誕生日とは?

それはあなたがこの世に生を受けた特別な日。
365日のうちでたった1日だけの、
スペシャルデーですよね。

 今日3月22日は私の誕生日です。

誕生日は、自分の価値をはかる日とも言われてますが
そんな残酷な日なんかじゃなくて、実はみんなが、
自分の幸せの一部を少し、分けてくれる日
なのでしょうね。

無事に今日まで生きて来れたこと、それを少しでも
感謝して、「おめでとう」と声をかけてくれる人が
いれば、幸せなことではないでしょうか?

誕生日は言うまでもなく、生まれた日を祝う記念日。

プレゼントをもらったり、誕生日ケーキを
食べたりする日ですね。

誕生日ケーキの上に、年齢分のろうそくを
立てて吹き消したりもします。

年を取るたびに余り楽しみではなくなる人もいます。

実は、この日まで生きてきたということについて、
産み育ててくれた親や周りの人に感謝を
表す日なのです。

人間が母親の子宮の中で過ごした期間は数の中に
入れず、母親の子宮から出てきた日=その人が
誕生した日と考えられています。

人間としての本当の誕生は、実際の誕生から
10ヶ月前ほどのお母さんのお腹の中。

英単語で誕生日は「バースディ(Birthday)」と
なり、この「バース:birth」は「出生、発生、
誕生」などの意味を持ちます。

最後に自分へのメッセージ

「お誕生日おめでとう。私。
毎日たくさんの人に支えられて生きていますよね。
そして毎日一生懸命生きていますよね。
そんなあなたの努力を一番わかっているのは
私自身です。

だから、自信を持ってこれからの一年も
楽しんで下さいね。

でも、一つだけ忘れて欲しくないことがあります。
それは、あなたは皆に支えられて助けられて
生きていると言うことです。

それを忘れたら素敵なことは起きません。
産まれて来たことを両親に感謝して
今日一日を過ごして下さいね。」

 

当たり障りないように会話の中で
「普通」がよく使われます。

「普通」ってなんなのだろうって思うことがあります。

意味からすれば、「普段通り」ってことなのかな。
普及して通っているっていうことなのかな。

普通に朝起きて、朝食食べて、会社へ行く。

これって普通かな、と思う。

不眠症だったら、朝起きるのが難しいですね。
朝食を用意できるスキル、お金、場所が
なければ朝食は食べられません。
勤務先がなかったら仕事へは行けません。

「普通」であることがどんなに難しいことか。

多くの人がこの「普通」を目指して
この枠に入ってる安心感のためにエネルギーを
費やしている気がします。
この枠の外ば、とても恐ろしいことになる。と。

ただ、一人一人が思い描く「普通」は異なって
いて、多くの場合、「普通」を求めて彷徨って
いるのです。

普通という形のない漠然とした重圧が、
人それぞれの中に合って、
お互いに普通を求め合うのだから、
それはそれは、生き辛い世界。
息苦しい世界です。

自分のおもい描いている「普通」が
「特別」であることをそれぞれに自覚を
持てば、もっとお互いの違いを分かり合える
気がします。
人と違っていることが、自分の欠点ではなくなる。
相手に「普通」を求めなくなる。
「特別」をわかって下さい。と言われてもそれは
無理な話なのです。
相手の「普通」を受け入れることができるのです。
言い換えれば「特別」なのだから

「普通」という名の「特別」。

朝起きて、朝食食べて、会社へ行く。

毎日するひとつひとつの意識しない普通のこと。

これも十分特別なことたちなのです。

普通を大切にしましょう。

それは凄く大切で特別なことなのだから。

 

「普通」は、小学生低学年でも知っている、非常に
ありふれた言葉です。
僕らの日常生活の中で、「普通に」使われている。
辞書で意味を調べてみると、次のように記されてます。

一 ( 名 ・形動 )

①いつでもどこにでもあって,めずらしくない・
 こと(さま)。
②ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。
③特別ではなく,一般的である・こと(さま)。

二 ( 副 )

①その事柄が多くの事例にあてはまるさま。一般に。
②いつもではないが,ほとんどそうであるさま。
 たいてい。

ほんまに「普通」ですね。
 
けど、例えば、その辺を歩いている100人の人に、
この「普通」の意味を見せたとする。
その中で、「いや、それは違うで!」と主張する
人がいないとは言い切れません。

