188.介護 | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

188.介護

家の中の空気が変わり始めている。
私のアンテナがそれをキャッチする。
守りたいものが歪み始めている。


私の仕事は夕方から始まる、いつものことだ。
昼間のあれこれは祖父がやってくれている。
祖母も手伝い程度にはやるのだけれど、足腰が弱く一日中ソファーに座っていることの方が多い。
祖父の父にあたる私の曽祖父は、今年で99歳になった。
祖父母と共に介護も生活の一部となっている。
私の介護時間は夕方からで、祖父母とバトンタッチする形で毎日を過ごしているのだ。


福祉の勉強をしているとはいえ、介護については殆ど無知である。
何故、学ぼうとしないのかはよく解からない。
詳しく知りたくない事の方が多いのかもしれない。
介護レベルが4だという曽祖父の事をあまり知りたくないのかもしれない。
知ってしまったら、お世話できなくなるようなそんな気がしているのだ。
私は在宅介護を望んでいる。


曽祖父は、1日の半分以上をベッドで寝て過ごしている。
部屋を覗きに行くと、偶にコタツに入ってテレビを見ている。
だけど、テレビの音が出ていないしコタツの電源も入っていなかったりと世話がやけるのだ。
ボケているようでそうでもなかったりする。
好みの番組は偏っていて、一応見たいという意思はあるようなのだ。
音が聞こえない事に違和感を感じないところがおかしくて堪らない。
「お爺さん、音出てへんよ」
「え?!」
「音が、出て、ないよ」
「あぁ、そうか。音出してくれ」
「もぅ~、これ、見たいの?」
「美空ひばりは、えぇ声や」
「聞こえてんの?」
「聞こえとらん!あはははは」
こうやって曽祖父と噛み合わない会話をするのが結構楽しいのだ。


曽祖父は、一応パンツ型オムツを履いている。
トイレには自ら歩いて行くのだけれど、間に合わないことの方が多いのだ。
本人もオムツでする事を嫌がっているようだ。
部屋に即席トイレをおいたのだけど、それも嫌がった。
家のトイレですることに何らかの意味が本人にはあるらしい。
だから、廊下が糞尿まみれになろうが、トイレまで歩いてもらう。
トイレに着いて、もう出切った後であってもトイレに立つ。
漏らした事を本人は気付いていない。
そしてトイレの前で「出んわ」と一言。
廊下が綺麗になるまで、バケツ3杯分も出しておいて「出んわ」と言われると、もう笑うしかない。


曽祖父は、一応一人で食事ができる。
が、一人では食べてくれないので、お手伝いが必要なのである。
だから、曽祖父の食事だけは少し早い。
口に入る時は、殆どの料理がみじん切り状態だ。
だけど、みじん切り状態の料理を出しても食べてくれない。
人間、食事は見た目も大切ということだ。
なので、食事を出す時には皆が食べるものと同じ状態で出す。
「今日は大根の煮つけか?」
「そうやで」
曽祖父が確認すると、私がその場で切り裂きみじん切り状態へと変える。
「食べやすくしてくれてるんか?」
「そうやで、こうしたら食べれるやろ?」
この会話がないと食べてくれない。
そして質の悪いことに、ステーキとかトンカツとかハイカラなものが大好きだったりする。
とっても世話がやけるのだ。


曽祖父は、夜歩き回る事が多い。
何かを探していたり、何かから逃げたり、夢の続きを見ているのかなと思う事が多い。
落ち着かせて話を聞くとどうやら、記憶が過去に戻っているようなのだ。
ここで登場するのが常備してあるアルバム。
写真を見せて時が流れていることを確認させる。
そして、子供を寝かしつけるように目を閉じるまで側にいるのだ。
これが毎夜続くと、少し辛いなと感じる事がある。


介護レベルが上がるにつれて、曽祖父が家に居る事が少なくなった。
家族の健康状態も危ぶまれがちである事が原因だ。
ケアマネージャが何度も家に訪れ、ケアプランを組みなおしたりして、毎日が過ぎる。
「私は大丈夫だから、お爺さん家に戻そうよ」
そう何度も言ったけれど、無理をしてはいけないと言われた。
ケアマネージャがつける日誌に目を通すと、「食事をしないので点滴に変えた」や「ボーっとしていて何も話さない」などと記されている。
施設への不満は溜まる一方だった。
一人一人に合った介護などきっと望めないのだ。
快適に暮らすことよりも、介護を受けるすべての人の基準を満たすことが重要のように思える。
きっと、介護の知識が増えてしまえば私もきっとそうなるのだろうと思う。
最善の処置を行うことを正しいと思うだろう。
概念などあってないようなものだと、家族側は思うのだ。


施設から帰宅した曽祖父の言動はいつもおかしかった。
いつもは自分の部屋にこもっている曽祖父だけど、昔のように居間へ顔を出すようになる。
話すことはいつも過去だ。
家族はそんな言動を痴呆だと言うけれど、私は曽祖父も団欒というものを好むのだと考えていた。
意味不明で話は通じないけれど、噛み合わない会話であっても相づち程度の会話でもきっと楽しいと思うのだ。
私が楽しいと思えるのだから。
ケアマネージャがつける日誌とは正反対の曽祖父を見てやっぱり家に居た方がいいと思える。


曽祖父が笑顔になれるのは、家で過ごす事なのだと信じて疑わなかった。
だけど、施設でボーっと生きるだけの曽祖父を見て、それ以上に大切なものがそこにはあるのだと言い聞かせた。
言い聞かせるだけでやっぱりそんな大切な何かを、介護福祉を学ぼうと思えない自分がいる。


一本の電話で家の空気が変わった。
空気の流れを確かめることなく、その日を過ごす。
慌しさ、静寂、繰り返される空気の流れが居心地を悪くする。
祖父の弟さんが家を訪れる。
騒ぐ胸を落ち着かせ、そっとそんな家族の動きを眺めるのだ。
日付がもう直ぐ変わろうとしているのに、家に戻らぬ祖父母。
そしてまた電話が鳴る。
「今夜が峠らしい。家の事は頼んだよ。それからお爺さんの写真見といてくれるか」
祖母からの連絡だった。



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