【Billy Paul Dies At 81 : Master Of Philly Soul】
訃報。
フィリー・ソウルの立役者として活躍したソウル・シンガー、ビリー・ポールが2016年4月24日(日)、フィラデルフィア近くニュージャージー州ブラックウッドの自宅で死去した。81歳。すい臓がんを患っていた。先週からテンプル大学病院に入院していたが、最後は自宅に戻ったようだ。1972年秋から不倫ソングの傑作バラード「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が大ヒット、全米ナンバーワンとなり、一気にブレイクした。同曲はグラミー賞も獲得した。その後も、これを超える大ヒットはなかったが、フィラデルフィア・ソウルの重鎮として、ライヴ、レコードで活躍。
1990年7月横浜のバード、2008年9月六本木ビルボードライブでライヴを行っている。
ビリー・ポールのオフィシャル・サイト。すでに死去を報じている。
http://www.billypaul.com/
2008年9月ライヴ評↓
ビリー・ポールはオバマのTシャツを着てリラックスちゅう
2008年09月10日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10137471837.html
このときのライヴでは、プリンスの「パープル・レイン」をカヴァーしていた。これも何かのご縁か。
死去のニューズ
http://www.billboard.com/articles/news/7341815/billy-paul-dead
http://www.nbcphiladelphia.com/news/local/Billy-Paul-Soul-Singer-Death-Philadelphia-Manager--376903281.html
http://www.theguardian.com/music/2016/apr/25/billy-paul-soul-singer-best-known-for-me-and-mrs-jones-dies
http://www.canadianinquirer.net/2016/04/25/mrs-jones-singer-billy-paul-dead-age-80/
■評伝
評伝。
ビリー・ポールは本名ポール・ウィリアムス、1934年12月1日、フィラデルフィア生まれ。16歳の頃(1951年頃)から同地のジャズ・クラブなどで歌い始めた。
20代の初め(1957年)、徴兵でドイツに滞在。この頃の兵隊仲間にエルヴィス・プレスリーや、ビング・クロスビーの息子ゲイリー・クロスビーがおり、彼らと一緒にバンドをやろうと誘った。バンドをやっていると、軍としての重労働をしなくていいからだ。しかし、エルヴィスは、バンド活動よりジープのドライヴァーをやりたいと言い、バンドはクロスビーと結成した。ここには、シダー・ウォルトン、エディー・ハリスらも参加したという。
その後、帰国後フィラデルフィアを中心にクラブなどで歌い、ローカル・レーベルでレコーディング。この頃から同地の有力プロデューサー、ケニー・ギャンブル&リオン・ハフと接点を持ち、レコードを制作。
その後、1971年、ギャンブル&ハフが新しく設立したフィラデルフィア・インターナショナル・レコード(以下PIRと略)と契約。同レーベルから1972年10月にリリースされた「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が大ヒット。少し前に同レーベルから出たオージェイズの「バックスタバーズ」に続いて、PIRの2枚目のミリオンセラーとなった。この2曲とハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ(二人の絆)」の3曲の大ヒットによって、PIRは見事に軌道に乗り、「フィラデルフィア・ソウル」の大現象、大ブームへつながっていった。
「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」は、翌年グラミー賞ベストR&B男性シンガー部門を獲得した。
https://www.youtube.com/watch?v=n2v98PGBZH4
この曲はその後多数カヴァーが誕生し、なかでもデトロイトのソウル・ヴォーカル・グループ、ドラマティックスのものは、1974年ソウル・チャートで最高位4位を記録する大ヒットになっている。1992年にフレディー・ジャクソン、1995年にエイミー・スチュワートもカヴァーした。また、カナダの白人シンガー、マイケル・ブーブレのものも2007年ヒットした。またサンプリングもされている。
ビリー・ポールは、「ミセス・ジョーンズ」のヒット後、「サンクス・フォー・セイヴィング・マイ・ライフ」が中ヒット、1980年までに計13曲のシングル・ヒットを放ったが、「ミセス・ジョーンズ」を超えるヒットは生まれなかった。
ポールは、ジャズの要素もあったことから、ジャズ寄りのソウル・シンガーとして捉えられていた。
社会派。
また、社会の動きにも敏感で、主張もはっきりしており、「ミセス・ジョーンズ」に続くシングルとして「アム・アイ・ブラック・イナフ・フォー・ユー(俺は十分に黒いか?)」というメッセージ・ソングを出した。1972年当時としては、かなり主張が過激すぎると、ブラック・ラジオ局でもなかなかエアプレイを得られなかった。基本的には民主党支持者で、オバマ大統領も支持していた。
クエスト・ラヴ(ルーツ)は、ポールのことをマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーと並んで、社会的な問題にしっかりコメントをするシンガーと高く評価している。
一方、印税の支払いでギャンブル&ハフらと対立し、2003年、裁判で勝ち、50万ドルを得ている。
1990年の来日時には、ちょうどカーステレオのクラリオンのCMに「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が使われており、記者会見も行われた。
ビリー・ポールのドキュメンタリー『アム・アイ・ブラック・イナフ・フォー・ユー』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=rCV4qXawt4k
ヨーロッパで製作され、2009年ヨーロッパ公開、2010年アメリカで公開され、その後、DVDのリリースになったようだ。
アルバムは1968年から1988年の間に15枚リリースされた。
(この項、続く。明日は「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」誕生秘話)
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(松尾潔・林剛)
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OBITUARY>Paul, Billy>December 1, 1934 – April 24, 2016, 81 year old)