でした。
もちろん連合人数補強の点だけでなく、様々な職能に通じた人材と巡り会えたことは同じ一プレイヤーとして嬉しいことでした。初夏ごろからリアル事情のため自分のイン時間が激減し、更には11月に休止するなど、部曲の皆となかなかコミュニケーションを取ることができなくなってしまったのは本当に悔やまれることです。

2期にあった呉民の団結心を失わないように、と王葉さんのイベント活動に参画したのもこの頃でした(クイズ大会、宝探しイベント、定期バザーといくつものイベント運営に参加してきましたが、後にリーダーである王葉さん多忙のためイベント実行が困難になり、バザーのみ壁際連合さん主催で引き継がれることになりました)。


【制覇3期】
想像通りと言うべきか、制覇3期開始当初から呉軍は苦しい戦いの連続でした。
孫の手を含めフル連合を期待できる連合は片手で数えられるほどであり、やはり連合数・連合規模が強大化、戦力集中を行っていた魏蜀両軍に対抗するには前線兵力不足と言えました。盟主が代変わりした連合も多く、全体的な連携精度も低下していました。2期の頃は独立起動型連合の数があり連携を意識した部隊配置を行っていたので、前線に近い地点であれば従属型(ぺったんこ)の中小連合も祝福・護りを受けることができていたのですが、3期はなかなかそれが実現できず、従属型連合が独立起動型連合の+αの火力となりえない状況が多々ありました。
結果祝福と護りなく危険な突撃を行う中小連合が潰され、火力不足の突撃連合が崩れ、突撃連合がないから祝福と護りを得られない中小連合が壊滅し…という悪循環に陥る、そして合戦に敗北してしまい、適切な戦術を全体で体感できず進化のきっかけを失ってしまう、というマズイ流れが続いていました。連続して勝利する機会があれば皆の考えも変わったのかもしれませんが、散発的な勝利がいくつかあったという印象で、連合同士が連携を意識することを確認するのみでそれ以外の中小連合さんたちを引き込むことができなかったことは非常に残念なことでした。


3期は自分にとって反省すべきことがたくさんありました。
大きな1点は連合運用のこと。キーになる連合が少なかったので、孫の手はもっと攻撃寄りな立ち回りをすべきでした。火力連合であったモジャルドさん盟主のママ連が存在していたときは手慣れた補助的運用がうまくはまるケースがありましたが、ママ連解散の後は特にオフェンシブな運用を心掛けるべきでした。そのためにも連合の火力向上のためのミーティングをもっとすべきでしたね。
もうひとつは前線戦力を大きくするための提案をあちこちに持っていくことができなかったこと。合戦後の反省会などで言及することはありましたが、それは中小連合さんに考えてほしいなー、と呟く程度のもので、きちんと個別に対応して背中を押すことができていれば状況は多少なりとも好転していたのかもしれません。自分は3期を通してイン時間に余裕がなかったため、そういった水面下の活動が思うようにできなかったことが個人的には非常に残念なことでした。


11月末に休止した後は、泰山呉のみなさんの書くブログやSNSで呉の状況を知るのみでした。
休止する前にもっと精力的な活動ができていたら…と考えると、やり残し感が半端ないものでした。自分個人の活動だけで泰山呉を勝利に導ける、と増長しているわけではありませんが、勝利に数パーセントでも近づけたのではないかと考えると非常に申し訳ない気持ちです。


4期のことについては語ることができないため割愛します。
えらく長文となってしまいましたが、宋個人の回顧録でございました。
とっぴんからりのぷう。
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2010-07-07

三國志オンラインを振りかえる その②

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【制覇2期】
2期開幕の時点では、フル連合(25人連合)で編成される呉軍の突撃連合は、みんみんさん盟主の商工会連合(のち赤の他人連合)と虞姫さん盟主の韋駄天連合、それに2期を睨み魔窟堂さんたちが興した白十字連合と、われわれ孫の手連合の4つのみでした。孫の手はまだ主力連合と認識されていなかったですね。2期開始直前の交流イベントを通じて新たに「江賊の鈴」さんの協力を得ることとなり、規模的には十分であったものの、盟主たる自分の実力がまだまだ稚拙なものであったためにその戦力を活かしきることができずにいたからです。