 その場合、異論を唱えた人にとっての「普通」は
「普通」ではなく、彼にとっての「普通」とは、
また別の意味合いを持つ「普通」なのでしょう。
……って、何を言っているのか分からなく
なってきました。

つまり、「普通」という言葉をある人が使う時、
その人の頭の中では、「大多数の人がそれを『普通』
であると認識しています」という前提があることに
なります。
例えば、「目玉焼きにマヨネーズは『普通』」と
いう人の周囲では、それが多数派として存在している
ことになります。ややこしいですが。

 しかし、その認識が正しいかどうかは、実際に
調査をしないと分かりません。
それが『普通』だと思っていたけれど、実際は
みんな、ばらばらの認識を持っていた、なんて
こともありえなくはないですね。

マヨネーズ派が正義とは限らない。
しょうゆも、ソースも、あるんやから。

「普通におもろい」「普通においしい」「普通に楽しい」

これら、何かの感想に付随する「普通」。
日常的に耳にする「普通」という言葉の中でも、
その曖昧さが非常に良く表れている表現です。

文脈としては、多分、「取り乱して叫び出すくらい
におもしろかったわけじゃないけど、つまらなくは
なかったよー、程々におもしろかったよー」位の
意味かと。
「ま、いいんじゃないっすか?」くらいの、軽い感覚。
うん、曖昧だ。

 実際のところ、これでも意味は通じるし、よく聞く
言い回しなので、とやかく言う必要もないのかも
知れません。
でも、あまりに何でもかんでも普通、普通と言い
過ぎると、語彙力が落ちていく一方なのでは、
と心配します。

「常識」という言葉も、「普通」と似たような
意味であり、同じくらい当たり前に使われています。
こちらも辞書で確認してみると、次のようにあります。

ある社会で,人々の間に広く承認され,
当然もっているはずの知識や判断力。

厳密には「普通」とは意味合いが違うけど、
単語の本質にまで突っ込むと話が脱線するので
まあだいたい同じ、という認識で。

 ここで問題となってくるのが、辞書では「ある社会」
と表現されていることです。
例えば、日本社会とアメリカ社会。
言語や文化、慣習が異なるように、地域社会、
あるいは会社や学校、さらに小さい単位では
家族ですら、そのコミュニティによって、あらゆる
「常識」は違う可能性があります。

 ゆえに、またマヨネーズの例を出せば、人によって
持っている「常識」も異なってきます。

 家族全員が「目玉焼きにはマヨネーズ!」と断言
する家庭にとって、それは「常識」ですが、学校の
クラスでは、しょうゆ派が大勢を占めているかも
しれないし、職場では、ソース派が幅を利かせて
いるかもしれません。
タバスコをかける地域があったっておかしくは
ないのです。

だからこそ、全ての物事に関する「常識」は、
そのコミュニティによって別のものであるという
前提は、意識しておく必要があります。

「それはおかしいだろ、常識的に考えて……」と
言ったところで、「は?どこの常識だよ」と複数人に
突っ込まれてしまえば、もう為す術もない。
そこではそれが「常識」であることを受け入れるか、
「常識破り」に挑戦するか。
いずれにせよ、「自分の世界の『常識』が絶対である」
という思い込みは危険だろう。

「普通」や「常識」を押し付けず、うまく付き合う

このように、「普通」や「常識」といった言葉は、
多数派という恩恵を受けた強い言葉であるようで、
その実、非常に曖昧なものだ。実際にそれがメジャー
であることを示すには、そのコミュニティ内で妥当な
調査をし、信頼できるデータを明らかにしなければ、
「ほーら、『普通』じゃないか」とドヤ顔で断言
することは出来ません。
もちろん、そんなことやってられないけど。

 それが曖昧だと、なんとなく自分でも分かって
いるから、自然と口調も強くなるのかもしれません。
誰かを説得したいのなら、「これが普通なんだよ!
だから従え!」と押し付けるんじゃなくて、
「多くの人がこうしているから、その方がやりやすい
と思うよー」くらいの軽さで言った方が、納得できる
と思います。
反発がきたら、その妥当性を説明すればいいのだから。

他方で、その場の「普通」や「常識」を知ることは、
コミュニティでうまく立ち回ろうとするのなら、
効果的だと思う。
異常で常識知らず、尖った人間が評価されることも
あるけれど、その環境に溶け込もうとするのなら、
コミュニティでの「普通」「常識」を理解することです。
同じ価値観を共有することによって、コミュニケー
ションを円滑に行い易くなります。

 「ルール」や「マナー」と言い換えてもいいかも
知れない。
けれど、それらが場を圧迫することもあるわけで……。

かの有名なアインシュタイン先生は、
こんなことを仰ったそうな。

Common sense is the collection of prejudices
acquired by age eighteen.

