「透明慕情」 | 萌ゆる回廊!

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小説・エッセイ・コラム・絵画の分析、紹介、作家の心理分析をつづり、それらを介して時代を見つめます。





「透明慕情」



(1)


 みどり君が都内の私立中学に入って以来、毎朝、駅ではいつも顔を合わせるようになった。このところ私は、気がそぞろになっている。私は初恋の記憶を掘り起こしていた。そして、あの切なさと不安。年がいもなく、だんだんと胸が熱くなる。それを必死で冷まそうと意識する。

 歳の離れすぎた淡い想い。男と女は歳の差ではないという人がいる。三十年という差は余りに大きい。その現実に直面すると一層つらくなる。戻りたくても、もう初々しい若者には戻れないのだ。他人には不見識に映るだろうが、惹かれてしまったものは仕方がない。私は禁断の赤い糸にまかれてしまったのだ。瞬時の眼差しが、空しさの連鎖をつくりだす。鎖はそう簡単には外れないそうにもない。

 舟橋君と私は同期入社である。勤務先の銀座までは彼とはいつも一緒になる。だが、近々にも彼は社長になる、という噂が流れ始めていた。

 彼は電車通勤とも、そろそろお別れのようである。舟橋君は会長のお気に入りである。千鶴は彼の長女みどり君と、中学からは一緒になった。

 家計がぎりぎりの癖に、よく私立などに行かせたものだ、と両親にはいつも言われている。それよりも、なぜ入れたか疑念を持たれている。教育費の圧迫で、毎月の小遣いは無いに等しい。彼はいつも私を気遣ってくれている。舟橋君に取り入って、役員にと妻には突っつかれるが、私にはそんな気はさらさらない。逃げるようにいつも辞退している。

 どだい、私はサラリーマンの幹部などには向いていない。模範的な会社人間とはほど遠いし、役員なんかにでもなったら、おそらく一ヶ月で会社は傾く。私は自分のいい加減さを知っているからよく分かる。舟橋君には悪いが、私には荷が重すぎる。気楽な毎日を過したほうがいい。

 まだ、朝の六時台というのに駅はいつも混み。通勤・通学客で駅のホームでは大抵、いつも同じ顔ぶれになる。

 今日はどうも気が乗らない。体の調子も悪そうだし、仕事を休みたい。このところ勝手にそう思いはじめている。私の怠け癖は直りそうもないらしい。そうこう思い込んでいると、仮病のつもりがほんとに体調も悪くなってくる。そんなことだから、当然、責任のある立場など勤まるはずはないのだ。

 世間に対して、偏見的な思い込みが強すぎるのよ、といつも妻にはそう言われている。私は良識に自信をもった人を見ると、羨ましくなる。よくもまぁ、私も不良な中年になってしまったものである。おまけに家では、風変わりなご主人様ときている。それは今に始まったことではない。妻はそれを承知で私と一緒になったのだ。

 私はまだ女を知らない、純情無垢な貧乏学生であった。妻はそんな私を口説き落として、親との縁を切ったほどである。私の童貞を奪った妻の責任は大である。今でも妻は引くに引けないのである。妻は自分の両親とは依然仲が悪い。和解するにはまだ時間がかかりそうである。近頃私は開き直っている。内心とは裏腹に、家族の間ではノー天気に映るようだ。最近、彼女たちが私に腹が立つのが、やっと理解できるようになった。

 悲哀や哀愁を放つ乗客の波。私は駅でそれを肌で感じとる。





(2)




「すんません、ちょっと火貸してもらえます?」

などと、指定された喫煙所で煙草をふかす。ライターなど持っているにもかかわらず、わざわざ火を失敬する。煙を見る一瞬。私には至福の時なのである。同胞がいると、私は何となくホッとする。

 嫌煙者の怖い視線。それが肩身の狭い喫煙者達との間に、沈黙のわだかまりを生んでいる。それが最近、通勤時間帯では全面禁煙になってしまった。ご協力お願いいたします。といわれても、私は協力する気はない。ささやかな自由の時間がなくなるからだ。嫌煙者らしき中年の女に注意された若者がいた。その場で彼は喫煙を止めたが、女が立ち去るとまた始める。駅の周囲や街角が全て禁煙になる。私にとってはこの世の終わりである。だが、はけ口が無くなると、私はそれを求める。健康指向などという言葉は、私には空虚に映る。本当に体の具合が悪いとなれば、話は別だが。青年に注意した女は、人の目を盗んで、別の駅で喫煙を楽しんでいた。規則などいつかは破られるものなのである。

