エンディングノート | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

異議田夏葉ちゃんに、
「お金わたしが払うから観てほしい」
と言われたので、
さすがにそこは大人としてちゃんとお金を払って
映画エンディングノートを観てまいりました。
話題になっていたのは知ってたけど、
なんか勘違いして、
SFかなんかだと思ってました。



これは、
「誰も知らない」の監督
是枝裕和さんの助監督をやっていた
砂田麻美さんが、
ガンで亡くなったお父さんの最後の日々を
撮ったドキュメンタリーフィルムです。


ちょっと言葉が見つからなくて
何日か置いてブログを書いています。


ガンで亡くなった方の闘病記、
と言っても、
現在日本の死因の圧倒的な第一位がガンなので、
それはある意味誰もが体験したことのある、
ありふれた死の光景です。
主人公となった砂田さんは高度成長時代を支えた
サラリーマン。
うちの父がちょっと上の世代になると思うんですが、
やはり会社人間だった父の会社の若い人たちが、
よく我が家に来ていて、
大宴会をやっていました。
会社の飲み会さえ「ウザイ」となる現在では
計り知れない昭和の光景だなあ、
と思います。
あの年始に挨拶に来ていたり、
父がお仲人したり、
そんなひとたちの中に砂田さんの同級生世代も
いらっしゃるんでしょうね。


なので最初から、
ああ自分の父の物語だ、と思いました。
いろいろあって立派なばかりの人生ではなかったけど、
なんかこう、意思の強いひとだったなあ、と。
わたしは明らかにその父に似ているので、
砂田さんの
「自分の死も段取りたい。」
っていう気概はヒトゴトじゃなかったなー(笑)。


この映画を観たひとは、
自分の個人史とどこかが重なってくるような
そんな見方もするでしょう。
フツーだったら知りえない
ひとんちの、
どうでもいいようなプライバシーを
こんなふうに観ることもそんなにはないでしょう。


だって
砂田さんの生き方は
そんな偉人とかでもなく、
娘が映画関係者でなかったら、
フツーの団塊世代のお父さんで、
でも自分の父や
勤めていた時の上司のこととか考えると
あの時期のエリートサラリーマンって
なーんかチャーミング。
キリッとしていたあのひとも、
お茶目なところのあったあのひとも、
家に帰ったらこんなふうなお父さんだったのかなあ、
と思いながら。
だから泣きながら笑い笑いながら
また泣き、
それがもうあとちょっとで死んじゃう
という危篤に近い状態の砂田さんなのに、
なぜかいっしょに笑っちゃうんだよ。
大泣きしながらなのに。
お父さんにそっくりな仕事ができて
段取り好きの息子さんが、
もう死んじゃうってときに、
お父さんにお父さんのお葬式の段取りを
真剣な顔して確認している。
おいおい、って思いながら、
でもあるある、って思いながら。



大好きな見慣れた四谷駅の
あのスクランブル交差点を渡る横顔の
トップシーンから、
わしづかまれた。
ついさっき自転車で渡った代々木の踏切が
映像で映し出される。
わたしも毎日渡る
あの小さな踏切を砂田さんと並んで渡ったことだって
あったかもしれないんだな。



わたしはお母さんが死んだときに、
「あ。ひとってひとりで死ぬんだな。」
と思った。
そして15年飼った犬が死んだとき、
「あ。わたしもひとりで死ぬんだ。」
と思った。
わたしも死ぬ。
いつか、それは近くかもしれないし、
遠くかもしれないいつかに。
わたしの演劇は、
そのささやかな実感をもとに作られている。
どんなものを作るときにも。



死を描き、
家族を描き、
極めて優れた映画だけれど、
高度成長期の、あの昭和の、
日本がとても幸福だったころの、
自信に満ちた男の生き方の
その最後を描いた映画とも言える。



クリエイションの側から言うと、
もう誰もが言うから
書かなくてもいいかもしれないけど、
自分のお父さんの死を撮って、
こんなふうにまとめえたことは奇跡に近い。
客観性と愛情の奇跡的なバランス。
外部的な視点をちゃんと保ちながら
内部にいなければ撮りえなかった深層部にまで
届いている。



ドキュメンタリーの良さ、
必要性、
おもしろさ、
価値、
ぜんぶ詰まった映画だと思う。



新宿の角川シネマは、
先週末までだったものが
2週間上映が伸びたそうです。
小さいスクリーンですが、
観終わると自分のパーソナルスペースに
ちょこんと座っているような
この映画にはいい映画館だと思います。
自宅のビデオではなく
スクリーンでぜひ、と言いたいです。
わたしもエンディングノート、書こう。
毎年更新しよう。
そして教えてくれたイギーに感謝。