 ――常識とは十八歳までに身につけた偏見の
コレクションのことである

人間、育ってきた環境も、培ってきた経験も
ばらばらなのだから、価値観が異なるのは当たり前。
それらがぶつかった時、自分の持つコレクションを
互いに押し付け合い、相手を自分にとっての「常識」
に取り込もうとするんじゃなくて、見せ合い、
それがどのようなものか知ろうとすること。
それこそが、「相互理解」と呼ばれるものなのでは
ないでしょうか。

 

ふと立ち止まり、天を見上げたとき

自分は一体何のために生まれてきて生きてるのか?

と疑問が湧いて来ることはありませんか?


1)あなたは働くために生きているのか?

人間、生きていくにはどうしてもお金が必要です。
お金を稼ぐには、自分の時間を削り働くしか
ありません。
本来は自分の生活を豊かにするために働いていた
はずなのですが、いつしかその事を忘れてしまい
仕事だけの毎日になります。
その時に思い出してほしいことがあります。
仕事はあくまで生活を豊かにするひとつの
手段に過ぎないことを。


2)仕事=人生の人もいます。

ミュージシャンやお笑い芸人。
そして農家の方や牧場経営の方や職人さんは仕事を
生き甲斐だと言う人が多いのです。
この人たちはひとつの事に人生を賭けた
勇気のある人たちなのです。

3)やりたいことを仕事にしたい。

だれだって子供のときから憧れていた職はあった
はずです。
プロ野球選手やパイロットやレーサー等、しかし
みんながみんな野球選手になったらどうなりますか?
社会はとても成り立ちません。
多くの夢破れた人たちが働いているおかげで、
この社会はなりたっているのです。
 そもそもやりたい事が分からない人だっている
はずです。
やりたい事を仕事にしたところで幸せだとは
一概に言えないはずです。

4)ではやりたくない仕事をする?

ゴミ収集作業員の方がはじめからこの仕事をやりたい
とは思っていないはずです。
しかし、仕事をしていくうちに自分が働くことで街が
清潔になると一種の誇りが芽生えるのだと思います。
最初にやりたくないと思っていたけど、働いている
うちにその仕事の面白さやりがいが出て来るのだと
思います。


「自由を制限されたところに
 真の自由が最もよく発揮される」

歴史作家・塩野 七生の言葉です。

不自由だからこそ自由である事の喜びが最も
分かると言いたいのだと思います。


5)仕事をせずに暮したら人はどうなるか?

多くの人が一生遊んで暮したいと思っているはずです。
その証拠に宝くじには毎回行列を作っています。
ある日急に億単位のお金が入ってきたら、
仕事なんかさっさと辞めると思います。
しかし宝くじでお金もちになった人達の、その後は
結構ひどかったりします。
ある人は浪費ぐせが酷くなり借金まみれになったと
いうケースもあります。

毎日起きたい時に起きて、寝たいときに眠る。
ろくな目的もないまま何十年とだらだら過ごす。
はたしてこれが幸せといえるのでしょうか。
楽な人生だとは思いますが、とても充実している
とは思えません。

6)人生にまつわる言葉

「人生とはこの世からあの世に行くまでの
 ひと休みのようなものだ
 雨が降っても風が吹いても動じることはない」


「世の中は起きて稼いで寝て食って
 後は死ぬを待つばかりなり」

有名な一休さんの言葉です。
修行を重ねていくうちにたどりついた
答えはシンプルなものでした。

あなたは今自信を持って
充実した人生だと言えますか?

ただ働いているだけでは駄目なのです。
あなたがしている仕事に目的をやりがいを
見出さない限りはただの社会の奴隷なのです。
あなた自身が楽しいあるいはこの仕事をして
良かったと思う時、あなたは社会を動かす
立派な一員になるのです。

今日と言う日は二度とありません。
時間も絶対に戻りません。
限られた時間の中で後悔のない充実した毎日を
おくりたいものですね。

 

人に甘えるのが下手な人いませんか?