 家では禁煙宣言をして三年にもなる。家で彼女たちと顔を合わすときは、喫煙のきの字も表には出さない。表向き意志の固い主人様のようである。

 だが、彼女たちには、私の罪状はとっくにバレている。勘ぐっているのが、言葉の節々で感じとるからだ。それでも私はしらを切る。逃げ場が無くなれば、窮鼠は猫だろうが、犬だろうが噛みつくしかない。だが、彼女たちには私の偽善がお見通しで、腹の底では笑っているのだろう。

 今では臭いのしない、軽いタバコが流行っている。外で煙草を吸い過ぎたとき、私は臭い消しのためによく居酒屋に行き、焼鳥やニンニク入りの料理をよくつまむ。そういう私の、気の小心さに家族は安心しているようにもみえる。私に不摂生など出来るわけがないと。

 嫌煙者たちは、私らを罪人の群れとでも言いたげである。人の目をはばかる喫煙者同士には、妙な連帯感があるものだ。私はその真っ只中にいる。そういう緊張感を私は意外と楽しんでいるのである。

 駅の雰囲気は私にとって、その日のスタートラインになっている。彼らの表情には疲れた生活感がある。私にはその哀愁が、なんとなく安堵感につながるのである。

 私服通学のみどり君とは、幼少の頃から私とは顔なじみで、思春期の身体の変化が手に取るように伝わってくる。余計なお世話だが、みどり君の家ではもうお赤飯でも炊いたのだろうかとか、男友達は出来たのだろうかとか、勉強やクラブはうまくやっているだろうかとか、私は彼女の事が気になっている。みどり君は高校生になった。時が経つのは早いものである。





(3)




 舟橋君と私は同期ではあるが、今では彼は雲上の人となった。だが、仕事を離れればごく普通のつき合いである。入社してからは、もうかれこれ二十年近くにもなる。化粧品会社でエリートの彼は、もはや最高責任者へ手の届く位置にある。彼の細君は会長の姪にあたり、将来は約束されたようなものである。 

 次期社長の椅子は彼のすぐ目の前にある。派閥争いにも勝利した模様だ。明らかに社内の中では、彼への嫉妬心が膨らんでいる。近々舟橋君も社長になったら、黒塗りの社用車で通勤するのだろう。そういう噂も多く流れるようになった。

 だが、私だって負けてはいられない。肩ひじを張って、目下窓際族のエリートと意気がっている。自然な立ち回りを装っても、肩肘ばかり張っている。いつもやることなすことが、空回りをするのである。自分自身が面白おかしく見えることもある。

 しかし正直言って、私は時折心もとなくなっている。以前、会長の秘書と仲良くなったはずみで、彼の機嫌を損ねてしまったからだ。おそらく会長は自分の女に悪い虫がついたと、勘ぐってでもいたのだろう。会長に睨まれた私には後がない。私は悪い虫がどっちかわからないまま、次の日には早速、営業部から資料室へと栄転させられた。たしか舟橋君も、その美人秘書とは仲が良かったはずである。

 銀座の某所で時折、二人が密会しているところを篠山が見ている。舟橋君は以前からプライドが高い。自分からは悩みを人に打ち明ける、などということはなかった。だが、最近、私には弱音を吐くようになってきた。私はいつも聞き役になる。実質的に、彼は婿養子のようなものである。眼に見えないところで、夫人の手のひらで踊っている。そういう鬱積が時折私に向けられている。 

 下手をすれば、舟橋君もそのうち、社長抜擢どころか、社内ではお蔵入りとなるかも知れない。サラリーマンの地位など一寸先は闇なのである。舟橋君は細君にはまだバレてはいないから、しばらくは安泰だろう。しかし、油断は禁物である。貞淑で潔癖症であるかれの細君は、女帝になれる資格は充分にある。  