この頃の呉軍は勝率が悪く、反省会でもよく話題になったように、1期の如く連絡役さんの作戦指揮が必要という意見がいまだ根強いものでした。しかし、突撃中心となり前線推移の速度が上昇していた(そして更なる加速が安易に想像できた)現状の合戦に全体指揮はそぐわないため自分個人はそれに反対でしたし、突撃連合を率いている他の盟主さんも同様の考えだったと思います。また桃さんや王葉さんも言われていたように、敗戦した場合に責任を一方的に負わせられる連絡役さんのストレスも相当なものだったと思うので、この見地からも反対でした。
戦場全体の情報を分析しすばやく決断して適切な行動を起こす。これが突撃連合だけでなくあらゆる連合盟主に必要な力であるべきで、これまで連絡役さんにそれを委ね続けたことで多くの盟主が判断力を磨く機会を逸してしまった、という見方もできます。そもそも全体指揮の目的は分散しがちだった戦力を集中させるためのものであり、この段階に至り単純に戦力を密集させてしまうことは相手突撃連合にいい標的を提供してしまう結果にしかなりえませんでした。全体でマラソンしてみようか、という提案がいずこからか提出されたこともありましたが、同様の理由で反対しました。
2期開始の時点で蜀軍の突撃連合数は片手で収まらぬ数になっていると分析されていましたし、そのうち3連合は50人規模の連合であると見られていました。それに対抗するためにはこちらも連合の数と規模を揃え、連合同士で連携することこそが肝要でした。当時自分はブログなどで連合盟主の連絡組織の必要性を説いていながらも、実績がほとんどなかったために表立った行動に出ることができずにおり、ここは反省すべきところで、盟主集会開始後に実践し効果を示した位置報告等の協力態勢が早い段階で確立できていれば、あるいは連合数が少ないなりに連携を取ることはできていたのかも知れません。制覇最下位となってから行動に出たのは遅すぎる部分もありました。

盟主の集会と言っても突撃連合のみのクローズドなものにするのは個人的に嫌でしたので、参加も発言もオープンなものにしました。作戦会議と言うよりも第一に盟主同士の交流の場にしたかったですし、非突撃連合の方々に対してどうすれば協力できるかを考えてもらったり、突撃連合側から提案・お願いしていったりすることもできると考えていたからです(突撃連合のみが戦場で貢献するのではなく、ソロ・少数連合にも貢献すべき適所がある、という信念が自分にはあります)。集会の成果は概ね良好だったと思いますが、時に実現困難な提案が飛び出て微妙な集会となってしまったことがあったのは自分の司会能力の低さ故でした。この点申し訳なく思っております。


一時制覇最下位となったものの、次第に突撃連合それぞれに参加者が増えて大型化が実現したこと、連合同士の連携の機会が増えていったこと、従属(ぺったんこ)型スタイルからスタンドアローンな突撃連合へと進化していく連合が増えたこと、また蜀から移籍してきた盧山部曲の方々による衛生兵部隊の活躍とその概念の伝播などなど、様々な要素がうまく混じり合い、泰山呉軍は勝率を上げていきました。従属型連合もいい意味で突撃連合を利用して、連合側から見ると十分に+αの火力となっていたことも大きな要素だったと思います。それぞれが「どう合戦と向き合っていけば勝利に貢献できるのか」を考え、実行し、さらに向上していけたのではないでしょうか。また中盤ごろまで誤射が多く、残念ながら戦列を乱す存在になりがちであった投射兵器も、操縦者が経験を積んでいったことにより適切な配置および連合突撃との連携を実現できるようになり、防衛曲面における呉軍の強さに貢献していたと思います。


