228.今言える好き | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

228.今言える好き

店を出ると、静かだった。
遠くからストリートミュージシャンの歌声が微かに響いてきている。
大阪の街を広く感じた。
私は広い空間が嫌いだ。
手の届かないこと、駆け寄ることのできないこと、導きがないこと、目に映るもののまやかし…。
その広さは足をすくませる。
たった1歩は、どれほど大きい物なのか計り知れない。
1歩を踏み出し、振り返れば別の世界。
乾いた空気は、街をハリボテに変える。
何処までも何処までも、作られた街。
風が吹けば、飛ばされてしまいそうな…。
建物があるから、彼との距離が測れる。
誰もいない通り。
等間隔で並ぶ柱。
彼との距離は柱1本分。
その距離は遠いのか近いのか…。
「なぁ?」
彼が歩きながら話しかけてくる。
姿なきストリートミュージシャンの歌声と、声の大きさは変わらない。
「何?」
距離感覚を失った私は、大きな声で返事をする。
私の声は、ビルに跳ね返り膨張した。
「何でバレンタインはチョコ?」
彼は足を止め振り返り、私を待ちながらそう言う。
「決まってるから」
そう言う間に、彼へと追いついた。
「誰が決めたの?」
彼はまた歩き始め、私の歩幅に合わせる。
「誰でもいいじゃん」
「何でチョコがほしいですか?って聞かんの?」
「聞いて欲しいわけ?」
「聞かれたら違うもん答えるけどな」
「答えられてもチョコしかあげへんよ!」
「何で?」
「チョコって決まってるから」
「何で…」
「それ以上言うな!ループする!!」
「でもさ、わざわざ義理チョコとかいらんよな」
「沢山もらったんだ」
「保険屋のおばちゃんとか、取引先のおばちゃんとか」
「おばちゃんキラーやな!」
「若い子なんかそもそもおらんし」
「ほんまに義理かな~?狙われてるかもよ」
「ちゃんと保険の宣伝していったから…」
「あはは、家にもあったよ、包装紙に保険屋のロゴ貼ってあるやつ」
「お前はさ、何で今日?」
「バレンタインだから」
「それって違うくない?」
「好きだから…なんじゃない?」
「何で、今日が初なん?」
「ん?」
「俺にくれたことあったっけ?」
「バーの店長さんに渡しといてくださいって」
「俺に?!」
「店に」
「じゃ、俺じゃないじゃん」
「食べてないの?」
「食べてよかったん?」
「えーーー!ちゃんと皆の分…」
「あれ、店長一人で食べてたわ。一人分にしちゃ量多いなと思っててんな」
「ちょっとショック…」
「店、好きやったん?」
「ありがとうって気持ち」
「何でありがとうでチョコあげるん?」
「知らんよ!そんなもん!ウザいよ!」
「ウザい言うな」
「うっとおしいよ」
「いや…言葉遣いじゃなくて…」
「ただの切っ掛けだよ…バレンタインを利用してるだけ」
「利用ね…」
「伝えられないことチョコに皆隠してるんだよ」
「お前は?」
「あの頃も好きだったよ」
「何で、今なん?渡してくれれば良かったのに」
「よくその口で言うよ!絶対認めたくなかったし」
「好きなこと?」
「そう!」
「今はいいんや」
「大好きだから…」
「ふ~ん、で、今日渡しに来たんや」
「そうなのかもね…」
「気持ちは言わな解らんよ」
「そうやね」
「チョコ頂戴」
駅目前にして、彼が足を止めた。
「いるの?」
「ここまで引っ張っといて、くれへんねんや」
「引っ張ったのウチじゃないし!酔っ払ってるあなたが悪い」
「チョコ頂戴!当然、手作りやんな」
「…どうしようかな」
「いや、チョコが欲しくないわけじゃないよ」
「別に他のもんが欲しいって言われたからじゃないし」
「何?!」
チョコに託した想いとは違うから…。
「はい」
借りたCD返すみたいに手渡した。
「はい、じゃないや~ん」
「大好きです」
「ありがとう、俺も好きやで」
なんとなく、昔と変わらないような気がした。
ただ、私が好きだと言えるようになっただけ。
手渡すことができただけ。
だけど、遠い。
この手と手の間にはどれくらいの距離があるんだろうか。
目に見えるまやかしが、距離感を失う。
近いようなそんな気になる。
「あっそ」
「あっそって!!」
「嘘つき」
「嘘じゃないよ」
「きっと、酔っ払いは明日になったら忘れてる」
「今は酔ってないから」
忘れてくれても構わない。
気持ちは言わなきゃ解らないから。
また、そういう日がやってくる。
今は言えない伝えられない想いを伝えられる日が…。


