宗教と英雄と「私」~やまねろん様 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム
本日より、やまねろん様が隔週水曜日、寄稿コラムを担当してくださることになりました!

快諾してくださいました、やまねろん様ありがとうございます<(_ _)>

テーマは「やまねサロン」と勝手に命名させていただきました(我ながら上手いと自画自賛 笑)

やまねろん様は、「心理、発達、教育、脳科学・認知、食、医療」分野の本を読み漁っていらっしゃるとのこと。

今後、やまねろん様が、私達にどんな言論を披露してくださるのか、ワクワクします。

それでは皆様。記念すべき、やまねろん様コラムをご堪能くださいませ^^/


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『宗教と英雄と「私」』~やまねろん様

現在、移民と難民とテロで世界を賑わしており、イスラームがヘイトを集めております。MMO RPGならば、そこで攻撃力の高い魔法使いが出しゃばって惨事を引き起し、度々全滅するのがよくあるオチですね。

なぜ宗教を題材にしたかと言えば、ふと思い付いたキャッチフレーズが
  「そうだ!〝地雷〟を撒こう」
だからです。そんな旅行キャンペーンの如く、軽いノリで読んで下さい。



宗教と言えば文化の根幹を成しており、「人生を豊かにするもの」なんて表現されたりもしますが、神や教祖やその権威を疑ってはならないのが習いですね。
ひたすら神格化して崇め奉るのが、模範的で素晴らしい信者の在り方。

したがって、子供の素朴で鋭利な質問は大敵です。

「神様にはどこで会えるの?」
「実際にそんな出来事があったの?」
「誰のお話で、誰がいつ書いたものなの?」
「どうして、そんなことをするの?」
「なんで正しいの?」
「なんで悪なの?」

これらには耳を塞ぐか、無視するか、はぐらかすのが立派な大人、もとい信者の勤めです。
勤めに励み、好奇心旺盛で邪魔な子供を洗脳してしまえば、本山もさぞお喜びになるでしょう。


しかしながら、科学が幅を効かせ始めてからは、「神は死んだ」と表現された方も出現し、現在は科学と合理性と効率が世を席巻しております。科学的に検証し、合理的かつ批判的に思考し、効率を追及して最適化するのが流行であり、錦の御旗。

合言葉は――

「そんなの古い!」
「無駄をなくせ!」
「反対する奴は抵抗勢力!」
「旧態依然は悪!」
「自己責任!」
「感情は悪!」

さあ、悪い子はいねぇが~!?



「なんだ、新手の魔女狩りか」という独り言はさておき……人生、余暇も満喫しないと楽しくないですよね。
禁欲の道を極めて虐められる喜びに目覚めるのも、放蕩と傲慢を極めて暴虐に依存するのも結構ですが、それじゃあヒステリックで薄っぺらい人間の完成です。

そう、凡庸な不発屋。


物語は多彩な謎と深みがないと、すぐに飽きられて、忘却の彼方へ葬られてしまうんです。
不朽の名作は、読む程に違った味を堪能できますよね。

しかし、世の中良作なんて極少数です。
見向きもされず、そこら辺に夥しい駄作の死屍累々が転がっているのは世の常。


ならば世の無常をポエムってやるさ!

    ぐうたらで ダメでもいいじゃない 
  だって 孔子もダメで愛しいおっさんだもの



凡庸な悪魔の上司が

  アホな詩を 詠む暇あれば 減給だ
    早く興せよ イノベーション

      いつやるんだ 今だろ!



とアンサー・ソング付きで急かして来た際には――

「怠惰は発想と発明のスパイスだ!」そんな言い訳まで飛び出したらシメたもの。いっそこう開き直りましょう。

 ぐうたらで駄目でもあるからこそ、いいんだよ
 ぐうたらもイノベーションの母さ



そう、狙いはギャップ萌えです。恋の無い人生なんて色彩に乏しいですよね。
恋人を作りたければ、隙も見せなきゃ上手くいきません。


気になるあの人との会話の切っ掛けには、映画や小説、漫画、ライトノベルの話題が手頃でしょうか。そんなあなたには、次の作品がオススメ。もし会話がシラけても、私は外野から応援しか出来ませんのでご注意を。


