「しょう」のブログ(2)

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 「生活指導」という言葉は戦前、綴方教師の峰地光重がはじめて用いたといわれますが、「生活そのもの(それを綴り意識すること)が子どもたちを成長させる」というイメージです。当面、「生活指導」や「生活綴方」を中心に書いていきたいと思います。

   ウクライナ戦争が始まって以降に書いた主な記事をPDFにまとめました。その2です。

 

       2024.2.12 佐藤優の呼びかけ-「クロ現」

 

     2024.1.28 黒部ダムだけでなく 「動員」された朝鮮人

     2024.1.21 「秘境!黒部峡谷」の内容と・・・

      2024.1.08 1.07 サンデーモーニング「世界を分断する壁特集」

 

      2023.12.24  イスラエルの夫婦とサルトル

      2023.12.16 難民危機にどう対処するか(持論公論) 

      2023.11.28 パレスチナ国連大使の演説 

 

  2023.11.02 竹内芳郎 その思想と時代

  2023.10.22 ガザ地区封鎖について

  2023.10.02 高校教育の在り方への提言(パブリックコメント)

 

  2023.09.24 関東大震災100年 流言による惨事は過去のことか

  2023.09.18 「人権後進国 日本」

  2023.09.03 「処理水」放出に関する国際的な問題

 

    2023.08.27 スリーマイル島原発事故後の対応に学ぶ

  2023.08.16  「処理水」放出にかかわる科学的な検討

  2023.08.05  「処理水(汚染水)」海洋放出の問題点

 

  2023.07.23  なぜ戦争はなくならないのか?

    2023.07.15 台湾の人々は「疑米派」? 

  2023.07.08 IAEA報告と政府の原発政策

 

    2023.06.25 「捨てられる再エネ」を活用するには

  2023.05.31  NHK日曜討論で大臣を「論破」した大学院生

      2023.05.14 「台湾有事」はCIAがつくり上げた? 

 

  2023.5.01    ヒーローを待っていても世の中は変わらない

      2023.4.25 「誰のための司法か」
​  2023.4.21     学術法改正法案の見送り


  2023.4.09     気候変動対策 迫るタイムリミット
  2023.4.02    観測史上最も早い開花


  2023.3.21    イラク戦争20年 劣化ウラン弾
  2023.3.13    放送法をめぐる根本問題

      2023.3.08 徴用工問題の「政治解決」について

 

      2023.3.04    クレア・デイリー 欧州議会で発言を継続

  2022.2.24    中国がロシアに武器提供情報の意図
​  2023.2.05   日本学術会議問題について

 

  2022.11.25   ウクライナ猛反撃後も見えぬ出口戦略

  2022.10.30   汚い爆弾報道について

  2022.8.07    アムネスティ報告より 

        市民を危険にさらすウクライナ軍

2023.09.24

関東大震災100年 「流言による惨事」は過去のことか 


 2023年9月1日、関東大震災から100年の節目にNHKが標記の問題提起を行いました。(「時論公論」)「​福田村事件​」をとりあげた「クロ現」もよかったですが、時論公論は現在おこっている問題と結びつけて、虐殺の歴史的事実から学ぶべきことを指摘していました。重要な視点だと受け止め以下に紹介します。

〔番組の要旨〕
 関東大震災から今年で百年。この震災の混乱の中、流言を信じた市民や軍警察によって、朝鮮半島出身の人たちが数多く殺害されるという事件がおこる。   

この惨事がなぜ起きてしまったのかを振り返ると、「百年前のことだ」と切り捨てることはできない。現在の災害やコロナ禍での状況に通じる問題が見えてくる。
Q 歴史的事件をどう見るか? その教訓とは? 