 気まずいことが発覚すれば、舟橋君の未来は危うい。マズイ噂はご法度になるだろう。

 これでも、互いに同じ年ごろの娘を持つ親なのである。みどり君を見ていると、私は気が浮きがちになる。十代の少年が突然三十年後に、タイムスリップしたような不思議な感覚があった。初恋の味よもう一度。そんな子供じみた気持ちが自分の中にある。みどり君に対して、清純で無垢な自分になれるだろうか。ふわふわとした涼しい空気が体の中を突き通した。私の背筋にもぐんと力が入る。

 資料室は、以前から妖怪の凄む動物園と、名を馳せていたところである。完全に本流から外れた仲間たちは、意外と面白いキャラクターばかりである。」 

 これじゃ、使い物にならないだろうなぁ、と遠目から見ていた。いざ来てみるとやっぱりそう思ってしまう。自分のことも含めて。

 総勢二十人もの所帯だが、室長をはじめ、誰もが毎日結構楽しくやっている。一般的に資料室といえば、サラリーマンにとっては、リストラ社員の吹きだまりというイメージが強い。





(4)




 今もって私にはよく分からない。スタッフたちは、みんな自分は特別な存在だと思っている。暗い影など微塵もないのである。鬱病になるどころか、いつも過激な躁状態でいなければ身は持たない。取引先では、時折華の営業部隊と見間違えられることもある。確かに自己陶酔と個性の強すぎる集まりだから、一般社員たちからも煙たがられてはいる。一般社員は、腫れ物には触らない、という蔑視の視線を送ってくる。でも私にとっては快適な場所なのである。

 出勤簿は判を押すだけ。タイムカードはなしで、自己申告。日中の資料集めは何処へ行っても自由。適当な理由をつけて、競馬、競輪や映画、パチンコなどにいき、資料探しだ、市場調査だ、などといって嘘の連絡をしても、立派な仕事になる。

 イメクラなどに入りびたる奴もいる。室長自らがそうだから、だれもが彼に続けと臨機応変、変幻自在に立ち回る。いわゆる公私混同という前向きな気持ちはなくてはならない。それがこの資料室のコンセプトなのだ。誰もが給料泥棒だとは思ってもいない。私の感性とは完璧にマッチしている。

 つまり、彼らに言わせれば自由な部署ということになる。資料室の男女の比率は半々位である。女はみんな独身で、男との噂はこれまで皆無だという。男性社員は彼女たちを見て、あっ、女の子だ、などと絶対認めようとしない。二十代や三十代までの濃すぎる化粧までは、まだ許せる。しかし、お局たちの化身となると私たちは恐怖におののいている。

 彼女たちの厚化粧。年期の入った縮れた髪。若い人向けのアイシャドウや茶髪などの真似をする。やめておけばいいものを、そのほうがいいよ絶対。人間などという意識は持ってはならない。そういうアイコンタクトは、男達の間では挨拶代わりになっている。日頃は結構気を使う。社交辞令でも褒め言葉などは吐いてはいけない。異性とみてはいけないのである。各自が自分の身を守るために。そういう無言の掟があった。間違って出そうものなら、たぶんその者は生きて家へは帰れない。

 男たちは半数は既婚だが、長続きしているのは私と篠山だけである。ほとんどがバツ一からバツ三のうちに入る。資料室の世代は二十代から五十代で幅がある。仕事がヒマな上に気楽な毎日は、遊び人風な私をさらに勢いづけている。妻には広報室で采配を振るっていると嘘をついている。総務部で刷り上がった名刺を、勝手に作り替えて妻には立派にみせる。そういう小心さで、私はかろうじて、心身のバランスを取っているのである。

 みどり君のあどけなかった顔と身体が、少しずつ少女から大人の女へと変わっている。その過程を垣間見るのは私だけの、楽しみの一つになっている。





(5)




 美貌と知性を持ったみどり君には、早く妖気な女へ脱しようとする焦りを感じることがある。私と彼女とは中学入試の試験日で初めて顔を合わせた。私は年甲斐もなく、あどけない少女に妙にわくわくしていたのである。妻などにはそんなことは言えるわけがない。ロリコン趣味だと罵倒されるのがオチである。だが、私のみどり君への慕情は、少しずつ芽生えつつある。