今日は上手に甘える方法 を伝授します。


 ○甘え上手になるためのテクニックは?

しっかりした人ほど、甘え下手です。

人に甘えられるようになるには、
どうしたらいいんでしょう?

苦しい時ほど、自分一人で解決しようとしてしまいます。

人にお願いしたり、教えてもらうのが苦手かと
おもいます。

そんな甘え下手のあなた。
自分に厳しく、強いあなたも、時々、疲れてしまう事が
あるのではないでしょうか?

人は、決して一人では生きていけません。
皆、お互い頼り合って、甘え合って生きているもの。
分かっていても、どうしても、甘えるのが苦手・・・
そんなあなたに、

「周囲の人を幸せにする上手な甘え方」を伝授します。

まず、甘えてはいけない!という考えを捨てること。


 ○猫のように甘え上手になるには?

甘えられないタイプの人にとって、一番難しいのは
これかもしれません。
きっとあなたは、自分のことは自分でやらなきゃ!
と思ってしまう真面目な考えの持ち主。

甘え上手な人が、上手に人の力を借りているのを
見ると、「そんなこと、自分でやればいいのに」と
感じてしまうことも多いのではないでしょうか。

あなたはきっとどこかで、甘えること=人を利用する
こと、というイメージを持っているのでは?

でも、逆に考えてみて下さい。
人に決して甘えない!ということは、絶対に正しい
ことだと言えるでしょうか?

人に決して甘えず、頼らない・・・という姿勢は、
周囲の人たちに「あなたのことを信頼していない」
というメッセージを送ってしまいますし、それに
何よりも、人に決して甘えない!という姿勢であれば
あるほど、他人の甘えを許せなくなってしまいます。

他人の甘えを許せないと、周りの人に怒ってばかりに
なってしまうでしょう。
なぜなら、普通、世の中の人は、周囲に甘えて
ばかりだからです。

人に甘えることが出来るようになれば、人の甘えも
許す事が出来るようになるもの。
人の甘えを許せるようになれば、周りの人にもっと
優しくなれるはず。
そんな風に考えてみましょう。
あなたの中に、人の甘えを許せない心があるなら、
あなたはもっと甘えてもいい、むしろ甘えるべき、
というサインなのです。

 ○甘え上手のテクニック

あなたはもっと甘えるべき!なのですが、甘えると
言っても、身勝手に振る舞う事を勧めているわけ
ではありません。

自分の仕事を、「私はやりたくないからあなたが
やって!」なんて理由で人にやらせるのは、ただの
押しつけ。
そして、「私は辛いんです!疲れてるんです!」
なんて不平を言うのも、空気を悪くするだけです。

そうではなくて、自分が苦手な事にぶつかったとき、
それを得意とする人に頼む。
これが、「喜ばれる甘え方」の極意です。

また、重要なのは、全部をさせてしまうのではなく、
あくまで、「アドバイスをください」と頼むこと。
つまり、「私はこれが苦手なんです。
だからやってくれませんか?」ではなくて、
「私はこれが苦手なので、どんな風にしたら上手に
出来るか、教えてくれませんか?」という頼み方。
この頼み方なら、どんな人でも喜んで手を貸して
くれます。(しかも、最終的に、教えるだけでなく、
代わりに全てやってくれる事がほとんど。)

普段の生活で甘えるタイミングを見つけるのが
難しいなら、何か新しいこと(趣味や仕事、習い事
など、なんでもOK)を初めてみるのもいいでしょう。
わからないことだらけの状況なら、人に甘える
タイミングも山ほどありますから、「上手な甘え方」
の練習になりそうです。
一度「上手な甘え方」が身に付くと、日常生活の
中でも、自然と人に頼る事が出来るようになりますよ。 

 ○ありがとうの達人になろう

「甘える」ことが出来るようになると、自然と、
人に「ありがとう」を言う機会が増えます。

甘え下手な人ほど、「すみません」と言ってしまい
がちですが、謝るよりも、「ありがとう」を
伝えましょう。

言う方も言われる方も幸せになる素敵な言葉ですから、
是非心を込めて、笑顔で伝えましょう。
言葉も、ただ「ありがとう」でもいいですが、

「ありがとうございます。すごく助かりました。」

「ありがとうございます。
 おかげでずいぶんよくなりました」

「ありがとうございます。さすが、お詳しいんですね」

などなど、一言添える言葉で、自然に相手を
ねぎらったり、ほめたりすることが出来ます。
他にも、ちょっとしたプレゼントを添えてみたり
するのも良いですね。
工夫を凝らして気持ちを伝えれば、相手は、
「自分は素晴らしいことをしたんだ」と、誇らしい、
幸せな気持ちになります。
「ありがとう」を素敵に伝える事が出来たら、
あなたも甘え上手の仲間入りです。

