しろくま 「Around us」   壁の無い世界を。日々生きている上で感じた事、音楽や芸術や大切な人達の事を綴っていきたい。
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

歴史修正主義者へのカウンター

https://twitter.com/mangetus69/status/998019722716241921

今まで書いてきたこのアメブロは、私自身の「表現」でした。

今はTwitterやFacebookで日々、発信しています。


このブログでは「人権」という言葉は使用していませんが、読んでいただけたなら、人権を何より重んじていることが分かると思います。

差別主義者、歴史修正主義者、嘘に誤魔化し、パクリ。


私はこれらを批判します。一緒にされたくありません。




一度限りの人生だもの。


自由と尊厳を守りたい。












e・eカミングス

 

憑依代役妄想作品を危惧したので、この記事は削除しました。

 

 












 

エネルギー




どんなに頑張って伝えても、聞く耳持たない人には伝わらない。



自己中な人は自己中なままで、ずる賢い人はそのことばかり考えてる。



そういう人にエネルギーを使いたくない。



一生の大切な時間は、もっと違う価値あることに使いたいと日に日に思う。



また少しシンプルになった 天使




愛を学べば学ぶほど、宇宙の法則が分かるようになってくる。






一生を何にエネルギーを使う?



地球上には愛に溢れた人が沢山沢山いるはず。



私はその人達と共に歩きたい。




しろくま 「Around us」   壁の無い世界を。日々生きている上で感じた事、音楽や芸術や大切な人達の事を綴っていきたい。

最後のつもりだったけど、全ての人に伝えたい。(抜けてたので訂正しました)

私は自分に正直でありたいと思い、生きています。

自分に正直であるよりも、自分を殺しても人との輪を大切にしたいという人もいるでしょう。


でね、どっちでもいいんだよねきっと。


自分が生きやすいように、魂が喜ぶように生きられるなら、どっちでもいいんだと思う。

ただ、その相対する人間が存在する事実を認識する。


どちらも違う相手を認めることが出来れば、ああ、違うんだなと、でも自分はこっちなんだよねって、


私も、自分を抑えてまでも人と合わせる生き方をする人を否定はしてない
限りある人生なのにもったいないなとは思うけど。

その集団の中では違和感を感じるかもしれないけど、個としては、その違う生き方をしている人と交わる事もあるでしょう?

交わるってのは、お互いがお互いを認識してその人の本質と交わる時。

ここで言いたい「交わる」とは、決して「仲良くする」ということではありません。


どう生きてもいいんだよ、自分の生き方にケツ持てれば、そこに居る事実を認識すれば。

ただ、大事なことは ↓


これを読んでみてください。 加藤諦三氏の言葉です。


http://www.katotaizo.com/words/words23.html#85    (抜粋)↓



他人を一人一人よく見ること、である。他人に是認してもらいたいという強い願望を持っている人は、他人をその独自性において見ない卑怯な人でも、誠意のある人でも、我執の強い人でも、寛容な人でも、ずるい人でも、優しい人でも皆同じに見えてしまう。全ての人が自分の是認の欲求の供給源として、同しように重要なのである。
 
すぺての人を自分の是認の欲求を満たす点からしか見ない。その点で自分に役立つか、役立たないかということだけで見る。その人が心の冷たい人か、暖かい人かというのは無視する。その人の視野が狭いか、広いかなどには無関心なのである。
(抜粋終わり)

このような人に対する見方をしている事がないか、ようく自分の心に問うてみてください。



私は自分に正直に、魂が喜ぶ生き方をしたいから、これからもそうするつもりです。

そして、同じような生き方をしている人達と居ることが居心地がいいのです。

決して外に向かって、人を出し抜いたり陥れるような事もしない。

そして、各自、違う個(尊厳・平等・自由)を認め合い、笑って生きたいと思います


でも自分を殺してまで人に合わせたり、洗脳されたロボットのように生きるひと、そのために、他者の尊厳・平等・自由を軽視する人、貶める人には、はっきりと意思表示していかなければならないと思っています。

考え直すのもアリ
是非考え直してほしいとも願います。 
本来、生きる事は神様がくれたプレゼントだもの。プレゼント 幸せに生きたい。



「個」の魅力を認め、違いを認める。 


自分にとって最善の生き方をする。星


それが出来れば、お互いにより良い人生が送れるんじゃないかしら。。。宝石ブルー

一度きりの自分の人生だもの
自分が主役
自分の魂が喜ぶ生き方をしたいし、してほしいなと思いますニコニコ

追記:2022年12月10日

 

「自分の好きなように生きる」

 

そうしたいならすればいいじゃないですか?

