240.手のぬくもり | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

240.手のぬくもり

結局、約束の日には会えなかった。
彼のおじいさんが倒れて、彼は実家に逆戻り。
夜中まで「絶対行くから」と言い続けたものの、やっぱり抜けることは出来なくて、ゴールデンウィークに会うことになったのだ。


ゴールデンウィークを向かえ、間に合わなかった仕事に追われる彼から連絡が届く。
<仕事上がったけど、爺ちゃん少し心配やから病院よってから行く。21時には出れますか?>
その後も頻繁に連絡をくれた彼に、私は返事を返さなかった。
忙しかったわけでもないし、彼と話すのが嫌だったわけでもない。
行かないつもりもないし、準備は昼から進めてる。
彼を怒らせたかったわけでもないし、困らせたかったわけでもない。
今、何故返事をしないのかと聞かれたら私が困る。
できれば、そのまま迎えに来て欲しい。
今の感情は、誰にも悟られたくはない。
清いようで醜い私の感情。
消し去りたくはない、このまま彼に…。


20時彼から連絡がくる。
「もしもし?来る気ある?」
「え?!あるよ」
「何で返事しない」
「え、ん、どうせどんな返事したって来るんでしょ」
「私行きたくな~い、とか言われたら行き損やろ!」
「損なことあるわけないじゃん」
「来んかったら、ガソリン代請求するから」
「金か!お前は金か!」
「何で俺が迎えに行かなあかんねん、姫でもあるまいし」
「えーー、呼ばれたら行くよ~」
「どうだか!」
「呼んでくれたことなんて一度もないじゃん」
「…そうやったな」
「9時にくるんでしょ?もう大阪出た?」
「あぁ、もうお前の家の前にいるよ」
「はぁ?」
「返事くれんから勝手にきたんや」
「ほんと、いつもいつもいつもいつも勝手だよね」
「解ってるやん!俺、待たないから」
「9時って言ったのはそっちでしょ!今、ご飯作ってるからもうちょっと大人しく待ってて」
「待たんって!」
「帰りたきゃ帰ればいい。ゆうじはどんな時でも待っててくれるって信じてるもん」
「過信しすぎや!ホンマに待つの嫌やから」
「電話してたら遅くなるから切るね」
普通だった。
寂しかったなんて泣きべそもかかないし、会いたくないなんて駄々もこねない。
会いたくて、許せなくて、私はこのまま会いに行く。


家事を済ませ、玄関を出る。
家の前に見慣れた1台の車。
彼の車のタイヤばかりを見て近寄る。
初めてなんじゃないだろうか、助手席のドアの前に立つ私に彼は車内から助手席のドアを開けてくれた。

否、思い出せないだけ…ドキっとした。
ぎこちない笑顔を噛み砕き、笑顔を作ってみせた。
「久しぶり」
「そうだね」
私は車に乗り込みドアを閉める。
「何してた?」
「ご飯作ってた」
「今の今じゃなくて」
「別に…」
「何かしないとダメだぞ」
「う…ん、そうだね」
「体調の方は、どう?」
「元気。ゆうじは?お腹…痛いの?」
「う~ん、痛いっていうか、常に吐き気がする感じかな」
「病院いってるの?」
「いや、薬でなんとか」
「そか…」
「心配かけたな」
「別に…」
「入院中、いっぱいメールくれてたもんな」
「そうなっだかな…」
「ごめんな、返事してやれんくって。嬉しかったよ」
「別に…」
「何も言わんのな。言いたいことあったんじゃないの?」
「別に…」
「今日はいつにも増して無口や」
「そう?」
「腹減ったな!なんか食う?」
「うん、なんでもいい」
「聞いてないし!」
「とりあえず聞いてよ」

「お前からは食材しか出てこんからな!スパゲティ食べに行こうか」
「うん」
彼の顔が、どこか悩んでいるかのように見えた。
答えは用意されてあって、彼から漂うそれを虚勢に感じた。


国道沿いにあるパスタ店へ迷わず車を走らせた彼。
いつものように私のかばんに荷物を勝手に詰め込み、手ぶらで店内へと入って行く。
私は少し駆け足でそれを追う。
席が空くまでの間、入り口付近に置いてある椅子に腰かけ待つ。
壁際に並ぶ椅子5脚。
二人で全てを陣取った。
彼との間に椅子一つ。
その空席が二人の言葉をかき消していたに違いない。


