この一週間、「http://ameblo.jp/robots.txt 」というのが、700以上もアクセスしています。なにこれ?
通報されたいのでしょうか?
無視して、シリーズを続けます。五木寛之『人間の覚悟』からです…
私たちは二重に裏切られたのである。
日本は必ず勝つと言われて、それを信じ、
現地にとどまれと言われて、それを信じて…裏切られた。
そんな体験をしていながら、それでも私自身にいろんな権威に”甘える”気持ちが抜け切れない…
愛国心はだれにでもある。
だが、国を愛するということと、国家を信用することは別である。
(* ̄Oノ ̄*) 「子ども信じる」というのは、「子どもの言ってることを信じる」のではないですよね~
(-_-) 万引きをしたのに否認する子どもの言い分を真に受けて、
「先生は、子どもを信じないのですか?」と喰ってかかったバカ親がいましたね?((o(-゛-;)
私はこの日本という国と、民族と文化を愛している。しかし…
国が国民のために存在している、とは思わない。
国が私たちを最後まで守ってくれる、とも思わない。
国家は国民のために存在してほしい。
だが、国家は国家のために存在しているのである。
私の覚悟したいことのひとつは、そういうことだ。
私たちは国家によって”保護”されている。
パスポートを開いてみれば、それは一目瞭然だ。
日本国の保証がなければ、私たちは、この国を出ることさえ不可能なのだ。
(-"м"-;) 国家の家畜…もしくは”所有物”って感じもしないではない…つか…それが本質…
外国旅行中に旅券を盗まれたことがあった。再交付までの不便と不安といったら…
このときは、つくづく日本国民であることの安心感を再確認したものである。
( )`ε´( ) むかしの”通行手形”っちゅうのも、こんな感じやったんやね…
だが、そのことと、国に頼ることとは別である。
国が最後まで私たちを守ってくれる、などと思ってはいけない。
国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。
国民としての義務を果たしつつも、国によりかからない覚悟。
゛(`ヘ´#) ロボット三原則<3>ロボットは自分の身は自分で守らねばならない…
⇒ロボットは人間様の厄介になってはならない…\(゚ο゚\)
最後のところで、国は私たちを守ってはくれない、と「諦める」ことこそが、「覚悟」である。
こんなふうに言えば、さしずめ”何かを信じるのはやめよう”と言っているように思われそうだ。
だが、私は不信の勧めを述べているのではなく、人間の覚悟、むしろ逆を語っているのである。
(´0ノ`*) いわゆる「他力」じゃなく、「自力」だと…(「ひとつ」なのでホントは「自力」も「他力」もないが…)
( ゜∋゜) 裏切られても「信じる」のだ…と…
五木寛之氏は、「覚悟」について、親鸞の法然への帰依ぶりを引く…
遠方から訪ねてきた念仏信者が「念仏の極意」を尋ねたのに、親鸞は答えてこう言った…
「自分の信心に極意なんぞありません。
ただただ法然様の言われるとおりについていっているだけなんです。
もしも、その結果地獄に落ちることになろうとも、一切後悔はしません。
自分の今いるここが地獄に他なりませんから。(いまよりどん底なんぞないですから)
地獄は一定すみかぞかし」
頼らない、というのは、信じない、ということではない。
自分の覚悟があっての信頼なのだ。(-_-メ~でなきゃ、裏切られた(と思った)ときに裁いちまうよな…
(-""-;) 死んだら仏になるだの、極楽へいけるだの、インチキ仏教が花盛りだが…
( ̄∩ ̄# 宗教とはそういう気休めで、人々を安心させることではないのではないのか?
(`(エ)´) 大事なのは、いまを生き抜くこと…
(◎`ε´◎ ) 己の救いがたい罪業にとことん向き合って、地獄の底まで行くことだ!!
「自力」で地獄に行った者のみが、「自力」で、そこから帰ってこられるのである…