 

ただ、自分がそうしたいからって他人にケツ持たせようとする人や

他人をプロパガンダでコントロールしようとする人

「自分はこう思っています」「こうします」を自分では表明せず

他人に言わせようとする人

自分で考えず言葉や表現を盗っていく人

 

私に憑依したり盗っていくことは、現在私は事業者なので犯罪になるのでご注意を。

 

他者との境界線は意識していきましょ!🌹

 


最後に。。。

前のブログで紹介させて頂きましたが、この映画マジでめちゃくちゃ良かったです。

DVDも出てるけど、日本語字幕版がまだのようです。

この映画を観たら、きっと少しは「他人に対する見方」が変わるのではと思います。


「人生ここにあり!やればできるのさビックリマーク
 

https://youtu.be/3AZleEjaiZw

 

 

 





 

人生、ここにあり!やればできるさ


最近ノートを持ち歩いては、個人的な一年の総決算を回想していました。

自分に起きたいろんな出来事・変化を思い出し書いていても、テレビなどで震災の特集を観るたびに、

自分に起きた事なんて、すごくすごくちっぽけに思えて、敢えてブログで言う必要なんてあるのだろう

かと、自問自答していました。



自分が子供の頃から経験した、心の折れるような出来事も、大好きな北海道から苦渋の決断で

上京したにもかかわらず、東京に挫折して、また地元とは違う札幌で一から一人きりでやり直した事

も、次は自分の意思で上京して(長く勤めるには東京で就職するのがベストだと思ったから)、

何とか就職先を見つけて、それでも転んで転んで傷ばかり作って、心がボロボロになって、

生きるのが辛くって、夜明けなんか来ないって、神様は私にどれだけの試練を与えれば気が済むんだろ

うって、いつ幸せが来るんだろうって、泣いた日も数知れなかった。



音楽と出会うまでは、平日は生活するために仕事をして、週末はささやかな楽しみの為におこずかいを

使い(ツーリングとか)、ずっとこの毎日の繰り返しだった。

音楽を愛するようになるまでは。




自分はどう生きたいのか


自分は何をやりたいのか


誰を友達と呼べるのか


自分丸ごと愛してくれるのは誰なのか


自分は誰と生きたいのか


自分は何のためにブログをやっているのか




ようやくスッキリした



ブログを始めて2年と少し

私がここで出来る事は言葉を発することだけれど、言葉を置いてきぼりにしたくはなかった

言葉だけ浮かないようにしたかった

私を知っている人も、ただ此処でブログを読むだけの人もいるでしょう

私の全ては、このブログだけでは分からないでしょう

私の人生の、毎日の、ほんの少しだけしか共有出来ないと思います

それでも、見えないとこでも自分は偽りたくなかった

かっこ悪くてもダメダメでもかまわない

人に良く思われなくてもいい


自分の心に嘘はつきたくない

自分が信頼出来ると確信した人は その人丸ごと愛する

それが私なりの 「 誠意 」 なんです


 

今まで書いたブログが、誰かの目に留っても留らなくても

それでももし一人でも何かを考えるキッカケになったり、元気を与えていられたならすごく光栄です

意見が違ったってそれはそれでいいと思う


いつでも 「自分はどうするか」 だから



まだまだ私も発展途上、死ぬまで成長の過程ですかお

心が機敏に震える毎に、宇宙に、自然に、自分を委ねる毎に、気付く事は山ほどある

そして生きるということは、今この瞬間に生きているということは

天が与えてくれた 最大のプレゼントプレゼント



だからこれからどんな出来事が起ころうとも、自分を信頼して受け入れて 一瞬一瞬の喜怒哀楽を

自然のことと受け止めて、宇宙と同化するように 生きていこうと思います宝石白


今年も来年も 


心に真珠を


愛だけは忘れずにドキドキ


どうか皆様、いつも心に笑顔を、愛を


もしかしたら来年は違う形で「壁のない世界」を 綴るかもしれませんが、その時は出会いに感謝して


P・S  来年もボランティアには参加したいし、何かしら違った形でも復興支援のお手伝いが出来たらいいなと思っています。


最後になうでつぶやきましたが、『ちいさな哲学者』の次に観る予定の映画(もう公開済み)の

予告編を載せます!『人生、ここにあり!やればできるさ』


人はみな、幸せに生きることが出来る 星 

幸せを選択することが出来る宝石白



考えること

ブログよりも「なう」で呟く頻度が非常に高い私ですが、

 