 ○最後に

甘え上手になるには、甘え=悪いという考え方を
捨てて、周囲の人と持ちつ持たれつの関係を築くこと。


即、実行すべし。
 

 

弥生時代の銅鐸に西王母が描かれて居る事から、

前漢後期以降に西王母と七夕の説話が徐々に

伝わったものと思われます。

伝わった経路は、日本に残る七夕・羽衣・竜女説話の

伝承経路からみて、「日本人は何処から来たのか?」と

言う命題と同じような経路であろうと推測しますが、

遣唐使などにより伝えられた可能性もあります。

日本で使われた七夕の文字は「たな」は棚、

「はた」は機です。


7月7日の夜に水上に棚作りをして乙女が機を織る

行事があった様です。

その乙女を棚機女(タナバタツメ)または乙棚機と云った

そうで、7月7日の夕べの行事であったために「たなばた」

に「七夕」の字を当てたと言われております。

 宮中で七夕の行事がはじめられたよりも、少し前から

七夕の歌が歌われておりまして、万葉集では(2029)で

初めて、七夕(なぬかのよ)の歌が読まれている

ようです。


  天漢(あまのがわ)梶音聞(かじおときこゆ)孫星

 (ひこぼしと)与織女(たなばたつめと)今夕相霜

 (こよいあふらしも) 


 万葉集でたなばたは他に「織女」と書かれております

が、新古今和歌集では「七夕」となっています。

このことから「七夕」の字は平安時代に当てられたもので

あることがわかります。

(万葉集は「天の川の使い方」で初期と後期の

作に分けることができるようです。)

  古い時代の七夕は、祖先の霊を祀る盆に先立つ

 物忌みのための禊(みそぎ)の行事であったようです。

それは水辺の機屋に神の嫁となる処女が神を祭って

一夜を過ごして、翌日七夕送りをして穢れを神に託して

持ちさってもらう祓(はら)えの行事であったと言います。

古事記によりますと、天孫ニニギノミコトが笠沙の浜を

歩いていたとき、海辺に八尋殿を建てて中で機を織る

美しい機織女を見つけました。

衣は魂を包むものとして神聖なもので、霊魂のシンボル

とされていました。

また、畑作の収穫祭としてとして七夕を迎えること古来の

信仰でもありました。

それは麦を中心として粟・稗・芋・豆を主食としていた

時代で、米中心の稲作より古く、日本固有の信仰として

存在していました。

麦の実りを祝い、キュウリやナスなどの成熟を神に

感謝したのです。

この祭りのとき、人々は神野乗り物としてキュウリの馬、

ナスの牛を七夕に供えました。

それがまた盆行事として習合して盆飾りとなり、

祖先の乗るキュウリの馬とナスの牛に引き継がれて

います。

日本固有の畑作の収穫祭と盆迎えの祓えの信仰が

中国の星の伝説や乞巧奠の風俗とまじり合って、

現在のような七夕が成立したものと考えられております

「ねぶた祭り」も七夕の変形であると云われている

ようです。

 

あるところに、心のやさしい3羽のウサギがおりました。

その評判を聞いた帝釈天さまが、

「そのウサギたちに会ってみよう」と

みすぼらしい老人に化けてウサギたちを訪ねました。

ウサギたちは、その姿に関係なく老人の訪問を喜び、

もてなします。

1羽は暖を取るために薪ひろいに、

もう1羽は自分の毛で服を作り始めました。

最後の1羽は「ごちそうが無いので、私をどうぞ

召し上がりください」そう言うと火の中に飛び込みました。

これを見た老人は帝釈天に姿を戻し、

黒く焦げたウサギを抱きその皮をはぎました。

するとウサギは、白いふさふさの皮に戻り、

生き返りました。

帝釈天は「おまえたちのやさしい気持ちを皆に伝えよう」と

言い、この焦げたウサギの皮を月に飾ったのでした。

こうして今でも月には、

ウサギの焦げた模様がついているのです。


みなさんも ウサギの やさしさを見習いましょう。

 