席に案内され、メニューを広げ案内してくれたウェイターにその場で二人分をオーダーした彼は、何だか面倒な作業を片付けているかのように見えた。
開くこともなかった私に渡されたメニューも、すばやく回収しウェイターに手渡す。
その場を去ろうとするウェイターに何も言わせはしまいと、彼は私に話し始めた。
「せのり、何でも聞いて欲しい」
「え?!」
「聞きたかったこと、確かめたかったこと、知りたかったこと、この場で全て答えようと思う」
「何で?」
「何で…って…」
「何もないよ」
「嘘つけ!俺はお前に言わなかったことが沢山ある」
「じゃ、自分から話せばいいんじゃない?」
「そうだよな…」
「私は、何もない」
「それは聞きたくないってことか?」
「……多分、もう聞いたと思う」
「言ってないだろ!」
「……だから、来たんだもん」
「自己処理したってことか?」
「あはは、そう思う?」
「そうだろう?だって」
「ウチが思ってる事とゆうじが思ってることはやっぱり違うのかな?」
「……聞かなくていいんだな」
「何、その間」
「あとからグダグダ言われても知らんからな」
「そりゃ言うよ!不安になったらグダグダ言うさ」
「知らん!」
「んじゃ、聞いとこうかな…」
「何や?」
「やっぱり、いぃ~」
「何やねん!何かそういうの俺好かん」
「だったらもうシカトしないで」
「あぁ、悪かった」
「もう、気持ち整理できたんでしょ」
「あぁ、心に決めたことはある」
「そう、だったらそれでいい。話してくれるの待ってる」
「俺に期待してんの?」
「期待?!」
「期待!」
「ふふふ。期待…してるよ」
「そっか」
彼の笑みがどういう意味だったのかよく解らなかった。
スパゲティが運ばれてきて、他愛のない話をして、1人前も食べられなかった彼を見て、珍しく私は自分の皿を平らげた。
「お腹すいてたんか?」
「ゆうじもいっぱい食べれるようになるといいね」


店を出て、街を歩き、映画を見た。
彼と歩く街が思い出に見えるのは何故かな…。
思い出には早すぎて、私は急いで払いのける。
彼の背中が幻のよう。


「せのり」
振り返り立ち止まる彼に追いつけなくて足を止めた。
「どうした?疲れたか?」
「へへっ」
「手、繋ごう」
彼が笑顔で手を差し伸べる。
「うん」
私はゆっくり歩をすすめ、彼の手に手を重ねた。
しばらく重ね合わせた手を握ることはできなくて、彼は何を思ったのだろうか、彼もまた重なった私の手を指でそっと何度も撫でていた。
そっと彼の手を握ってみる、少しずつ力を加え。
手から彼に何かを分け与えるかのように。
握り返された手に包まれているそれを私は愛だとその時信じた。
「あったかいな」
「そだね」


0時を過ぎて彼が駐車場に足を運んでいるのに気づいて寂しくなった。
何も聞かなかった自分が悪いのだけれど、信じ切れない自分が悪いのだけれど、もう二度と会えないような感覚に襲われた。
自己処理…そうかもしれない。
私は一体何をしに来たんだろうか。
コツコツン…コツコツン…二人の足音だけが駐車場に響いていて、不思議にその音に安らいだ。
二人ということに…なのかな。
彼の足音を聞き終わらない内に、私は1歩を踏み出す。
もう離れはしない、何て考えながら。
彼の足音が聞こえなくなって、私は出しそびれた足をそっとその場に置き直す。
誰もいない静かな駐車場には、そっと置いたはずの私の足音だけが「コツン」と響いた。
「ゆうじ?」
少し斜め後ろから彼の横顔を伺う。
彼が少し震えてた。
彼が鼻をすする音が響く。
泣いてるの?
彼は少し上を向いていて、私には彼の表情が解らなかった。
「ゆうじ?」
彼は呼びかける私をぐっと引き寄せ抱きしめた。
身長差のある彼の胸にすっぽり埋まる筈の私に抱きついた彼が小さく思えた。
私の首筋に顔をうずめる彼。
「ゆうじ?」
そっと彼の腰に手を回す。
顔をうずめる彼の頭を撫でてみる。
強く抱きしめたら、彼が壊れそうだった。
そんなもろく崩れ落ちそうな彼は、力いっぱい私を抱きしめていた。
「会いたかった」
少し力を緩めた彼と向き合う為、そっと離れようとしてみる。
「このままで…」
「う…うん…」
「ごめんな、せのり」
「うん」
「ずっと苦しめてきたよな…」
「うぅん」
「俺にはお前が必要だから…」
「うん…うん…」
「泣いたらあかんで」
「泣かないよ」
「俺、お前が好きだから…」
「うん」
「本当に何も聞かないの?」
「十分だよ…」
彼はまた私を強く強く抱きしめた。
「もう少し、待っていればいいんでしょ」
しばらく彼は何も言わず私を抱きしめていた。
彼の大きな体を包み込んではあげられなくて、彼に口づけをした。


