サンフェデーレ、香部屋 胸像の謎 その2 | ミラノの日常 第2弾

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気になると、とことん追求するたちなのだが、やはりサンフェデーレの香部屋の胸像四体の日本人が気になり、またまた調べてみた。(しつこいって?!)
 
やはり1600年代前半に列福または列聖されたイエズス会員、および列福した日本の殉教者たちという言葉に引っかかった。

天正遣欧使節団で殉教したのは、中浦ジュリアンのみだ。1633年に殉教したが、列福したのは、2008年。わりに最近の話。
 
ところで、先日の日曜日の「どうする家康」では秀吉が血まみれの壮絶な死を迎えたが、その秀吉の命令によって長崎で26人ものカトリック信者が磔の刑に処された。殉教したのが、1597年、列福が1627年、列聖が1862年である。
 
こちらは、26人の処刑を描いた1862年の版画。
 
 
ちなみに、26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性であった。外国人は皆フランシスコ会修道士。
 
そして、日本人の中には3名イエズス会員がいた。それがこちらの画像であり、香部屋の胸像の3体にあたるはず。つまり天正遣欧使節団の4名ではない。
 
聖パウロ三木 (33)、聖ヨハネ五島(19)、聖ディエゴ喜斎(64)。(Museo de Bellas Artes de Valencia‬ ペドロ・ガルシア・フェレール司祭作) この画像だと年齢差がないので、誰が誰だかはわからず。
ペドロ・ガルシア・フェレール司祭作 聖パウロ三木 、聖ヨハネ五島、聖ディエゴ喜斎の磔刑
 
じゃあ、もう一人は誰なんだ???殉教者の中には、イエズス会員の世話をするため一行に付き添ったペドロ助四郎もいるし、中浦ジュリアンも捨てきれないが、1608年に叙階し、列福は2008年であっても、1633年に殉教。やはり彼なのか…
 
もやもやする~。