ザワザワ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

毎年1月を迎え、2月が近づくと心のザワザワ感が始まる。

最近、母が「お父さんの誕生日(2月26日)を超えないと安心できないのよ。」そう言っていた。そう、それなのだ。

8年前の2月23日に、父が心筋梗塞で倒れ、危篤の連絡が入った。

海外に住んでいて、一番怖いというか、心の奥底で常に心配なのは、両親に何かあった時、すぐに飛んで行けないということ。 

一命をとりとめたが、タバコを辞めるのに一年かかった。家族に隠れタバコを吸っていたが、その後数回血管がつまり入院、ステントと言う器具を血管に挿入し、狭い血管を広げたのだが、もう何度やったかわからない。そういった父の状況を知りつつ、長女や長男が喫煙するので、おじいちゃんが大変だったこと、知ってるよね?と何度も怒ったが、きっと人間自分が苦しまないとわからないんだな。怒りも悲しみに変わる。勝手にせい!

 

さすがに今は、タバコを辞め今では他人様のタバコの匂いを嗅ぐのも気持ち悪いというほどになったが、若い頃から家業でタバコも売っていたため、早くからタバコを吸いはじめ、肺はかなり黒くなっているようだ。

 

9年前の夏に帰国した際、足が痛い、痛いといって引きずっていたのは、すでに血管が詰まっていたからではないかと思う。動脈硬化による血管の詰まりは、足のしびれや痛みのみならず脳や心臓などの血管にも動脈硬化が及んでいることがあるから危険だということに当時は気づいていなかった。なんと、閉塞性動脈硬化症の5年相対生存率は約70%で、大腸がんとほとんど変わらないという。

 

それが一命を取り留め、検査入院を繰り返し、必要があればステントを入れてきたが、また、年末に胸が苦しいと言っていたようで、ニトログリセリンを飲むと治まるといって頻繁に飲んでいると聞いていた。そこでまたザワザワ感。年末の診察で検査入院を父は希望していたが、医師に来月の診察まで様子を見ましょう。詳細をメモするようにと言われていたそうだ。そして、新年の検診日が24日だったのだが、それを待たずにもう胸が苦しいといって病院へ行くと、そのまま入院。やっぱり...と思った。

 

しかし、それを知ったのは、退院後。なんで~?と思ったが、何度も経験しているし、それで死ぬわけではないと母は思ったのだろう。また、遠く離れる私に心配を掛けたくないと思ったのだろう。こういうことは、一度や二度ではない。子供達に迷惑を掛けたくない、というのは日本人特有なような気がする。

 

昨年の夏から母がlineを始め、週に1、2度は母と話すようになったが、15日にも別の検査をしていたので、その結果が出る頃連絡しようと思っていたのだが、その合間に起きた出来事だった。

 

8年前は長女の反抗に煩わされていた。今は、次男の反抗とどうも未だにやる気のでない長男に振り回され、親子って何?と思う日々。

 

子供は親を選べない。そして、よく子供は神様からの預かりもの、というような言い方を聞くが、逆に自分がその親に神様から預けられている、とはなかなか気づけないもの。

 

多くの宗教や道徳、哲学などで「黄金律」と呼ばれる倫理的?言明がある。例えば、キリスト教で言えば、「人にしてもらいと思うことはなんでも、あなたがも人にしなさい(マタイ及びルカによる福音書)」や孔子の「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」などなど。頭でわかっていてもなかなかできないことである。

 

私が、両親に言って欲しかったこと、して欲しかったことを、自分の子供たちにすることによって癒される。また、子供達を愛するということは、自分自身を丸ごと愛すること、つまり生き直しなのだという。最近、親子間での共依存、夫婦間での共依存の話題が友人の間で出て、共依存が抱える闇というのも考えた。家族とはいえ、その距離(精神的に)と信頼関係は大切。

 

ずっと自分の親は年取らない、年を取るなんて思いたくなかったが、現実はやってくる。そして、その道を自分も確実に辿っているわけで....

 

けれど、だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日が思い煩う。その日の苦労はその日だけで十分である...か。

 

 

http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/2010-02.html