共依存 その2 母と私の共依存 | 大阪 泉南市 心理セラピスト 古田しほ

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生き辛さで悩んでいる人 パニックを抱えている人
死にたい、消えてしまいたいと時々ふと思う人 
漠然と生まれて来てごめんなさいと思う人
何度も何度もセラピーやヒーリングを受けてみたけれど
人に対する怖さがなくならい そんな方の悩みを解決

みなさんこんにちは、


チャネリングも出来る心理セラピスト
ふるしほです。



今朝から娘の幼稚園も
保育が午後までになり、
ひと月ぶりのお弁当作りでした。


お弁当はやっぱり作るのは苦手ですが
毎回空っぽになって返ってくるお弁当に


家では食べないのに。。。
どうやって食べてるんだろうと。。。。
不思議でたまらない私。




私は中学校の頃から働いている間
ずーーーーっと
母にお弁当を作ってもらいました


中学校の時、
母のお弁当が嫌いで溜まらなかった。
何種類ものおかずとご飯の
お弁当に憧れていました。


母のお弁当はいつも、
卵焼きと、おじゃこか、キュウリ
後一品。


乙女真っ盛りの私には、


なんやねん。この弁当。。。


と思いつつ、
母には言えず。
毎日お弁当を隠して、食べていました。


そんなある日、
卵を毎日食べていて、
ふと気がつくと、
手アレが日に日にひどくなり。
カサカサ、ひび割れ。状態。


卵ばっかりだからだ。


もう卵焼きはいや!!!


我慢の限界で、
台所にいる母親に
キレました!!!!!!!


私は信じられない体験しました。


母は、
「黙れ、それ以上しゃべると刺すぞ!」
包丁を突きつけて来ました。


迷惑かけない様に
母親の邪魔にならないように生きて来た私


それまで、親子喧嘩はありましたが、
この日だけは、
母との何かが崩れたように感じました。


この人は、怒ると本気だ。
そう思った瞬間でした。


それ以来
母の作るお弁当に文句は言わなくなりました。



子ども頃の私は、
欲しいものを欲しいとは言えずにいました。


学校で必要な物も
なかなか買って欲しいとは言えませんでした。


それは、多分
見捨てられ不安があったから


欲しいものに対して駄々をこねて
閉め出された事件
※参照 見捨てないで!!私の子ども時代より


子どもにとっては、
母親に見捨てられるというのは
何よりもの恐怖です。


その母に見捨てられない様に
常に母の顔色をみて
怒られない様に
怒らさない様に


近づかない様にしていました。


私のこの行動でお母さんは喜んでくれるのか
私がこれをやったらお母さんが怒るのか
怒られるのが恐いからやめておこう。。。。



こうやって
自分がやりたい事があるのに、
状況とか、環境とか、人の目とか
必要以上に意識する事で

自分の行動や思考を変える事を
他人軸といいます。



出来ない自分を隠して、
お母さんの前では、
出来る子どもになれるように

常に母親の目を気にして

母親の気に入る答えを言ってみたり
母親の気に入る行動をするようになりました。



お母さんにどうやったら愛されるか


もしかしたら、頭の中はそればっかりだったのかもしれない。


お母さんが私を愛せないのは、
私が悪いからだ
私がダメだからだ


そう思って、
自分のダメなところを隠して
生きていました。


父の前と母の前の私は
まったく違う子どもだったかもしれません。


出来る事を隠して
出来ない事を隠して。


そうして、私はどんどん不安定になっていき


もう、全てが嘘の世界にいるかのように
本当の自分
ありのままの自分なんてないような感覚


自分の人生を生きている。
という感覚もなくなくなっていたのかもしれません。


自分の考えや感覚よりも
他人の答えや感覚の方が正しい。
私は間違えている。

他人軸がどんどん強くなっていました。




心理セラピーで
母親と向き合いました。


最初に出て来た
未完了の感情は怒りでした。


生まれた時、もっと愛してくれたよかったのに。
病院に来てよ!(来いよ!)
私が何してん!!!!



そんな怒りの後悲しみが沸き上がりました。

なんで、いつも私を守ってくれへんかったん。
守ってくれてもよかったやん。
ずっと守ってくれるの待ってのに。


体の声を沢山聞く事をしました。
私はそんな風に思っていたんだ。


それは、私自身気がついていない言葉ばかりでした。


気がついていない
のではなく
気がついていないフリをしていた言葉
というのが正しいかもしれません。


未完了の感情は
自分でも信じられなくほど沢山ありました。



私は、母と共依存とは思っていなかったのです。


私と母の心理的距離はどれくらい?
と訪ねられた時



3キロ先で背中を向けている。


そんな先にいる人と共依存の関係にあるとは
思いもしなかった。


依存している
という感覚もなかったのですから、



でも
まさに共依存でした。


母に認められ、母から愛される事を期待していた私
私から認められ、私から愛される事を期待していた母
お互いが奪い合っていた愛


もっと私をわかってよ!とお互いやりあっていたんです。



心理セラピーを通して


母は母なんだと、
私がどんなにいい子でもどんな子でも

母は人を愛する事が恐いから
愛さない様にしているだけ、


それは、私に何か問題があって、
母が私を愛せないのではなく、


母の問題で
母は私を愛せないのだ。


そう思うと、自然と母の価値観を認める事が
できるようになりました。


母は、母
私は、私
二人は別々の人間だ


私は、母の問題を解決しようと奮闘していたんだなと
思いました。


子どもの頃は、もしかするとそれでよかったのかもしれません。
二人の顔色をみてるだけでよかったのです。


幼い頃の家庭の問題は、
その後に人間関係の問題ととして表面化する
と言われています。


その一人一人の顔色を見て
全員に気に入られる様に
するのはとても難しいです。


その一人一人の評価で生きる事は
いつしか
生き辛さとなって、日常生活に大きなストレスを感じる様になります。


私も母との問題、父との問題で

人の顔色をきにして
成功する事に恐れて
人の評価をきにして

嫌われる事を恐れて生きていました。

自分軸で生きると決めた頃

必要以上に人の目を気にしたり

人が少しくらい反対しても

自分のやりたい事の恐さ
がなくなりました。


現在の私は何も問題があるわけではないです。


ですが、
自分の体の声をきけば
解決する問題がある。


それを教えてくれたのが心理セラピーでした。

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