フェイシング・アリ | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

今月、唯一自分のために使える、
というか、
使うぞ、という休日。


アップリンクファクトリーで
映画のハシゴをしましたよ。


ひとつめは「フェイシング・アリ」。
60年代から70年代にかけて活躍した
モハメド・アリのドキュメンタリです。


父が格闘技が好きだったので
アリの試合も見てると思うのですが、
わたしはとくに強い興味はありませんでした。
対戦相手を逆なでする
ハデなリップサービスは
なんとはなしに覚えていますが、
どんなひとかも正直よく解っていませんでした。



この映画はアリの記録映像とともに
10人のアリの元対戦相手の証言で綴られる映画です。



先日、やっぱりアップリンクで映画を見たときに
予告編をやっていて、
その10人のボクサーたちの面構えと身体的パワーに
圧倒されて、
もうそういうのは、
なにをおいても演出家として見たいので、
見に行くことにしたワケです。


そして、見たわけなんですが、
アリはわたしが思っていたのをはるかに超えて
凄いひとでした。
なんせボクサーとして乗りに乗っている時期に
徴兵されたのですが断ったため、
3年半の試合停止を受けているんですね。
有名なエピソードだと思うのですが、
わたしは知りませんでした。
徴兵に行かなかったのは保身のためではないです。


「なんの罪もないベトコンを殺す理由が俺にはない。」


と、アリは言いました。
この言葉は、
多くのウェブ上での言葉としては、
「東洋人は俺を差別しなかった。
だから俺は奴らを殺す必要がない。」
というように紹介されることが多いようです。
しかし、
映画のコンテキストに添って見てみると
もっと深い意図のあったもののように
わたしには感じられました。


ベトナム戦争は
(わたしの理解では)
内戦の皮を被った代理戦争です。
戦ったのは南ペトナムと北ベトナムですが、
実質は、
ベトナムの内政に不当に(と敢えて書きますが)コミットした
アメリカがソ連・中国などと戦った戦争でした。
冷戦の断裂から耐え切れず噴出したマグマに晒された結果の
戦争だと思っています。


マルコムXとも親交の深かったアリは、
政治的・宗教的判断から
徴兵を拒否したわけです。


ベトナム戦争を現在の位置から振り返ると
その行動はヒロイックで美しいですが、
当時のアメリカの
アスリートのアイコンともいうべき存在だったアリが
取るものとしては、
愚行として捉えられたにちがいありません。



太平洋戦争時には多くの芸術家が
戦争文学や戦争絵画を描きました。
それを批判することはかんたんですが、
誰にとっても、
そのただなか、ある流れていく圧倒的な時勢のなかで、
自分の判断を貫き、
哲学を遂行していくというのは
困難なものだと思います。



アリは、
それができるひとだった。



だからこそ。



ただアスリート、ということを超え、
ひとの心をつかみ、
いまなお
リスペクトを得ている。


10人の証言者たちの言葉は
ひとつひとつに重量があり、
その身体的パワーは
わたしにとっては演劇でいちばん見たい
素晴らしいものでした。


アリのみならず10人の生き様と対峙する2時間。


秋のはじまりに幸福な時間を得ました。
力が湧きました。