わし座 α星 Altair(アルタイル)
 

赤経19h50.8m 赤緯+08゜52′ 光度0.8等 距離17光年


七夕の彦星(牽牛星)として知られる、

わし座 のアルタイルです。

 この星は、自転が最も早い星の一つで、赤道での

自転速度は260km/秒で、大きさは太陽の直径の1.7倍も

ありながら、 太陽の自転周期は25.4日なのに対し、

約6時間半という早さで1回転します。

 アルタイルという名前は、アラビア語のアル・ナルス・

アル・タイル(飛ぶ鷲)の後半だけがとられたものです。

こと座べガの方は「α,ζ,ε」3星を合わせて∧型で、

翼をたたんで降下する鷲、ベガ(落ちる鷲)という名前に

対し、 わし座 のほうは「α,β,γ」の3星を翼を

ひろげて飛ぶ鳥の姿と見たのでこの名前があります。

古代アラビアでは、わし座(アルタイルの含まれる星座)と

こと座 のことを、アル・ナスライン(Al Nasrain)2羽の鷲と

呼び、 これに、はくちょう座 を加えて、3羽の大きな鳥が

砂漠の夜空に舞う様子を想像していました。

 日本では、「彦星」「男星」「犬かい星」「牛かい星」

「犬引きどん」「犬飼さん」「牛かいのお供」などの

呼び名があります。


 こと座 α星 Vega(ベガ)


赤経18h36.9m 赤緯+38゜47′ 光度0.0等 距離25光年


 七夕の織姫星(織女星)として知られる、夏の宵の

 夜空を飾ること座 のベガです。

夏の三角形 の中でも一際明るく輝く青白い星で、

Arclight of the sky (夜空のアーク灯)、夏の夜の

女王星、真夏のダイアモンドなどに例えられる

美しい星です。

 太陽からの距離25光年、シリウス、カノープス、

ケンタウルス座のα星 アルファ・ケンタウリに次いで、

全天で4番目に明るい星で、 地球の歳差運動のために

1万2000年後には天の北極の近くに移動し、北極星として

輝くようになる星です。

 アラビア語のアル・ナスル・アル・ワーキ(落ちる鷲)で、

天の川をへだてたわし座 のアルタイルがその両側の

星とともに、 翼を広げた鳥という印象なのに対して、

べガの方はすぐ近くにあるζ星ε星と合わせて∧型で、

翼をたたんで降下する鷲という印象からきています。

古代アラビアでは、わし座 (アルタイルの含まれる星座)と

こと座 のことを、アル・ナスライン(Al Nasrain)2羽の鷲と

呼び、 これにはくちょう座 を加えて、3羽の大きな鳥が

砂漠の夜空に舞う様子を想像していました。

 中国では、「織女」「織女三星」と呼ばれ、 日本では、

七夕の「織姫、織女星」、たなばた女(たなばたとは

棚機のこと)」「たきたなばた」「めんたなばた」などと

呼ばれていました。

わし座 のアルタイルと合わせて「夫婦星」「天の河星」

ともいわれます。

 現在私達の太陽系は、およそ19km/秒という速度で

ヘルクレス座のξ星に向かって移動しています

(太陽向点)。

ベガに近い方向なので、この先行く手のベガは少しずつ

輝きを増してゆき、 およそ、32万5千年後には、

ベガとを追い越してしまうそうです。

ベガは長い年月が経つにつれて青白い輝きを増し、

美しく天球を飾ります。

 遠い未来の話ですが、遠い日の星空に想いを馳せて、

 夏の夜空を見上げて見て下さい。 \(^▽^)/

 

