1971年12月29日 女の革命家から革命家の女へ |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(金子みちよ(左)と大槻節子(右)は、理不尽な批判にさらされていく)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-金子みちよ顔写真   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-大槻節子顔写真


■12月29日時点の連合赤軍メンバーの状況 (榛名ベース)

--- 指導部 ---
森恒夫  (赤軍)
永田洋子 (革左)
坂口弘  (革左)

坂東国男 (赤軍) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
山田孝  (赤軍)
寺岡恒一 (革左) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
吉野雅邦 (革左)

--- 被指導部 ---
金子みちよ(革左)
大槻節子 (革左)
杉崎ミサ子(革左)
前澤虎義 (革左) 中村愛子を迎えに上京
岩田平治 (革左) 中村愛子を迎えに上京
山本順一 (革左) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
山本保子 (革左)
小嶋和子 (革左) 逆エビに緊縛され総括中
尾崎充男 (革左) 立ったまま総括中
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 柱に緊縛され総括中
加藤倫教 (革左)
加藤三男 (革左)


 夫婦関係にあるカップルは、永田洋子と坂口弘、寺岡恒一と杉崎ミサ子、吉野雅邦と金子みちよ、山本順一と山本保子の4組であった。山本夫妻を除いては、法的な婚姻ではなく、組織が認めた「夫婦関係」である。加藤能敬と小嶋和子は、組織に認められていなかったので、「恋人関係」にとどまっていた。


■「どうして美容院でカットしてきたんや」(森恒夫)

 指導部会議を終えてから、森氏は大槻さんから買い物の報告を聞いたが、その時、大槻さんが髪をカットしたことを知ると、「山でパーマをかけると決め美容院にパーマの道具を買いに行くようにいったのに、どうして美容院でカットしてきたんや。これは問題だぞ」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 その後、森は杉崎ミサ子を指導部のこたつのところに呼んで深刻そうに話し込んだ。その間、永田は手洗いに立ち、金子や大槻と雑談をしてから、指導部のこたつに戻ったが、森と杉崎はまだ話し込んでいた。


 しばらくすると、杉崎さんは、「寺岡さんと離婚し、自立した革命戦士になる」といった。森氏はこれを評価し、私や坂口氏に伝えた。私は冗談じゃないと思ったが、自立した革命戦士になるという以上反対できずに黙っていた。


 このあと、大槻さんが「星火燎源」を読んでおり、秋収蜂起から井岡山への闘いに関心を持っているというと、森氏は、「知識として読んでいるにすぎない」といった。私は欲理解できず、「えーっ」といった。森氏は、「美容院でカットしてきたのは何だ!」といったあと、強い調子で、「知識!知識!」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「あぶり出しをしているかのようだった」(加藤倫教)
 夕食後、全体会議が開かれた。

 加藤倫教は、全体会議に参加する気持ちを次のように述べている。


 まるであぶり出しをしているかのように、毎晩毎晩の発言の中で、幹部たちの、特に森、永田の気に入らないような発言をしてしまった者が、次の標的にされいくように感じられた。(中略)


 物言えばやられるのだが、物を言わないわけにはいかない。それもどのように言えば森や永田に認めてもらえるのか、誰にも分からなかった。何が基準なのかわからない「総括」要求と暴力に、森と永田以外のものは怯えていた。


 私も怯えていたが、永田は、私や弟のことをまだ一人前の構成員とはみなしていないようだった。いわば子ども扱いされていたのであり、そのおかげで「総括」させられることもなかったのである。


 その恐怖心をかろうじて押さえ込んでいたものは、革命を実現するためには、「銃による殲滅戦」を行うしかないという信念、それだけだった。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 全体会議といっても名ばかりで、実態は、指導部の方針の伝達と、それに対して決意表明を行う場だった。そのときの決意表明が、「総括」するかどうかのリトマス試験紙になっていた。森や永田が気に入らなかったらおしまいというのは、メンバーの証言が一致している。


 指導部の方針は指導部会議で出されるが、それも名ばかりで、森の問題提起に対して承諾を求められ、民主的な装いをあたえる機関でしかなかった。


■「女の革命家から革命家の女へ」(森恒夫)

 全体会議の参加者はいつもより大分少なかった。メンバー状況からわかるように、被指導部のメンバーは加藤兄弟以外は女性ばかりであった。


 全体会議では、杉崎が「自立した革命戦士になるために、寺岡さんと離婚します」と宣言した。これが森と杉崎の話し合いで出された結論であった。


 森氏が、「女性兵士が自立した革命戦死になるということは、『女の革命家から革命家の女へ』ということだ。杉崎さんの離婚表明は革命家の女になるものだ」といって、杉崎さんの離婚を評価した。しかし、森氏は、『女の革命家から革命家の女へ』ということがどういうことなのか説明しなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 当時、リブ運動に、「抱かれる女から抱く女へ」というスローガンがあり、森はそのフレーズを意識していたのではないだろうか。


 その後も発言が続いたが、金子さんの番になると、彼女は、「私も、自立した革命戦士になるために、吉野さんと離婚します」と発言した。


 これを聞いて、私は杉崎さんのとき以上に驚きあわててしまった。私は、「金子さんは杉崎さんと違うのだから離婚する必要はない。離婚しないでもやっていけるし、自立した革命戦士になれる」といった。金子さんは黙ってしまったが、離婚表明は撤回しなかった。(中略)


 森氏は、私の反対に何もいわなかったが、のちに、金子さんの離婚表明への批判を独自の観点から行っていくのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 大槻は、「革命家の女になるために努力する」と発言した。


 森氏が、半ば私に、半ば全体にいう感じで、「美容院に行ってカットしてきたことも自己批判ぜず、女の革命家から革命家の女になるために努力するということが許されるのか」と批判した。森氏は終始一貫して大槻さんに批判的であった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「少し休ませてください」(尾崎充男)

 会議の途中に、尾崎君が指導部のいる炬燵に向かって歩いてきて、「少し休ませてください」と言った。森君は怒って、「おとなしく立って総括しろ!」と叱りつけた。尾崎君は、一旦、土間の側に戻って立っていたが、しばらくするとまた炬燵のほうにやってきた。


 森君はかんかんに怒り、その場で、「眠らずに総括しろ!」と言って、尾崎君に大きな試練を課した。尾崎君は、肉体的苦痛が大きすぎて、抑制の利いた行動が取れなくなっていたのだと思う。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 この日の夜、森の指示で吉野が尾崎の見張りにつくことになった。


■「革命家の女」になるには、女を捨てなくてはならない

 永田は、「女の革命家から革命家の女へ」という言葉を受け入れたが、理論的には消化しきれずにいた。だから、離婚宣言に対して、杉崎については承認し、金子については引き止めるという中途半端な対応になった。


 「女の革命家から革命家の女へ」 というのは、 言葉通り受けとめれば、「女である前にまず革命家であれ」 ということだ。そういう意味なら、革命左派の女性たちは、とっくに 「革命家の女」 だった。以前から、女だから、などという意識はなく、あたりまえのように男女の区別なく活動してきたのである。


 ところが、森の問題意識は異なっている。12月20日 に、森は、「今後は女性の問題についても関心を持つことにした」といったが、その内容は、女性の身体や装着品についての問題提起だった。森の理想とする 「革命家の女」 になるには 、 女を捨てなければならないのだ。


 永田は、森の女性蔑視的発言に反感を抱きつつも、その後の女性メンバーへの総括要求では、森の側に身を寄せた。その動機はともかくとして、女らしさを粉砕しなければならない、という点については、永田も一致していたのである。