孫の手連合の運用については、2期終了時のまとめ記事でも触れたように、「ポイントを奪う」というよりは「相手にポイントを与えさせない」ことを念頭に入れた運用を心掛けました。前衛連合防衛のための後詰め、相手の突撃を誘発させる囮役、挟撃阻止のために前線後方を保持することなど裏方的な地味な役割でした(趣味的な話になりますが、自分が狙ったのはミッターマイヤーでもロイエンタールでも、ましてやビッテンフェルトでもなく、鉄壁ミュラーでしたのでw)。これは直接的な戦果には繋がりにくいけれども合戦勝利のためには必要な役割で、それを理解してくれる連合員に恵まれたからこそ達成できることでした。本当に感謝しています。またこの役割を担うためには被害を抑えできうる限り連合を存在させなければならない必要性から、連合再編などの事務的な部分の盟主スキルがえらく向上していったような気がします。


2期を通じて、やはり脅威だったのは蜀軍でした。合戦人口の多さがそのまま突撃連合に参加する人口に影響していましたし、少数連合ないしソロプレイヤーの集団と前線以外でも遭遇してしまうためダイナミックな用兵を阻まれることもあり…なにより蜀軍の大規模連合はカウンター狙いの運用が多かったため、前面に突出した少なくない蜀兵を呉軍が薙ぎ倒しているところに突撃を重ねらるケースが多々ありました。前線が崩壊すれば呉軍にとって有利な戦域が失われることとなり、そして圧倒的に不利な篭城戦を甘受することになります。極めて簡単な理屈なのですがこれをなかなか覆すことができず(局所的に抵抗はできていたものの)、十分な戦力を持った呉軍連合の多段突撃が実現できるようになってようやく攻略できるようになったのでした。
一方の魏軍は、2期開始時の呉軍以上に突撃連合の数に欠け、また従来通りの戦力集中をしている部隊が多かったこともあり、2期前半は苦しい戦いを続けている形でした。後半になり突撃連合の数が増えてくると、伝統とも言える戦力集中への意識の高さとあいまって決して侮れぬ存在となりました。突撃と全体戦力の集中との組合せはひとつの理想形で、魏軍が最もそれを達成しやすい国民性を有していると思えました。有り難いことにそれが魏で確立される前に制覇2期が終了したので、呉軍が風下に立つことはありませんでした。


一時最下位まで堕ちながらも、勝利を目指して皆が向上し、協力し、掴んだ制覇優勝。正装だけでなく泰山初の礼服を獲得したこと、さらに盧山・黄河・泰山の3サーバー併せての勢力優勝というおまけもつきました。
建業の宮殿前で皆で踊りまくったこと、宮城の階段に並んで記念撮影をしたこと、ついでに(こちらはいささか悪ノリでしたがw)水鏡村から建業までの徒歩で横断した凱旋パレード、すべてが輝かしい記憶となっています。

…しかしながら、高すぎる達成感からか2期で引退してゆく呉民プレイヤーの数が半端ではなく、呉軍の未来には暗雲が立ち込めていたのでした。

(つづく)
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2010-07-05

三國志オンラインを振りかえる その①

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三オンも残りわずかとなってきました。

ここで何回かにわけて、時節ごとの思い出と感想をまとめていきたく思います。長い駄文ですがお付き合いいただければ恐縮です。

主観の入りまくった内容ですので事実と異なる部分もあるかと思います、予めご了承くださいまし。


【プレオープン2】
はじめたばかりで、三オンのゲームシステムの理解もほとんどできていなかった時期でした。この頃は正式開始前の無料期間ということもあって、軍略管理官前も狩場もたくさんのプレイヤーで賑わっていましたね。

勢力移動が自由だったこともあり、参加できる合戦にはだいたい参加していました(心の故郷は呉だったので魏蜀戦のときに魏にいったり蜀にいったり)。当然この頃はソロ参戦で、早々に個人でできることの限界を悟りました。

部曲「紅蓮」に入曲してからは部曲の連合に参加し、先輩プレイヤーさんたちから少しずつゲームの仕様や合戦の基礎知識などを学んでいきました。キャラクターの育成も協力してもらい、戦術1職だけですがなんとか正式オープン前に最高レベルまで育成することができました。


【制覇1期】
部曲長の裕里さんの引退に伴い「紅蓮」が解散することとなり、後継部曲の「天狼」に一時参加するも、紅蓮で仲のよかった龍崎ゆきさんの「紅焔」結成に参加。10人ほどの部曲でしたが、メンバーに恵まれた良い部曲でした。コアメンバーとは特に仲良くなることができ、別なゲームに旅立っていった現在でも連絡を取り合っているほどです。

