ラジオドラマ脚本『夢の香り』(後編) | 交心空間

交心空間

◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇


ラジオドラマ脚本『夢の香り』(前編)


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◆◆◆ 後編 ◆◆◆


  SE 克也が階段を降りる。
     幼子の「オーイ!」という声。 
克 也 「(呟いて)由美子?……由美子なんか?!……」
  SE と次第に早足になる。
     廊下を進むと、(洗面所で)水をジャージャー出す音、そして理恵
     の苦しむ声が聞こえてくる。克也が近づいて止まる。
理 恵 「(吐き気で苦しみながら)……どうしたっていうの?! ここんとこ、
    暴れてばっかで……何が言いたいんだよ……いい加減観念して……あ
    んたなんか、もうじき無くなっちゃうんだから……終わりなんだぞ」
克 也 「無理せん方がええ。妊娠しとるんじゃろう」
理 恵 「(驚いて)誰ッ!」
克 也 「ちょっと君に聞きたいことあってね」
理 恵 「週刊誌?!……なんでもないわ。妊娠?……(苦笑いで)アハハハ、
    そんなんじゃないってば。ちょび酔ってるのよ、ステージでビールと
    か飲んで、ほら、動き回ったから」
克 也 「週刊誌なんかじゃないよ」
理 恵 「ホントよ、ホントーに」
  SE 克也が水を止める。
克 也 「関係ない言うたら。それより、由美子がどこにおるか教えてくれん
    かいね」
理 恵 「だァれ?」
克 也 「由美子」
理 恵 「ユミコ?」
克 也 「そう。あの歌は由美子から聞いたんじゃろ。あの歌は俺と由美子が」
理 恵 「ちょびタンマ……ね、一体なんのこと? ユミコとか、歌がどうの
    こうのって?」 
克 也 「(じれったい)はッ」
理 恵 「トンチンカン、分かんない」
克 也 「(イライラと)由美子いうんは、五年前蒸発した俺の……一緒に暮
    らしとったんじゃ」
理 恵 「ふーん」
克 也 「歌は、さっき君がステージで歌ォたじゃろ。プロデビューの切っ掛
    けんなった、あの歌」
理 恵 「ああ、はいはい」
克 也 「君は……あの歌は自分で作った言うたが」
理 恵 「そうだよ」
克 也 「それはウソじゃ」
理 恵 「(唖然と)はァ?」
克 也 「あの歌は五年前に、俺と由美子で作ったもんじゃ」


  SE 電車がアパートの前を過ぎる。窓ガラスがカタカタ揺れる。
     克也、ギターで作曲中。ギターをボロンボロン弾きながらメロディ
     ーを探してる。
克 也 「由美子……由美子、ちょっと……」
由美子 「何?」
克 也 「(ギター弾き語りで口ずさむ)♪束ねた髪を ふわりとほどき そ
    っとあなたに くちづける これが最後と 心に刻む……(歌をやめ
    て)まだここまでなんじゃが、どう?」
由美子 「(どことなく淋しく)うん……いいと思う」
克 也 「じゃろう。辛く揺れ動く心の中に、強い決心が。そんな女心がよう
    でとるじゃろう」
由美子 「そうね」
克 也 「いいよ、凄くいい」
  SE 克也がギターで『夢の香り』のメロディーを軽く弾く。
由美子 「ねえ、この曲、次のコンテストに出すん?」
克 也 「ああ……これまでの由美子の詞ん中じゃ、一番グッとくるよ。じゃ
    けえ最高の曲をつけて……絶対に……」
由美子 「一等賞?」
克 也 「ああッ。でもって、プロんなる」
由美子 「そう……頑張ってね」
  SE 克也のギター、OFF。