1923年9月1日に発生した関東大震災は、激しい揺れに加え、大火災が東京東部や横浜の市街地の大半を焼き尽くし、死者10万5千人という未曾有の災害になった。

​​その混乱の中、多くの朝鮮半島出身者が殺害された。​​

きっかけは地震の直後から流れた流言、いわゆるデマだった。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「2000人の朝鮮人が武器をもって襲ってくる」など、根拠の無い嘘の情報は、市民・国・新聞の3者の間で増幅し、殺害行為をエスカレートさせた。(急速に広がった流言を国も公式に発信し、市民をたきつける結果になった。)


​ 国の治安のトップ-内務省警法局長が「朝鮮人が各地で放火し、爆弾を持っている者もいるので、厳重に取り締まるように」と言う通知を全国に発信。新聞も流言を鵜呑みにし、非常に多くの嘘の記事を掲載。この流言を信じ、棍棒や日本刀・猟銃等で武装した市民による自警団や場所によっては軍警察が朝鮮半島出身者を殺傷。

ほどなく国は流言に根拠がない事に気づいて否定にまわり、警察は、朝鮮半島出身者の保護に乗り出すが、保護された人たちを市民が襲って殺傷するなど、暴行はすぐには収まらなかった。

殺害された正確な人数はわかっていないが、国の中央防災会議がまとめた報告書は千人から数千人にのぼると推定。この中には中国人や朝鮮半島出身者と間違えられた日本人も含まれている

Q なぜ市民は朝鮮半島出身者を襲ったのか?

A 「報告書」は殺害の背景に、当時、植民地支配されている朝鮮人の抵抗運動に恐怖心があったこと、朝鮮人への無理解や差別意識があったとしている。

Q 裁判はなされたのか?

A 震災直後に朝鮮半島出身者233人を殺害した罪で367人が起訴されている。噂を信じて、朝鮮人が自分の村に来たら村の為に害を除こうと思ったという供述もあった。

専門家は差別意識に加え、共同体のために役に立ちたいという気持ちが殺害に繋がった面もあると指摘。

大虐殺否定論は?

A 近年、文筆家や活動家などから朝鮮人による暴動や破壊活動は起きていて、自警団の行為は正当防衛だったなどとする主張が出て、ネットなどで拡散。

​Q  歴史学者やジャーナリストによる反論、その根拠は?

A1 震災後(当時)の司法省の報告書は「朝鮮人による一定の計画のもとに脈絡ある非行はなかった」と暴動などを否定

A2 神奈川の警察責任者(当時)は「朝鮮人が悪事をしたという流言を徹底的に調べたが、ことごとく事実無根だった」としている。

A3 震災当時、犯罪で有罪になった朝鮮半島出身者は十数名いたが、罪は窃盗など軽いものだったこと、日本人による殺害の直接証言が非常に多くある一方、「朝鮮半島出身者による暴動や破壊活動を直接目撃したという証言はない」

〔結論(反論の)〕

・長年の研究によって実証されている事実を捻じ曲げ、(虐殺を信じたくない人たちが)自分たちに都合の良い嘘の歴史を広めている。

百年前のこの事件は社会状況が全く違う今日では起こり得ないのか?

A  残念ながら大災害の度に、ネットなどで多くの流言が流れている。東日本大震災の被災地では、「外国人窃盗グループが横行している」「遺体から金品を盗む外国人がいる」などのうわさが流れ、警察は避難所を回ってそのような事実はないとするチラシを配り、打ち消しに追われた。

Q  災害時の流言は広がったのか?

A 流言を多くの人が信じ、広げた。東北学院大学の教授が仙台市と東京都の944人を対象に行ったアンケート調査の結果。「外国人が被災地で犯罪をしているという噂を半数の人が聞いていた。」そしてその噂を信じたかたずねた所、「86%の人が信じたと答えた」

震災の混乱と強い不安の中、普段なら疑うであろう流言を信じてしまう心理状態が広がったことがうかがえる。

Q  コロナ禍では?

A1 外国人などへの攻撃がネットなどで横行。横浜中華街には感染が広がり始めてから、中傷の電話や手紙、メール、落書きなどが相次いだ。「中国人は日本から出て行け」「ウイルスを広げるな」など、事実無根の攻撃が数十件に上った。さらにSNS上には数え切れない非難やデマが流れ、二年間にわたって続いた。中傷を受けた関係者は「人間を否定される一番強いヘイト攻撃でサンドバッグ状態にされ、いつ終わるのか分からない恐怖があった」と話す。 

