子どもには勉強をさせたらいけないんですよ。
強制的にさせていることって、要するに
「(私がいる間は)勉強しなさいよ」
というメッセージを子どもに投げ掛けているわけです。
これって、子→親への依存関係を作り出します。
依存関係は一度できちゃうと、撤回するのは容易ではありません。
なぜなら、依存していると楽であり、そこから抜け出すにはちょいとがんばらないといけないから、です。
もちろん、勉強はしとくに越したことはありません。
ですが、勉強をさせちゃうと、勉強しないことよりも厄介な状態が出来上がるわけです。
かと言って、何も言わずにほったらかしにしていると、子どもが自分でやる気を出すまで待つしかありません。
精神衛生上穏やかではありませんよね(笑)
勉強はさせるもの、という固定観念を捨てて、全く別のアプローチで子どもたちに関わっています。
それがコーチングというもの。
子どもの変化は大きく、宿題すら自分で設定してくれるようになります( ̄▽ ̄)
『自律学習』の精神を身に付けさせるには、今のところコーチングに勝るコミュニケーションの取り方は無いと思います。
子育てのゴールは、自立した大人に育てること、だと思います。
『依存』とは真反対ですよね。
この場合の「依存」っていうのは、いわゆる「依存」のことで、僕は「破滅的な依存」って呼んでいます。
子どもの勇気をくじくタイプの依存です。
依存は、自立のために必要なもの。
でも、子どもに「させる教育」をすると、破滅的な依存関係を築いちゃって、子どもの勇気をくじいちゃうんだよね。
気付ける範囲の依存関係ならば変えられるのですが、困るのは気付かない範囲なんですよね。
文中に書いた通り、
「(私がいる間は)勉強しなさいよ」
というように、子どもに裏のメッセージが伝わっていることは少なくありません。
このメッセージをもっと深めると、
「(私がいる間は)勉強しなさいよ。(けれど、私がいない間は勉強しなくてもいいよ)」
となります。
他にも、
「宿題やったら遊んでいいよ。」
というメッセージも簡単に依存関係を作れます。
「(あなたは私の許可無く動いてはダメなので)宿題やったら遊んでいいよ。
(宿題が終わっても、私の許可無く遊んではいけませんよ)」
同じように、
「早く起きなさい!」
というメッセージも、
「(私がいる間は)早く起きなさい!(私がいない間は、早く起きなくてもいいよ)」
となりますよね。
もう大体感覚は理解していただけたと思いますが、強制や制限といったコミュニケーションの取り方は、依存関係が形成されます。
というよりも、依存関係があるから強制や制限が成り立つわけです。
子どもに強制や制限をしている限り、ほぼ100%自分で何かをやることはありません。
なぜなら、親がコントロールしてくれるんだから、自分でコントロールする必要は無くなりますよね。
こんな状態のまま、子どもが成人したらどうなるでしょうか・・・?
考えると恐ろしいですよね~。
20歳を超えてなお、親のコントロールが無ければ、何もできなくなってしまうんです。
だからこそ、
「子どもに勉強をさせる」
っていうのに代表される「させる教育」はやめた方がいいんです。