アクト・オブ・キリング | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

稽古入り前の最後のオフは、
ちょっと遠くまで映画を見に行った。

「アクト・オブ・キリング」

っていうドキュメンタリー映画。


ほんとはイメージ・フォーラムで見ときたかったけど
忙しくて行けなくて、
調べたら川越でやってるというので、
小江戸トリップ。小旅行的映画鑑賞。


1960年代のインドネシア。
スカルノからスハルトに政権が移行した際の共産党員の大量虐殺
についての映画なんだけど、
その事実を知らしめ
糾弾するというようなタイプのものではまったくない。


なので、
そのあたりは自分で調べないと映画を見るだけでは、
背景がよくわからないのだけれど、調べてみるとこうだ。
スカルノ共和党が失脚し、新しい政権にとって、共産党員たちが
邪魔になった。
それで政府が民間団体(民間人によって組織された軍隊)に委託して
共産党員たちを殺させた、
その数100万~200万。
そしてその委託された民間団体の人々は高い報酬を得て、
いまも国民的英雄として暮らしている。


凄まじい話ですよね。


その少しあとにはポル・ポトがカンボジアで、
逆の理由でホワイト・カラーの大虐殺を行っています。
当時は東西冷戦を背景に、
このようなことが世界のいろんな地域で行われていました。
しかし、その当事者の末路として、
記憶にないのが今回の中心となったプレマンたちの
現在における恵まれた立ち位置です。
まったく糾弾もなにもされないまま50年近く、
彼らは街の実力者として豊かな生活を保障されてきた。


そして、
そのギャングたちに、殺人の再現をこの映画は依頼するのです。
最初監督は人権団体に頼まれて被害者側の取材をしていたらしいのですが、
それを禁止され、
では、ということで加害者側とコンタクトをとりました。
それにしても、そんなことをお願いして実現してしまうところが、
プレマンのいまだ去らぬ権威を感じさせます。


そしてその映画は、想像を絶する凄まじいものでした。


と続けたいところですが、
そして、そういう意見が大半を占めているようですが、
わたしの意見は少し違います。


この映画。
そんなセンセーショナルな題材を扱っていながら
誤解を恐れず言えば、
けっこうタイクツなんです。
もちろん、いちばんリスクの少ない人の殺し方を説明する場面とか
興味深いシーンはたくさんあるのですが、
なにかが、圧倒的に、タイクツ。


どうしてなんだろう。


と思いながら見ていました。


そしてそれは最後2シーンを続けて見たときに
不意に理解できました。


ラスト、プレマンの中心であった老人が
虐殺の現場を訪れ、
説明しながら泣き、嘔吐するシーンがあるのですが、
そこだけを見ると、
演じることによって後悔の念が身体性となって押し寄せてきたように見えます。


実際、そういう感覚はもちろんあるのだと思います。


しかし、そのひとつ前のシーンで、
彼は、完成した映画のラストシーンで、
虐殺された側が
「捕虜にしてくれてありがとう。」
といっているのを聞きながら実に満足げに笑っている。


そのあと、今度は可愛がっている孫たちを呼んで、
自分が捕虜役として殺されるシーンを演じたのを
わざわざ見せようとするのです。


わたしの説明が拙いので解りづらいかもしれません。


しかし、
この3つの行動を矛盾なく行えてしまうこと。
その刹那性、
想像力の欠如。
それがこの映画を圧倒的に退屈なものにしている。
現象(殺し方とか脅し方とか)は興味深いけれど、
彼らがいう言葉、思想、行動にまったく興味が持てない。
正直、嫌悪感すらわかない。
空っぽすぎる。


その空洞こそが、この映画が描き出した残酷な真実のような気がしました。


彼らには、自分たちを、相対化するための知性と手段が
予め剥がれ落ちている。
おそらく過去の大量虐殺の実行部隊には、
常に一定数以上の彼らのような存在が在ったのではないか。


しかし、その実、彼らは求めているのです。
自分の行動を相対化し、
自分の悪と対峙することを。
それが「孫を呼ぶ」という行動となって亀裂を走らせる。
嘔吐という身体感覚となって襲いかかる。


なのにそのための能力がない。
だからこそできてしまった。
大量のひとたちを、ただ殺すということを。


それはわたしたちにまったく無縁のこととは思いません。
いまの日本においては、
よほど求めていかないとわたしたちの想像力は、
去勢され、剥げ落ちていくばかりです。



監督のオッペンハイマーさんは
政治的な暴力と想像力の関係を撮りつづけている監督なのだそうです。
だからこそ、ドラマティックに彩色することより、
ひとの想像力が平板になったその残酷さを淡々と描いた。
その残酷さもひとの事実として大切に撮りあげた。


彼の作品をもっと見たいな、と思いました。


ヒットラーを始めるまえに、
これ以上の体験はなかったように思います。
さて。


行きますか。