 みどり君も私を意識しているのが分かるようになった。油断は大敵。好事魔多し。白昼の死角。少女への倒錯。私はそんなことを、とめどなく歩きながら考える。

 私はみどり君と視線をあわせると、彼女の心臓のなかに入っていくような、全てを許してもいいというような、雰囲気になってしまうのだ。軽はずみな男女の関係という意味ではない。素直な相手への想い。それだけである。初めてみどり君を見たとき、私の気持ちの中では初恋のようなオアシスが、年甲斐もなく出来ていたのである。それはみどり君に対する私の身勝手な、陶酔磁場であるには違いない。要するに私は少女を見初めてしまったのである。みどり君もその時は、たしかそういう眼をしていた。あとで知ったことだが、みどり君の初恋の相手が私だったのである。

 日頃みどり君とは、あまり話し合うこともなく、時折学校の行事のとき、私はみどり君に会えるというだけで、心が弾んでいた。文化祭では、みどり君の所属するマンドリン・ギター班をもう三年も聴いている。マンドリンの演奏もうまくなっていた。発表会前の編曲や曲選び・練習は大変らしい。妻と一緒に大講堂の席には座るが、私はみどり君のことしか見えていない。妻に話しかけられても上の空である。みどり君とはいつもアイコンタクトで会話をする。最初のころはよく分からなかったが、近頃は目で分かるようになった。妻などそういうことは知る由もない。千鶴は器械体操班に所属している。妻は公開練習を見に行くといって中座したのにも全く気付いていない。軽く会釈をするだけなのに、私はみどり君と秘密の世界を、共有している錯覚に陥ることがある。そんなことは死んでも人に話すわけにはいかない。自分の事は自分で悩むしかないのだ。少女への淡い想い。世間的に言うと近頃私はかなり、アブナイおじさんになった様な気がする。私にも同じ年頃の娘、千鶴がいるというのに。

 みどり君と千鶴はプロテスタントの同じ学校に通っている。だが、どういう訳か、彼女と千鶴は当初からあまり仲は良くないようである。みどり君からは誘いの電話は度々あったのだが、千鶴のほうはその都度理由をつけて避けようとしている。これまで一緒に通学したことはない。男には分からない女の領分でもあるのだろう。想像だが、中学入試ではみどり君はトップの配点での入学組のようである。中学の受験塾では、いつもベストテンに名を連ねていた。それでもみどり君は利口ぶることはない。いつもおっとりとしていて、夢遊病的な態度を取ることもある。彼女をみていると妙に気持ちが落ち着くのだ。千鶴のほうはと言えば、目を覆いたくなるような成績で、塾の担任の話ではとても無理と言われていた。





(6)





 中学受験は競争が激しい。偏差値がべらぼうに高くても、それだけ、憧れの志望校に入りたい少女達が、周りには結構いるということなのだろう。受験前は火事場の馬鹿力と運を見方にするべく、妻と千鶴はよくげんを担いでいた。早朝、二人でよく散歩をしていたが、飼い犬を連れ添っている老夫婦のあとを付け、御犬様がウンチをこぼしたら汚れた運動靴でそれを踏む。よしこれで、少しはウンがつくわと、たわいもない事を朝の食事中に話すのである。そんな中では食事が咽を通るわけがない。そういうことが、受験一ヶ月前から始まっていた。その間私は朝食抜きで、出勤する羽目になる。

 みどり君の父方は見た目は野獣系のようだ。母方は絶世の美女系である。舟橋君の奥方やみどり君をみればすぐ分かる。

 私は四十代の不良中年である。いまだ地に足がついていない。妻はどちらかといえば野猿系に入る。千鶴は私の美形の遺伝子はあるものの、見た目は絶対に母親似で、家ではあまり女を感じることはない。母子共に少しは上品度が上がればいいのだが、いっこうに上がる気配はない。Jリーグの試合では二人はいつも顔中に絵の具を塗って、周りのサポーターたちとよく出かける。私がそのままでも結構さまになるようだよ、と冗談交じりに言うと、その日の私は食事には絶対ありつけない。 

 そういう力関係も存在するので、最近言葉には気をつけている。千鶴はお転婆と男勝りを掛け合わせたような性格で、家の中はいつも騒々しいのである。妻もそれに輪をかけては忙しく動き回っている。時折私は、我が家はレンタル家族のような気がしてくる。

 千鶴はたぶん最低点での補欠組である。いまだに、みどり君にはかなりのコンプレックスをもっている。松竹梅の松の下というところか。親の方も多分無理をしてもやはり松の下辺りだろう。カエルの子はやっぱりカエルなのである。 

