●リチャード・ストリート(元テンプテーションズ)70歳で死去 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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● リチャード・ストリート(元テンプテーションズ)70歳で死去

【Richard Street Dies At 70】

訃報。

テンプテーションズのメンバーとして1971年から1993年(1995年という表記もある)まで参加したリード・ヴォーカルのひとり、リチャード・ストリートが2013年2月27日(水)午前3時ごろ、入院中のラスヴェガスのセント・ジョセフ・ドミニカン病院で死去した。70歳だった。肺塞栓(症)のため死去。肺に血の塊ができていたため先週入院していた。テンプテーションズのメンバーとしては、先週(2013年2月18日)、1971年から1975年までメンバーだったデイモン・ハリスが死去していた。テンプテーションズはこの2週間で二人のシンガーを失ったことになる。

リチャード・ストリートは、テンプスのオリジナル創設メンバー、オーティス・ウィリアムスとともに「ディスタンツ」を結成。その後モータウンで「クオリティー・コントロール」会議のメンバーとして活動。新譜リリースに意見を述べたり、モータウン・アーティストへ助言などを与えていた。その後、1960年代後期からテンプテーションズのメンバー、ポール・ウィリアムスがアルコール中毒などで歌がおぼつかなくなり、ストリートがライヴのときに舞台袖で歌っていた。1971年ポールの脱退(実質的な解雇)にともない1971年4月正式にテンプテーションズのメンバー入り。以後1993年まで、22年間在籍した。この在籍期間はオリジナル・メンバー、オーティス・ウィリアムスとメルヴィン・フランクリンにつづいてテンプス在籍期間3番目となる。メルヴィンとリチャードは遠いいとこにあたる。

グループ脱退後は、ソロ活動や、テンプテーションズ・レヴュー的な名義のヴォーカル・グループで活動していた。リチャード・ストリートは2012年3月4日、新宿文化センターで「ヒストリー・オブ・モータウン」というイヴェントで「リチャード・ストリート・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ」名義で来日していた。また、2007年6月にもなんらかのテンプテーションズ名義で来日、このときは『スマップ・スマップ』にテンプテーションズ名義で登場していた。

2007年06月05日(火)
テンプスとシュープリームスがテレビ『スマスマ』に??
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10037284287.html

http://www.regasu-shinjuku.or.jp/regasu/wp-content/uploads/2011/12/rgs_231205_7.pdf
このテンプテーションズの写真では中央がリチャード・ストリート。

評伝。

リチャード・ストリートは1942年10月5日ミシガン州デトロイト生まれ。十代の頃からスポーツに秀でいて、プロ野球選手などプロ・スポーツ選手になる夢を持っていた。しかし、当時は黒人がそうした場で活躍することはなかなかできなかったため徐々に同じように好きだった音楽の道に。

1950年代後半(17歳頃)近所の仲間で幼馴染のオーティス・ウィリアムスに誘われ、R&Bヴォーカル・グループ、オーティス・ウィリアムス&ザ・ディスタンツにいとこのメルヴィン・フランクリンと参加。このときのメンバーは、オーティス、メルヴィン、エルブリッジ・アル・ブライアント、リチャード・ストリートだった。一方友人のエディー・ケンドリックス、ポール・ウィリアムスらはプライムスというグループ結成。このプライムスとディスタンツが合流してテンプテーションズとなった。このときリチャードはこれには加わらなかった。リチャード・ストリートはその後モニターズに参加、1966年に「グリーティングス」という小ヒットを出した。

彼らが住んでいたエリアはみな誰もが知り合いで友人同士、まさにファミリーのような関係だった。リチャードの初恋は中学時代のダイアナ・ロスだった。

1960年代後期からテンプテーションズのメンバー、ポール・ウィリアムスがアルコール中毒などでパフォーマンスがしっかりしなくなったために、リチャードが舞台袖でポールのパートを隠れて歌うようになった。その後、1971年4月頃、ポールが脱退し、リチャードが正式にメンバーとして参加した。ちょうど同じ頃、ファルセットにエディー・ケンドリックスのポジションに新メンバー、デイモン・ハリスが加入。この時期新生テンプテーションズとなった。

一足先にデイヴィッド・ラッフィンの後釜になっていたデニス・エドワーズ、リチャード・ストリート、デイモン・ハリスの新加入組が活躍するようになる。リチャードらの歌声がよく聴こえる作品としては「スーパースター」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」、「マスターピース」など。リチャードのソロがよく聴かれる作品は「ヘイ・ガール(アイ・ライク・ユア・スタイル)」(1973年)、また、デイモン・ハリスと一緒に歌うのがアルバム『1990』収録の「ヘヴンリー」など。

1993年にグループを脱退、ソロ活動に転じた。一時期やはり一足先にグループを脱退していたデイモン・ハリスとデュエットで活動したこともある。

リチャード・ストリートも根っからのモータウン・ファミリーで、同社所属の女性・グループ、ヴェルヴェッツのリード・シンガー、キャロリン・キャル・ギルと1969年から1983年まで結婚していた。

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次回の「ソウル・サーチン・レイディオ」(インターFM、76.1mhz、日曜午後2時半~)では、デイモン・ハリスとリチャード・ストリート・追悼をお送りします。

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海外の記事など
http://www.usatoday.com/story/life/music/2013/02/27/obit-temptations-richard-street/1951801/

http://www.huffingtonpost.com/2013/02/27/richard-street-dead_n_2777081.html

OBITUARY>Street, Richard (October 5th, 1942 – February 27, 2013, 70-year-old)

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(評伝の、ディスタンツとエルジンズが合流してテンプテーションズになったという箇所を、ディスタンツとプライムスが合流してテンプテーションズになった、と修正しました。nonaさん、ご指摘ありがとうございます)