永井博士の列福運動 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
 
原子医学者で自らの原爆の灰を受けられ、病気や逆境の中にあっても神を讃えた、長崎の平和の詩人永井隆博士の列福(カトリックにおいて、聖人の前段階である福者にあげられる事)の声が10数年前か始まっているようだが、ここイタリアでもその声が高まっている。
 
ところで永井氏の妻、旧姓森山緑は、隠れキリシタンの家庭で、彼女が生まれ育ち亡くなった家は、森山家代々7世代が住んでいた場所だと言う。森山家はその隠れキリシタンのリーダー的存在で、武士が支配した2世紀にわたる非合法で残忍な迫害の間、カトリック信仰を伝え約3000人の信者を育ててきたそうだ。
 
永井氏自体は、学生時代、無神論者であったそうだが、26歳の時にカトリックの洗礼を受け、翌年、下宿先の一人娘と緑と結婚をする。
 
永井氏は放射線医学を専門とし、結核の早期発見に力を尽くしたが、逆に何万もの人のレントゲンをとって白血病にかかり、原子爆弾が長崎に落ちた時には、愛する妻を失い、自らも大けがをしながら、懸命に被災者の治療に当たった。
 
浦上の隣人たちが被爆で病床にあった永井氏のために二畳一間の木造の家を送り、そちらを「如己堂」と名付けられた。この家を建ててくれた人々の温かい心を受け留め、自分もそのように生きようと聖書の「己の如く隣人を愛せよ」の言葉から名づけたのだという。永井氏は、43歳で永眠される日まで、書斎兼病室として2人のお子さんと共に、3年程そこに住んでおられた。床に伏せることも多かったが、平和と愛のために祈り、病身の命をけずるように執筆し、得た収入は地域の復興に寄付し、自らギリギリの貧しい生活をしつつも、キリスト者として模範を示された。
 
彼ら夫妻の人間性と信仰の物語を多くの人に知ってもらうため、2021年3月にローマにおいて、”Amici di Takashi e Midori Nagai”(永井隆・緑の友達)という名の協会が設立された。長崎教区にも認められているのだが、彼らのキリスト者としての生き方が広め、証しされ、最終的には列福に結びつくように、というのが目的だ。
 
前置きが長くなったが、11月11日にミラノにおいて、永井氏の功績を紹介する講演会が設けられた。長崎•高見大司教、スコラ枢機卿(前ミラノ大司教)の中継もあった。
 

 

 

ところで、被爆地である広島・長崎について俗に「怒りの広島」「祈りの長崎」と評されることがある。被爆者が、怒りを胸に原爆に抗議するのは当然であろう。しかし、カトリック信者の多い長崎は、鎮魂と祈りを持って、静かに核の廃絶と平和を求めてきた。

 

永井氏夫妻の証しが少しでも多くの人の心を打ち、希望を与えるものでありますように。

 
こちらでミラノで行われた講演会の様子が見られる。(全てイタリア語)