克 也 「ほいじゃが、由美子が突然おらんようなって……歌も結局発表せん
    ままで……でも、その歌を今夜君が歌ォた」
理 恵 「それがどうしたって言うの」
克 也 「由美子から聞いたんじゃろ」
理 恵 「どこが?! 私が作ったの! 自分で作った歌、自分で歌ってどこが
    ワリィのよ。変な言いがかり付けないで」
克 也 「言いがかりなんかじゃない」
理 恵 「じゃ証拠は? オジサンの歌だっていう証拠、見せてよ」
克 也 「……ない」
理 恵 「ほらァ」
克 也 「分からんかのう」
理 恵 「分からんのう」
克 也 「歌なんかどうでもええんじゃ」
理 恵 「(不服)よくないわよォ」
克 也 「俺が知りたいんは、そんなことじゃのうて、由美子の居場所なんよ」
理 恵 「シーラナイ」
克 也 「どこで遇(お)うたか」
理 恵 「知らないってば」
克 也 「今も一緒なんか」
理 恵 「知らないって言ってるでしょ、ユミコなんて!」
克 也 「頼む、教えてくれ」
理 恵 「しつこいわね! どいてよ(と行こうとする)」
克 也 「待てったら(と理恵をちょっと突き飛ばした感じ)」
理 恵 「イタ」
克 也 「ァ……」
理 恵 「(凄んで)そこどいてよ」
克 也 「(ボソボソと)悪かった」
理 恵 「どいてってばッ」
  SE と理恵が行く。
克 也 「おい、君ッ」
  SE と克也があとに続く。
     理恵は楽屋に飛び込み、ドアをバタンと閉め、鍵を閉める。
克 也 「君ッ」
  SE 克也がドアノブをガチャガチャする。
克 也 「開けてくれ」
理 恵 「いやよ、絶対」
克 也 「逃げてどうなるんや」
理 恵 「あっち行って」
克 也 「オイッ」
  SE ドアノブをガチャガチャする。
克 也 「君ッ」
理 恵 「大声だすわよ!」
克 也 「ハ(と一息吐いて)……なあ……頼むよ……五年間、由美子のこと
    ばっかり考えてきた」
  SE 心音が響く。
克 也 「あの歌を、あいつ覚えとってくれた。俺のことも、きっとどっかで
    待っとるんじゃ……じゃけえ、ここを開けてくれんか」
理 恵 「(うんざり)あっち行ってよ」
克 也 「君だけが頼りなんじゃ」
理 恵 「知らないってば」
克 也 「君だけが……」
  SE 克也と理恵の会話が幻覚の中でゆっくりと響きわたる感じになって
     いく。
克 也 「頼む、開けてくれ」
理 恵 「いやよ」
克 也 「お願いじゃけえ」
理 恵 「いやだってば……何度言えば分かるのよ。あの歌は私が作ったのよ、
    私が……」
  SE 心音が水中にこだまする。
     幼子の「オーイ!」という声。
理 恵 「あんた……あんたじゃない……」
克 也 「誰かおるんか?!」
理 恵 「あんたなんかそのうち……」
克 也 「由美子?!……由美子なんか?!……」
  SE 幼子の「オーイ!」という声。
克 也 「どこや!」
理 恵 「ダメよ、ダメ。開けられないわ……これ以上私を困らせないで……
    困らせないでよ……ねえ……ダメ……やめて……」
  SE 幼子の「オーイ!」という声。
理 恵 「ダメよ、開けられない」
克 也 「由美子!」
理 恵 「開けちゃダメ!」
  SE 静寂。
     そして楽屋のドアが開く。
理 恵 「(息が荒い)……どうなったの?」
克 也 「(茫然と)よう分からんが……何か、あったかい水に包まれたよう
    な……その……モワァンとした感じで……」
理 恵 「私も……」
克 也 「とにかく、開けてくれて……アリガトウ」
理 恵 「私じゃないわ」
克 也 「ほいでも、鍵が……」
理 恵 「ええ、そうね……」
  SE 理恵はヨロヨロと下がって、パイプ椅子をとって座る。
克 也 「やっぱり誰かおるんか?」
  SE 克也が楽屋に入って歩き回る。
克 也「由美子じゃの」
  SE 克也が衣装棚の扉を開けたり、着替え用に仕切られたカーテンを開
     ける。            
克 也 「由美子!……由美子!……」
理 恵 「(ヘトヘトで)誰もいないってば……しつこいわね、オジサンも」
克 也 「隣の部屋は?」
理 恵 「いいわよ、探して来れば。他の楽屋も同じよ」
  SE 克也はスタスタと隣の楽屋へ。ドアを開けて「由美子……由美子」
     と探している。
理 恵 「誰もいないって言ってるのに……」
  SE 克也が戻って来る。
理 恵 「ここには、私とオジサンの二人だけなのよ」
克 也 「そうみたいじゃの」
理 恵 「みたいなんじゃなくって、そうなの」
克 也 「ん……」
理 恵 「それにッ、オジサンが探してるっていう由美子、私本当に遇ったこ
    ともないし、名前だって聞いたこともないわよ」
克 也 「ほいじゃが」
理 恵 「何度言っても無駄よ。もう沢山、うんざりだわ。だけどオジサンが
    納得できないっていうなら、いいわ、一生私にくっついてれば。こっ
    ちは全然相手にしないけど……(投げやり)好きにしてよ、もう……」
  SE 重苦しい雰囲気。
克 也 「ハ……(と息を吐き出したり、舌打ちしたり)……なんなんだ(と
    呟いたり)……クソ……(などとイライラする)」
理 恵 「ねえ……」
克 也 「うるさいッ」
理 恵 「怒鳴んないでよッ」
克 也 「ハ……(と気持ち押さえて)今、考えとんじゃけえ……待ってくれ」
理 恵 「(言い聞かせるように)ねえ……お願いだから聞いて」
克 也 「ァン?」
理 恵 「私、ウソは言ってないわ」
克 也 「ァァ……」
理 恵 「本当よ」
克 也 「ァァ……(軽く溜め息を付く)……」
  SE 克也が二、三歩歩く。
理 恵 「帰るんだったら、ドア閉めといてね」
克 也 「ァァ……」
  SE 克也はさらに二、三歩歩く。
     幼子の「オーイ!」という声。
     克也が止まる。
克 也 「何?」
理 恵 「え? 何も言ってないわよ」
克 也 「でも今、誰かの声が」
理 恵 「私には何も。気のせいじゃないの」
克 也 「(気持ちは茫然としながらも)いや、確かに聞いた」
理 恵 「モー、よしてよォ……」
  SE 理恵が爪でカチカチと、リズミカルにテーブルを叩く。
克 也 「(小さく呼んで)由美子……」
理 恵 「私は理恵ッ。しっかりしてよ、オジサン」
克 也 「ん?……ああ……」
理 恵 「ねえ、まだ居る気?」
克 也 「そういうの、よくやるの? 爪でカチカチやって、リズムとるの?」
  SE 理恵がカチカチするのやめる。
理 恵 「どうかな……」
克 也 「どうなの?」
理 恵 「そういえば、前はやってなかったな。ここ二、三ヶ月? 癖んなっ
    たみたい」
克 也 「由美子がようやりよった、それと同じこと」
理 恵 「だァから何?」
克 也 「いや、別に……ただ」
理 恵 「これも由美子って人に教えてもらったって言うの。よしてよ、こん
    なこと。これがなんの得になるの?」
克 也 「そう言うたら、そうかもしれんけど」
理 恵 「もォ、一方通行もいいとこ」
克 也 「ァァ……」
理 恵 「付き合い切れない」
克 也 「ん……じゃけど……どう言うたらええか……(溜め息をつく)……」
理 恵 「ねえ、まだ居るんだったら、そこのタバコ取ってよ……ねえったら
    ……いいわよ、自分で取るから」
  SE 理恵がタバコに火を点けて吸う。
理 恵 「(一服して)……ウェー……不味い……アー、気分悪いわ……」
  SE 克也が理恵に近付き
克 也 「タバコはやめとけ」
  SE 取り上げて揉み消す。
理 恵 「何すんのよ」
克 也 「君のために言うとんじゃ」
理 恵 「関係ないでしょ」
克 也 「普通の身体じゃないんじゃけえ、もっと大事にしたらどうなんや」
理 恵 「大きなお世話。ああ、パス」
克 也 「隠したけえいうて分かるよ。俺だけじゃない、いつかみんなにも」
理 恵 「(クスクス笑う)……」
克 也 「何がおかしいんや」
理 恵 「オジサンみたいに、いつまでも過去を引きずってる訳にはいかない
    の。私には、夢があるのよ」
克 也 「歌か……」
理 恵 「そう。チャンスなのよ、私にとってもミュージック村にとっても。
    夢を大きくするチャンスなの」
克 也 「気持ちは分かるよ。俺もプロを目指したことがあるけえ」
理 恵 「でしょう」
克 也 「だったら、もっと身体のこと」
理 恵 「(あっさりと)おろすのよ」
克 也 「何?」
理 恵 「中絶するの。でもって奇麗さっぱり、嫌な過去とサヨナラするの」
克 也 「本気なんか?」
理 恵 「そりゃ女だもん、産みたいわよ。子どもは好きだし……(どこか生
    き生きと)ほら子どもってさ、なんて言うか、ワクワクさせてくれる
    でしょ」
克 也 「んん……そりゃまァ……」
理 恵 「それに、赤ん坊っていろんな可能性秘めてて。私さ、妊娠して物の
    感じ方が変わったと思うのね。アァ……そう言えば……」
克 也 「何! なんか由美子のことで思いだした?!」
理 恵 「違うわよ、私のこと」
克 也 「そう……」
理 恵 「(ちょっとふてて)あの歌のことなんだけど」
克 也 「え!」
理 恵 「言っときますけど、ホントーにッ、私が作ったんだからね」
克 也 「分かった分かった。それでええけえ。だから何!」
理 恵 「なーんか、しっくりこないけど、ま、いっか……あの歌ね、作った
    の四ヶ月ぐらい前でしょ。おなかの子も今四ヶ月なのよね」
克 也 「それがなんの関係があるんや?」
理 恵 「さァ?」
克 也 「さァって……」
理 恵 「ただね、あんな風に歌が作れたのも、妊娠していろんなこと思うよ
    うになったからかなって……意外にいい経験だったりして……フフ」
克 也 「そこまで思ォとるんなら、なんで?」
理 恵 「どうしようもないのよ」
克 也 「チャンスのためか?」
理 恵 「それもあるわ」
克 也 「(察して)相手の男か……」
理 恵 「まァね。妊娠したって言ったら、あいつビビッて逃げちゃった」
克 也 「うむ……そうか……」