【著者】ああ無常
 『引きこもりのブッタ』
 『ブディー・ヒッキィは笑わない』

【制作】正義の使徒
 『イエス! 魔女狩りニック』
 『レイシスターズぴゅうりたん』

【制作】カールヴァーン・サラーイ
 『世界の椅子は平和を叫ぶ』
 『ゲリラーウォーズ 椅子の復讐』

【制作】ホロコースト・ゴイム
 『極道戦士当たり屋 逆襲のジェダ』
 『フォース800 東欧編 恩讐のジェダイ兵』

【著者】恋するカースト
 『デクスター ヒンジーの強姦ウハウハ日記』
 『ゼロから始めるヒンズ式調教生活』

【著者】アイラ・ブマニ
 『自由への逃走』
 『世界沈没――自己喪失の国、グローバリズムの首都』


(※上記作品は全て実在しません)


最後に、映画『es』の題材であるスタンフォード監獄実験を行った研究者(フィリップ・ジンバルドー)の著作から引用して締めくくりましょう。長いですが、あまり省略せずに2頁分を載せます。

――――――――――――以下引用――――――――――――

「スタンフォード監獄実験を〝終わらせた人〟としての私(クリスティーナ:当時著者の恋人)から見えてくる大事な物語とは、何でしょう? (略)監獄実験に多少なりとも関わりのあった全員(被験者、研究者、オブザーバー、アドバイザー、家族、友人)が、この実験に完全にのみ込まれました。この物語の筋書の中心にあるのは、個性と善意を圧倒する状況の力です。

 さて、ではなぜ、私は他の人とあれほど違う反応をしたのでしょう? (略)ひとつは、私があとからその状況に入ったこと、もうひとつは、〝部外者〟だったことです。ほかの人たちと違って、私はこの実験に合意のうえで参加したわけではありませんでした。監獄という文脈の中で定義された役割も持っていませんでした。そこに毎日いたわけではないため、状況の変化に流されて少しずつ深みにはまることもありませんでした。だから、その週の終わりに私が入り込んだ状況は、ほかの人たちにとっての状況とはまったく同じではなかった。彼らが事前に合意していた経緯、場所、視点が、私にはなかったのです。彼らにとっては、状況はまだ正常の範囲内にあるという理解でしたが、私の目にはそうではなかった――狂気の沙汰でした。

 部外者だった私には、特定の規則への不服従という選択肢がありませんでしたから、抵抗もほかの人とは違うかたちをとりました。状況そのものに異議申し立てをしたのです。この異議申し立てを英雄的行為と見る人もいますが、当時はそれがとくに英雄的だとは感じられませんでした。それどころか、とても怖くて孤独な経験でした。私は異分子で、状況と人間の両方に対する自分の判断を疑い、おそらくは社会心理学研究者としての自分の価値さえも疑っていたのですから」

 続いてクリスティーナは、核心をつく英雄の条件を提示した。個人的な抵抗が〝英雄的〟という評価に値するためには、それがシステムを変え、不正義を正し、過ちを正す試みでなければならないというのだ。

「もし、私の断固とした反対にもかかわらず、彼(フィリップ:著者)がスタンフォード監獄実験を継続したらどうすべきか? 頭の片隅でそれも考えずにはいられませんでした。もっと上の役職である学部長や学生部長、あるいは被験者委員会にこの件を告発すべきか、と。確かなことは言えませんが、そうならなくてよかったと思っています。でも、いま思い返せば、そうした行動は私の価値観を有意義な行為に転換するためには欠かせないものだったはずです。何らかの不正義に不満を述べても、その結果、うわべだけが改められて状況が変わらずに推移するなら、その反対意見と不服従に、たいした価値はありません。
     (略)
 その行為は社会的な影響力のない、単発の出来事です。必要なのは、一歩進んで、研究の構造と前提の全体に異議を唱えることです。個人の不服従は、組織的不服従へと転換されなくてはなりません。組織的不服従は、実験の運用条件だけでなく、状況あるいは行為集団そのものを変えます。悪が支配する状況は、決意を固めた善良なる反対者、あるいは英雄的反逆者さえ、じつにたやすく取り込みます。彼らの行為に勲章を授与したり、意見を胸の内におさめておく代償としてギフト券のようなものを渡したりするのが、その手口です」


(了)



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