日本人の「おままごと仏教」 | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

「死んだら仏になる」とか、「供養すれば死者も冥界で救われる」とか…


だれも、そんなこと信じちゃいないのに、自分の身内とかを供養する段になると、突如信じだす…


そんなものは、葬式仏教の金儲けのためのセールストークとだれしも思っていることだろうに…


都合や状況で、信じたり、信じなかったりできる…って、いったいこれは何なのだろう?



坊主も坊主かしらないが、このインチキ仏教を支えているのは、被害者ズラしている檀家衆である。



そこのところが、今日的である。


「ユダヤ」が陰謀を企んでいるのが事実だとしても、それにホイホイ乗っかって手を下しているのは人民なのである。


「被害者」が、それ以上に「加害者」なのである。


「私は被害者なのに!」と言って、この人たちは反省しない。考えない。責任も取らない。



寺は、檀家が運営して、住職はそこにある意味雇われている…というのが本来の姿だが、


檀家が機能しているようには思えない。


ここがまた、不正選挙で、民主主義が機能していないことと重なる。



そして、檀家は、坊主に先祖供養の呪術や上手な「ありがたい」読経を期待するのであって、


仏教の説法なんぞ坊主がしようものなら、目を剥いて刃向かう者すらいる。


「こっちがカネをはらっているのに、何を偉そうに無礼者!」というような感じである。


僧は、法を説くのが本来の仕事で、「拝み屋」ではない。が、ほとんどの檀家衆が勘違いしている。



「拝み屋」だったら、それこそ「ユダヤ」タルームートやカバラでもやったらいいのだ…



多くの日本人は、神道だろうと仏教だろうと、卑弥呼のやったであろう呪術と区別がついていない。


神や仏を信じているのではなく、まじない、呪いを信じているのである。


神主も坊主も、まじない師、呪術師として、一般国民は認識している。



こういうところをみても、日本に神や仏を信じている者はなく、したがって「神も仏もない」世の中である。


そして、実は…そのまじないの効果すら信じていないのだが、仕来りやなにやらを気にする…


矛盾である…


ユダヤ人のヒトラーがユダヤ人抑圧みたいな話である。


信じていない連中が、その仕来りにうるさく、細かい…



信じていないんだったら、気にするなよ…でしゃばるなよ…不信心者めが!!



神も仏も信じていない連中にかぎって、よく拝むのである…



常に”いいこ”を演じていないと不安という…PTSD症候群…



日本人は、自分の言うことをきいてくれる”都合のいい神様”をとにかく大事にする…


「願いを叶えてくれる」となると、実に気前がいい…


そして、払った分に相当する代価を求めているし、期待している。



「仕事をまわしてくれ」「身内を就職させてくれ」…


そういう願掛けをして、それを叶えてくれるなら、みんな「神様」「仏様」である。



だから、その「神様」が、政治家だったり、役人だったり、ヤクザやウヨクだったりする…



そして、願ったのだから…カネ払ったのだから…「願いはかなう」と期待する…



日本人の多くが、こういうものを「宗教」と信じている、「政治」と信じている…なんたる外道…



あの世のことなどわからないのに、どうして「故人も喜んでいるでしょう」などと言えるのだ?


まあ、近しい者なら、確信することもあるかもしれない。だが、そうでない者まで似たことを言う…



「キレイゴト」を言い、「予定調和」を説き、「みなさんハッピーです。それを信じます、祈ります…」



そのご先祖様への態度が、そのまま被災地への態度と重なる



適当なことを言いやがって…、見てきたようなことを言いやがって…



人々の、そうした「期待」は、いつしか「権利」になっていく。


自分は当然、かくかくのものを受け取れる、という期待があり、それが果たされないと…


「約束が違う!!」と激高するのである。



毒妻者が、夫を裁くのも、これである。


「当然、家事育児を手伝うべきだ」とか…


「当然、記念日は覚えていて、相応の行事やプレゼントがあるものだ」とか…



これらは、初め「願望」であった。


「自分が愛されている」のだからと… 「願望」は「期待」に昇格する


そして、子どもが生まれるなどすれば… 「期待」は「権利」に昇格する



「当然の権利」だから、「あって当たり前」



当然、感謝も喜びもない…餓鬼のごとき貪りの世界がそこにある…



そして、感謝どころか、「権利が侵害された!」と訴えられ、裁かれるまでになる…


かくして、初め「願望」だったものが「血の掟」にまで昇格するのだ。


かくして、妻は悪魔と化す…(もちろん、逆のケースもある)




「当然の権利」…日本人は、このことばすらはき違えている…



だから、「国民の権利」も、守られなくて当然と言えよう…