今日は気になった映画から、普段思っている事を話せたらと思います

しろくま 「Around us」   壁の無い世界を。日々生きている上で感じた事、音楽や芸術や大切な人達の事を綴っていきたい。
まだ観ていないので、観たらまた感想を書きますねニコニコ

 

 

映画のタイトルは 『 ちいさな哲学者たち 

 

フランスの幼稚園で試みた「子供たちとの哲学の時間」だそうです

 

 

 

 

「 考える事 」

 

 

 

って、大事よね

 

 

 

 

「自分自身が感じた事 」 

 

 

 

って、大事よね

 

 

 

 

今の日本に住む私達って、小さい頃から、

 

「これはこうである」 とか 「これはこういうもの」 とか 「こうするべき」 だとか、

 

いつの間にか環境やらに刷り込みされている

 

逆を言うと、そうでない思考を持つ者は、社会から除外されたり、「変わりもの」扱いされる

 

それがいけないことだと思い込み、はみ出す事を恐れ、思考にストップを掛ける

 

 

それは多大な偽りの情報にも操られる危険があり

 

 

それは組織を膨大させる

 

 

 

 

人間は地球から産まれました

 

 

もっと遡ると、46億年前に地球が誕生し、その5億年後に陸と海が形成され

 

人類の祖先が誕生したのは500万年前だそうです

 

そして現在、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会へ移行し、 

 

重大な地球環境エネルギー問題を抱えている

 

 

柄にもなく、堅い話をしてしまったけどシラー

 

それが映画と何が関係あるのかと思われる方もいらっしゃるかと思うけど

 

 

以前書いたブログ→https://ameblo.jp/shirokuma-rock/entry-10990973836.html

 

 

 

もっと考えていいんじゃないかと思うの

 

 

右に倣え(多勢に従う、声の大きな者に従う、無批判に従う)、自分で考えた結果がそうであれば問題ないと

 

思うけど、無意識にそうしている事ってないだろうか

 

 

 

ちょっとゲームをしてみます

 

 

「 自然 」 と聞いて、何をイメージしますか?

 

では、その「 自然 」 とは、どのような状態をいいますか?

 

その状態は、どうやって保たれていますか?

 

「 自然 」 は、どのような営みをしていますか?

 

「 自然 」 に触れて、どんな気持ちになりますか?

 

 

 

 

では、今度はその 「 自然 」 を、「 自分 」に置き換えて、↑上の問題をもう一度考えてみてください

 

 

*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:

 

 

「 自然 」 は、あるがまま

 

 

「 自然 」 は、偽らない

 

「 自然 」 は、人間を陥れたりしない

 

「 自然 」 は、誇りを持って、他の生物と共存している

 

「 自然 」 は、宇宙の法則の元、ただただ自分を生きている

 

 

植物だって土や気候が合わない環境があるさ

 

動物だって、住めない地帯や合わない環境がある


 

それで植物や動物同士の戦争は起きないし、略奪もない

 

( 人間が環境破壊することによって、やむなく生態の変化が起こる生物もいるけれど )

 

 

本来、人間には、自分を生きる事が出来る

 

そして、人類の祖先が誕生した500万年前にまで戻るとは言わないけれど、

 

人間には「野性の直感」があり、「感じる事」が出来る

 

そして人間にも自然にも宇宙にも 「愛」 が ある ドキドキ

 

 

 

「 右に倣え 」 は、ちょっと横に置いといて、

 

 

「自分引き出し 」 開けてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁のない世界

私はこのブログを書くにあたり、常に裸の心を綴りたいと書いて来ました。

 

 

「壁のない世界を作りたい」

 

 

そう思って書いてきました

 

 

「組織の壁」 「国の壁」 いろんな壁があります

 

 

 

でも自分の内面の壁は、自分次第でどんだけでも高くなり、逆に無かったり出来る。 


 