A2  コロナ禍によるうっぷんを外国人に向けた凶悪な事件もあった。

一昨年8月、在日コリアンが多く暮らす京都府宇治市のウトロ地区で倉庫が放火され、住宅など七棟が焼けた。逮捕された元病院職員の男は、ネット上でウトロ地区の人たちが土地を不法に占拠しているという誤った情報・流言を読んで一方的に不満を募らせ、わずか10日後に犯行に及んでいた。NHKの取材に対し。「朝鮮の人たちに直接話を聞いたり、関わったりしたことはないが、在日コリアンに嫌悪感があった」と述べた。 

また、事件直前に新型コロナの影響で仕事を辞めざるをえなくなったこともきっかけの一つ、コロナ禍で支援を受けられなかった不満のはけ口・憂さ晴らしと答えた。

Q  関東大震災(朝鮮人虐殺)の教訓とは?

A  ​災害時、日頃からの差別意識を背景に、強い不安や恐怖、行き場のない怒りが外国人など少数者に向けられるという百年前の惨事と共通する弱さを私たちの社会が抱えていると言うこと。​

中央防災会議の報告書を執筆した東京大学の鈴木淳教授。「普段は常識の枠で抑えられているものが何かのきっかけで、地域に馴染みの薄い少数者に対して牙を向いてしまうことがありうると言うことを強く意識し、警戒し続けることが必要だ」。

関東大震災における朝鮮半島出身者などの殺傷事件に向き合うことは、大きな痛みを伴うが、「何が起きたのか」「なぜ起きてしまったのか」を知ることが、現在もある弱者や少数者への差別や偏見に向き合い、解消する努力につながる。

このことが関東大震災の最大の教訓のひとつ。 
〔紹介は以上〕
「災害や恐怖など、社会は強いストレスにさらされたときに試される」、というのも番組の指摘ですが、私も東日本大震災に先立つ「阪神淡路大震災」時(1995年)、「外国人労働者や朝鮮人がスーパーを襲っている」というデマが流れているということを聞いて「ドキッ」としたことを鮮明に覚えています。「これでは、関東大震災時と同じではないか」と思ったのです。
 その時も兵庫県警が「そのような事実はない」と明確に否定したことでおさまったのですが、もし否定されなければ、どのような心理状態になっていったのか。恐ろしいものを感じます。
 まさに、歴史の事実をしっかり受け止めながら、「われわれの社会の弱さ、われわれ自身の弱さ」に向き合うことが大切ではないでしょうか。

この間の主な記事のPDF版


 ヒーローを待っていても世の中は変わらない2の続きです。

 表記書籍の中で湯浅誠は、「自身の体験」などを豊富に例示しながら、民主主義にとって大切なことは何かを私たちに投げかけ、「深刻な事態を誰かに何とかしてほしい」という焦りに向き合いながら「民主主義の面倒くささ」を引き受けるしかない、ということを訴えます。これを読むことで、私自身が「自らの焦り」と向き合う機会になったのですが、皆さんはいかがでしょう。ぜひ、私の要約・紹介ではなく「そのもの」を読んでいただきたいと思います。 


Q 最善を求めつつ最悪を回避するとは? 

一、ともすれば「取るに足りない問題」、と片付けられがちなこの課題を、実態に見合った大きさで理解してもらい、向き合ってもらうために。より多くの人たちに、働きかけていくこと。一対九を二対八、三対七、に転換していくこと。

二、当面たとえ一対九だとしても一割分、あわよくば二割分、二対八だとしても、可能なら三割分というように、現実の調整過程にコミットして、一歩でも半歩でも実態に追いつくように政策を実現させていくこと。

三、八割、九割の世論をバックに「望ましくないと感じられる政策が進もうとしている時」に「政府が悪いことをしている」で済まさないこと。その八割・九割の世論に働きかけるとともに、それが容易に変わらない時には一割でも二割でも、自分たちの意見を残すように調整過程にコミットすること。

 最悪を回避するために、わずかでも自分たちの主張を滑り込ませるイメージ。自分と異なる意見を持っている人のほうがはるかに多いと言うことを前提に、最善を求めつつ同じくらいの熱心さで最悪を回避する努力をすることが必要。

