「子供(息子)」の定義 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


 
子供(息子)は、神が私達に、自分自身よりも誰かを愛するよう、彼により良い模範を与えるために私達の最悪の欠点を変える方法、勇気を持つことを学ぶ方法の集中コースを行うために、与えて(貸して)くださった存在である。
 
そうだ。これだ!母親や父親であるということは、別の種類の痛み、適切に行動することの不確実性の痛み、愛する人を失うことの恐怖に自分自身をさらすことを意味するので、それを行うことができる勇気の最大の行為であるという事。
 
失う?何を?彼は私達の子供ではない。つまりただの借り物だ。子供たちは自分の世話をできない時だけ私達のものなので、最大かつ最も素晴らしい借り物である。そして、彼らは人生、運命、そして自分の家族に属する。神は子供たちを祝福してくださる。なぜなら神は私達のことを既に彼らと共に祝福してくださったからだ。byジョセ・サラマーゴ
 
ジョセ・サラマーゴはポルトガル初のノーベル文学賞受賞作家である。
 
彼は無神論者であったそうだが、これを読んで思い出したのが、レバノンの詩人・ジブランの詩「 あなた方の子供」だ。
 

あなたの子供はあなたのものではない。...神様からのお預かり物、そう思って育てたら、どれほど大切に育てられるだろう、という内容。子供をついつい自分の所有物の様に、そして自分の思い通りに育てようとしてしまうから、子育てはうまくいかない。

 

子育ては弓矢の様なもので、親は力一杯弦を引いて狙いを定めて射るが、放たれた矢の軌道は親は直せない。

 

親は、子育てに口, 手、そしてお金も出すが、一旦放った弦は、口出しは本来いけないのだろう。

 

子供は子供なりににちゃんとやっていくのだから。飛びつつある矢をこっちに向けようとしたり、あっちに行ってくれなんて言えない。もちろん言うべきことではないのは、わかりつつ、ついつい言ってしまう。

 

弦をぐーっと引いて、照準を合わせるところまでは親の仕事。後は、見守るしかない。

 

 

あなたの子供はあなたのものではない。彼らは命そのもの憧れの息子と娘である。
彼らはあなたと共にあるけれどあなたの所有物ではない。
あなたは彼らに愛情を与えるが、あなたの考えを与えることは出来ない。なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたは彼らの身体を宿すことは出来るが彼らの魂を宿すことはできない。なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、あなたはその家を夢にさえおとずれられないから。
あなたは彼らのようになろうとつとめるが、彼らに自分のようにならせようとしてはならない。何故なら、人生はあともどりもしなければ、昨日とともにためらいもしないから。
あなたは弓のようなもの
その弓からあなたの子供たちは生きた矢 のように射られ手前にはなたれる。射るものは永遠の道の上に的を見定め、力一杯あなたの身をしならせ、その矢が早く遠く、飛び行くように力を尽くす。
射る者の手によって 身をしなわせられるのを喜びなさい。 射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓をも愛しているのだから。 

 

 

 

 
 
ミラノの日常「子育て備忘録」