187.記念日 | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

187.記念日

数日、忙しいと言っていった彼の連絡は増して少なかった。
だけど理由があると安心する。
眠りについた後に届く「おやすみ」のメールを朝見ることに少しだけ嬉しさを感じたりする。
たった一言だけど。


そんな数日後の夜、珍しくメールで絡んでくる彼。
<せのり、何してる?>
<うんと、ケミ聞いてる>
<何で?>
<何でって、好きだから>
<堂珍好きなん?>
<好き♪>
<ふぅん…俺とどっちが好き?>
<比べるもんじゃないじゃん。じゃぁあなたは誰が好きなの?ってちょっと意地悪だったかしら?!>
<自分が好き。意地悪には意地悪で!>
<ま、嘘じゃないから許す。ねぇ、ゆうじ、初めてチューした日覚えてる?>
私が急にそんな事を聞いたのは、数時間前に見たテレビの影響だ。


『記憶の力』という番組だった。
私は嫌な事や過去の恋愛など、必要ではないと判断した記憶を抹消する癖がある。
人並み以上に抹消スピードは速い。

精神的なものらしく医師も心配する程度のものではないと言う。
既に学生時代以降の記憶は殆どない。
そして、今を記憶することにかけては人並み以上かもしれない。
記憶スペースの余地がかなりあると思われる。
私の記憶は彼一色だ。
そんな自分を異質だと思う事もあり、とても興味深い番組だった。
記憶力というものがどんなものなのかと。
【女は強い感情を伴って記憶する。だから記念日を覚えている】と言っていた。
私の場合、記念日は殆ど覚えていない。
だから、日記をつけるのかもしれない。
消えゆく記憶を忘れない為に。
ただ、強い感情を伴って記憶するというのは半ば正解だ、私も普通だということ。
日付を忘れてしまっても、彼との事だけは忘れない。
だから、同じ日に起こった出来事を別のものとして記憶する事がよくある。
それについても色々と記憶というものにふれていたけれど、忘れてしまった。
そう必要だと思うものしか記憶しない。
記念日、私たちに記念日ってあるのだろうか。
私がこの時強く思った感情。


<結構前やな…湖岸通りの駐車場で、せのりが寝かけてた時に、ふいに俺がしたんじゃなかったっけ?>参照

意外な答えが返ってきた。
私はきっと6月に再会した時と答えるだろうと思っていた(参照 )。
忘れていたわけじゃない。
覚えているけれど、あれは、私たちの手で消し去った過去じゃないか…。
彼が何もしていないと嘘をついた。
否、私が嘘をつかせた(参照 )。
<そうやっけ?そんな昔に私寝込み教われてたん?>
私は、嘘をつきとおした。
私たちの嘘じゃないか…。
<ふ~ん、覚えてないんや>
<きっと寝かけじゃなくて寝てたんだよ>
<知らない!せのりのバカ!>
そう言われて、ちょっとだけ傷ついた。
後悔というのだろうか。
あの時、嘘をつかなければ、あの頃に傷つくこともなかったし、今こうしてその嘘で傷つくこともなかった。
男女の検証をするつもりが、とんだ誤算だ。


そして、『記憶の力』という番組で、【数分前の記憶が消えてしまう少年が、彼女が欲しい】というものを思い出した。
記憶できない少年は人を愛せないのだろうか。
「あなた誰?」そうなってしまう少年の恋愛か…。
もしも、彼が数分前の事を忘れてしまうとしたら、私は理解できるだろうか。
愛したことを忘れてしまうとしたら理解できるだろうか。
彼とはまだ思い出を語るほど長くは居ない。
まだまだ未来ばかりを見ている。
思い出にはまだ早く、過去を確かめ合ったことはまだそうなかった。
番組で、少年は今欲しいものを記憶力だと言った。
愛する人を忘れない事か…。
忘れてしまうって事は、相手にとっても自身にとっても辛いことだと思う。
この少年を見て、素直な気持ちを表すには抵抗を感じるが、辛いと思う、お互いにだ。
だけど、記憶が人並みだったとしても、お互い記憶したものは違う。
違うものとして思い出に変わる。
それもまた辛いことかもしれない。
同じ様に記憶することは難しいことだけど、私もそんな記憶力が欲しいと思う。


<んじゃ、私があの頃に告白したの覚えてる?>
<え?!あれ、冗談じゃなかったん?あれ、そうなん?>


彼はキスした日を覚えていた。
私はキスした日を消し去った。
私は告白した日を覚えていた。
彼は告白した日を消し去った。


彼との記念日はとても曖昧だ。
お互いが初めてを消し去って、思い出せないでいる。
私たちの初めてはとてもとても遠い過去。
告白したのも、キスをしたのも、デートしたのも何年も前の話。
恋愛を始めるもっともっと昔の話。
一度失った記憶。


今日そんな二人の曖昧な記念日を思い出す。
思い出したい不確かな思い出たち。
一体私たちの記念日はいつなんだろうか。
何処からカウントすればいい?
私たちは始まっているのだろうか。
噛み合わない二人の記憶に、記念日が欲しいと思った。
そして、これからも全部、記憶してゆきたいと思った。
二度と消し去ることのない、確かなものを。



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