Q 民間の活動が持つ傾向と問題は?
 同じような意見を持つ百人の仲間を二百人に増やすというように、内側から広げる志向を持つ。自分たちと近いところに居る人達を強く意識し、仲間に迎え入れることに努める。自分の考えを変える必要はないので、発想がどうしても内向きになりがち。

Q 公的にやる時の困難は?
 反対意見を無視できないわけだから、それとの綱引きの結果次第では自分にとって最悪の結論にもなり得ることを常に想定しないといけない。その場合は一番遠くにいる人たちを意識し、その人達の強硬な反対が少しでも和らぐよう外側の理屈との橋渡しに心を砕くことになる。

Q そのような努力を放棄したら?
 仮に百人が二百人になったとしても、それが一億二千万分の二百であれば、やはり政策は動かないし、逆ベクトルの政策がとられる可能性も高い。最善を求めつつ最悪を回避するというのは、近くから広げ遠くと橋渡しをするということ。

 これは本当に難しい。ともすると、いうことが分裂する。しかし、その困難さと真剣に向き合えなければ、物事は進んでいかないだろう。 

 単にお金がなくて仕事と生活に追われているというだけでなく、多少のお金があっても、効率的に生きることに精一杯で、物理的にか精神的にかまたその両方かで時間がない。社会に「溜め」がないとはそういうことで、格差貧困が広がる社会は底辺の人たちだけでなく、「勝ち組」と言われる人たちからも余裕を奪っていく

 単純に言って、朝から晩まで働いてへとへとになって、9時10時に帰ってきて、翌朝7時にはまた出勤しなければならない人には「社会保障と税のあり方」について一つひとつの政策課題に分け入って細かく吟味する気持ちと時間がない。

 子育てと親の介護をしながらパートで働いて、クタクタになって一日の家事を終えた人には、それから「日中関係の今後の展望」について、日本政治と中国政治を勉強しながら、かつ日中関係の歴史的経緯を紐解きながら、一つひとつの外交テーマを検討する気持ちと時間はあない。

 だから私は最近こう考えるようになった。「民主主義」とは高尚な理念の問題というよりも、むしろ物理的な問題であり、その深まり具合は時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、という極めて即物的な事に比例するのではないか。  

Q 時間と空間が参加可能にするとは?

 時間と空間の問題は、言い換えれば参加の問題。世界的政治的参加のための空間がなければ、そもそも参加が成り立たないし「場」空間があっても時間が無ければやはり参加できない。 

 例えば、誰かがデモ行進を申請しなければ、デモ行進を行う空間は確保されない。そして、そこに意味を見出して時間を切り出してくれる人たちがいなければ、主催者だけの寂しいデモ行進になる

  多くの人たちが「決めてくれ、ただし、自分の思いどおりに」、と個人的願望の代行を、水戸黄門型ヒーローに求めるのではなく「自分たちで決める。そのために、自分たちで意見調整する」と調整コストを引き受ける。民主主義に転換して行くためには、さまざまな人たちと意見交換するための社会参加、政治参加が必要。そして時間と空間はそのためのもっとも基礎的・物理的条件になる

(・・・)

 従来の「血縁、地縁、社縁」も活用しながら、かつそれだけに閉じこもることなく、他との交流を多様に進めていくこと、その時に必要になるのが「人と人とを結びつける工夫と仕掛け」で、それが異なる文化、異なる作法を持つ者同士の信頼関係づくりを可能にする。

 だから「誰が決めてくれよ、ただし自分の思いどおりに」という人を見たら、ヒーローを求める気持ちの奥にある「焦りや苛立ち」にこそ寄り添い、それに向きあって一緒に解決して行くことこそ自分へのチャレンジだと感じるようになる。「誰の責任だ」と目を血走らせることより、課題を自分のものとして引き受け、自分にできることを考えるようになる。

 「決められる」とか「決められない」とかではなく、「自分たちで決める」のが常識になる。そのとき、議会政治と政党政治、民主主義の危機は回避され、「切り込み隊長」としてのヒーローを待ち望んだ歴史は過去のものとなる。「ヒーローを待っていても世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは世界が良くならない。」

 ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。私たちにできることはたくさんあります。それをやろう。その積み重ねだけが社会を豊かにする。