「勤労感謝の日」の思い出 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

11月23日は「勤労感謝の日」。

 

「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う」との趣旨で制定された、国民の祝日。

 

起源は、飛鳥時代から続くとされる「新嘗祭」という祭祀。「新嘗祭」は、天皇がその年に収穫された穀物を神様に捧げてから自らも食し、収穫を祝って感謝する宮中行事なのだそうだ。
 
この日に勤労に対し、お祝いをした記憶はないが、私にとって忘れられない日である。
 
小学校5年生か6年生か定かではないが、よく休み時間に3階に位置していた教室から一番近い、屋上に出られる階段の踊り場は、小さなステージのようで、人が通ることもほとんどなくクラスメートの女子数名とよくそこで隠れて踊って歌ったりしていたものだった。
 
メンバーの3人がテレビの子供向け歌番組に、当時流行っていたキャンディーズの歌でオーディションを受けることになっていたのだが、うち一人が急遽行けなくなり、私が代理で出ることになったのだった。
 
私はピンクレディ派でキャンディーズは好きではなかったが仕方ない。笑 今思えば、どういう気持ちで出ようと思ったのか?またよく両親が許してくれたものだなあと思う。
 
しかも、「アン・ドゥ・トロワ」という、割にしんみりとする曲を歌っていたのだ。笑 ちなみに私は真ん中の蘭ちゃん役。
 
「ちびっこ紅白歌合戦」という番組だったような気がしていたが、検索してみると、当時'77-'78年に1年だけ「ちびっこものまね紅白歌合戦」という番組はあったようだ。ものまねだったのか?
 
まあ、結果は一度で落ちたのだと思うのだが、全く歌った記憶はない。場所が原宿で、会場には(当たり前だが)子供がたくさんいて、行きか帰りに皆で何かを食べたことだけは覚えている。笑 ハンバーガーだったのかアイスクリームだったのか...それともクレープだったのか...普段両親と出かけていた町田ではなく、原宿へ行く!ということで、ものすごくテンションが高かったことだけはうっすら覚えている。笑
 
決して芸能人になりたいなどとは思ったことはなかったが、歌って踊るのは、今も昔も小学生女子なら好きなことの一つだったのだろう。
 
当時は、新曲が出れば、カセットデッキを準備してテレビの前でそのまま録音し、歌詞を紙に書き、覚え、また振付もテレビにかぶりついて、目をこじ開けて、覚えたものだ。今や、もちろん興味などないが、振付ではなく、空手の型もなかなか覚えられず、動画を0.25倍速で何度も何度も繰り返し見ても、覚えられない、という記憶の悪さに自分でも情けなくなるくらいだ。苦笑
 
テレビに出ていたら、こんな感じだったのだろうか?昭和の小学生だ。笑 今や皆5ー60代。いい時代だったな。笑