待降節 2023 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

本日11月12日ミラノのアンブロジアーノ典礼は、ローマ典礼よりもひと足先に「待降節」に突入した。

 

 
ミラノのアンブロジアーノ典礼における「待降節」は6週間。なのでロウソクも6本。そして、司祭も紫色の司祭服となった。

 

 

祭壇には、「平和をもたらす主よ来てください」と書かれていた。

 

ところで、本日のアンブロジアーノ典礼の福音はマルコ13ː1-27。
 
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉もおこるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。あなた方は用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂でうち叩かれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。」(マルコ13ː8-9)
 
戦争、紛争の危険、そして自然災害が起こる際、私たちはこの世の終わりと、絶望的な苦痛に圧倒されてしまいがち。しかし、イエスは私たちに自分自身のことを気をつけるよう警告する。それは逆に、自分の世界に閉じこもるということではなく、その代わりに、私たちが信じている神の約束に頼るということ。神は私たちを一人にせず、人間の悪意よりも無限に大きな愛と憐れみを持っていて、偶然に世界を任せることなく、ただ望んでいるのだ。それはまず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
 
 
祭壇には、カテキズモ1年目、小学2年生たちの絵が飾られていた。
 
ミサの最後に、聖フランチェスコの祈りが参列者に配布された。

 

 
聖フランシスコの平和を求める祈り

主よ、私を平和の道具とさせてください。
私にもたらせてください。
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところにゆるしを、
争いのあるところには一致を
誤りのあるところには真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びを。
あぁ、主よ、私に求めさせてください。
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
日とは自分を捨ててこそ、受け、
自分を忘れてこそ、自分を見出し、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

(Fr.渡辺義行o.f.m. 訳)

 

余談だが、地元の教会では明日から3日間黙想会が始まるが午後の3時半からか夜の9時から1時間半。午後のクラスには行けないし、毎回夜のクラスに参加するが、帰宅して大急ぎで夕食をすまし、到着すると温かく薄暗い会場でほとんど居眠りしてしまう状況であった。今回は行けて明日の月曜日のみ。しんどいな…

 

 

今日から毎晩12月23日まで続く、ミラノ大司教のメッセージ

 

 

 

祈り続け、希望を持ち続けましょう。