  SE 電車がアパートの前を過ぎる。
     窓ガラスがカタカタ揺れる。
     克也がギターをつま弾いている。
由美子 「ねえ、克也……」
克 也 「(ギターを弾いている)……」
由美子 「克也」
克 也 「(ギターやめて)んッ?」
由美子 「あのね……」
克 也 「なァに? 今、すっげいいメロディが浮かんだとこじゃったのに」
由美子 「そう。ゴメン。でも大事な話なの」
克 也 「(溜め息付いて)……何」
由美子 「子ども……できたみたい」
克 也 「ええ!……(呟いて)ォーィ、ウソじゃろう……病院行ったん?」
由美子 「四ヶ月だって」
克 也 「(呟く)まずいのう」
由美子 「……喜んでくれんのんじゃね」
克 也 「いや、そうじゃないけど……今は……まだ俺、バイトじゃし……そ
    れに……」 
由美子 「歌?」
克 也 「うん……とりあえずプロんなって、そういう形作って……それなり
    に、まァ、ちゃんとして……」
由美子 「ちゃんとって?」
克 也 「ちゃんとは、ちゃんとじゃろう」
由美子 「結婚ってこと?」
克 也 「ん……んん……子どもなんて、それからじゃろう。早すぎるよ。金
    だっているし……そんな、急に言われても……(咳払いする)」
  SE 克也がギターを鳴らす。
     しかし、そのメロディーはどことなくぎこちない。
由美子 「(涙声)ねえ……産みたいよ……私……お金のことじゃったら、私
    もギリギリまで働くし……ねえ、克也……克也……産みたいよ……」
  SE 克也がギターを強くジャンと鳴らして
克 也 「泣くことないじゃろ」
由美子 「(涙声)だって克也……そりゃ、歌も大事かもしれんけど……私と
    克也の子なんじゃけえね……それなのに克也、産むな言うとるみたい
    で……」
克 也 「(無理に笑って)アハ……誰がおろせって言うた。しょうがないじ
    ゃろう、できたもん。産みゃええじゃないか」
由美子 「(涙声)本当に?」
克 也 「ああ」
由美子 「本当じゃけえね……ねえ、克也……克也……」
克 也 「ああ……バイト、増やしゃええんじゃろ。何がなんでも、プロんな
    りゃええんじゃろ」
由美子 「(涙声)本当よ……ホントに、本当だよ……」
克 也 「分かったからッ。しつこいな……頼むけえ邪魔せんといてくれえや」
由美子 「(落胆して)克也……」
  SE ギターの不協和音。そして弦が切れる。