彼は鞄を開けて、チョコをしまおうとしている。
とてもぎこちない。
「ねぇ、食べてよ」
「今?!ここで!?」
「そう」
「家、帰ってから食べるよ」
「ゴミ箱にポイされたら嫌だもん」
「しないって!」
「そんなの解らないじゃん」
「俺、酒飲んでるし、楽しみは後にとっとく」
「やっぱ酔ってんじゃん」
「いや、酔ってないけど、味わかんないかも…」
「食べて!」
「解った解った」
彼は鞄にしまうだけでもぎこちなかったのに、リボンでラッピングされたチョコの箱を開け始める。
「ちょっと!鞄もって」
「うん」
「リボンもって」
「うん」
「はい、紙」
「うん」
「おぃ!丸めるなよ」
「ゴミでしょ?!」
「そやけど…」
「こういうのとっとく人?!」
「いや、時間経てば捨てるけど、人にゴミにされるのは…ねぇ」
「ごめん、ごめん」
彼はチョコを一つ摘み口に運んだ。
「これほんまにお前作ったん?!」
「そだよ」
「口どけってやつやん!こういうチョコって作れんねや!バリボリのやつかと思った。うまいよ」
そう言うと、彼は箱に蓋をしようとした。
「ほんまに、思ってる?!」
「あぁ、店に売ってるやつみたいや」
そう言うと、完全に蓋をした。
「何で、ふたする!」
「全部食えって?!」
「まずかったんだーーー!お家でポイなんだーーー!」
「いや、マジでうまかった。家で楽しませてくれよ」
「ふ~ん、あっそ」
彼は、私から包装紙を受け取り、しわを伸ばし、リボンをかけた。
バレンタインチョコ 「・・・こんなんやったっけ?」
「何が?」
「ラッピング」
「そこまでこだわってないし!」
「そか!」
「変な人」
「こういうのは照れるからな。ありがとな」
「うん」


一瞬の間。
一気に照れくさくなる。
「もうすぐバイバイやな」
「だね」
「今日、来てくれてありがとうな」
「うん」
「今日はチュウしてくれへんの?」
「外じゃん」
「誰もおらんやん」
「そう思うのは本人だけやって。どっかからは丸見えなんやって!」
「別に見られてたってえぇやん」
「やだよ~」
「てか、この辺に知り合いが多いのは俺やねんけどな」
「会社の人見てるかもよ」
「かもな!」

