こんにちは、

ゆるライフコーチのしまこです。

 

 

 

昨日作業会レポートの記事を上げたのですが、

その中で、お互いの印象を言い合う時間がありました。

 

 

いただいたフィードバックを読み返しながら

考えることがあったので、個別記事にしました。

 

 

 

 

 

作業会でいただいた、

みなさんから私への印象(抜粋)…

 

 

・やさしい

・やわらかい

・とっつきやすい

・内にライオンを秘めている(まだ抑えている)

・冷静

・俯瞰して見ている

・参謀っぽい

・目で射抜かれる

・周りに影響されない

・判断が早い

・気遣いを行動に移せる力が強い

・ゆるライフコーチのブログとギャップがある

・テキパキしている

・お偉いさんの横にいるキチっとした人

・責任感が強い

・物事に優先順位をつけられる

・引っ張っていくタイプ

・神社の中の澄んだ空気

・マイナスイオン

・媚びない

・感情感情…とならない

・一歩引いて見ている

 

 

 

 

 

 

……これで抜粋です(白目)

自分で書いててこそばゆいですが、

こんな感じの印象だそうです。

 

 

 

 

 

言われて一番ドキッとしたのはやはり

「ゆるライフコーチのブログとギャップがある」

ですね。

 

 

 

 

 

……実は自分でもうすうす気づいていました。

 

 

 

 

私自身ゆるく生きたいし

ゆるく生きる人を増やしたい

と思って発信を始めたのは事実だし、

その気持ちに嘘はないです。

 

 

 

 

発信でも体験セッションでも、

嘘をついたことは一度もない。

 

 

 

 

でも、私自身の性格がべつにゆるくない、

ということはなんとなくわかっていました。

正直言われるまで忘れていましたが。

 

 

 

 

白状すると、私はどちらかと言うと

ゆるふわで包容力のあるタイプではなく

冷静にバッサリ切り捨てるドライなタイプです。

 

 

 

 

 

よく切れる日本刀で一刀両断するイメージですかね。

「いるいらない」の判断とかも秒でできます。

 

 

 

 

迎合するのが下手だし、

流行に乗っかることはあれど

振り回されたことはない。

 

段取りを組んで

その通りに進めていくのが好きで、

効率よくいかないと

イライラします(笑)

 

 

 

 

 

でも、そういう自分を認めたくなかった。

 

 

常識や過去の枠組みの中で

「作られた」「手放すべきもの」だと

思っていたかった。

 

 

 

 

 

だって、このドライさを

人に適用したら傷つけてしまうから。

 

 

 

 

誰だってやさしくされたいし、

共感されたほうが嬉しい。

 

 

 

 

 

ゆるく、ほわほわした人になりたかった。

それが私の理想だった。

 

 

そういう人なら、

誰も傷つかないと思ったからです。

 

 

 

 

 

それはブログだけでなく、実生活でもそうです。

 

 

 

 

むしろ、ドライな自分を

恥じている節すらありました。

 

 

 

 

 

やさしくてあったかい人の方が好かれる。

 

ドライで傷つけてしまうから、私はやさしくない。

 

やさしくない私は好かれなくても仕方ない。

 

だからドライな要素は表に出さないほうがいい。

 

 

 

とずっと無意識で思っていました。

 

 

 

 

性格上好かれなくても仕方ないけど、

「私は好かれていないんだ」と

相手の反応から感じ取れてしまったら

正直ショックなので、

表には出さないようにしよう、という思考。

 

 

 

誰だって、人に嫌われたくはないですよね。

 

 

 

 


ドライな要素を隠す代わりに、いつからか

「共感の仕方」を考えるようになりました。

 

 

 

自分の意見を言うのではなく、

相手が話の中で

何をどう共感してほしいと思っているのかを

くみ取ろうとしたんです。

 

 

 

 

だって、共感は大事。

共感されたらみんな嬉しいし、ほっとする。

誰も傷つかない。

不用意に自分の意見を言うよりずっと安全。

 

 

 

相手がわざわざ伝えてくれたのに

無下にするのも無慈悲だし。

 

 

 

 

 

そんなことを考えていました。

 

…本当は共感って頭でするものではないので、

血も涙もないな、と思うんですけどね。

 

そして、こんな自分を

残念に感じるときもいっぱいあります。

 

 

 

 

人と話していて後で落ち込んだり

心が折れたりもするんですが、

 

そういう時は無理をして

共感しようとした結果

うまくできなくて落ち込んでいた

のかもしれません。

 

 

 

 

 

でも、もう無理しなくていいんじゃないか、

と昨日の作業会で思いました。

 

 

 

 

私のドライさを色々な角度から

肯定的な言葉にしてもらえて、

本当に嬉しかった。

 

 

 


 

私は、相手のほしい言葉を

必死に探す必要なんかなかった。

 

 

 

 

だって、本当はそんなことをしても

相手のためにならないと知っている。

ただ気持ちいい言葉をあげて、

ぬるま湯に浸からせているだけだとわかっている。

 

 

 

 

少し痛みを伴ったとしても

それで相手の未来が明るくなるのであれば、

やさしさになりうるのではないか。

 

 

 

 

だけど、一瞬でも傷ついた顔を見たくなかった。

傷つけたと思うことで傷つきたくなかった。

 

 

 

 

だから甘くてやわらかい毒だと知りながら

与えていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

でも、無理に共感するのはやさしさじゃない。

私が傷つきたくないだけ。

 

 

 

 

 

切り捨てることで新しい未来を拓くような

やさしさの在り方もあると信じて。

 

 

 

 

 

今後のブログはかなり変わると思います。

とりあえず、ゆるふわ感は減ります(笑)

 

 

 

 

 

なんだかとりとめのない内容になりましたが、

今思うところはこの辺にしておきます。

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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今日も素敵な一日をお過ごしくださいね。

 

 

 

 

 

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