理 恵 「あいつもそんなこと言ったわ、そんときだけわね」
克 也 「愛し、合ォとったんじゃないんか?」
理 恵 「誰が?」
克 也 「モチロン……君たち」
理 恵 「弾みでそうなっただけよ。ディスコで知り合って、お互い一人ぼっ
    ちだったし。それにあいつ、私の話よく聞いてくれたもん。それだけ。
    愛なんてよく分かんない」
克 也 「分かんないか……」
理 恵 「結局時間が経つにつれて、そっぽ向いちゃうのよ、男って。オジサ
    ンもそうだったんじゃないの?」
克 也 「そんなこと」
理 恵 「ないって言える?! 心の底から、産まれてくる子を祝福できた?!
    由美子って人のこと、一番に考えてあげることができた?!」
克 也 「それは……」
理 恵 「どうなの?」
克 也 「……多分」
  SE 心音が微かに響く。
理 恵 「ウソ……嘘つき……大体ね、しょうがないで産んでもいいなんて言
    う男、どこが信じれるのよ」
克 也 「俺は俺なりに頑張ったさ。バイトも増やして、ただ由美子には、あ
    まり接してやれんかったけど……でも、愛しとった」
理 恵 「口ではなんとでも言えるわ」
克 也 「じゃけえ……一日でも早ォプロんなって」
  SE 心音は第に大きくなっていく。
理 恵 「そこが違うのよ。夢で何ができるっていうのッ」
克 也 「お前に何が分かるいうんやッ。あんときの俺は、あと一歩でプロん
    なれる。その位置におったんじゃ」
理恵(由美子)「ああ、そうッ。なんだかんだ言っても、あなたには歌が全て
    だったのよッ。でもねッ……(由美子の声がクロスして替わる)女に
    とっては、男次第ってこともあるのよッ。その大事なときに、あなた
    は歌を選んだのよッ。あれほど産みたいって言ったのにッ……産みた
    いってッ」
克 也 「(呟いて)……由美子?」
  SE 心音が消える。
理 恵 「え?」
克 也 「今のは、君の本心なんか?」
理 恵 「え?」
克 也 「産みたい言うたじゃろう」
理 恵 「ァハ……違うわ。私じゃないわよ。多分、由美子って人は、そう言
    いたかったんじゃないかって、そんな気がして……つい……」
克 也 「まるで由美子のようじゃった」
理 恵 「ハハ(と軽く笑い飛ばして)……やめてよ。私はおろすって決めて
    るんだから」
克 也 「でも今」
理 恵 「どうかしてたのよ。妊娠してからとにかくおかしんだから。つわり
    だってひどいし、イライラしてばっかで……ハ……こうなって被害受
    けるの女だけなんて、不公平だよ……だからもういいッ……この子の
    ために、私の青春ダメにしたくないし。それに私には、スターの道が
    約束されてるし……(強い決意)おろすしかないじゃん」
克 也 「いや、そりゃ絶対ようないって」
理 恵 「じゃどうしろって言うのよ」
克 也 「もっと……もっと何かええ方法があるじゃろう!」
理 恵 「ないわ」
克 也 「きっとあるって」
理 恵 「遅いのよ、こうなってからじゃ」
克 也 「命なんだぞ」
理 恵 「分かってるわよ」
克 也 「何も感じんのんかッ?」
理 恵 「辛いわよ! 堪んないわよ! 私だって!……もう……何もいいこ
    となくって……せっかくやりたいこと見付けたっていうのに……そん
    なに私を責めないでよ!」
克 也 「ァァ……言い過ぎたよ」
理 恵 「こんなんなるんなら、やっぱりあのとき……」
克 也 「あのとき、何?」
理 恵 「五年前。私が十五のときにね……学校も友達も、家も、おもしくな
    くなって、挙げ句の果てに頑固親父と衝突してさ、家飛び出したの。
    そしたら、なんか気が抜けちゃって……死んじゃおうかなって」
克 也 「死ぬ? なんでそんなこと考える?」
理 恵 「そんときは、そう思ったのよ……それで、なんとかっていう岬まで
    行ったの……」
  SE 波の音が先行する。
理 恵 「そしたら、先客がいてさ。女の人。愛する人のために死ぬんだって
    言ってた。先客がいたんじゃ、止めるしかないよね」