「かもなって…」

「何?」

「なんもないよ!鈍感!」
「お前こそ、鈍感やん」
「何で?!」
「俺の格好とか気にせんわけ?」
「ん?」
「俺、お前にスーツ見せたことあったっけ?」
「ない」
「会った時、リアクション薄っ!ってか、ねぇ!って思ったしな」
「あぁ、好きな女性は多いみたいだね」
「お前は?」
「特に…」
「あっそ、別にえぇけど!ほら!抱きつけよ」
彼は両手を広げて身構える。
「やだ!」
「んじゃ、コート広げて隠したるから」
そう言うと、彼はコートを広げ私を包み込んだ。
「あったっけぇ~な」
「うん」
「お前、ほんまに小さいよな!スッポリ」
「ムカつく」
「痛い!抱きつきすぎ」
「抱きついてない!絞ってんの」
「このまま持ってかえれそうや」
「持ってかえる?」
「えぇんか?」
「だめ!明日もご飯つくらなあかんから」
「あはは、そやな!家族が待ってるもんな」
「今、必要としてくれてるのは、家族だから…」
そう言うと彼は強く私を抱きしめた。
そして、力強く私の腕を引き、私を柱に押し付ける。
驚き彼の顔を見ると、彼は抱きしめながらキスをした。
長く、熱く、やさしいキス。
唇が離れ、やっとの呼吸が幸せをもたらす。
涙がでそうだった。
ぼーっと、放心する。
「ごめん、ちょっと乱暴すぎたかも…」
大きく首を横にふる。
そっと唇をなでる。
「拭くなよ!」
「・・・なめすぎ」
と、言うより確かに拭いた。
「ゆうじ、口紅ついてるよ」
「うそ!?」
「ほんと、さっき口紅つけなおしたばっかだもん」
「とって!」
「自分で拭きな!」
「外では、せのりさんは冷たいねー」
「恥ずかしいでしょ」
「考え方とか人並み外れてるけど、そういうとこ常識人よな」
「別に…嫌じゃないけど恥ずかしいだけ」
「短い時間しかないからもっとひっついてたいのにな」
「また、今度ね…。2月休みとれそう?」
「うーん、頑張るよ。近いうち…」
「そっか」
「そろそろ、最終じゃないか?」
「うん、もう来るね」
「駅、解るか?中央そこにあるから」
「中央?御堂筋口がいい」
「入るとこ違っても一緒やから」
「入ってどっち?」
「入って…右…いや左かな?」
「ちょっと~そんなんじゃ迷子になる!」
「あぁもぅ!送ればえぇんやろ」
そう言うと、私の手をとり彼は駅へと急いだ。


改札入り口で足を止める。
電光掲示板を眺める彼。
「俺もこっから乗るのは初めてや」
彼はぐるっと辺りを見回す。
「俺はあと10分か。お前!あと3分やん!急げ」
「来てくれないんや」
「ホームまで付き合えって?!」
私は彼へ笑顔で返事をする。
「あぁもう!俺に見送りさせるなんて何様やねん」
そう言うと手を引き、滋賀へと向かうホームへと急ぐ。
「思ったより早くついたな」
「せかせかしてるの、ゆうじだけだよ」
「お前はもう少し危機感感じろよ」
「せかせかして良いことないよ」
「15分前行動当たり前!」
「15分も前に着たら、前の電車に乗れちゃうよ!」
「それもそうやな」
「あ、電車来た」
「電車って、なんか別れる寂しさ増すよな」
「だから、泣いて走りながら追いかけるんじゃない」
「古いな~」
「ゆうじもするんでしょ」
「せんし!」
「やってもえぇよ」
「許可出すのは俺のほうやから!」
「ケチ」
「ケチの判断じゃない」
「じゃね」
「あぁ、気をつけて帰れよ」
「うん、またね」
「帰ったら必ず連絡しろ」
「遅くなるから、先寝なよ」
「心配で眠れん」
「解った、じゃね」
「またな」


電車は動きだし、窓から彼を探すけれど、ゴチャゴチャとした見通しの悪いホームで彼を見つけることはできなかった。
ひざの上で、携帯のバイブレーターが振動している。
携帯を取り出し、確認する。
<今日はありがとう。酒飲んでてほんまごめん。俺はせのりが大好きやで。お前の満足できる好きをなかなかあげれなくてごめん。ありがとう>
嘘つき…そう思ったけれど、嬉しくて堪らなかった。
本当のことしか言わない嘘つきは質が悪い。
今、彼がどんな気持ちで二股してるのかなんて解らない。
彼が言う言葉をすべて本当の気持ちだと思う。
だけど、それだけがすべてじゃない。
聞かされない話にはきっと心痛めることがある。
なのに、なのに、彼が与えてくれる言葉を嬉しいと思えてしまう。
目に見えるものだけの幸せは、時にハリボテのようだ。
薄っぺらいハリボテを、春の風が吹き飛ばしてしまうかもしれない。

私も、彼には言えないでいる想いがある。


今、言える好きは、確かに幸せだった。



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