 あとは千鶴本人の突然変異を期待するしか道はない。舟橋君は梅の中ぐらいか。千鶴は他の志望していた学校では、全て不合格。仕方がないから近くの公立にでも、お世話になろうかと手続きしていたときだった。制服も用意するものも全てそろっていた。

 ところがその日の深夜に、みどり君の学校から連絡が入る。補欠の繰り上がりで対象になったので、中山正輝様のお嬢さん是非当校へのご入学いかがですかと電話が入った。私はよくあるイタズラの電話だと思い、もう結構ですからとガチャンと電話を切ってしまった。当時、嫌がらせや勧誘の電話がめっぽう多くなっていたときであったからである。私も酩酊して帰宅したばかりだった。家族のみんなも完璧に諦めていた。

 風呂場から急いで電話に出ようと、裸のまま廊下を走ってきた千鶴は、私を不審な男と見誤ったらしく、大声を隣中にだした。駆けつけた隣家の住人達も、目のやり場が無く、しばらく唖然と立ちすくんでいた。千鶴は陰毛や膨らみ始めたおっぱいなどを、隠す恥じらいなどはまったくない。それどころか自分は女じゃない、というような千鶴の立ち振る舞いに、さぞかし彼らは背筋が筋が寒くなっていたことだろう。





(7)




 私も娘も少しは妻に似てきたな、と思うぐらいそっけなさを顔に出す。みどり君とは全く違うのである。私は千鶴に急所を思いっきり蹴られた。私は千鶴には深夜の電話に出たことを言いながら失神していた。千鶴は何で学校断わったのと泣きじゃくる。千鶴はその出来事以来、私には他人行儀になっていた。生理がいつから始まったのかと、親として聞ける温和な家庭ではないのである。もし、そんなことを少しでも口になどしたら、必ず刑事事件が勃発する。翌日の朝刊の社会面ではしっかり名前が載るだろう。

 三日後、電話のあった学校から、入学手続きの書類が送られてきた。千鶴は、たしか父が入学を断ったのでは、と学校に確認したところ、私が、それで結構です、と言ったというのである。

 私は勘違いをして、結構ですといったばっかりに、それまでは千鶴や妻と会話が途切れてしまっていた。魔の三日間。このときは日本語の深い曖昧さと有り難さが身にしみていた。

 なにはともあれ、千鶴は補欠だけれども、憧れの学校に入学できた。入れる確率がほとんどない位の学校に入れたのだ。

 みどり君と千鶴には、何処かに目に見えない、ライバル心が存在する。たまに駅まで一緒にと、私も娘にせがまれることがある。下心のあるときは、いつも話しかけてくる。私は分かっていながら、娘には従順になる。ただし、条件付きである。千鶴は私に他人のふりをしてとよく言われる。話しかけてもいけないのだ。これでは家庭内の援助交際とみられても仕方がない。千鶴は、一種風来坊のような、怪しい親父にはいつも辟易しているのである。毛嫌いされていることだけは確かなようである。父は二代目寅さんみたいなのものよ、と学校では言いふらしているようだ。たしかにそういう風貌と遊び人風な姿をみていれば、誰かに言いたくもなるのだろう。みどり君もチラッと、そんなことを口を滑らしたことがある。みどり君はそんな私を、いたく気に入っているようである。

 千鶴にも義理と人情の様なものが、少しはあったのだと、勘違いしているようだ。しかし喜んでばかりではいられない。駅についた途端、娘からは内緒で臨時の小遣いをせがまれる。それに呼応する私も私である。相談されたら断りきれない性格をうまく利用している。

 バブリーで男勝りの我が娘に女を感じろと、いうのはどだい無理な話しなのだ。千鶴に女の魅力を感じるまでは、かなり時間がかかりそうである。妻の真智子もそう感じているはずだ。

 舟橋君がとうとう四十代で役員になった。その辞令が社内に張り出された。周りでは羨望の的となった。特捜最前線のドラマに出てくるような、カッコ良さ。スマートな語り口。女性社員の受けはいい。私とは正反対である。彼の細君もしてやったりと得意げな顔が浮かんでくる。みどり君だって、きっと喜んでいるはずである。