  SE 波が岩肌に激しくぶつかる。
理 恵 「ねえ、待ってよ!」
由美子 「来ないで!」
理 恵 「分かったわ。分かったから、落ち着いて!」
由美子 「お願い、一人にしといて!」
理 恵 「そりゃこっちだって一人んなりたいけど……だけどあんたがいたん
    じゃ、私どうすりゃいいのよ」
由美子 「私を……死なせて……」
理 恵 「冗談じゃないよ……(必死に)ねえ、もっと気楽にやろうよ! 男
    なんて、どうだっていいじゃない! ねえ!……あ、そうだ。私とさ、
    どっか旅行しない、いろんなとこ見て、おいしいもん食べて、キャッ
    キャしゃべってさ。ねえ、楽しくやろうよ! お願いだから、死ぬな
    んてこと言わないで。私はどうしたらいいのよ! ねえ!……ねえッ
    たら!……」
  SE ギターの弾き語りで、克也の歌が聞こえる。
      ♪束ねた髪を ふわりとほどき
       そっとあなたに くちづける
       これが最後と 心に刻む
       あなたの夢が きらめくのなら
       私遠くで 見守るわ
       物憂い風に 吹かれる町で
       夢の香りは 甘く切なく果てしなく
       込み上げる夢…夢…夢…
       今もあなたは歌ってるのですか
由美子 「(しばらくして)克也……あなたと暮らした一年は、私にとって、
    希望と不安で一杯だった……あなたには、歌の世界で成功して欲しい。
    でもそう思えば思うほど、あなた、歌に夢中になって、私から離れて
    いったわ……皮肉ね……私はあなたと一緒にいたいのに……哀しいわ
    ……私は……私はあなたを愛しただけなのに……」
  SE 心音が強く響く。
由美子 「ごめんね、陽童……どうすることもできないのよ、私一人じゃ。あ
    なたを、どうしていいのか分からない。分からないのよ……一緒に笑
    って、一緒に歩いて、一緒に生きてゆきたいけど……」
理 恵 「ねえ……」
由美子 「私一人じゃ駄目……できないわ」
理 恵 「ねえ、ちょっと。こっち向いてよ、お願いだから」
由美子 「あなたを、産んであげられないのよ……でも、あなた一人を死なせ
    たりはしない。私も一緒に死ぬから……」
理 恵 「やめようよ……」
由美子 「それで私を許して、陽童……陽童……」
理 恵 「死ぬなんて言わないで」
由美子 「今度生まれてくるときは」
理 恵 「お願いだから」
由美子 「もっと……もっと幸せになってね」
理 恵 「死んじゃだめだよ!……ねえ!」
由美子 「ごめんなさい、陽童……」
  SE 由美子が海に飛び込む。
理 恵 「ウソ……」
  SE 強風。波も激しくなる。
理 恵 「(絶叫)いやー!」
  SE 微かに心音だけ残る。