1期前半、同時開催のみであったこの時期は、呉軍はヴァルハラさん・呉レンジャーさんなどを中心に中小部曲が協力しあって職別に編成する陣と、韋駄天さん・商工会さんのように大規模連合を結成する陣とに別れていました。紅焔はどちらに決まって参戦するわけではなく、ときには少数陣にもいってみたりと、より楽しめそうな陣へと参戦する形でした。
このころは魏軍の戦力集中に圧倒され、蜀軍と勝ったり負けたりを繰り返している状態。やがて制覇最下位となり、勝利を求めてもがく時代となりました。自分も合戦の勉強になればと黄河サーバーに赴き、そこで連合突撃戦術と出会ったことで、合戦への向き合い方が一変することとなりました。

中盤以降は合戦の陣方式として時間差開催が度々行われるようになり、合戦人口が同じ陣に集中することができるようになって呉軍は勝率を上げていきました。大規模突撃連合は遊撃、ほかの中小連合は連絡役さんの指揮する本隊を形成し、これがうまく噛み合っていたように思います。
この時期に、紅焔はのちの孫の手連合の母体となる紅七虎さん・孫呉母衣衆さんとの連合を開始。当初は3部曲から1人ずつ盟主を立てての交代制をとっていましたが、母衣衆の彩雲小豆さんが固定盟主となってから連合の精度が上がっていきました。呪詛散布が強かった時代だったので、丹レベルの高いプレイヤーの多かった当連合の破壊力はなかなかのものでした。

1期終盤は連合盟主をさせてもらう機会が増えたので、突撃連合視点の様々な合戦動画を見まくって勉強しました。また魏蜀ともに大規模連合が増えてきていたので、動画だけでなく他国プレイヤーさんのHPやブログにもできるだけ目を通して、戦力把握に努めていました。
この時期はライン戦から突撃戦へと泰山の合戦スタイルが変化していく過渡期で、戦場の速度が上がっていったためか上記のように本隊が形成される場合よりも、中小連合が大規模連合に付随して行動することが多くなっていったと思います。この時期の合戦にはこれが最適なスタイルと思え、事実呉軍は勝利を重ねていき、制覇戦優勝も狙えるところまでいきました。しかし制覇序盤に勝ち続けていた魏軍の貯蓄を奪い切ることはできず、準優勝となりました。


【1~2期幕間】
大型アップデート「涼州動乱」が実装、涼州マップが追加されレベルキャップが最大50となりました。40~50の必要経験値はそれまでと比して異常なもので、これに心折れてしまったプレイヤーさんも数多くいたと思います。当時自分はイン時間に余裕があったので、早々にメイン職である戦術を45まで上げることができましたが…そのあと1年間で1レベルしか上がりませんでした(ひどすぎる怠慢…いまは副官イベントのおかげで50ですけどね!)

1期に引き続いて孫の手連合はそのまま継続することとなり、1期終了を期に引退した小豆さんに代わって自分がメイン盟主として連合運営に携わることとなりました。
この時期は自連合の規模拡大と、突撃連合とはいかなるものかを広める狙いで、戦場での連合員募集を積極的に行いました。大規模連合の編成と連合数を増やすことは2期の合戦を想定すればいずれも呉軍の急務だと考えていました。
募集の成果として、泰山有数の部曲戦猛者と言われた部曲「葛の葉」さんとの共闘が実現しました。しばらく後に葛の葉メンバーの方々は多くが休止されてしまうのですが、部曲戦で培ってきた経験則などを教えていただいたことは自分にとって貴重な財産となりました。部曲戦についてもっと学ばせていただく機会を持つことができたらよかったなーという後悔はいまだにあります。
また、1期商工会連合の火力として活躍していた部曲「武勇」の方々に連合参加していただいた際、「今後呉の主力になりうる連合」と評価されたことは個人的にも連合的にも大きな自信となりました。



そして幕間の2ヶ月が過ぎ、自分にとって最も濃密であった制覇2期の幕が上がります。呉軍としては連合規模・連合数に不安を残したまま、それを迎えることとなりました…。

(つづく)
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