最強のふたり | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

まずタイトルが素晴らしいと思うんですよ。
原題のほうです。
「アンタッチャブル」



有名なマフィア映画があるので、
このタイトルにはできなかったと思うんですが、
「最強のふたり」という邦題では
監督の意図はおそらく半分も伝わらない。



「不可触」


インドのカースト外を指す言葉でもあり、
ボクシングなんかであまりに強すぎて
触れることができないひとのことを言います。



映画「アンタッチャプル」は
警察でさえ踏み込めなかった伝説のマフィア
アル・カポネの話でしたよね。
※と、書きましたら読んだ方から、
カポネではなく、エリオット・ネスと彼のチームだと思います。
買収に応じない捜査官たち。
というご指摘ありました。
サンクスです。
うろ覚えのときは調べて書いてるんですが、
これ実は同様の間違いしてた方がいて、
あ。ダイジョブね。と書いちゃいました。
訂正し、お詫びします!!




映画「最強のふたり」は、
大富豪でありながら特一級の障碍者と
文明国の最下層貧民の友情という
アンタッチャブル(不可触)な領域を、
アンタッチャブル(無敵なカンジで)に描いた映画でした。
すごく軽々と書かれているから、
これがどんなに困難なことを描いた映画か、
むしろわかりづらいくらい
ポピュラリティに溢れていましたね。
フツーに見て
フツーに感動できちゃう。



こういうものをこそ、
「難しいことをやさしく」
というのかな、と思います。



わたしは障碍があるとかないとか関わらず、
ひととのつきあいはそんなに得意なほうじゃないですし、
壁もあるんでね、
とつぜん障碍のあるひとにだけ
ドリスのようにフランクだったら
それはそれで気持ち悪いと思うのですが、
わたしがわたしらしく、
誰とでも平明に向き合うっていうのは、
やっぱり難しいことだと思うし、
意識しちゃう。
大人になってから演劇とか本とかを通じて学んできたことで、
まわりの大人とか学校教育とかでは担保されてないから
どうしてもアタマデッカチになってしまう。
自意識が発動する。
それはすごく居心地が悪いことなんだよな。


それにしても。
こういう困難なことを伝えるのに、
経済的に恵まれていてでも身体は不自由という男性と、
スラム街に生まれて屈強で、でも家庭的には恵まれていない青年
というふたりを生み出した構造が素晴らしすぎてビックリする。
そして、
ふたりの関係こそがわたしたちが人生において
おそらくいちばん必要なものだということ。
いま、わたしたちの世界ではそれがいちばんないがしろに
されているのだということ。


わたしはふたりが性感帯の話をするところで
思わず落涙しちゃったんだけど、
と、同時に、
国芳を観に行った彼の美術館で、
上映が取り止められた
高嶺格さんの「木村さん」っていう作品のことを思ったよ。
あれは障碍者の性を不可触領域に押し戻す行為であったと同時に
それを撮ったひとと撮られたひと、
作品として提示したひとと
提示していいと言ったひと。
ふたりの関係ごと否定した、
美術館としてぜったいやっちゃいけないコトだよね、と
いまもってわたしは思うよ。


そしてこの話は、実話なんだよね。
でも実話にまったく寄りかかってないので
実話って最初に断りが入っているのにすっかり忘れていて
最後、モデルのふたりが出てきて、
それはちょっと蛇足だったかも、と思ったくらい
物語として凄かった。
監督たちは、
最初にふたりをドキュメンタリで見て
でも映画化するには実力が足りないと時期を狙い、
ついに映画化したそうです。
年月が執念を込める方向ではなく、
手放す方向で使われているのも素晴らしいなとおもったよ。
この映画が実話を元にしています、というエクスキューズは
まったくいらないと思ったけど、
(エクスキューズではなくてモデルがあることに対しての
とうぜんのリスペクトともちろん解ってるけど)
元になったドキュメンタリはぜひ見てみたい。


これだけ書いて最後に超ミーハーなことをひとつ。
俳優ふたりとも素晴らしかったし、
脇のひとたちもすべてチャーミングだったけど、
ドリス、可愛すぎた、なー。
黒人、凄いなー。見惚れちゃう。
あまりに優れた生き物だから差別の対象になっちゃったんだね。
彼を観るためだけにももう一回観たい、と思いました。
2012年をこれで締められてよかった。
2013年はなにで始めようかな。