克 也 「(呟いて)そんな……由美子が……」
理 恵 「ね? どうしたの?」
克 也 「陽童って言うたんか! その女」
理 恵 「ええ……」
克 也 「確かに?!」
理 恵 「そうよ」
克 也 「(ショック)……ア……なんてこった……そんな……由美子が……
    死んだなんて……ア……アア……」
理 恵 「ヨウドウって、なんのこと?」
克 也 「そんな……」
理 恵 「ねえ……ねえ、どうしちゃったのよ……ねえ……ねえったら……」
克 也 「ん……」
理 恵 「しっかりしてよ……」
克 也 「(理恵の声に応えて)ああ……」
理 恵 「ねえ……ヨウドウ……て?」
克 也 「(悲しみを堪えて)……名前……産まれてくる子の……名前……あ
    んなに喜んどったのに……由美子のやつ、あんなに……なのに俺はッ
    ……なんてバカなんや……なんで……なんでもっと優しゅうしてやれ
    んかったッ……なんでー!……(息遣い荒い)……」
  SE 克也がテーブルをドンドン叩く。
理 恵 「ねえ、ちょっと……」
克 也 「ワアー!……」
理 恵 「落ち着いてよ!」
克 也 「ゴメン由美子……」
理 恵 「ねえ……」
克 也 「ゴメン……ゴメン…」
理 恵 「ねえ……」
克 也 「許してくれ、陽童……」
理 恵 「ねえったら……」
克 也 「陽童……(叫んで)陽童!……」
  SE 心音が響く。
理 恵 「(激痛が走る)ウウッ!……」
  SE 理恵が倒れる。
理 恵 「ィターイ……おなか、ィターイ……」
  SE 理恵が激しくのたうち回る。水中であぶくが立ち上がる。心音が次
     第に強くなって激しく乱れる。早くなったり遅くなったりする。
理 恵 「(激痛)ウウッ……ィターイ……誰か……ンンン……」
  SE 押し寄せる濁流。
     濁流と心音の中に幼子の声が聞こえる。「オーイ!……オーイ!…
     …」と、始めは遠くに、次第に間近ではっきりと聞こえる。
克 也 「陽童?!……陽童なのか?!」
  SE 幼子の声「オーイ!」
克 也 「どこだ?!……どこなんだ?!……」
  SE 幼子の声「ココダヨ」
理 恵 「ダレカ……オネガイ……」
  SE 幼子の声「タスケテー」
克 也 「陽童!……」
理 恵 「タスケテ……」
克 也 「陽童!……」
  SE 濁流が激しく通り過ぎる。
     幼子の声「タスケテー」
克 也 「陽童!……」
理 恵 「(悲鳴)……」
  SE 克也と理恵の叫びが反響する。
     心音が濁流に掻き消される。
     濁流が遠ざかる。
     静寂……


