N-007 ダビデ全身像 | きょうの石膏像 

N-007 ダビデ全身像


きょうの石膏像     by Gee-N-007
N-007 ダビデ全身像        H.64×W.20.5×D.15cm (1504年 フィレンツェ・アカデミア美術館収蔵)





週二回更新がすっかり定番となってしまいました。。




このダビデの石膏像については、2009年の12月に一度記事にしています。

N-007 ダビデ全身像

”ダビデ”って誰?ということについて書いていますので、良かったら読んでやってください。

旧約聖書・サムエル記の登場人物で羊飼いの少年ダビデは、敵将の巨人ゴリアテに・・・・・。

File:Michelangelos David.jpg

アカデミア美術館の本物  1873年に損傷を防ぐため移動されました。




さて、1500年頃のローマで”ヴァチカンのサン・ピエトロ聖堂のピエタ”を完成させたミケランジェロは、フィレンツェに戻りました。


サヴォナローラが去った後(ローマ法王に破門されて、焚刑にされた)のフィレンツェでは、メジチ家の支配に代わって共和制が樹立され(実際には、商人達による少数独裁政治)、ピエロ・ソデリーニという人物が市政長官となりました。


ソデリーニは、政治混乱によってフィレンツェを去った多くの優秀な芸術家を再び呼び戻します。


フランス軍によるミラノ攻略によって行き場を失ったレオナルド・ダ・ヴィンチは1500年に、そして1501年にはミケランジェロがローマからフィレンツェに帰還します。




もう50歳に近かったダ・ヴィンチは既に名声を確立しており、1503年からはあの”モナ・リザ”を制作し絶頂期を迎えます。



一方のミケランジェロは、ローマでのピエタによる名声があったとはいえ、まだ26歳の新進の彫刻家でした。メジチ家が失脚してしまったため有力者からの庇護を失ってしまったミケランジェロに、市政当局は彫りかけのまま40年以上放置されていた巨大な大理石の塊を与え、”巨像”の制作を依頼します。



この大理石は、もともと15世紀前半に持ち上がった大聖堂の装飾計画に由来します。それはフィレンツェ大聖堂の屋根に、地上からも識別可能なくらいの巨大な彫像を設置し、フィレンツェ共和国の宗教心、芸術性、政治力を誇示しようというものでした。



ドナテルロやブルネレスキが、テラコッタ、中空の金属などの素材で彫像制作にとりくみましたが、1460年代にアゴスティーノ・ドゥッチオ(ドナテルロの弟子のひとり)という彫刻家に大理石の巨人像の制作が依頼されます。ドゥッチオは5メートル近い巨大な大理石の塊を用意し制作に取り組みましたが、結局断念しその大理石は放置されてしまいます。


File:Agostino di duccio, madonna col bambino e quattro angeli (madona d'auvrillers).JPG

ルーブル収蔵のアゴスティーノ・ドゥッチオの作品



1470年代には、再びアントニオ・ロッセリーニ(この方も相当な巨匠ですが・・)がこの巨人像の制作を引き受けますが、やはり未完に終わってしまいます。


File:National gallery in washington d.c., antonio rossellino, giovane san giovanni battista 1470 circa.JPG

ワシントン・ナショナルギャラリー収蔵のロッセリーニの作品。兄弟弟子だったセティニャーノに強い影響を受けています。この人の作風だと、”巨人像”っていうのはちょっと無理があるかも・・・。




ミケランジェロが取り掛かった時点で、その石の塊がどの程度掘り進まれたものだったのか?


既にドゥッチオと契約したときに”ダビデ像”を作るということは決定されており、脚部・衣服(!)・脚と脚の間の空間といったところまでは制作が進んでいたということです。


1500年に、当時この大理石を管理していた大聖堂事業監督所の作成した”在庫目録”には、「粗く輪郭を描かれたまま仰向けの状態で放置された”ダビデ”と呼ばれる大理石像」という記述があるそうです。


そんな”残りもの”の大理石から、ミケランジェロはあの傑作ダビデ像を”取り出し”ました。




このダビデ像に関して、正面からみたときの重量感に比べて、側面から見た場合の印象がやや薄く、扁平に感じられるという指摘があるのですが、これは素材となった大理石の”厚み”による制約だったのではないかと言われています。



ダビデ像が完成すると、その勇壮な姿にフィレンツェの街は歓喜につつまれたといいます。



1504年一月には、当時のフィレンツェの巨匠のほとんどが参加した”巨像設置委員会”が開催され、ダビデ像の設置場所について議論が交わされました。


ちなみに参加者は・・・


ボッディチェリ 「大聖堂正面に!」

サンガッロ   「大理石が傷むのでロッジアの屋根の下に!」

ダ・ヴィンチ  「同じくロッジアの中!」

フィリピーノ・リッピ「ミケランジェロ本人が決めるべきだ!」


すごい面子ですね~~。こんな人たちが一堂に会して会議室みたいなところで喧々諤々の議論をかわしたのでしょうか・・・想像するだけでわくわくしますね。


1504年にはウルビーノを去ったラファエロもフィレンツェに到着していたので、このダビデ像を見つめていたことでしょう。


1504~6年というのはいわゆる”三大巨匠”がフィレンツェに全員集合していた時期なんです。





ファイル:Firenze.David01.JPG

現在の市庁舎前のダビデ像。1910年からレプリカが設置されています。




そして、そして・・・


ダビデ像の完成、モナ・リザの制作、という歴史的なイベントに続いて、さらに”盛期ルネッサンス”のクライマックスとなるはずだった絵画対決があるのですが、それは次回。。。






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きょうの石膏像     by Gee-sekkouzou.com