壁を作らなければ、どこまででも行ける。自分がどんな精神を持つかで、空の上まで飛べるんだ。

 

周りが、それは無理だとか難しいとか騒いだって、自分の目の前に壁を作るのは周りじゃない

 

自分の中で壁だと思えば、それはいくらだって高く聳え、壁じゃないと思えば、視界は良好となる

 

 

 

最近、あるテレビ番組を観てて信頼する人に話した。。。

※東日本大震災が起きる数年前から信頼関係を構築してきた現パートナーにです。

 

 

 

 

周りは、無理だとか困難だとか勝手な事を言うけど


やってる本人は壁だと思ってないんだって


周りからしたら、めちゃ高い壁なんだけど


本人は「出来る」「なんとかなる」「出来るまでやればいいじゃん」っ思ってるから


目の前に壁はないのさ


これは自分の内面に対してね

 

どうにもならないベルリンの壁とか、※後にベルリンの壁は崩れましたね。


私が壊したい壁 ※差別や格差、権力者らによる理不尽なあらゆること、パクリ、代役、憑依などの人権侵害、

メディアや匿名アカ(実名もあるけど)による妄想記事扇動など


そーゆーのもあるけど


あくまで自分の目標に対しては


それが叶う叶わない別として

 

無理だ!と思えば、目の前に高い壁がそびえる


無心になれば、ただ目標に向かっていく情熱だけであれば


壁は出来ないんだと思う


自分のやりたい事探す人も、やりたいけど自信がないって人も

 

やりたいことなんかないって人も


まずは内面の壁をとっぱらうこと

 

大事じゃない?


そういう思考で例えるなら


私のやりたい事に対する壁は今ないなぁ


結果、叶う叶わないにしてもね


壁はつくんないぜ

※ 自分自身が他者を差別したり自分以外にならないこと(代役・憑依・パクリ)

その方が自由だ。 だって比べるのは自分と自分、自分以外、競争相手はいないんだから


その方が自分の可能性広げられない?


精神はどこまでも行けるよ


壁ないんだから

 


自分を信頼すること


それだけで、意識と行動が変わる


人生の旅路は長い

みんなが一人でも多く


自分の中の壁をとっぱらうこと


自分を愛せるようになること


自分の幸せを拒まないこと ※犠牲精神を拒むこと、犠牲精神を賛美しない、賛美させようとするものから離れること

 

宇宙の一部だと言う事を ※ 誰もが自分ひとつだけの平等な命

 


そんな人生になってくれたらいいなぁと思います

 

 

 

そして、「普通」って、「常識・良識」って、「当たり前」ってなんだろうって、意味を調べて行くと、


 

結局は「自然」「宇宙」にたどり着いた。


 


 

 「人間よ、自然に還れ」

 

 

しろくま 「Around us」   壁の無い世界を。日々生きている上で感じた事、音楽や芸術や大切な人達の事を綴っていきたい。


大嫌いなネットの世界。。。

 

6月位から、ブログを殆ど更新できず、眠ってばかりいた。。。インターネットの狂った世界が嫌いだったから

 

でももう大丈夫 

 

ひとつの時代は終わった 

 

「起きて」って呼ぶ声がする。 もう終わるんだ 星   そして輝く世界が待っている

 

 ※と、思っていたら世の中も私の環境ももっと悪くなった! 現在は新型コロナで世界中が大混乱

  だけどその間に心と脳に、強い武器を手に入れた。自分自身の源泉と土壌で培ったものだ

  どこまでも飛べるよ

  



※追記は2021年7月1日に加筆修正しました。

私のブログを自分の表現に盗っていく人がいるので、他者に妄想扇動・連想するのはやめましょう。

パートナーの復興支援の仲間であっても。

私はあなたの代弁者でもなければ、あなたの引き立て役でもない。

自分自身の長い人生の旅路で獲得した言葉と表現だ。

人権侵害、クリエイター侵害する人には要注意です。

 

 


 

混沌

昔、おばちゃんの勘違いで被害を被ったが、http://ameblo.jp/shirokuma-rock/entry-11070555297.html


若さゆえ、あまりに傷つき過ぎたゆえ、否定することも出来なかった私は、


そのままずるずると、事あるごとに 決めつけの目で見られました



テスト勉強で友達の家に集まれば、「オトコと外泊」


近所の仕出し屋さんの早朝バイトを頼まれて、その日テストだったから断ったら(他にも断ってた子がいたのに)