  SE すずめの鳴き声。
理 恵 「(ぼんやりと)ここは?」
克 也 「病院。マスターが、君を運んでくれた」
理 恵 「私、どうなったの?」
克 也 「切迫流産」
理 恵 「赤ちゃん……死んじゃったの?」
克 也 「いや……一歩手前。大丈夫だよ。手当てしてくれた先生が、君もお
    なかの赤ちゃんも、よう頑張ったって」
理 恵 「オジサン、ずっとそこに?」
克 也 「……それくらいしか、できんから」
理 恵 「そう。ありがとう」
克 也 「いや」
理 恵 「ねえ」
克 也 「ん?」
理 恵 「カーテン、開けて」
  SE 克也がカーテンを開ける。
理 恵 「眩しい」
克 也 「ん……俺も、眩しい」
理 恵 「夢……見たわ。必死に生まれようとする、赤ん坊の夢」
克 也 「俺も見たよ。じゃけど……あれ……夢じゃないような気がする」
理 恵 「夢じゃない?」
克 也 「うん……死のうとしとった由美子を、君は必死に説得してくれた。
    そんとき由美子のおなかん中で赤ん坊も、君の声、聞いとったんじゃ
    ないかのう……もう一度生まれてくる力を、君が与えてくれた」
理 恵 「私の、おなかの子……」
克 也 「俺はそう思う。じゃけえ君は、あの歌を……」
理 恵 「赤ん坊が?」
克 也 「そんな気がする」
理 恵 「私…………」
克也(M)「理恵はそう言い掛けて、そのあとは何も言わなかった」
  SE 安定した心音が聞こえる。
克也(M)「ただ、そっと自分のおなかに手を当て、唇を噛み締めていた。しか
    しその瞳は優しく、何かもっと大きな決意をしたように感じられた…
    …俺は、そんな理恵にどこかか心が洗われた気分で、じっと見つめて
    いた……」
  SE 安定した心音が残る。


                             おわり