ある精肉店のはなし | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

東中野のポレポレ座で、「ある精肉店のはなし」を観た。
わたしよりずいぶん若い女性監督が、
ぜひいろんな方に見てほしい、
と舞台挨拶をされていて、
わたしもぜひ観てほしいと思う映画だったので
書き留めておく。


被差別部落地区にある精肉店の映画だ、
ということはもちろん解っていて出かけた。
でもちゃんとストーリーまで読んで
出かけたワケではないので、
映画が始まり、
おそらく監督自身が行っているのだろうと思われる、
「北出精肉店は牛を育てるところから販売までを行う
生産直販の精肉店です。」
というナレーションを聞いた瞬間に、
ああ、これはかけがいのないものを見に来たんだ、
と一瞬で理解した。
そのあとはただただ集中して観た。
2013年のいろいろあって辛い気持ちで過ごした年末に、
(プライベートが辛いのではなく、
今年ほどソーシャルなさまざまで辛い一年はなかった)
観るべきものがこんな小さな映画館にあった。


家族で育てた牛が公道を歩いて屠畜場に向かう。
よく家畜を殺すことを「割る」と表現するが、
じっさい目の当たりにすると、
ほんとうにこれは「割る」ということなのだとわかる。
殺す瞬間は、
頭に向かって斧のようなものを直撃し、
最低限の苦痛で牛が倒れるようになっている。
この瞬間がまず「割る」ということなのだ。
そして、まんなかから皮を剝ぎ、
半身に割って枝肉となる。
この作業全体が、
仔細に、
なのにほんとうに美しく撮られている。
どう心掛ければあんなふうに撮れるものなのか。


映画は屠畜からはじまり屠畜で終わる。


最初は友人に誘われ監督が出かけた
屠畜見学会の記録であり、
最後は、
これがその屠畜場最後の屠畜となるという
シーンである。



このあいだに起こる淡々とした日々の記録のなかで、
屠畜という行為を、
慈しむ気持ちが見るものにも生まれる。
とても大切なことが終わってしまうということを理解する。
差別の対象であった人々に与えられた
屠畜や皮をなめすという仕事。
蔑まれてきたその仕事とコミュニティのあり方を
どこかしら羨望の気持ちさえ持って見つめる自分に気付く。
差別をただ糾弾するようなものとは違う。
見せることで、ただ記録することで、
わたしたちに大切なものを誤解なく受け渡す。
なんと優れたドキュメンタリであることか。



少し、この映画の話から離れる。



わたしは事実に取材する演劇をつくるなかで、
市井のひとのなかに
なにかとてつもなく深い哲学が宿るのを
目の当たりにしてきた。
水俣ではとくに深いこころにたくさん触れた。
御巣鷹の峰がある上野村では、
未曾有の航空機事故の舞台になったことで
違う人生を生き始めたひとに出会った。
頭のなかだけで作りあげた哲学ではなく、
悲哀や憎悪や愛情を潜り抜け、
言葉や思考に高められたそれらは、
どうしてここまで深いものが人に宿るのか、と。
不出来なわたしは学ぶことさえできず、
ただただ頭を垂れるばかりであった。


どれもこれ以上はそうはない不幸な出来事ではあったが、
それらがなければ彼らの生はそんな深いところに
辿り着くこともなかったろう、と思うとき、
いい方はとても難しいけれど、
彼らの人生が不幸なものであるとは
わたしには思えない。
もちろんそんな深いことなど知らずとも
ひとは幸福に生きていける。
そのほうがいいに決まっている。
でも、それでも。
彼らのたどりついたその場所の、
その価値を、
その意味を、
否定できない。


みんな、深い深い声をしていた。
それを惜しみなく分けてくれた。
身体を使って生み出された言葉。
思想。哲学。
それらは強く優しい。
強く優しい、なんて安易な言い方で恥ずかしいけど、
そうとしか書けない。


話を映画に戻そう。


北出さんたちは
差別の対象として深い怒りをもって生きた父親の後ろ姿と
自身の被差別部落解放運動を通して得た言語を
持っている。


「命をいただく。」


とは、言うのも書くのも簡単だ。


わたしたちもそう思いながら食べている、ハズなのだ。
しかしどこかで、
これは命を殺して食べている
自分たちを甘やかす免罪符なのだ、
と気づいている。


しかしそれが北出さんの口から発せられると、
「命をいただく。」
ということを引き受けたひとにしか為しえない
言葉として迫ってくる。
こんなふうにひとはこの言葉を言えるものなのだ、
と、言葉を扱うものとして、
もっともっと発語する俳優の身体に
注意深く、厳しくあらねば、と思ったのだ。



被差別の問題はおそらく今もやまない。
在日朝鮮人に対してのヘイトデモなど、
ようやく進んできたなにかが、
元来た道を戻っていくような印象を持っている。
コミュニケーションの分断は差別を助長する。


くだらないことを書く。


北出さんたちは、とにかく格好いい。
肉を作り出すすべても、
太鼓を作る行為のすべても、
撮ったひとが女性監督だからだろうか。
ちょっと「萌える」に近い感情を抱かせる。


「差別いけません。」


などという言葉より、


「精肉かっこいい。」


と思わせたことにこの映画の真骨頂がある。



あまりの大評判、とは言え、
ドキュメンタリの市場はとても小さい。
まあでもその小さな市場のなかでは評価されて、
年明けての延長ロードショーが行われている。
ぜひぜひ足を運んでください、
と関係者でもなんでもないけど
お願いしたい。
同じ監督の「祝の島」
(瀬戸内海で長く住民主体の原発反対運動を行っている)
も素晴らしい映画です。
これも見る機会がありましたら。