一等星「べガ」は、その名前より七夕伝説の「おりひめ星」

の名前の方が良く知られています。

この七夕伝説は、古代中国の伝説に出てくる

織女と牽牛の物語です。


夏の夜空では、天の川が空を西と東に分けています。

西側は天人の世界と呼ばれていて、天帝の娘だった織女

(おりひめ)は、子どもの頃から外には出ずに機織り

ばかりしている仕事熱心な娘でした。

おりひめの織った布はそれはそれはとても美しく、皆が

欲しがるのを見たおりひめはそれがうれしくて、

またせっせと機を織り続けるのでした。

しかし、化粧もしないで一日中機織りばかりしているので、

このまま嫁にも行けぬのではないかと心配した天帝は、

天の川の対岸で牛の世話を一生懸命にしていた働き者の

男・牽牛(けんぎゅう)と結婚させることにしました。


2人は結婚してからとても幸せな生活を送っていました。

ところがおりひめは、女性としての自分に気づいたのか、

牽牛との生活が楽しくてしかたなくなって、

それまであれだけ熱心にしていた機織りをまったく

しなくなってしまったのでした。

天帝のもとには、おりひめの紡いだ布を求めて遠くからも

お客様がやってきます。

しかし、おりひめの織った布はもうなくなって

しまいました。

 それを見かねた天帝は、たとえ2人が幸せな暮らしを

続けていても、仕事ができないようではいけないと、

2人を再び離すことにしてしまったのです。

しかし、一度引き合わせた2人を引き離すのはあまりにも

かわいそうだと考えた天帝は、年に一度だけ、

会う機会を与えることにしました。

 その日は、7月7日と決められました。

その日には、普段はわたることができない天の川に、

かささぎが群れを成して橋をかけてくれて、

その橋の上で2人はひととき会うことを許されたのです。

 この七夕伝説は、日本に伝えられたあと、お話しが

とても似ていた奄美地方に伝わる「天の羽衣」の伝説と

一緒になって、現在まで多くの人々に

語り継がれています。

 この伝説に出てくる「牽牛」は、ベガと天の川を

はさんで対岸にあるわし座のアルタイルです。

天の羽衣伝説では「ひこぼし」と呼ばれています。

 もし、今 あなたの大切な人と1年間会う事も話す事も

出来なかったとしたら、あなたはどうしますか・・・?


今なら 携帯やパソコンがあるから 世界中どこからでも

リアルタイムで連絡が取れるから

考えられないのではないでしょうか?


郷ひろみの「よろしく哀愁」の歌詞の様に

会えない時間が愛育てるのさ  

の様に新鮮かもね。\(^▽^)/

 

今日は七夕ですが、七夕といえば7月7日と

思われるかもしれません。

 しかし、昔から行われていた七夕は、月の動きを

 基準にした旧暦に基づいていました。

 これは伝統的七夕や、旧暦による七夕と呼ばれてます。

 旧暦は現在の暦よりも1ヶ月程度遅れます。

 また、旧暦は月の満ち欠けにより月日が決まるので、

 現在の暦に当てはめた旧暦の七夕の日付は

 毎年変わります。

 現在は太陽の動きを基準にした新暦(太陽暦)が

 用いられています。

 これに対して、新暦が誕生する明治6年まで使われて

 いたのが旧暦または太陰暦とよばれる暦です。

 旧暦では月の満ち欠けによって日付が決まります。

 つまり、新月となる日がその月の一日となります。

 新月の日を含め、新月から何日目にあたるかに

 よって、日付が決まるのです。

 ですから旧暦による7月7日は、新月から6日が

 経過していることになり、月齢は必ず6前後と

 なります。

 現在の暦で七夕とされる7月7日頃は、本州・四国・

 九州あたりだと、ちょうど梅雨の時期にあたります。

 このため天候に恵まれないことが多い上に、七夕の

 主役となる星たちの高度も低く、今ひとつ盛り上がり

 に欠けます。

 日本は七夕祭りは一年に3回あります。


 各地で七夕祭りが行なわれる日付を見ていると、

 3種類あることに気づきます。

 一つ目は今の暦の7月7日で、

 二つ目が旧暦の7月7日。

 (今年は8月28日です)

 そして三つめが8月7日に行なわれる、

 有名な仙台の七夕祭りなどはこれに当たります。

 仙台の七夕祭りのように、現在の太陽暦の日付の

 一ヶ月遅れでおこなう行事を「月遅れの行事」

 と言います。

 これは明治期に太陽暦への改暦が行われた時、

 新暦でお祭りをすると余りにも行事本来の季節と

 ズレてしまうことに対処するため、1ヶ月遅れで

 お祭りをすることにしたのが始まりです。

 旧暦の日付が新暦に対して平均で約1ヶ月遅れ

 となる事に着目したアイデアです。

 これだと、旧暦の日付と大きくズレないため、

 それぞれの行事が持つ本来の季節感との違和感が

 緩和されるのが利点と言えます。

 七夕祭りが3回あるのは、

 万が一 7月7日に雨が降っても、織姫と彦星は、

後2回デートのチャンスがあるので大丈夫です。