血槍富士 | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

なにごと、というタイトルですが、
そういう映画を見たのです


内田吐夢監督の戦後第一作の時代劇です。


凄まじいタイトルですが、
基本としては、
人情溢れる群像劇です。
ご主人に従って旅をする片岡知恵蔵演じる
槍持ちの権八。
そしてお供仲間の源太。
歩く旅であれば顔見知りもでき、
関わりもできる。
その中に、
旅人のものを盗む大泥棒が紛れ込んでいるという話を縦糸に、
人々の関わりを描く道中ものです。



これがとにかく素晴らしい。



まず脚本が素晴らしい。
ラスト近くで、
ご主人が侍とはなんぞ、と問いかけてしまうところが
言わずもがななカンジではあるのですが、
戦後第一作、
時代劇の体はとりながら、
戦争とそれによって虐げられた庶民について
おそらく描こうとしたこの作品で、
どうしても伝えたいという思いが
ついつい余計なセリフになったかな、
と思えばそれもまた大切にも思え、
それ以外は脚本っていうのはこう書くんですよ、
という群像劇のお手本みたいな
素晴らしいテキストだったと思います。



特に身請けに絡む傍流のエピソードは
少ないシーン数で、
なぜこれほどの感動が・・・
という精度の高さ。
号泣でした。



そして俳優たちの素晴らしさには
いちいちノックアウトされました。
なんだろうか。
袖触れ合うも多生の縁といいますが、
その袖触れ合う程度の関わりのなかで
思いやり、
必死で関わって生きる人々の姿の嘘のなさ。



なにげないカットのひとつひとつまで
ただ歩いてるだけでも面白い。
前に飢餓海峡を見たときも思ったけど
いまの俳優とは、
カラダが違いすぎる。
あと他者への愛情の深さが違いすぎる。




そして最後の知恵蔵の立ち回りの凄さ。
時代劇のスターであれば
いくらでも華麗に決めることができようものを
こんなことでもなければ生涯戦うことも
なかったかもしれない下郎の槍持ちが、
主人への愛とそれを奪われた怒りと悲しみ故に
やりたくもない戦場へと向かい
無様にしかし戦い抜くその姿。



このシーンに現れた骨太の批評性は、
いつ日本のクリエイターから奪い取られてしまったのか。



観終わったあと、
走り回りたくなるくらい素晴らしい作品でした。
(わたしの感動はとてもウザイので、
ベッドの上で転がるくらいはじつはした)
機会がありましたらぜひご覧になってみてくださいませ。




それにしてもこの短い文章で
いったい何回「素晴らしい」って書いたんだ。
でも消さない。
「素晴らしい」映画でした。