私だけ 「 遊ぶのに忙しいんでしょ 」と面と向かって言われたり。。。



どれほど人の無責任な 「思い込み」が、人生を狂わせるか。。。




だからこそこう思うようになった。 



→ http://ameblo.jp/shirokuma-rock/entry-10805608540.html#main




8日ぶりに東京に帰って来ました


いつもトンボ帰りなので、なかなか会えない懐かしい顔も見れた ニコニコ



高校時代にめちゃめちゃ仲良かった友達の一人


毎日一緒で、学校だけじゃ喋り足りなくて長電話をして親に怒られたり、バイトも一緒で、


学校をサボるのも一緒(数回やったべーっだ!




他の友達の近況も聞いたりした


不思議だな


卒業したら、当たり前にみんなバラバラになって 進学したり 就職したり 結婚したり 独身だったり

                                                                          

しろくま 「Around us」   壁の無い世界を。日々生きている上で感じた事、音楽や芸術や大切な人達の事を綴っていきたい。


今はそれぞれの人生を歩いてる


彼女の近況を聞きながら、お互いの昔話をしながら、



「 どんな状況だったとしても 自分で決めた事(選んだ事)なんだよね 」 と、妙に納得


「 だからさ、変えれるのも自分なんだよね 。。」 




!! 「 そーだよね! 素晴らしいねそれ!!」 合格


なんて、二人で目がキラーンとなったキラキラ ニコニコ





あっという間に過ぎた一週間は、祖母の教えを再確認する時間となりました



帰りの飛行機の中で、青森の夜景が観れる上空で、「帰ってきたぞ」っていう気合というか


ばあちゃんの存在から気付けたいろんな事、無駄にしないって誓った


こんなに沢山の大切なことを教えてもらったばあちゃんに恥じないように


自分を裏切らないで生きて行こう


愛を忘れずに
















誇り


大切な人


久々に一週間も長居した北海道での毎日は、何気ない日常の会話だけでも


私にとっては大切な点になりました



大切な人を大切にする



そんな単純な当り前なことも 「日常」というさほど変化の無い時間ではつい忘れがちになってしまう



大切な人を大切にする



大切な人に誇りを持つ 宝石白


私がそれに気付けたのも、祖母のお陰でした


小学生5・6年生になると、「お母さんがいない事」に少なからず差別を受けた私は、


いつの間にか大好きなばあちゃんと一緒に外出するのを嫌がるようになりました。。。

二人で時々街に買い物に出掛けて、ラーメンを食べて、市場でアツアツのかまぼこを買って


帰り道、公園のベンチに腰かけ揚げたてのかまぼこを食べるのが、ばあちゃんは楽しみだったようです


なのに私は、街で母親と一緒の同級生を見掛けると、恥ずかしくてばあちゃんから離れて歩きました

何度かそんな事があり、それを察してくれたばあちゃんは、ある日


自分からさっと一歩引いて、私から離れました ショック!



その瞬間、なんて自分は恥ずかしい事をしたんだと、ばあちゃんに申し訳ない気持ちで一杯になりました


謝ることも出来ず、あの時の自分の愚かさを、私は大人になるまで抱え続け、苦しみ



もしかしたら死に目に会えないかもしれないと覚悟の上で上京を決めた時、


今までの感謝を含め、この時の事もすべてを手紙に託しました 


ばあちゃんはそれを読んでオイオイ泣き、「嬉しかった」と言ってくれて

時々、その手紙を読み返してはまた嬉しくて泣いてたと聞きました


自分にとって、ばあちゃんなりに一生懸命育ててくれた大切な大切な人を

私は一瞬でも「恥ずかしい」なんて思ったこと とても愚かだと思った

あれから私は、自分の信頼する家族や友達や恋人、仲間に誇りを持っていたいと思い


人は物じゃない、アクセサリーでも無い


誰がなんと刷り込みしてこようと、自分の大切な人に誇りを持つ


今なら、ばあちゃんとも堂々と手を繋いで歩けたなぁ 。。。。。


もう天国に行っちゃったけど、じいちゃんもばあちゃんも 私の大切な大切な人


生きている今、大切な愛する人たちに 誇りを持とう



よし、待っている人のいる東京に帰ろう 星



1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>