彼の車で人気のない国道を走る。
今夜はこのままお別れ。
無言の時にもう一つだけ言葉が欲しかった。
このまま別れたら、まだダメになってしまいそうで…。
「せのりの部屋ってどんなの?」
「入れてあげないよ」
「解ってるよ!」
「本当に解ってんのかな~、何度も何度も聞いてきてさ」
「俺も一緒だし」
「え?!」
「で、どんなの?」
「うんと、部屋の色がベージュで机とか鏡台とか固い家具はクリームっぽい白で、お布団とかクッションとか柔らかい物はオリーブグリーンって感じ」
「結構統一感あるねんな」
「意外?!」
「田舎娘やからな」
「どういう意味よ!」
「俺の部屋、興味ある?」
「生活感なさそう」
「はぁ?バリバリ漂ってるよ」
「何か噴水とかありそうじゃん」
「それは、お前の好きなガクトやろ」
「あなたってそういうイメージよ」
「理想?それ」
「な、わけないじゃん!水道代かかるから止めな!」
「何であること前提?!」
「あはは、でも拘ったりしてるんでしょ」
「実家ではな!今はそれどころじゃないし」
「ふ~ん」
「全く興味なし!と」
「いや、そういうわけじゃないけど…」
「解ってるよ、リアクションとられへんだけ」
「ま、まぁ…」
「興味があるのは部屋じゃなくてあなただから~」
「何それ?」
「お前が言いそうじゃん」
「バカにしてんの?!」
「今度、俺ん家来るか?」
「え?!」
「来る?」
「な、何で?!」
「何でって。そろそろ来てもいいんじゃねぇ?」
「そろそろ…ねぇ…」
「まだ、か…」
「何…が?!」
「まだ、お前に言えてないことあるしな。それから…だろ?!」
「…で、ゆうじの部屋ってどんななのよ」
「来てからのお楽しみでいいんじゃない」
「意地悪だね」
「今度の休みは、お前が会いに来いよ」
「うん!行く」
「迷子になんなよ」
「迎えにきてくれるんでしょ」
「やっぱ、そうなるわな」


家族が寝静まった家の前に車が止まる。
彼はエンジンを切りサイドブレーキを握っていた手を私の頭にのせた。
彼の愛情を感じ、彼の戸惑いを感じる。
彼の悩みは私の胸をも痛めさせる。
今は聞けない彼の気持ち。
彼は心に決まったものがあるといった。
出た答えを覆そうとするものは一体何?
無言で彼は私の髪を撫でる。
「今度、ウチん家にも来てね」
「えぇんか?」
「ゆうじの為にご飯も作るよ」
「ハンバーグがいいな」
「本当に、来たいって思う?」
「正装してくればいいか?」
「何それ?!」
「お前が家に呼ぶって、それくらいって事だろ?」
「パパに紹介できる人…」
「そうだな…楽しみにしてるよ」
「うん!帰るね」
「あぁ、今度のデートはゆっくりしような」
「いっぱいメールしてね」
「あぁ、いっぱい話そう」
「忙しかったらいいけど…」
「できるだけするよ」
「やっぱりダメ!ゆうじ倒れるから」
「気をつけるようにする」
「またね…」
「あぁ、またな」
「大好き」
「俺も好きだよ」
彼が見えなくなるまで見送った。


「幸せ…」
呟いてみた。
言葉にしたら口から逃げていっちゃいそうで、思った程声はでなかった。
守らないと壊れそうな幸せが胸にあって、しばらく動けなかった。


ねぇ、私なんで彼女になれないの?
今更、見えなくなった彼に聞いてみる。
たかが25年しか生きていない私には、感じ取った愛情が何なのかわからない。
ホッとした。
心地よかった。
ここに立っているのが不思議。
もう二度とその手を離さない。
あたたかかったから…。


真っ暗な家の玄関を開ける。
後ろをそっと振り向いてみる。
彼がそこに居るのを想像した。
涙が溢れた。



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